最後の課題*11
そうして魔物は死んだ。否、死んだというか、消えた。消えてしまった。
「霧散したねえ……」
「はい。霧散、してしまいましたね……」
神霊樹の根っこに向けてぶん投げられた魔物は、神霊樹に近づいた端からどんどん崩れて崩れて……その姿は最終的に、黒い靄となって、ふわっ、と霧散していってしまったのだった。
「あれ、魔物が黒い霧に戻されて、ついでに消えた、ってことは……私の世界に戻っていった、ってかんじなのかなあ」
「ええ、そのように見えました。成程、神霊樹の力とは、黒い靄を魔物より取り払い、消し去る力、ということなのでしょう」
こうして見てみると、ようやく神霊樹の力の程が分かる。
今までスケルトンやブラウニー達が神霊樹に触れては善良な魔物に変わっていたが、アレはどうも、そういうことらしい。
どうも、神霊樹は『魔物から黒い靄を取り払い、消し去る』という力を持っているようなのだ。
だから、スケルトンやブラウニーといった、黒い靄が何かに憑りついて生まれた魔物については、悪い部分だけ消し飛んで、人間を襲わない、善良で愉快な生き物に変貌を遂げるのだろう。
そして、黒い靄だけでできている魔物……例えば、澪が誕生を目撃してしまった例のコボルドであるとか、先程のキモい塊の魔物であるとか、そういうものについては神霊樹に触れると、それそのものが消し飛ぶ。そういうことらしい。
「いやー、大発見だねえ、ナビス」
「ええ。神霊樹の力の程が分かったことで、全国民聖女化をより一層推し進めていくことができそうです」
何にせよ、ここでの戦いには大いに意味があった。大収穫に澪もナビスもほくほくである。
……元々、聖女が聖女ではなくなるということの一番の問題は、魔物を退治する者が居なくなってしまうのではないか、というところにあった。
よって、神霊樹を各地に植樹していき、魔除けの力で今までの聖女の力を代替できるようにしていきたい、と考えていたが……その神霊樹の細かな仕様が分かってきたことによって、より一層、それをやりやすくなる。
そして、更に。
「……もしや、神霊樹はミオ様の世界に『帰す』役割を持っているのでは?」
ナビスが、そう、推測を始める。
「帰す?」
「はい。黒い霧が、ただ消えてしまったとは思いにくいのです。あれは固まれば魔物になるようですから……また魔物が生まれていない以上、あれは完全に消えてしまった、のではないかと。そして、ただ消えたというよりは、『戻した』のではないかと考える方が、しっくりくる、というか……」
ふむ、と考えてみると、まあそうとも考えられる。
結局のところ、澪の世界を覗いてみないことには、本当のところがどうなのかは分からないので何とも言えないが……。
「もし、神霊樹が『帰す』、あるいは、ミオ様の世界との何らかの繋がりを持つものであるのならば……ミオ様帰還の儀式の際には、神霊樹の枝を杖にして儀式を執り行いましょう。より強く、ミオ様の世界を結びつけることができそうです!」
「おおー、なんかただ祈るより成功率が上がりそうな気がしてきた」
澪が帰るための具体的な方策が、いよいよ固まりつつある。そして、澪が『最後の課題』をどう片付けるかも。
どのみち、聖女を引退させていくとなると、魔除を聖女以外の何者かが担う必要がある。だから、神霊樹は元々増やす予定だった。
そして今回の収穫によって、どこに、どのように神霊樹を増やしていけばより皆を守りやすいかが分かったのである!
