オールオアナッシング*7
会議が始まると、まず最初に『全国民聖女化計画』についての説明をカリニオス王が行い、続いて、ナビスから『現状での問題点や疑問点』が話された。
つまり、『これ、神になってない?』という話と、『今後、どのように人々の道徳心を守っていけばいいか』ということについての意見を集めたい、という旨である。
これを発言したナビスが一度着席したところで、澪はひやひやしていた。
何せ、重鎮が揃っている。重鎮というと頭が固いイメージが勝手にある澪だが、それが『勝手なイメージ』と切って捨てられない程度には……ここに集まった面々は、気難し気な、あるいは厳しそうな顔をしているのである!こわい!なんとなく、こわい!
特に、レギナの重鎮達とは、澪は直接の面識がほぼ無い。マルガリートやパディエーラは知っている仲なのだろうが……澪にとっては、只々『あの人達に怒られそうだなあ、大丈夫かなあ』という不安の種にしかならないのだ。
だが。
「聖女以外の人が祈りを力に変える例も、昔から存在していますよ」
レギナの重鎮の1人であるという老女が、そう、厳しくも優しい顔で言ったのである。
これはいいのか?本当にこれ、大聖堂の重鎮が言っちゃっていいのか?と澪は目を円くしつつ、彼女の話の続きを待つ。すると老女は、『こういう反応をされるだろうと思っていました』とばかり、穏やかに微笑んで話してくれる。
「『いってらっしゃい』と送り出された人には、微力ながらも守りの力が備わります。よく知られていることかと思いますが」
「あ、ああ……あれも、そういうかんじなんだ……」
澪は老女の言葉を聞いて、すとん、と納得すると同時に、何か嬉しくなる。
誰かのために祈り、誰かに祈られるということ。それが誰かを守ることに繋がっている。……とても、素敵なことである。しかもそれが気休めの類ではなく、本当にそれに効果が有るというのならば、それは立派に『祈りが力になっている』と言えるだろうし、皆積極的に使え!と澪は思う。
「それに実のところ、聖女が直接信仰心を受け取っている例は珍しくないものです。ここ最近では特に、ね」
更に、レギナの老女はそう続けた。
「私が現役の頃から既に、聖女の在り方は昔のそれではなくなっていました。皆を神の教えに従わせ、導くのではなく……生きている今を楽しむために、娯楽としての聖女の在り方が模索され始めたのです。当時から、人々が求めていたものは死後の救いではなく、今の楽しさだったから」
澪は内心で『つまり、アイドル化!』と納得した。ついでに、『死後の救いではなく今の楽しさ』というところに共感する。澪も正直、そう思うタイプだ。
「そして聖女間の競争が激しくなってきた頃から、その傾向は強まっていたように思われます。人々が……神ではなく、聖女自体を信仰し始めたのだ、と、我々は解釈していましたが」
老女の言葉に、澪は『そ、そっか!確かにそうだ!』と納得した。
娯楽性を増していくにつれ、礼拝式および聖女の存在は、人々を神へつなぐものではなく、人々から信仰を集めるもの……つまり、『偶像』へと変容していった。
……だから、澪とナビスのところにトゥリシアのところの神官が来て、ポルタナ礼拝式に対して『間違っている!』と文句つけに来たのだろうし……。
「あっ、ナビスが光ってたのは、信者から直接、信仰心が伝わってたからかな。あれ、神に信仰が届いてた、っていうよりは、ナビスに信仰が届いてた、ってかんじじゃない?」
「ああ……ということはマルちゃん様が光り輝いていたのも……」
「エッ!?私、光り輝いていたことがありましたの!?冗談はお止しになって!」
「あらぁ、気づいてなかったの?マルちゃんあなた、ぺかーっ、て光るのよ?ぺかーっ、て……」
……そして、聖女達が光る理由も、これで分かった。
要は、信仰されているのは『神』ではなく、『聖女』。それがはっきりしたのである!
