最後の課題*1
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その日の夕方。
ナビスはカリニオス王に呼ばれて、王の執務室を訪れていた。
尚、珍しくも『1人でおいで』とのことだったので、ミオは置いてきた。ミオはミオで、マルガリートとパディエーラと一緒におしゃべりに興じつつ『どのくらいお腹がすいたらナビス抜きの5人でもクッキー出せるかやってみる』とのことであったので、まあ、楽しくやっているのだろう。
こんこん、とドアをノックすれば、中から『どうぞー』とややのんびりしたカリニオス王の声が聞こえてくる。
「失礼します」
そっとドアを開けて入れば、カリニオス王はソファの上で少々『くてっ』としていた。
……先ほどまでの会議で、カリニオス王も緊張していたのかもしれない。そして今、会議が終わって、ちょっとのびのびしている、と。
「あ、ああ、ナビスだったか!早かったな……ああ、すまない、クライフかと思って、見苦しいところを」
ナビスが顔を出した途端、カリニオス王は『ぴゃっ!』とばかりに姿勢を正して、しゃんとしてしまった。
「あっ、あっ、あの、そのままで!どうか、ごゆるりとなさってください!お父様もお疲れでしょうし……」
休憩を邪魔してしまってはいけない。休憩は万人に必要なものなのだ。ナビスは慌ててカリニオス王の肩をぐいぐいと上から押さえつけて、姿勢をまた『くてっ』としたものに変えさせた。
……更に、ナビスは『失礼します!』と向かいのソファに座って、そこで『くてっ』としてみる。王も1人では『くてっ』としづらかろう、と思っての行動だったのだが、最上級ふかふかのソファの上で『くてっ』とすると、存外に心地よかった。
「……ふふ、君は本当にアンケリーナにそっくりだが、時折、私に似ている気がして嬉しくなる」
カリニオス王はナビスを見て笑顔になると、改めて、『くてっ』としてくれた。
……ということで、ナビスとカリニオス王は、親子での『くてっ』をしばし楽しむことになったのである。
まあ、『くてっ』としながらでも話はできる。2人はお茶を飲みながら、のんびりと話し始めた。
「今日の会議は大きな意義があったな」
「ええ。まだ課題はたくさんありますが……これで、全ての人が誰かに願いを託さずとも、自らの力で自らの望みを叶えることができるようになるのですね」
2人で笑い合ってから、ナビスはふんわりと思う。やっぱり、人は自分の力で歩けた方がいい、と。
誰かに支えてもらって歩くのは楽かもしれないが、一方、自力で歩くのは楽しいのだ。そしてナビスは、『多少辛くても楽しい方がいい』と思っている。
「そうだな。聖女1人が何もかも背負う必要は無くなる」
カリニオス王はそう言って笑って、ふと、視線を天井へ向けた。
「……私が国王になった理由の1つは、君だ。君を守れる立場になりたかった。それと同時に、この国を安定させるために役立てるのであれば、それも嬉しかった。そして……二度とアンケリーナのような犠牲を出さない為にも、国王になって、この国を変えようと思ったのだ」
聖女アンケリーナは、魔物との戦いで命を落とした。
当時のポルタナ鉱山で起こった、魔物の急増。それがナビスの母、聖女アンケリーナの死の要因となったのだ。
「つまり、魔物の無い世界、ということでしょうか」
なのでナビスはそう、聞いてみた。カリニオス王が国王として目指すところを確認すべく。
「いやいや。そうは望まないさ。魔物は必要な資源でもあるからな。だが……魔物と『1人で』戦う必要は無いだろう?」
だがカリニオス王はそう言って笑う。それを聞いて、ナビスは内心でほっとした。何せ、ナビスは『滅ぼされたら困る魔物』を知っているので。……ブラウニー然り、しろごん然り、スケルトン達、ホネホネ鉱夫然り……。
ナビスが『ああよかった』とやっているのを見て、カリニオス王は優しく笑う。そして、ソファの背もたれに身をしっかりと預けた格好のまま、また視線を天井へと向けた。
「……アンケリーナの死を知ってからずっと、思っていた。聖女が1人で全てを抱え込まねばならない世界など、間違っている、と。それを神が望んだというのなら、私は神を憎み続けるぞ、とも」
少しばかり、ぴりり、と空気が張り詰める。
ナビスは、カリニオス王が父であり、聖女アンケリーナが母である感覚はあるのだが、カリニオス王と聖女アンケリーナが夫婦……否、恋人関係にあったというところが、未だにピンときていない。