「まあ、靄が消えてるにせよ帰ってるにせよ、各地のダンジョンに神霊樹植えとけば正解って分かったもんね!」
「はい!そのように思います。早速、コニナ村の村長さんに連絡して金のどんぐりをまた分けて頂けないか、交渉してみましょう!」
目標が分かるのは、いいことだ。道筋が見えれば、ゴールも見える。……そのゴールは、少し寂しいものだから、澪は直視したくないのだが。
「これで聖女が引退しやすくなるねぇ」
「お父様にもご報告しなければ」
澪とナビスはにこにこしながら、早速、歩き始め……。
「……と、その前に」
歩いて5歩くらいで、立ち止まる。
「時の砂をこのままにしておくのは不安ですね」
……そう。今、ポルタナ鉱山地下5階には、時の砂が沢山積もっているような状態である。
「元々、ポルタナ鉱山地下5階は海と繋がっていて、丁度、時の砂が堆積するような場所だったのでしょうね」
「ねー。或いは、もしかすると、ここから上に掘り抜いていったのがポルタナ鉱山だったり……?」
ポルタナ鉱山のでき方については色々と不思議に思われることが沢山あるが、まあ、それはさておき……。
「このまま時の砂を放っておくのも心配ですね」
「でも使える奴、そうそう居ないんでもないの?」
「まあ、そのように思いますが……ううん、それでも、現に先程の魔物は数秒程度とはいえ、時を止めていましたから」
「あー」
たった2秒程度でも、時を止められると非常に厄介である。澪は、さっきの魔物によって吹っ飛ばされて肋骨がいっちゃった時の感触を思い出しかけて、やめた。こういうのは思い出さないに限る。
「でもここの砂全部片づけていくの、結構大変そうじゃない?というか、多分、無理だと思う」
「ですよねえ。砂ですから、1粒も見逃さずに片付ける、などというのは現実的ではありませんし……」
ナビスは少し首を傾げ、それから意を決したように、うん、と頷いた。
「少し、研究してみます。お母様が遺した記録と照らし合わせれば、私にも時の砂の制御ができるようになるかもしれませんから」
そしてナビスはその場に屈んで、聖水の空き瓶に時の砂を詰め始めた。
「制御できたならば、きっと役に立つものですからね」
「ねー。私もそれはちょっと思う」
澪もついでに自分が持っていた空き瓶に時の砂を詰めつつ……。
「魚を腐らせずに輸送したり、ですとか」
「コニナ村の焼き立てパンを焼きたてのままポルタナで食べられたり、だとか」
澪とナビスはほぼ同時にそう提案して……顔を見合わせて、笑い出す。
まあつまり、やっぱり食べ物って大事だよね!ということなのだ!
さて。
そうして澪とナビスが海辺の祭壇に出てきたところで。
「あれっシベちんどしたの」
そこには、顔面蒼白なシベッドが居た。聖銀の銛を携え、戦いに赴こうとしている様子であるが……。
「ど、どうしたもこうしたもあるかよ!1日待っても出てこなかったら連絡を、って言われてた以上、一日経って出てこなかったら探しに行くぐらいするだろうが!」
「えっ!?1日経った!?マジで!?やっば!」
「な、なんてこと……!成程、内部で時を止められていたせいで、もう、1日経ってしまっていたのですね!?」
そう!どうやら、澪とナビスがシベッドに『何かあったらよろしく』と伝えておいた『1日』がもう経ってしまっていたらしいのだ!
恐らくは、例の魔物との戦闘前……澪とナビスが引き離されたあの時に、そこそこ長い間、時が止まっていたのだろう。多分。だが澪もナビスも、そんなことはすっかり忘れていたのである!