「ま、まあ、私が光るかどうかはさておき」
「光るよ、マルちゃん」
「光るわよ、マルちゃん」
「光りますよ、マルちゃん様……」
……そうして、時々『ぺかーっ』と光ることに定評のあるマルちゃんが、咳ばらいをして澪達を黙らせてから、話を続ける。
「そうですわね……。ですから私達は『免罪符』を手書きで用意したり、聖女各々が聖水を販売するようになったり、時には『握手会』という手段を講じて信者を集めていたのですものね。特に握手会など、神への祈りなわけがなくってよ」
マルちゃんも、さらりとそう言って頷くものだから、益々説得力が増す。……聖女モルテが澪の頭の中でにっこりしている。
「ああ、確かに……聖女モルテは、神ではなく、あくまでも死に救いを求める人でしたね。その実だけでなく、名目すら、神を信仰していませんでした」
ナビスもそう言って、パディとマルちゃんが頷いてくれて……。
「……死、だった、よなあ」
澪は冷静に、気づいてしまった。
聖女モルテの時は、『死』は望む結果であって手段ではないような気がしていたが、アレはよくよく考えると、『死』は手段で、『苦しまないこと』や『公平であること』が望むものであったように思われる。
そう。『死』こそが、彼らにとっての手段であり、彼らを救いへ導くもの。
つまり……。
「……『神』じゃなくて、『死』を信仰しても、結果が出てたってことは、やっぱ神を信仰する必要、ないんじゃん……!?」
そう。
全国民聖女化云々を言うより前から、信仰対象は別に、神でなくてもよかったらしいのだ!
「ということはやっぱり、私達が力を使うのに、神への信仰は必要ない、ってことかしらぁ……」
「私はそう思いますわ。神への信仰は、あくまでも私達聖女が道を踏み外さぬためのものでは?聖女が信仰……いえ、道徳心を失ってしまった結果が、トゥリシアだのキャニスだのシミアだの、そういった連中ですものね」
「そうねえ。となると、信仰はある程度必要な気がするけれど、代替手段があれば別に要らない気もするわねえ」
パディエーラとマルガリートが割とバッサリした話をしていると、カリニオス王はにこにこと嬉しそうに頷いた。……この王様は神が嫌いであらせられるため、このように『信仰不要論』が出てくると嬉しいのだろう。
「そうだな。私も信仰は不要であると考える。形骸化した神を崇め、救われぬ方法で救いを待つなど愚かであるからな」
カリニオス王がそう発言して、目でマルガリートとパディエーラを褒め称えている。この王様、もしかすると『可愛いナビスのお友達』である2人にも甘いのではないだろうか!
……と、澪がカリニオス王の親馬鹿を心配し始めたところで。
「王よ。私達は、信仰は必要であると考えています」
「同じく。私も信仰こそが人々を救い導くのではないかと。特に、全国民を聖女の紛い物にするというのであれば」
レギナの重鎮達は、そう言ったのであった。
「ふむ。理由を聞こう」
カリニオス王は慌てなかった。自分とは意見を異にする者が居ても、反対することも嫌うこともなく、理由を聞き、学ぼうとする。
この姿勢は好感が持てるので、澪はナビスを見て『いいお父さんだねえ』とにっこりしておく。ナビスも『はい』とにっこりしていたので、澪は後でこっそりカリニオス王に教えてあげようと強く思った。
「信仰が、人々の善悪を支えているからです」
レギナの老女はそう言って、何とも言えない顔をする。彼女自身も、複雑な思いがあるのかもしれない。
「王も既に危惧されているようですが、神への信仰が急に取り払われたなら、人々の道徳心が損なわれていくことでしょう。そして、力を使う者は、常に賢く在る必要がある。正しく物事を見る必要がある。……しかし、全ての民がそうできるわけではない。理屈では物事を理解できない者達もまた、存在している」
多分、この老女もかつて聖女として活動していた時に、『理屈では物事を理解できない者達』に遭遇して、嫌な思いをしたことがあるのだろうなあ、と澪は思う。なんとなく、だが。
「……そうした愚かな者達にも力を正しく使わせるには、信仰を根付かせるしかありません」
そう言った老女は、用意されていたお茶を飲んで、ふう、とため息を吐く。その吐息は憂いに満ちており、同時に老女の中に何か葛藤のようなものが見出せた。
「私は反対ですわ、アン様」
だが、そんな老女に対して反対意見を述べ始めたのが、マルちゃんである。
マルちゃんは臆することなく挙手すると、王が発言を促してきてから一礼して立ち上がり、発言を始める。