だが、こうしてカリニオス王が神を憎むのを見る度に、そこに、母への愛をなんとなく見つけることができた。
『ナビスの父として』ではなく、『アンケリーナの恋人として』のカリニオス王の感情が、神への憎しみという形で現れているのだろう、とナビスは思う。
そんな折、ふっ、とカリニオス王は息を吐いて、『くてっ』の度合いを強めた。
「まあ……だから、本当によかった。全国民が聖女の力を使えるようになれば、これからは聖女が1人で戦う理由がなくなる」
彼にとっては、これが神への復讐であり、聖女アンケリーナへの弔いでもあるのだろう。国を良くすることで復讐と弔い、そして愛の表現をしているのだから、なんというか、器用なような、不器用なような、不思議な人である。
「……信仰の裏切りだけが、聖女を殺すわけではありませんものね」
そしてナビスもまた、全国民聖女化計画について……そして、聖女達の過去と未来について、思うところがある。
「私も……もし、ミオ様がいらっしゃっていなかったら、きっと……」
そう。
ナビスこそ、『1人で全てを抱え込んでいた聖女』なのだから。
去年の夏、海辺の洞窟の中で祈りを捧げていたナビスは、死を覚悟していた。
……否。あれは、覚悟といった勇ましいものではなかったのかもしれない。ただ、『死ぬだろうけれど行かねばならない』というだけの……諦めと自棄によるものだった。今になって、ナビスはそう思う。
そうだ。ナビスはあの日、死ぬはずだった。ポルタナ鉱山の地上部に溢れ出てきた魔物と戦って……そして恐らく、そこでレッサードラゴンに、勝てずに。
だがそうならなかったのは、ひとえにミオのおかげなのである。
ミオは丁度良くナビスの元へとやってきてくれて、颯爽と全てを救ってくれた。
新たな礼拝式の形を思いつき、実行し、成果を叩き出していった。新たな人脈をどんどん広げていって、そこかしこで人々を救い、そうして今や、世界を救うに至りそうなところまできてしまった。
……そして何より、ナビスを信じてくれたし、ナビスに信じさせてくれた。
そうだ。ナビスはミオと出会う直前、何も信じられない絶望の淵に居たのである。それこそ、神ですら救えないほどに、深く暗い絶望に沈み切っていた。
だがミオは、ナビスに光を投げかけてくれた。明るく前向きで、力強くて、凛々しくて、美しくて……彼女を見ていると、ナビスは自然と、信じてしまったのだ。
心地よかった。ミオは温かな日差しのようで、ナビスを照らして温めて、信じ合える喜びを教えてくれた。ナビスを導いてくれた。本当に、神様みたいに。
ナビスはカリニオス王に、『ミオと出会う前のこと、そして出会ってすぐのこと』を話した。……なんとなく、心配をかけるばかりだろうと思って、話せていなかった部分だ。まさか、ナビスが自棄になって死ぬ気でいたなんて、カリニオス王は露ほども思っていなかっただろうし、それを知ったら困惑させそうな気がして。
「そうか……ならば、ミオ君にはより一層感謝しなければな。大切な娘を守ってくれた勇者様だ。彼女は本当に素晴らしい人だ」
……だが、話してみると、カリニオス王はそう言って笑って、ミオを讃え始めた。
危うかった過去より、助かった現在を見て、落ち着いて、褒めて、喜んでくれる。……こんなに嬉しいことは無い。ナビスは『そうなのです!ミオ様は大変に素晴らしい方なのです!』と大いに主張し、いつのまにやら『くてっ』から『しゃきっ』に切り替わった姿勢のまま、ついついにこにこしてしまうのだ。
「私も、信仰の裏切り以外で死ぬはずだった聖女です。だから、聖女が1人で戦わなければならないということがどういうことかも分かっていますし……それが改善されていくのなら、その、烏滸がましいようではありますが……嬉しく、思います」
全国民聖女化が進むと、あの時の自分のような聖女を救ってやることができる。ナビスはそれを嬉しく思う。
同時に、『国政に携わり人々を救うとは、こういうことなのですね』とも実感していた。
仕組みを変えると、多くのものを救うことができる。直接的なところが見えにくかったとしても。
……ナビスは、王女になった己の選択を、ようやく真正面から肯定することができそうである。
さて。
ナビスは随分と、自分やミオのことばかり話してしまった。だが、カリニオス王がナビスをわざわざ呼んだのだ。もっと『全国民聖女化計画』についての話をすべきだろう、と、ナビスは話を元に戻そうとして……。
