最後の課題*2
「私のせいなのです。きっと、私が、助けを願ってしまったんです。だからミオ様は、この世界に来てしまったのです。ミオ様は、『助けを求める声が聞こえたから覗いてみたらこの世界へ来てしまった』というようなことを仰っておいででした。きっとその声は、私が発したものだったのです」
ナビスは初めて、ミオと出会った時のことを他人に話した。
長らく、ミオとの間だけの秘密であったそれを話してよいものか迷わないでもなかったが、これを王に説明しないまま、ミオを送り出すことはできないだろう。
それに何より……ナビスは、そろそろ、この重い秘密を抱え込むのに疲れてしまっていたのかもしれない。
自分のせいでミオを困難に遭わせてしまったことも、いずれミオと別れなければならない悲しみも、その別れがもう目前まで迫っていることも、全てがナビスに重く重く圧し掛かっている。
「私の我儘で、ミオ様はこの世界へ迷い込んでしまい、そして私の我儘によって、未だこの世界に繋ぎ止められています。本当だったら、全国ツアーの前にだって、ミオ様をもう、元の世界へお帰しすることだってできたかもしれないのに」
先延ばし、先延ばしにしてきてしまった。それを今更実感して、ナビスは只々、沈み込む。
ミオはこれを、どう思っているのだろう。ナビスが都合よくミオの世界のことを忘れていることを、恨んではいないだろうか。或いは……。
「……ならば余計に、ミオ君には感謝しなければならないな」
だが、カリニオス王はそう言って、優しく笑ってナビスの手を握った。
握られた手が、温かい。……そう感じてようやく、ナビスは自分の手が冷えていたことに気づいた。考え込んでいた頭は熱いほどなのに、手や足の先が冷え切っている。
そんなナビスの手を、もに、もに、と優しく、かつのんびりのんびり揉みながら、カリニオス王はナビスの目を覗き込んでくる。
「それから、まあ……親馬鹿が入ることは承知の上だがね、ナビス。ミオ君はきっと、『ナビスのせいで』などとは、思っていないだろうとも。彼女はそんなことを思うような人ではないだろう?それに君だって、そんなことを思われるような人ではない」
……そうだ。カリニオス王の言う通りだ。
ナビスは、ミオが曇りのない太陽のような人だと知っている。元の世界に帰ることだって、『えっ、忘れてた』と言うことはあるとしても、『ナビスのせいで帰れない』なんてことは、きっと言わない。そして、思っても居ないのだ。だって、ミオはそういう人だから。ナビスは、ミオのそういうところが大好きなのだから。
「話してみなさい。その方がいい」
「……はい。そうしてみます」
ナビスは頷いて、目を閉じて、考え始める。
……どうやって別れを切り出そうか、と。どうすれば、取り乱さずに済むかしら、と。
それから、ナビスは自室へ戻る前に、少し寄り道していくことにした。
寄り道の先は、高い塔のてっぺん……しろごんの部屋である。
「しろごん」
ナビスがしろごんを訪ねれば、しろごんは『きゅいー』とのんびり鳴いてナビスを歓迎してくれた。屈託のないしろごんの様子に、ナビスはついつい、くすり、と笑いを漏らす。
「ああ、ブラウニーの皆さんも居たのですね。いつもありがとう」
ついでに、ブラウニー達がしろごんによじ登ったり、しろごんの足元でうろうろしていたり、はたまたしろごんの部屋の一角を勝手に改築してブラウニー屋敷を建設していたり、と色々に動いているのを見て、ナビスは『丁度良かった。こちら、お土産ですよ』と、カリニオス王に持たされたお菓子を差し出す。
ナビスが出したお菓子は、ナッツの類を粉に挽いて、それを用いて焼き上げられた焼き菓子である。やや焦がしたバターの豊かな風味にナッツのコクが合わさって、なんとも素晴らしい味わいであった。
これがブラウニー達に大変好評で、ブラウニー達は小躍りしながら建設途中のブラウニー屋敷へお菓子を運び込みにかかった。……くるみパンが好きなブラウニー達なので、このお菓子も好きだったらしい。
そんなブラウニー達の姿をのんびり眺めて、しろごんの、案外ぷにぷにとしたお腹にもたれながら、しろごんのお腹の皮の向こうにある温かみをじんわり感じる。
……そうしていれば、少しずつ落ち着いてきた。
これくらい落ち着けば、自室に戻ってすぐ取り乱すようなことにはならないだろう。ナビスはしろごんとブラウニー達に『おやすみなさい』と挨拶して、自室へ戻る。
「あっ!ナビスー!聞いて聞いて聞いて!なんかエブル君のクッキー食べたい欲が滅茶苦茶強そうなんだけど!ランセアさん抜き、私とパディとマルちゃんにエブル君足したら、クッキー出てきた!」
……そうして自室に戻ってすぐ、明るく騒がしい光景がナビスを出迎えてくれた。
「ついでに、その後私が抜けてもクッキーが出ましたわ」
「マルちゃんがまた入って私が抜けてもクッキー出た!」
「ということで、いよいよ次は私とエブル君、2人だけでの挑戦よぉ」
「わ、わあ……そ、そうなのですね」
なんと。ナビスの部屋の応接スペースでは、澪にマルガリートにパディエーラ、更にエブルとランセアまでもが集まって、お皿に山になっているクッキーを囲んで楽しそうにやっていたのである!
