最後の課題*6
「いや、それはちょっと……」
澪はそれだけ言って、しかし、その先に何を言うべきか、考えあぐねた。
確かにそれはそうだな、と思ったのは確かだ。その、やりたいとは思わないが。この世界を大いに困らせて元の世界に帰りたいわけではなく、むしろ、互いにいいかんじに、迷惑にならずに帰りたいのだが。
だが……『世界がそういう風にできている』ということには、納得はいくのだ。
「……魔物の急増は、もしかすると、ミオ様を返せとミオ様の世界が呼んでいる声なのかもしれません」
今も、金のトランペットの音が澪の脳裏に残っている。郷愁を強く刻み込みながら。
「……まあ、何だっていいって」
澪は元の世界に帰ることは一旦忘れて、岩の割れ目を、こんこん、と叩きつつ言ってみる。
「私は、私の意思でここに来たんだよ、ナビス。ナビスに呼ばれて、でも、応えたのは私。私はこの世界に、自分で来たんだよ、多分」
言ってみた言葉は、改めての確認だ。
澪は、澪の意思でここに来た。『呼ばれた』のは確かだ。ナビスに呼ばれて、澪はここに来た。
だが、それでも……あの時、側溝を覗き込んだのは、澪の意思だ。無視することだってできたはずの声を聞いて助けに向かったのは、『助けたい』と澪が思ったからなのだ。
「だからまあ、もし私を呼んでるんだったら、元の世界には悪いけどさー……」
澪は、最後にもう一度、ちら、と岩の割れ目を見る。すっかり沈黙しているそれはもう、澪を躊躇わせる原因になり得ない。
「私はこっちで、魔物退治、しちゃう!」
澪はもう、この世界が大好きなのだ。
だから、自分の世界から来ているらしい魔物については、自分の手で退治して、この世界に迷惑を掛けないようにしたいな、と思う。
「いいのですか?」
「うん。むしろ、魔物退治してからが本番じゃない?」
澪は、元来た道を引き返しながらナビスに笑いかける。ナビスは澪に付いて歩き出しながら、まだ、迷いのあるような顔をしていた。
「大丈夫だって!多分なんとかなるよ!多分!」
「た、多分……で、よろしいのですか?」
「うん!確実なものばっかり求めてても、動けなくなって終わりそうだし!」
澪はナビスの手を握って、ナビスを引っ張り始める。そうしながら歩き出せば、ナビスもやがて、意を決したように自らの意思で、澪の隣を歩き始めた。
そして。
「あ」
「ああ……忘れていましたね」
そこには、片結びにされてびったんびったんと藻掻く哀れな大蛇が居た。
そう。ミオとナビスはさっき、こいつを片結びにしてほっといたのを、すっかり忘れていたのだ!
『ほーどーけーなーいー!』とばかり、びたんびたんやっている様は、一周回ってなんだか可愛らしくも見える。
「……こいつ、どうする?」
「え、ええと……ここに置いておくと魔物を呼び寄せてしまいそうですし……」
「……でもなんか、仕留めるのも可愛そうになってきたなこれ」
「そうですよねえ……」
ということで、澪とナビスはびたびたしている大蛇を眺め、お互いに顔を見合わせて……。
「……運ぶかあ」
「最寄りの神霊樹はジャルディンですね」
よっこいしょ、と、大蛇を抱えて、歩き出す。大蛇の尻尾の方はナビスが抱えて、2人はそのまま洞窟を出ていくのだった。
尚、その間、大蛇は『最早これまで……』とばかり、しゅんとして大人しくなってくれたので、非常に運びやすかった。ありがとう大蛇。そしてごめんね大蛇。
ということで、少し寄り道してジャルディンまで向かった。
しろごんに『これ運べるかなあ』と大蛇を見せたところ、『これ運ぶの……?』と言わんばかりの、じとっ、とした目で見つめられてしまったが、それでもしろごんはやってくれた。
いつもより低速飛行ではあったが、それでも十分な速さで飛んで、大蛇を掴んで澪とナビスを背負って、ジャルディンまで飛んでくれたのである。ありがとうしろごん。そしてごめんねしろごん。
ジャルディンは、澪とナビスが運び込んだ大蛇を見て一時騒然としたが、丁度帰省していたパディエーラが、『やぁだ、片結びされちゃってかわいいー!』とにこにこしながら大蛇をつつきに来たのを見て、『まあ、確かにかわいいか……』『つぶらな瞳だしな……』と、他の村人達も遠慮がちに蛇を撫でたりつついたりし始めた。『かわいい』は伝染するのである。
やがて、パディエーラが『かわいそうで可愛いけれど、そろそろ解いてあげなきゃねえ』と、大蛇を抱えて、よっこいしょ、と片結びを解いてやった。おっとりに見えて、パディエーラはやることがこう、豪快である。
すると大蛇はパディエーラに助けられたと思ったらしい。しゅーしゅー鳴きながら、一生懸命パディエーラにすり寄って澪とナビスから離れようとするので、それもまたパディエーラに『かわいい!』と好評であった。
……そして。
「あらぁ、なんだか本当に可愛いわねえ」
