最後の課題*9
「ああ……アンケ、リーナ?」
驚きと戸惑いがハーフアンドハーフのカリニオス王は、ナビスを見てそっと近づいてくる。
「あ、あの、お父様!私、ナビスですよ!」
だが、ナビスが声を発すると、カリニオス王はすぐ、はっとして立ち止まる。
「ナビス……いや、そうか、ナビスだったか。すまない」
そしてカリニオス王は頭を振って、『全く、何をしているんだ私は』とぼやく。その様子からはどこか、意識が混濁しているような、そんな印象を受けるが……。
「その、ナビス。君はどうしてここに?」
「ミオ様と調査の為、洞窟に入ったらここまで……あの、お父様は?鉱山の一階から下りていらしたのですか?」
「ああ、そうだ。公務を放りだして来てしまった」
カリニオス王が苦笑するのを見て、澪とナビスは首を傾げる。王ともあろう人が、公務を放りだしてポルタナの鉱山までやってくる理由が思いつかないのだが……。
「大切なものが、この奥に置きっぱなしだったのでな。まあ、放り出せる公務しか無くなった時点で、こちらへ飛んできたんだ」
「大切なもの……?」
「ああ。こっちだ」
そうして、カリニオス王は洞窟の奥へと引き返していく。その足取りに迷いは無い。
……のだが。
「あのさー」
澪はどうにも拭えない違和感を覚えて、カリニオス王の背中に声を掛けた。
「ねえ、偽物でしょ」
……振り返ったカリニオス王は、凍り付いたような無表情で、じっと澪を見つめていた。
その瞬間、ぱっ、と意識が途切れる。
……否、時間が飛んだのだ。
澪は既に一回『目が半開き』のあれこれで時間が止まる感覚を体験済みであったので、この感覚を味わってすぐ、『時間が飛んだ』と理解することができた。
「あっ、居ない!」
そして、さっきまで目の前に居たはずのカリニオス王……否、カリニオス王に化けた魔物であったのだろうそれは、姿を消していた。
「居ません、ね……ああ、どれくらい時間が進んだのでしょう?」
「分かんない……けど、急いで探して仕留めた方がいいと思う」
時が止まったというのなら、それこそ本当に、10秒20秒ではなく、1時間2時間……下手したら、1日2日飛んでいても、おかしくは、ない。そう考えると、非常に怖い。
既にあの魔物がポルタナに出て、村を攻撃しているかもしれない。あの魔物の目的は分からなかったが、良からぬことを企んでいることは間違いないだろう。
封印されていた魔物が動き出したのだ。少なくとも、連絡は急いだ方がいい。
……のだが。
「んー……ナビス、ちょっと歌ってくれる?」
「へ?」
澪はとりあえずナビスにそう、お願いしてみることにした。
「いやぁ、私さあ、実は、ナビスの歌聞く度に感動してるんだけど」
「え、え、あ、ありがとう、ござい、ます……?」
ナビスは、『はて』とばかり、こてん、と首を傾げている。状況が読めない様子であった。だが澪は容赦しない。
「ナビスの歌って多分さ、毎回、私の予想を超えてくるんだよね。感動って、自分の記憶の中で正確に再現できないっていうかさー……」
澪が説明していけば……ナビスは、その表情を徐々に焦燥に満ちたものへと変えていく。
「だから……もし、私の記憶をトレースして生まれる魔物が居たとしても、私の記憶をトレースしている以上、ナビスの歌は再現できないってわけ。で、そういうの抜きにしたって、ただの偽物なら当然、ナビスみたいには歌えないだろう、ってわけ」
澪がにっこり笑って『ナビス』を見つめると、彼女は半歩、後ずさった。
「ってことで、一応、確認のため。あなたが本当にナビスかどうか、私に確かめさせて。ね?」
+
ナビスは、気づくと先程までとは別の場所に居た。
はっとして辺りを見回す。どうやら、ポルタナ鉱山の中なのだろう、と思われるような、砂と岩壁に囲まれた中に居る。恐らく、地下5階のどこかなのだろうが……。
「あー、ナビス、大丈夫?」
そんなナビスに、ひょこ、と顔を出したミオが心配そうに声を掛ける。
「ああ……ミオ様、私、どれくらい眠っていましたか?」
「そんなに長くはないよ。5分くらい?まあ、私が起きてから、ってかんじだから、私が1時間とか寝てたら、1時間5分、ってかんじだけど」
ミオはそう言うと、『さて、ここはどこかなあ』と周りを見回し始める。
「……ミオ様」
「ん?何?」
ナビスは、そんなミオへ声を掛けて、じっ、とミオを見つめる。ミオは、きょとん、としながらナビスを見つめ返してくる。その涼やかな瞳も、さらり、と揺れる短い髪も、全てがミオのものだ。なの、だが……。
「その……ミオ様の世界のことを何か1つ、教えてください。私の知らない、ミオ様だけの知識を」
「へ?なんで急に?」
ミオは『意味が分からない』というような顔をしているのだが、ナビスは退かない。