「人々が信仰によって導かれることもあると同時に、人々の目が信仰によって曇ることだって有り得るんじゃありませんこと?信仰とは、『何も考えなくていい』という状況を生み出しますけれど、それは本当に人間の為なのかしら?」
……マルちゃんの言うことにも一理ある。
『宗教』を押し通してしまえば、確かにある程度、人々の行動を道徳的なものへと変えられるだろう。
それは、『そういう風に決まっているから』というものでしかなく、人々が考えた結果のものではないのだろうが、そもそも考えることをしない人間が悪いことをしないようにするストッパーとしては優秀である。
だが同時に、マルちゃんの言う通り、『人々が考えなくなる』ということも有り得る。
宗教というものは、少なくとも表層的には、『考えなくてもいいように』という意味合いがあるものだと、澪はそう、考えている。
「それにね、皆様……神の教え、戒律、そういったものは時に、非合理ですの。レギナの大聖堂にも、『物販』に反対する者が居りましたけれど、実に不合理ですわ!」
ついでにマルちゃんの言う通り、宗教というのは時に、合理的ではないのだ。宗教を理由に人々の行動に制約が掛かったり、それが理由で命を落としたり、傷つけられたり、得られたはずの利益を失ったり……そうしたことだってある。
「新しく変わっていこうとするのであれば、古いものは捨て去っていくべきですわ。学ぶべきところはあるでしょうけれど、それは信仰以外で賄うべきではないかしら」
マルちゃんは、『言うべきことは言った!』というような顔で着席する。立派なマルちゃんであった。
「私は、信仰は残っていてもいいと思うのよねえ」
一方のパディエーラは、信仰賛成派であるらしい。
「なんだかんだ、既に根付いているものだから、楽だし」
そして、とってもまったりした意見を持っているらしい!
「楽ぅ……?パディあなた、楽かどうかで決めますの……?」
「あらぁ、マルちゃん。民衆にとっては楽かどうか、変化が小さくて済むかどうかは大切なことよぉ」
だがパディエーラの意見には一理ある。
全国民聖女化を進めていくと、国民達はとても困るだろう。何せ、今までとは常識が変わってしまうのだから。
そんな国民達の心情に寄り添うのであれば、できる限り変化は小さい方がいい。新しいことを取り入れるにしても、一気に全てバッサリ、というのは難しいのかもしれない。
ましてや、信仰が神の力と結びつかなかったとしても、それがその人自身の心を支える手段にならないわけではないのだ。澪はそれを知っている。
「ふむ……そうだな。民衆への負担は少ない方が良い、が……神への信仰が残り続けることによる弊害もあろうな」
そしてカリニオス王は難しい顔でそう零した。
「神を信じるあまり、見失うものがあってはいけない。それを、人々は実践できるだろうか」
……神を取り上げてしまえば、人々は自分の足で歩くようになるのだろうか。神は枷でもあり、支えでもあり……その程度は人によって異なる上、その時々でも変わるだろう。
会議室の面々は、それぞれに考えて、『ああいう考えもある』『こういう考えもある』と思索を巡らせているらしかった。なんだかんだ、ここに居る人達は全員頭が柔らかいのだ。
だがこの中で一番頭が柔らかいのは、多分、澪なのである。
「……信仰は、えーと、あってもいいと思うんです。人の心を救ってくれることがあるから」
だから澪は、発言する。
「でも、信仰だけじゃだめだと思います」
異世界からこの世界へやってきた自分の使命は、きっと、この世界のブレイクスルーを手伝うことなのだろう、と信じて。
「えーと……『理由』って大事だよな、って私、思ってて」
皆の視線が集まるのを感じつつ、澪は緊張を見てみぬふりして話し続ける。『私は勇者だぞ!』と言い聞かせつつ。
「っていうのも、『理由』が無いまま、『戒律』だけ残っちゃうと、それ、消えちゃうんですよ」
そうして澪がそう発言すると、途端、皆がぽかんとしたり、不可解そうな顔をしたり……つまり、頭の上に疑問符を浮かべ始めてしまった。
「消え……?消えるのか?」
「あ、はい。消えます。忘れられるっていうか、捨てられるっていうか……」
カリニオス王の困惑ぶりを見て『どう説明したものかなあ』と頭の中を探りつつ、澪は考えて、考えて……。
「……じゃあ、僭越ながら」
1つ咳ばらいをしてから、澪は、切り出した。
「雑巾、の話を、させていただきます、ね……?」
会場の皆が、『ぞうきん……?』という顔で澪を見つめてくるのを少々居心地悪く思いながら、澪は『ええい、ままよ!』という気分で話し出すことにした。
そう。吹奏楽部の金管パートでおなじみの、あの雑巾のことを……。