やがて、大蛇は神霊樹に巻き付いて、そこでうとうとし始めた。
どうやらこれで、人を襲わない大蛇になったような、そんな具合なのだが……。
「……やっぱ、仕組みは分かんないなぁ」
「そう、ですねえ……うーん、神霊樹はやはり、ミオ様の世界と何か、関係があるのでしょうか?」
大蛇は今、しっかり懐っこくパディエーラにくっついている。神霊樹と一緒にパディエーラを巻こうとして、『こらこら、巻かないの』と、退かされてしまっているが。一度退けられても、大蛇はやっぱり懐っこい。
つい2時間ほど前には澪とナビスをがぶりとやろうとしていたのだが、その面影は最早、無い。別人ならぬ別蛇に見える。
「うーん……あの蛇も魔物なんだろうし、魔物引き寄せてる以上はあの蛇も黒い靄みたいなのから生まれたか、黒い靄が憑りついた奴だったんだろうけど……」
魔物が生まれる瞬間を見てしまった澪とナビスとしては、黒い靄が恐らく澪の世界から来ていて、それが魔物を生み出していて、更に、神霊樹に魔物が触れると非常に大人しく可愛い性質になってしまう、というところから何か、何か結論を得たいのだが……。
「例の黒い靄が取りついてるとぼんやりボーンになっちゃったり、人を襲う蛇になっちゃったりするんだよね」
考えてもどうせ結論は出ないのだが、澪はそれでもなんとなく、考えてしまう。特に、神霊樹に絡んでにょろにょろしつつ、尻尾をパタパタさせている大蛇を見ていると、なんとなく、こう、『さっきまでのなんだったんだ』という気持ちと共に、色々考えたくなってしまうので。
「ってことはさー、もしかして、あの黒い靄って、ストレスとかなのかなぁ」
「すとれす……?」
「え、あ、うん。えーとね、まあ、なんか、疲れとか、イライラとか、そういうのって体と心に蓄積してくじゃん?そーいうのを、ストレス、って言うんだよね」
澪の世界からやってきて、憑りついたものを魔物に変えたり、攻撃的にしたり、時には魔物を無から生み出したりしてしまうもの。それに名前を付けるとしたら、こう、邪気、とか、そういうかんじなのだろうが……澪の世界由来だと考えると、こう、『ストレス』とかのような気がしてならない。
「な、成程……つまり、穢れのようなものですか?」
「まあ、うん、それでもいい気がする」
ナビスも大体同じような感覚であったらしいので、澪は半ば安心しつつ、もう少し考えてみる。
「私の世界ってさ、こっちの世界よりも……いや、甲乙つけがたくはあるんだけどね?まあ、その、ストレスが多い世界だったんだよね」
澪の世界のことを考えられるのは、澪だけだ。そんな気持ちで、澪は元の世界の情景を思い出しながら、話す。
澪の世界はストレスだらけであった。衣食住に困ることはこちらの世界よりずっとずっと少なかったが、それ以外について……主に、人とのかかわりの中で、疲れることが多かった。特に、澪はそうだった。
「だから、そういうのがこっちの世界に漏れてきても、おかしくないかなー、って」
「そう、ですか……」
ナビスは澪の言葉を聞いて、何か思うところがあったのかもしれない。少し、痛ましげな顔をして、澪の手を、きゅ、と握った。それが嬉しかったので、澪はナビスの手を握り返す。
「……ならば、あの靄はこの世界へ、救われにくるのでしょうか」
そうしてナビスがそんなことを言うので、澪は少しばかり、理解に時間を要した。
救われに、来た。ストレスが、向こうからこっちへ漏れてきて、そして、救われに。
「まあ、考えても分かることではありませんねえ……。そもそも、靄に意思があるとも思えませんし……」
ナビスは嘆息して『お手上げですねえ』とやっているが、澪は内心で、『それ、案外、合ってたりするかもよ』と思った。
……澪は多分、この世界に来て救われたので。
そうして暫く休憩していると、『こら。また片結びにするわよぉ』と大蛇を叱るパディエーラと『それは困る!』と縮こまる大蛇、という寸劇が繰り広げられたので澪とナビスはそれをのんびり鑑賞した。案外、パディには大蛇が似合う。是非、飼ってあげてほしい。
「……ところでナビス」
「はい、何でしょうミオ様」
そんな光景を眺めながら、ふと、澪は思い出した。
「私が出てきた以上、ポルタナの海辺の祭壇のところにも、黒い靄が出てくる割れ目みたいなのが、あるのかな」
澪がそう言うと、ナビスは、きょとん、として、それから、はっとする。
「……あっ、確かに」
そう。あの場所は、澪とナビスが初めて出会った場所。つまり、澪はあの空間のどこからか出てきた、という事になるのだが……。
「つまり、あの祭壇から魔物が湧く可能性も……」
「ある……かもしれませんよね!?」
2人は、気づいた。
もしかすると、ポルタナって今、既に色々と危ない状況にあるのではないだろうか、と!