そういえば確かに、ナビスがカリニオス王の部屋へ出向く直前、澪がそんなようなことを言っていたような気もするが、まさか本当にやっているとは。
「エブル君!頑張れ!バターの香りがすんばらしい、サクサクほろほろのクッキー食べたいでしょ!?」
「そうよ、エブル!蜂蜜とスパイスを練り込んだ、固めのクッキーも悪くないんじゃありませんこと!?」
「ミオ様!姉上!そろそろ揶揄うのは……」
「ナビスも!ナビスもなんか美味しそうなクッキーをエブル君に囁くんだ!さあ!さあ!」
ぽかん、としていたナビスであったが、ミオに促されるまま、押し流されるようにして『美味しそうなクッキー、美味しそうなクッキー……』と考え始めてしまう。つくづく、ナビスは自分でも思うのだが、こう……良くも悪くも、真面目なのである!
そうしてナビスは考えに考えて、ふと、先程の光景を思い出した。
「え、ええと……そういえば、クッキーではないのですが、先程、父上に分けて頂いたお菓子がとても美味しかったです。ええと、ブラウニー達にあげてしまったので、2つしか残っていないのですが……」
こちらです、と、焼き菓子を出してみると、皆の視線がナビスの手の上のお菓子に注がれた。特に、勇者エブルの視線が、強い。
「ナッツを粉にして生地に使っているとのことでした。ナッツの香ばしさと濃厚な味わいが、焦がしたバターの風味とよく合って……」
珍しいお菓子の説明をしていくと、澪とパディエーラが『わー、おいしそぉ』と目を輝かせ、マルガリートも『ナッツの粉、ですの?となると濃厚な味わいなのでしょうね』と目を瞬かせ……そして。
ぽん。
……見ると、パディエーラが手に持っていた皿の上に、焼き菓子がこんもりと生まれていたのであった。
「……全員揃って食べたくなっちゃったみたいねえ」
ころころ、と笑うパディエーラにつられて、皆が笑う。
ナビスも、気づけば笑っていた。用件を切り出さなければ、とは思いつつも、どのみちこの人数の中ではミオの世界の話を切り出しにくい。
『じゃあお茶にしよう!寝る前だけど!でも1個くらいならいけるはず!』と提案したミオに従って、ナビスはお茶の準備を始めることにしたのだった。
ナビスが持ってきた焼き菓子と、皆が想像して食べたくなってしまった焼き菓子。その2つに違いはあるのだろうか、と考えながら試食してみたところ、『なんかやっぱちょっと違うねえ』という結論に至った。
具体的には、祈りによって生まれた焼き菓子の方が、なんとなくおいしいのである。……要は、美味しいものを、と願ってしまったから美味しくなってしまったのだろう。なんとも不思議な能力である。
だがひとまず、美味しいことには変わりない。皆で焼き菓子をつまみつつ、お茶を楽しんで……さて。
「ああ、そうだ、ナビス。ちょっとよろしくて?」
「はい、なんでしょうか」
「『人々に道徳心を持たせる』ということについて、いくつかすぐに実現できる案が出ましたのよ」
優雅にティーカップを傾けながら、マルガリートがそう、切り出してきた。
「まず、1つには『本』ですわね」
「本……経典、そしてそれ以外にも、小説や詩……ということでしたよね?」
「ええ。それも大切ね。でも、それ以外にももっとたくさんの本を流通させたいんですの。それこそ、子供にも読めるような本だとか。文字を読むのも苦手な者が楽しめるような本だとか……」
子供にも、本を。
それは中々新しい試みであったし、何より、効果的なように思える。
物事を覚えるのであれば、小さい内の方が良い。その方が常識を常識としてとらえ、当たり前に受け入れてくれるだろう。
「ミオが、『絵本はどうか』と案を出してくれましたのよ。紙さえ安定して作ることができれば、版画を応用して本を量産することもできそうなんですのよね。そうして本を作る職が設けられれば、雇用の場を広げることにも繋がりますし……そうすれば、全国民聖女化によって消えるかもしれない職の受け皿が作れますわ」