「ええと……では、ミオ様。以前、馬車を開発したことがありましたよね?」
「ああ、うん。あったよねえ。ドラゴンタイヤをブラウニーが作ってくれて、そのおかげでいいかんじのができたやつでしょ?」
「ええ。そうです。そしてあの時、ミオ様はミオ様の世界の『車』について、教えてくださいましたよね?」
「あー……言ったっけ?あんま覚えてないや」
ミオは首を傾げているが、その表情には微かに焦燥めいたものが見て取れた。
「『車』について、教えてください。ミオ様が知る限りのことで結構です。どのような場所にあって、どのように使われているのか。どのような形をしていて、どのように作るのか」
一歩、ナビスがミオに近づくと、ミオは半歩、後ずさった。
「もしあなたが本物のミオ様にあらせられるのであれば、淀みなくお答えになるはずです。さあ、ミオ様」
……そうして。
「全く!ミオ様の姿を真似るなど、なんと罪深い魔物でしょう!」
ナビスはぷりぷりと怒りながら、杖を持ち直した。
……そして、先程まで澪の姿をしていた魔物は、ナビスの魔除けの光と杖による物理的な打撃によってボコボコにされ、消えた。
転がった魔物の姿は、もう、ミオのそれではなかった。始めこそ魔物は、『ナビス!?ちょ、ちょっと!誤解だよナビス!お願い!やめて!』とミオの声と顔で訴えていたのだが、魔除けの光に曝し続けていればその内変化の術を保てなくなったらしく、そのまま消えてしまったのである。
恐らく、元々実体のない魔物だったのだろう。或いは……『魔物の一部』でしかなかったのか。
前者であればよいが、後者であったなら、まだあの魔物の本体が居ることになる。そして、ミオも、どこかに。
「ミオ様は……ミオ様は、偽物の私を見分けてくださっているでしょうか……」
ナビスはそう呟いて、心配と焦燥に胸の内を焦がした。
『ミオ様なら大丈夫に決まっています!』という気持ちと、『しかし、万一騙されていたら……』という気持ちが混ざって、ナビスは居ても経っても居られなくなり……。
「……ミオ様!」
ナビスは早速、走り出したのであった。
ナビスが走り出してすぐ、ミオが現れた。
だが、先程と同じように問いかければ、案の定、言葉に詰まった。そのため、ナビスは即座に『ミオを騙る不届きもの』をボコボコにせしめ、また道を走り出す。
一番辛かったのは、血を流して倒れているミオの姿に化けた魔物と出くわした時だ。ナビスはうっかり動転して駆け寄りかけて、しかし、そこで倒れたミオがナビスめがけて短剣を繰り出してきたのを何とか躱し、そこでやっと偽物だと気づいた。
それからなんとか体勢を立て直して、その魔物もボコボコにした。ナビスはやる時はやるのである。だが……同時に、どうして母が魔物に負けたのか、理解できた。
時が止まっていた洞窟の中、カリニオス王が出てきた。アレはきっと、ミオやナビスの記憶を参照して化けたのではなく、きっと、ずっとずっと前……アンケリーナの記憶を元に化けたまま、時を止めていたのだろう。
そしてきっと、アンケリーナはカリニオスが倒れているのを見て駆け寄ったか何か……とにかく、それで騙されたのだろうな、とナビスは思う。
仕方がない。倒れた人が居ればすぐさま救おうとするのが聖女だ。母は優秀な聖女だった。だから当然、騙されたのだと納得がいった。
……ずっと、不思議だったのだ。敬愛する母が、優秀な聖女が、ナビスを1人遺して死んでしまったことが。ずっと。
「……やっと、あの時のことが分かってきました」
ナビスは小さく呟いて、ほんの1秒程度、祈る。
それは、母アンケリーナに向けた祈りであり、同時に、ナビス自身が強く在れ、と願うものである。
そうして更に2人分ほど『ミオを騙る不届きもの』をボコボコにしたところで、向こうの方から足音が聞こえてくるようになった。それは聞き覚えのある足音であったが、やはりあてにはできない。
何せ、魔物は間違いなく、ナビスの記憶を参照して化けてきている。更に、時の砂を用いて、ある程度、時間を操作してくるように見受けられた。ナビスが意識を失ったように思ったあの一瞬は、きっと、時間を止めてその隙にナビスを移動させた、といったものだったのだろう。
そう。相手は、時の砂を用いてくる。このポルタナ鉱山地下5階の全域に広がる砂の床は、ほとんど全てが時の砂によるものだ。となれば、相手の術を防ぐことも難しい。
ならばせめて、と、ナビスは杖の先に光を灯す。
ごく初歩的な魔除けの術だが、込める力をごく僅かに絞ったため、5分程度で消えるだろう。更にもう1つ、次は10分程度で消えるであろう光を灯し、続いて30分程度はもちそうな光も灯しておく。
こうすることで、消えた光があればある程度時間を調べることができる。止まっている時間が1分やそこらならよいが、そうでなかった時は色々と、まずい。