「うわーん、ごめんねシベちん、心配かけさせてー!」
「す、すぐさま伝心石通信を!無事を伝えなければ他の皆さんにも心配をおかけしてしまいますね!」
澪とナビスは『あわわわわわ』となりつつ、ひとまず、伝心石通信で『こちら、ミオとナビス。無事です!』と連絡を打って『よかった!よかった!』と大量の信号を受け取るハメになったり、すっかりムスッとしてしまったシベちんに『ごめんね!ごめんね!』とやったり、忙しなく過ごした。
シベちんは最終的に『無事だったんならいい』と言って帰っていった。つくづく健気な奴である。
さて。
シベちんが帰っていったところで、澪とナビスは教会に戻ってゆっくり休むことにした。
予定が1日詰まってしまった分、明日の朝一番にはここを出て、全国ツアーの続きを回らなければならない。休める時にしっかり休んでおかなければ。
「なんとなく全身砂まみれだ」
「そうですねえ……ああ、髪を振ると砂が……」
……休む前に、お風呂に入らねばならないようである。ミオとナビスは『こんなところにも砂が』『すっかり砂まみれです!』と一頻りやって……。
「……いっそ水浴びしちゃおうか」
「そうですね。タライで沐浴するくらいでは、砂が落ちそうにありません」
色々と面倒になって、お風呂を求めてポルタナ鉱山へ向かうのだった!
「うおっ!?1日行方不明だったって聞いたぞ!?大丈夫なのか!?」
「あ、ごめんねカルボさん。うん、色々あったけど何も問題ないよ!ありがと!」
「ご心配をおかけしました……」
ポルタナ鉱山入り口では、鍛冶師のカルボに慄かれてしまった。どうやら連絡はこんなところにまで来ていたようである。ちょっと居た堪れない!
「今日は何の用だ?杖か?短剣か?」
心配してくれていたカルボは早速、すわ仕事かとばかり意気込んでくれるのだが……。
「いや、お風呂!」
「……は?」
澪が答えると、ぽかん、としてしまった。まあ、それはそうである。
そうして澪とナビスは、ポルタナ鉱山地下4階へやってきた。例の、アンケリーナの指輪を餌に恐らくカリニオス王を釣ろうとしていたのであろう竜が居た地底湖である。
「よし、誰も居ない!貸し切り!」
「ではまず灯りを用意しましょうか」
「よーし!任せろー!」
そこへ澪が聖銀のラッパを吹き鳴らせば、ぽやぽやと光の球が浮かんで、たちまち地底湖は明るくなる。それこそ、真昼のように明るいのだ。
「じゃあ早速入っちゃお!」
「ふふ、地底湖は温度が一定ですものね。水浴びには丁度いいです」
ということで早速、澪とナビスは水着に着替えて地底湖に入る。水温は思っていたより温かく、少し意外なほどである。
尚、この世界での水着はワンピースみたいなものだ。水の中でふわりと裾が広がるとなんとも綺麗で、澪はナビスを見て『ん?妖精かな?』と思った。
「折角だし、洗濯しちゃおう」
「全部一緒くただと楽ですねえ」
ついでに洗濯もする。装備品を一式水で濯いでしまえば、装備についていた砂も落ちてすっかり綺麗になる。
そうして一通り、やることをやってしまったら、後はいよいよ、水浴びを楽しむだけだ。
「へへへ、水掛けちゃお!」
「きゃっ!もー!ミオ様ぁ!」
ぱしゃ、と水を跳ね散らかせば、魔除けの光に反射した水飛沫がきらきらと眩しい。ついでに、『お返しです!』とナビスがまた水を撒いて、澪もそれに応戦して……地底湖は水の煌めきと2人の笑い声でいっぱいになった。
「気持ちいいですねえ」
「ね。もう、こういうのが気持ちいい季節なんだなあ」
そうして一頻り遊んだ2人は、水に浸かってぷかぷかしながら、天井を見上げる。
勿論、ここは地底湖であるため、空は見えない。だが、外に出れば、日差しは随分と眩しくて、『ああ、夏が来るんだなあ』という具合なのである。
「……そろそろ、ミオ様がいらしてから一年くらいになるんですね」
「うん」
澪がこの世界へやってきたのは、夏だった。夏休みの始まりの浮足立つような気分の中、澪はこの世界へやってきた。
「……来月には、全国ツアーも区切りが付きますから」
「……うん」
そして、澪が元の世界へ戻るのも、夏になる。




