最後の課題*5
「ふー、あっぶなかったー」
コボルドは死んだ。当然である。澪が反射で『うわっ怖っ!』とグーパンを繰り出してしまったのだから、当然、コボルドは死ぬ。
拳一撃で魔物を仕留めてしまった澪は、『遂に私の強さもここまで来ちゃったかー』と複雑な気持ちになりつつ、とりあえず無事を喜ぶことにしたのだった。
「さて。湧いたね」
「ええ。湧きましたね」
さて。
コボルドの死体にそっと聖なる光を当てて灰燼にして片付けたところで、澪とナビスは頷き合う。
「私、後ろ向いてたから分かんなかったんだけどさー、こいつ、どっから出てきた?」
「宙から。突如として、岩の割れ目から湧き出た闇が凝り固まって、それで……」
「成程なー、やっぱ、岩の割れ目か」
2人揃って岩の割れ目を見つめてみるが、今、岩の割れ目は沈黙している。ここからコボルドが湧いて出たとはにわかには信じがたいが、ナビスが見ていたので間違いは無いだろう。
「この奥に何かあるのでしょうか?」
ナビスは岩の割れ目を覗き込んで、『見えませんね』と嘆く。岩の割れ目は狭いし暗いし、その先に何かがあるのかどうかすらよく分からない。
だが、それでも得られた情報はあった。
「なんか聞こえたんだよね。誰かの声っぽいようなのと、なんか、音?音楽?みたいな……」
「声と、音……ですか?」
「うん」
見えなくとも、聞こえるものはあった。澪は『あれ、何の音だったかなー』と思い起こしながら、むむむ、と岩の割れ目を睨む。当然、何も見えないし、音も今は聞こえないのだが!
「そういえば……」
そんな折、ナビスがふと、真剣な顔をする。
「ミオ様はこの世界にいらした時、私の声が聞こえた、と仰っておいででしたよね」
「へ?あ、うん」
一瞬、なんのこっちゃ、と思った澪だったが、思い出せばすぐに思い出せる。
そうだ。澪はこの世界に来た時……ナビスの声と海鳴りの音が排水溝から聞こえてきて、それを覗き込んだら、来ちゃったのである。今考えてもまるきり理屈が分からない、奇妙な現象であったが……。
「実は、私にもあの時、音が聞こえたのです」
「へっ?」
ナビスにも音が聞こえた、というと……。澪は、頭の中に組み上がりつつある理論と、それを『いやちょっと待とうか。ちょっと待とう。とりあえず待って。』とストップをかける理性だか本能だかの小競り合いで、徐々に混乱と緊張を高めていく。
「ミオ様の声と、何か、遠くで唸るような音……そういったものが聞こえたのですが、ミオ様。何か、お心当たりはおありですか?」
「唸るような音ぉ?……ぶぅーん、みたいな?或いはもっと遠くて、しゃー、みたいなかんじ?」
「あ、はい。そのようなものでした!」
ひとまず、なんか考えちゃいけなさそうなことは置いておくこととして、澪はナビスの言う『唸るような音』に早速、見当をつけた。
「多分、それ、車だなあ。うーん、そっかー。私にこっちの世界の海の音が聞こえてた時、ナビスにも私の世界の音が聞こえてたのかぁ」
あの時、排水溝を覗き込んだ道の一本表通りには、それなりに交通量があった。当然、車の音がいくらでも聞こえていただろう。ポルタナの海辺で波の音が聞こえるような、そのくらいのノリで。
「……うん。うん、そっかー、音が聞こえてたのかー。そっか、私の、世界の、音……」
さて。澪はいよいよ、気づいちゃいけないことや考えちゃいけないことに近づいてきたような気がしつつ、真剣に考えるナビスをのんびり見つめることしかできない。
「音が聞こえて、この世界に来てしまったミオ様と……音を鳴らしてこの世界へやってくる魔物と……何か、少し、似ているような気がして……」
そしてナビスも何か、気づき始めているらしく、段々と表情が『これは駄目なやつでは?』というような具合に変わってくる。
「……あのね、ナビス」
そこで澪は、いよいよ自分達に追い打ちをかけるのだ。
「多分、さっきこの岩の割れ目から聞こえた音、ねえ……」
「……はい」
固唾を飲んで澪を見つめ返す真剣かついっぱいいっぱいなナビスを見つめ返して、同じく真剣でいっぱいいっぱいな澪は、言った。
「……私が居た吹奏楽部の、1stトランペットの音、だった……」
「つまり……魔物って、私の世界から、来てる……?」
たっぷり一呼吸分は、沈黙が続いた。
だがその後に来るのは、当然のように騒がしさである!
「……うわうわうわうわうわ!考えるとこれ怖いよナビス!」
「で、ですよねえ!?怖いですよねえ!?」
2人は揃って、『やだー!』『やだー!』と声を上げる。ついでに手を握り合って、飛び跳ねちゃう。女子2人はこうすることで怖さを軽減することができるのである!