成程、更に、『雇用の場を広げる』というのは必要なことだろう。
多少なりとも、全国民が聖女の力を使えるようになっていくとなると、いよいよ、あらゆる生活様式が変わっていくはずだ。日常にも聖女の力が使われるようになっていくと、それが原因で消えてしまう職もあるだろう。例えば、怪我を治す薬を調合していた薬師であるとか。
そうした者達が新たな社会で新たに就ける職を、用意しておく。そうすれば、職にあぶれて食べるに困る者を救うことができるだろう。
「紙の流通量が増えれば、そちらでも雇用が増えますわね。丁度、紙の原料になる植物がジャルディンで一部栽培されているようですから、ジャルディンでの雇用を増やすきっかけにもなるんじゃなくって?」
「そうなったら嬉しいわねえ。ふふ、ジャルディンもポルタナみたいに成長したら楽しいのだけれど」
マルガリートの言葉にパディエーラがにこにこと笑って、それから、ずい、と身を乗り出した。
「それから、歌よね?マルちゃん」
「ええ。歌、ですわね」
「う、うた……?」
ナビスがぽかんとしていると、マルガリートとパディエーラはにこにこしながら頷いた。
「聖女が力を失っても、娯楽としての聖女は残り続けると思うのよね。なら、それを利用しない手は無いじゃない?ね?」
「人々が神への祈りや人々への思いやりを忘れぬように、そういった歌詞の歌を作って聖女が歌えばいいんじゃないかしら。きっと、効果が見込めますわよ」
確かに、物事の手順や伝承を歌で伝える類のものはある。だが、それを新たに作る、という発想は無かったので、ナビスは何やら霧が晴れたような気分になってしまう。
「聖女だけが特別に神の力を扱えるわけではない世界になったとしても、歌や踊りが人々に与える影響までもが消えるわけではありませんものね」
「ミオの地元では、むしろそうやってるって聞いたのよぉ。神の力も何も関係なく、形骸化した神事を、お祭りっていう娯楽に混ぜてやってるんですってね?」
ね、とパディエーラが言えば、ミオが『うんうん。そうなんだよー』と頷く。どうやら、ミオの『地元』の話が既に出ているようだ。
……そう。ミオの、地元の話。
ミオの世界のことを、やはり、避けて通る訳にはいかないのだ。
「歌は誰が作りましょうか。私、やってみてもいい?」
「いいんじゃない?パディやってみなよー」
「ミオは?貴女は作曲はやりませんの?」
「私?私は精々編曲までだなー」
楽し気に話す友達を暫し眺めたナビスは、勇気を振り絞る。
隣に座っていたミオの服の袖を、つい、と引っ張って、ミオを見上げて。
「あ、あの、ミオ様」
ミオを見上げれば、ミオは『うん?』と首を傾げてナビスを見つめ返してくれる。視線と視線がきちんとぶつかり合うことに安堵を覚えながら、それでも十分すぎるほどに緊張して、ナビスはようやく、切り出すのだ。
「お話が……あるのです。ずっと、先延ばしにしていた、お話が」
ナビスが緊張しながらそう言えば、横で聞いていたマルガリートもパディエーラも、はて、と首を傾げる。
だが、ミオは。
「うん、いいよー。えーと、多分、それ私もしなきゃいけない話だと思う」
そうごく軽く言いながら、ミオも少々緊張したような顔をした。それからもう1秒ほど、ミオとナビスは見つめ合って……そこで、ミオが、ふにゃ、と笑う。
「あー、でもよかったぁ。ナビスが切り出してくれて助かったよー。私、この話するのなんか嫌で、先延ばししちゃってたんだよねえ」
そして、そんなことを言うものだから……ナビスもまた、ふにゃ、という顔になってきてしまうのだ!
「ああ……私もです、ミオ様!」
そう!どうやら、ミオはナビスと同じようなことを、考えていてくれたらしいのだ!
だから……だから、ナビスは、この話を進めることができる。
ミオをいよいよ、元の世界へ帰すための話を。
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