「時に、ナビス。君を呼んだのは、他でもない。ミオ君のことで1つ、提案があるのだ」
「へっ!?」
ナビスは咄嗟に、ぽかんとすることしかできない。
『全国民聖女化計画』は話の前振りだったのか、だとか。切り出すのに勇気が要るような話なのか、だとか。ミオについてとは一体何のことか、だとか。そうした考えがぐるぐる、と瞬時にナビスの頭を回り、そして……。
「ミオ君を君の側近にしてはどうだろうか」
……カリニオス王のその言葉に、いよいよナビスの頭は、『……?』と、疑問符を浮かべるばかりになってしまったのであった。
「そ、そっきん……?」
ミオをそっきんに、とは、一体。
ナビスはナビスの思考の速度同様にゆっくりと首を傾げて、カリニオス王を見つめる。カリニオス王はナビスの視線を受けて『ああ、突然のことだったな』と慌てて居住まいを正した。
「ああ。ほら、君もいずれ、聖女ではなくなるだろう?ならば、君とミオ君は、『聖女と勇者』という役割のままではいられないわけだ」
「あ、ああ、なるほど……!」
ナビスはカリニオス王の言葉を聞いて、『そういえばそうでした!』と、衝撃を受ける。
そう。ナビスが聖女でなくなる日が来たら、その時は、ミオも勇者ではなくなっているのだ!そして、カリニオス王の言う通り、『聖女と勇者』ではいられない。そして、王女でもあるナビスの傍にミオが居てくれるように、2人の関係を、新たに定義づける必要があって……。
「そこで、何かしらかの役職をミオ君に与えて、側近になってもらうのはどうだろうか、という提案だ。ええと、つまり……私にとっての、クライフのような」
説明を聞いて、ナビスは『ああ、なるほど、クライフ所長のような……』となんとなく理解する。
カリニオス王にとって、クライフ所長が特別な存在であることはなんとなく分かっていた。カリニオス王がセグレードに身を隠し、呪いと病と戦っていた間も、ひっそりと付き従ってくれていたのがクライフ所長だ。そして、王に即位した今も、カリニオス王の一番近くで細かな仕事をこなしているのは分かっている。
「な、なるほど。ミオ様を、私の側近、に……」
「ああ。まあ、役職については……そうだな、ミオ君を武官扱いにするなら、『王女ナビス近衛隊隊長』といった肩書きになるだろうな。まあ、ミオ君なら文官扱いとしても何ら問題なさそうではある。後は、君の衣装係だとか、渉外補佐だとか……」
カリニオス王が色々と案を出してくれるのに対し、ナビスは『そうですよね、ミオ様はお強くてらっしゃいます』『はい。ミオ様は賢くていらっしゃいますので』『ミオ様はお美しい方ですし』『ミオ様の社交力は世界一ですから』というように相槌を打ちながら熱心に頷いていた。何せ、ミオは万能の人なのだ。ナビスはそう固く信じている!
そうして『ミオに与えるとしたらどんな役職があるか』を一通り考えて挙げてくれた後、カリニオス王は、ふと気づいたようにナビスを見た。
「そうだ、ナビス。ミオ君について、気になっていたことがあるのだが……彼女の出身はどこなんだ?彼女は随分と、色々な知識を持っているようだ。是非、私もその地の知識を学びたいのだが……」
……出身。
それを思った途端、ナビスは、ざっ、と冷水を浴びたように頭が冷えていくのを感じた。
思い出した、のかもしれない。……そうだ。ナビスはずっと、半ば意識の外へ押しやるようにして、『まだもう少し先のことだから』と、ずっと先延ばしにしてきたが……そろそろ、それがやってくる時が、来たのである。
「……お父様。ミオ様を側近にすることは、できません。できないのです」
ナビスがそう言った途端、カリニオス王は驚きに目を見開いて、そして、おろおろ、と所在無げに両手を中途半端な空間に彷徨わせる。
「何故?その、君とミオ君は、仲が良さそうに見えるが……」
「はい。私、ミオ様と仲良しです。ミオ様のことがとても大切で、ミオ様も私のことを大切にしてくださいます。……でも、だから、私はミオ様を側近にはできないのです」
仲良しだ。仲良しに、なれた。稀有な関係を築くことができた。
……だが、だからこそ。
「ミオ様は異界よりいらっしゃったお方。私は、ミオ様を元の世界へお帰ししなければなりません」
ナビスは、ミオを帰す。
最初から決まっていた約束を、守らなければならない。
……ミオのことが、大好きだから。




