最後の課題*8
「……静かですね」
さり、と砂を踏む音を響かせて、ナビスが歩く。
鉱山地下5階は、静かだった。ナビスの声どころか、砂っぽい床を踏む音すらも、よく響く。ナビスの緊張気味に強張った吐息も、はっきりと聞こえた。
景色も、静かである。動くものは澪とナビスと、2人分の影だけ。
放置されたつるはしやシャベルも、猫車の類も、麻袋や陶器らしいものの残骸も、そこで静かに眠っているかのようだ。かつてここが鉱山として賑わっていた時のまま、時間が止まったかのような、そんな錯覚さえしてしまいそうなほど。
穏やかで、静か。まるで、時が止まったように。
そんな空間を澪とナビスは2人、歩いていく。
「本来はこれ、地下4階から下って到達する場所だよね」
「ええ。きっと。……しかし、海辺の祭壇に道があった以上、こうなることをお母様が予見していたようにも思うのです」
ポルタナ鉱山地下5階には、何か意味があると思いたい。ここに澪とナビスが導かれた意味がちゃんとあるのだと、そう思いたい。
だが澪は同時に、何かがあることが怖いようにも思っていた。だって、何かがあるとしたら……それは、澪の世界との繋がりではないだろうか。それは、この世界やナビスや……そして澪に、悪い影響を与えやしないだろうか。
「少し、広いところに出ましたね」
「ね」
進みながら、澪は考える。
……澪の世界が原因で魔物が生まれているとしたら……その魔物によって殺されてしまった聖女アンケリーナについて、澪は、ナビスに何と言えばよいのだろう。
進んだ先にあったのは、少し広くなった空間だ。
1つだけ、テーブルと椅子のセットがある。椅子の数を見る限り、ここを利用していた人は多くない、のだろう。元々一脚だけ置いてあったらしい椅子と、もう一脚新たに持ってきたらしい別のデザインの椅子が、こじんまりとしたテーブルを挟んで置いてある。
棚もあったが、ここも物が少ない。薬草らしいものの束が少しと、瓶に入れられた薬の類、といった具合である。
「誰かがここで過ごしてたんだねえ」
「ええ……」
なんとなく懐かしさのようなものを感じる光景を見て、澪とナビスは暫し、そこで立ち尽くした。
かつてここにあったであろう平和な光景を思うと、今の静けさが余計に、寂しい。
「あれ」
そんな折、澪は空間の奥に、光を見つけた。
ナビスが浮かべた魔除けの光ではなく、澪のラッパから生まれた光でもなく……。
「あのカンテラ、光、灯ってるね……」
ちらちら、と揺れるのは、灯。本来ここに無いはずの火が、小さく小さく、揺れている。
ありえない光景を前に、澪とナビスは暫し、固まった。火が付いているってどういうことよ、と。
だが、放っておくわけにもいかない。ミオとナビスは顔を見合わせて頷き合うと、そっと、慎重に、火の灯るカンテラへと歩いていく。
カンテラは、棚に収納されていた。そしてその中に、小さな小さな灯を抱いている。
「……燃えてるねえ」
「燃えています、ねえ……」
澪とナビスは暫し、カンテラを眺めた。ポルタナによくある、月鯨の鯨油を用いて灯すタイプのカンテラらしい。まあ、つまり、この火は燃料で灯っているのである。
そう。20年近く放置された、この坑道内で……燃料で、火が灯っているのである。
「怖いねえ!?」
「怖いですよねえ!?」
そして2人手を取り合って、『きゃー!』とやることになった。
「誰も居ないのに!?誰も居ないのに火ィついてんの意味わかんなくない!?」
「ずっと燃え続けているとしたら、20年ほど燃え続けていることになりますよ、この火!ありえないことです!」
ありえないことが起こると、やっぱり『怖い!』となる。なんてこった!
「いやー……火も意味わかんないけどさー、この空間、割と意味わかんなくない?」
とりあえず少々落ち着いた澪は、ぐるり、と周りを見回して、『やっぱそうだよね』と改めて確認する。
「鉱山だったはずだし、道具も残ってるのにさあ、全然、鉱物っぽいもの、見当たらないじゃん?」
「あ、ああ……確かに」
地下3階には聖銀と夜光石があるし、地下4階にはオリハルコンと伝心石がある。だが、この地下5階と思われる空間には、何も無い。
「何も無いところ掘ってたとも思えないんだけど……」
きょろ、と周りを見回してみるが、やはり何も無い。精々、採掘の際に生じたのであろう砂が猫車に積んであるくらいだ。なんとなく坑道内の床は砂っぽく、歩くと、ざりざり、と音を立てる。澪は、『小学校の昇降口がこんなかんじだったなー』などと思い出しながら、意味も無く、靴底でざりざりと砂を動かしてみる。
……すると。
「あれっ、光った?」
一瞬、澪の足元で砂が光ったように感じた。だが、もう一度目を凝らしてみても、特に変化は無い。
「ねえ、ナビス。今……」
確認のため、澪はナビスの方を見て……そこで、ぎょっとすることになった。
……ナビスの目が、半開きの状態で固まっている!