……そうして杖を準備したところで。
「ナビス!いた!」
洞窟の曲がり角から姿を現したミオを見て、ナビスは緊張を高める。また偽物かどうか、見極めなければならない。
「……って、えーと、本物とは限らない。よし、よし……」
……が、今回のミオは、そんなことを言って立ち止まると……。
「ナビス!歌って聞かせて!」
「う、歌ですか!?何がいいですか!?」
「えーと、とりあえず好きなやつどうぞ!」
「わ、分かりました!ええと……で、ではポルタナの舟歌を!」
急ではあったが、ナビスは十分に警戒しながらポルタナの舟歌を歌った。歌い慣れた歌は、ナビスの心を少々、解してくれる。波のように揺蕩う旋律はミオとナビスを包み込んで坑道に響き渡った。
そうして歌い終えると、ミオはぱちぱち、と拍手して満面の笑みを浮かべた。
「よし!これは本物のナビスだ!間違いない!」
「あ、ええと、信じて頂けてよかったです」
ナビスは、『どうして歌うと信じて頂けるのでしょうか……?』と不思議に思ったが、まあ、信じてもらえるというのであればそれに越したことは無い。
無論、これがミオに化けた魔物がナビスを油断させるための策略であるかもしれないので、気は抜かない。
「ええと……では、ミオ様のラッパの演奏を聞かせてください。あれは演奏するのに技術が必要だと聞いております。そして私には、演奏の技術の知識はございませんので……」
「あ、なるほど。ナビスはナビスでこっちを疑わなきゃいけないもんね。いいよいいよ。じゃあ吹くね」
するとミオは頷いて、すぐさま聖銀のラッパを取り出し、吹き始めた。
できる限り高難易度のものを、と思って吹いてくれているのだろう。音の行き来が速い。これをラッパで演奏するのは難しいのだ、ということをナビスは知っている。
ミオの演奏は、高音から低音へ軽やかに下っていったかと思えばすぐさま高音に向けて上っていく。そうして高らかに響き渡る音の、鋭く華やかなことといったら!
そうして演奏が終わった時、ナビスは思わず拍手していた。これは拍手せざるを得ない。ついでに満面の笑みになってしまっている自分に気づいても居たが、『先程、ミオ様も同じようにしてらっしゃいましたもんね』と納得してしまう。
「どう?信じてもらえそう?」
「はい。ありがとうございます……あ、でも、その、ついでにミオ様の世界の知識を1つ、教えてください。私が知らないようなものを」
「よしきた。えーとね、私の世界ではきのことたけのこで戦争が起きてる」
「成程、分かりました。どう考えても理解できませんし私の記憶から発生しそうもない知識です。どうもありがとうございますミオ様」
そしてこれは間違いなく本物のミオであろう、とナビスは確信した。
ナビスの発想の外にある異世界の知識が出てきた以上、もうこれは本物であると考えるしかない!
+
……さて。澪はようやく、本物であろうナビスと合流できた。『きのこたけのこ戦争』がダメ押しになって信じてもらえたとしたらなんとなく複雑な気分ではあるのだが、まあ、信じてもらえたんだから良しとする。
「偽物が出てきたって、私達の信頼関係の敵じゃないね!」
「ええ、その通りですミオ様!」
澪とナビスは虚空に向かって胸を張り、互いの友情を讃え合った。
……と、いうところで。
「さーて……本体はどこにいるのか、ってとこだよね」
「ええ。恐らくは最奥、という事になるのでしょう」
さて。いよいよ、本格的にここの主を倒さねばならない。
「奴を倒せば、ポルタナに異世界の靄を呼び込むものは居なくなるはずです。となれば、しばらくはポルタナに平和が訪れるかと」
「だね。よーし、やっちゃおやっちゃお」
魔物を倒せば、魔物が減る。澪の世界から来ているらしいあの例の黒い靄を呼び込んでいるのは、魔物だ。そして強力な魔物ほど、強力に靄を呼び込んでいるように思われるのだから……時を止め、親しいものの姿に化けるという嫌な魔物は、さぞかし多くの魔物を呼んできてくれたことだろう。
つまるところ、ポルタナの仇。全ての元凶。そういったものが、この先に居るのだ。
そうして坑道を進んでいった先で。
「あれでしょうかね」
「っぽいねー。うわあ、もうちょっとなんかなかったのアレ」
……そこには、悍ましい姿の魔物が居た。
マルガリートに、パディエーラに。勇者エブルにランセアに……シベッドもカリニオス王もクライフ所長も、ついでにトゥリシアやキャニス、シミアといった者達まで……およそ、澪とナビスの知る者全ての顔を集めて、一塊にしてしまった、というような……そんな魔物が、蠢いていたのである。
「キモいねえ……」
「はい。大変にきもいです……」
……なんとなく士気が落ちるが、ここでやらねばならないのだ。
澪とナビスはすぐさま、魔物に向かって武器を繰り出した。