否、むしろ、逆である!こうしなければならないほどに、なんか、状況が、怖い!怖いのである!だから手を握り合って飛び跳ねながら『やだー!』とやるしかないのである!
「み、ミオ様の世界とのつながりがこんなところにあるなんてぇ!」
「私の世界に魔物なんて居たのぉ!?」
「怖いです!」
「怖い!」
2人は一頻り、『怖い!』『怖い!』とやって騒ぐ。騒いでいると段々落ち着いてくるので、それを待って……。
「……怖いね」
「はい……これは一体、どういうことなのでしょうか」
2人はいよいよ、真相解明に乗り出すしかないのであった。
「まず、魔物については……その、ミオ様の世界には、このような魔物は居なかった、のですよね?」
「うん。居ない居ない。あくまでも空想上の生き物だから」
さて。
この岩の割れ目の向こうから澪の世界の音が聞こえてきて、その次にコボルドが湧いて出た……という現象について、いよいよ考え始めるが、早速、意味が分からない。
何せ、澪の世界には魔物なんて居ないのだ。よって、どう考えても『澪の世界から産地直送されてきた新鮮なコボルドです』というのは、おかしい。
おかしい、のだが……産直だからおかしいのである。
「つまり私の世界から来た何かがこっちの世界で加工されて、それが魔物になった……ってかんじ、かな?」
そう。原材料だけ澪の世界から来て、それがこの世界で加工された、ということならば一応、まだ、多少は、納得がいく。澪の世界に対して、こちらの世界は謎の理屈で色々動いているようだし、急に虚無からコボルドが出てきてもおかしくは、ない。澪の世界よりは、おかしくない。
……のだが。
「ま、まあ、いずれにせよ、何かミオ様の世界が関わっているような気は、しますね……?」
「だよねえ!?これ絶対なんか関係あるよねえ!?やだー!」
澪の世界の音が聞こえてきた時点で、何かの関係はあるのだろう!多分!そこは確定!そこはもう確定なのである!
「えーと、ナビス。1つ確認なんだけどさ……」
更にもう1つ、確定させたいようなさせたくないような気持ちで、澪はナビスに問う。
「私って、魔物……?」
そう。
コボルドが澪の世界から来たっぽいのであれば、同じく澪の世界から来てしまった澪は、それ即ち魔物なのではないだろうか、という心配があるのだ!
「ミオ様は魔物じゃないですよ」
「あ、そっか。よかったぁ……」
だが、ナビスに言葉を貰って、澪はひとまず安心する。
「魔物じゃない……ですよね?」
「うわああああ嘘でもいいから違うって言い切ってよぉお!」
だが、やっぱり安心できなかった!
「ご、ごめんなさいミオ様。私自身、魔物とそうでないものの区別が、その、あまり上手くできず……」
「ああああ、そうだよねえ、うん、ホネホネーズとかブラウニーズとかも居るもんねえ……」
まあ、仕方ないと言えば仕方ない。魔物というと、種類が沢山あるのだ。
月鯨とレッサードラゴンが同じく『魔物』と呼ばれるのは、単純にそれらがどちらも人間には無い力を持っていて、人間を襲うから、という程度の理由でしかない。学術的な区別方法があるでもなさそうなので、そういう意味では、澪もナビスも『魔物』であるとされてしまってもおかしくはない。
「……しいて言うなら、ミオ様は神です!」
「そ、そっかー、私は神だったかー、うん、そっかー……」
まあ、だからといって神にされても困る澪だが。
澪は、『最初にナビスに会った時、神扱いされてめっちゃ戸惑ったなあ』と思い出す。今思うと、あの時のナビスは色々といっぱいいっぱいだったのだ。それで、澪を『神』と誤認するまでに至っていたのだろう。
……否。
もし、アレが、誤認ではなかったとしたら。
或いは……これだって、『魔物』と同じことだ。
魔物の定義なんて明確にはっきりとは決まっていないのだから、澪を『魔物』とすることだってできる。だが、ならば、同じく定義がはっきり決まっていなさそうな……むしろ、存在すら決まっていないような、そんな存在については、『誤認』も何もなく、分類のやり方如何で、どちらにもなり得るのではないか。
そしてその分類のやり方によっては、そこに澪が含まれる可能性だって、十分にある。
「……私、もしかして本当に、神だったりする?」
そう!澪は、もしかしたら神なのかもしれないのだ!