ナビスらしからぬ半開きに、澪はぎょっとした。だが、それ以上に……新たに気づいてしまったことによって、澪は更に、血液が凍り付くような感覚を覚えた。
……ナビスは呼吸をしていない。
「な、ナビス……?」
嘘でしょ、と思いながらも、澪はナビスにそっと手を伸ばす。そして、ナビスにその指先が触れようとした、その時。
「へっ!?」
ナビスは急に動き出し、その目は半開きから一瞬で見開かれ、澪を見てぎょっとしたような、そんな顔になる。
「み、ミオ様!?いつの間にこんな、目の前に……!?一瞬で、ミオ様が……!?」
ナビスが慄くのを見て、澪はぽかんとしてしまったがすぐさま、ナビスへ近づきなおして、むに!とナビスの頬をつついて確認する。
「み、ミオ様!?」
「い、いや、生きてるよね、って、確認……」
ナビスは只々困惑していたが、澪はもう、困惑を通り越した何かである。意味が分からない現象に見舞われて、もう、どうしていいのやら分からない。ナビスが呼吸を止めていたのを確認してしまったあの時の恐怖は、べったりとこびりついて中々離れてくれない。
「ナビス、大丈夫?さっき呼吸、してなかったんだよ!」
「えええっ!?呼吸が止まっていたのですか!?」
「それどころか、目が半開きだった!」
「目が!?半開き!?」
澪がナビスの頬や手をむにむに触って確認する間にも、ナビスは『半開き!?目が半開きだったのですか!?』と、わたわた慌てている。ミオとしては半開きでも可愛いから呼吸の方優先して!という気分なのだが……。
さて。
「……成程、分かりました」
やがて、ナビスはようやく落ち着き、澪も多少、先程の恐怖が薄れたところで、2人は改めて向かい合い……。
「お母様が、『ポルタナの秘伝』として私が聖女になった時に教えてくださるはずだった技術が、ここにあるのでしょう」
そして開口一番、ナビスはそう言った。
「ミオ様。もしかしたら、本当に……ここの時は、長らくずっと、止まっていたのかもしれません」
「ここは砂だらけですね。海底の砂にも似ていて、不思議なかんじ」
ナビスは床に屈むと、そこに溜まっていた砂をその手に一握り、掴み取った。それからナビスがゆるりと手を開いていけば、それに合わせて指の間から、さらさらと砂が零れ落ちていく。
砂は細かく、しかし埃っぽくはない。粒の大きさが揃っているのだろう。色は白っぽく、成程、確かにこれは海の砂のように思えるが……。
「これは恐らく、時の砂でしょう」
「時の砂?」
「ええ。時を操る力を持つ砂であると、聞いたことがあります」
ナビスはそう言うと、またもう一握り、砂を掴み直す。
「詳しい使い方は分かりませんが……恐らく、このように」
……澪は、その一瞬で、ぱちり、と世界が切り替わったような奇妙な感覚を覚えた。
否、切り替わったというよりは……『切り取られた』というような。
「ええっと……ナビス、もしかして」
まさか、と思いつつ澪はナビスの方を見る。尚、ナビスはさっきまで澪の視線の先、床に屈みこんでいたのだが、今は澪のすぐ横に立っている。一瞬で移動してきたようにも見えるが、澪はなんとなく、これがどういうことなのかを理解できていた。
「はい。私、今、時を止めてみました……」
……ナビスは何故か、澪の隣でもじもじしながらそう言って、ふにふにと笑っている。
「……あのさ、もしかして私、目が半開きだった……?」
澪は恐る恐るそう尋ねてみたのだが、ナビスは『ふふふ』と笑うばかりである。……気になる!
時が止まっている間、自分がどうなっていたものやら心配な澪であるが、まあ、今はそれどころではない。
「お母様が施した封印について、考えるべきでした。一体どのようにして封印していたのか。どのように封印すれば、効率が良いか。……どういった封印であれば、『封印できたのに魔物に殺される』という状況が生まれ得るか」
ナビスは、ナビスも知らない当時のポルタナの歴史の真相を垣間見ている。その目は母に死なれた少女のものというよりは、尊敬する先人の偉業を目の当たりにした探索者のものであった。
「魔物の力に真っ向から対決したわけではなく、魔物を時の罠にかけて、地下4階より下に封じ込めたのでしょう。これだけの時の砂があり、それを正しく操る方法があったなら……聖女に致命傷を与えるほどの魔物であっても、聖女の死後もずっと、ここに閉じ込めておける」
ナビスは強い使命感を瞳に宿して、じっと、洞窟の奥を見つめる。
「ここは本当に、ずっと時間が止まっていたのだと思います。だから、あのランタンも……」
ふっ、と、ランタンの火が消える。今までずっと燃え続けていたものが消えた。
否、ようやく燃え尽きたのだ。20年あまり、ずっと止まっていたランタンの時が、動き出したことによって。
「……そして今、時間が動き出したとなれば」
「……魔物の封印も解ける、ってことか」
澪も短剣を抜いて、洞窟の奥を見据える。
近づいてくる魔物の影がある。
恐らく聖女アンケリーナを死に至らしめた魔物が……ようやく、目覚めたのだ。
「……お父様?」
そうして現れたのは、カリニオス王だった。