「まあ、そりゃないね……」
「そ、そうでしょうか?私は、ミオ様が神であっても、何らおかしくないと思うのですが……」
「いや、だとすると、私が神だったら魔物も神ってことになりかねないよね……」
「え、えええ……?」
困惑するナビスを他所に、澪の思考は早速、あらぬ方向へ走り始める。どうやったって分からないことについては、勝手に決めたもん勝ちだと澪は思っている。
「そ、その、魔物を神というには、あまりにも……」
「いやいや。実際、荒魂とかだってあるし。大切にされた神様は神様だけど、大切にされなかった神様は荒んで人間に害を成すようになる。そういう理屈なら、『魔物』っていうものもなんか納得いくじゃん?」
澪が、『じゃん?』と首を傾げると、ナビスは『えええ……』と困惑しきりで、こて、と首を傾げ返してくれた。困惑していてもナビスは可愛い。
「確かに、神霊樹の力を借りると、魔物はすっかり穏やかになってしまいますが、あれも何か、『神』であることと関係があるのでしょうか?」
「あー、あったねえそういうのも……」
『魔物=神』説を提唱した澪であったが、神霊樹の存在をすっかり忘れていた。まあ、あれについても、『神霊樹に触れることで、神の荒んだ魂が癒される』とでも考えれば済むような気もするが、果たして。
「……そもそも、魔物ってさ。なんで人間を襲うんだろう。コボルドとかは知能が無くて襲ってる感あるけどさ、スケルトンホネホネーズとかは、元々知性たっぷりなのに、ぼんやりボーンになって人間を襲ってたじゃん?」
「ああ……確かに。ポルタナ鉱山のスケルトン達は、元々がポルタナの鉱夫の皆さんの骨であったと考えられますが……そこに憑りついた何かがあった、というように思えますね。きっとそれは、先程コボルドを生み出したような、黒い靄のような、あれなのではないかと」
成程。つまり、澪の世界から謎の黒い靄みたいなものが湧いて出て、それが魔物を生み出したり、骨に憑りついて生けるホネホネにしてしまったりする、と。更に、神霊樹がそれを浄化してくれる、と。そういうことなのだろうが……。
「……なんで、私の世界から、魔物の素が?」
「さ、さあ……」
結局のところ、そこは分からないのである!つまり考えても、多分、無駄!
「あれについて、1つ分かっていることがあります」
「え?」
だが、全てが謎、という訳ではない。憶測ながら、分かっていることだって、ある。
「惹かれ合う、ということです。……あの湧き出た闇は、他の闇に吸い寄せられてくるのではないかと。だからこそ、魔物が全滅したダンジョンでは、魔物が非常に湧きづらいのではないでしょうか」
「あー、確かに!」
ダンジョンを踏破すれば、そこに魔物は湧きづらい。だからこそ、澪とナビスがメルカッタ近郊のダンジョンを踏破してしまった時、魔物討伐を生業とするメルカッタの一部の戦士達からはぶつくさ言われてしまったのである。
「そっかー、つまり、魔物が居る所に魔物が湧く……ってのは、あの黒い靄みたいなのが出てきやすいのがダンジョンの奥で、更に、黒い靄が黒い靄を呼ぶから、ってことだよね?それならすっごい納得いくなあ」
なるほどなるほど、と澪はなんだかすっきりした気持ちで頷く。なんとなく説明が付くことがあると、それが真実かどうかが分からずとも、まあ、すっきりはする。そして恐らく、黒い靄が黒い靄に引っ張られてやってくる、というのは、魔物の湧き方から考えるに、概ね正解であろうと思われた。
……そんな折、ふと、ナビスは表情を曇らせた。
「……ミオ様は、ここから元の世界へお戻りになることは、お考えにならないのですか?」
「へっ?ここから?」
唐突だなあ、と澪は驚く。
確かに澪は元の世界に帰りたいが、少なくとも、今すぐに!とは思わない。ちゃんと色々片付けてから、きちんとお別れしてから……その後で、と思っているのだが。
「この岩の割れ目は、ミオ様の世界と繋がっていた可能性があるわけですよね?」
まあ、そう言われてしまうと、澪は『そりゃそうなんだよなあ』と思う。
……聞こえてきた音。恐らく、1stトランペットのあの子の奏でる音は、澪にとって酷く懐かしいものだった。一度聞いてしまえば、澪は自分が元の世界にいかに多くのものを残してきたかを嫌でも思い出す。
「あー……うん、まあ、確かにこの岩の割れ目から、音、聞こえたけどさ。でも、今はもう聞こえないし。多分、物理的なもんじゃないでしょ、こういうの。その時、その瞬間だけ繋がる、みたいなかんじじゃない?だからここ掘り進んでも多分、無駄なんじゃないかなー、って」
だが、まあ、とにかく現実的ではない。
この岩壁を掘り進めていくのは少々骨が折れそうであったし、何より……今、澪には例の音は聞こえなかった。つまり、先程ならともかく、今は、この岩の割れ目は澪の世界と繋がっていないのだろう。
……そう、澪は説明したのだが。
「いいえ。確実にとはいかずとも、この岩の割れ目をミオ様の世界へ繋げそうな方法があるではありませんか」
ナビスは思いつめたような表情で頭を振って、視線を床に落とした。
「この世界が魔物だらけになったなら、より強く黒い靄が呼び込まれるようになって……ミオ様の世界との繋がりが強まるのではありませんか?」




