オールオアナッシング*5
そうして翌日。
「よし……じゃあ、早速」
澪とナビス、そしてマルちゃんは、パディに向き合って立つと、堂々と宣言した。
「こ、これより、一般人をちょこっと聖女にする儀式を始めます!」
「あらぁ……私、いいように使われちゃうのねえ……まあいいけど。うふふ」
パディはころころと笑って、その笑い声が朝の礼拝堂にまろやかに響いた。
ナビスとマルガリートがぱたぱたと動き回りつつ、儀式の準備をする傍ら、澪は手伝えることが無さそうなのでその間パディとおしゃべりすることにする。
パディは昨夜は深夜までずっと信者達とおしゃべりしていたようなので、結局、礼拝式後、パディに会えたのがようやくの今なのだ。
「ごめんねパディ。なんか実験台みたいにして」
「別にいいわよぉ。全人類聖女、なんでしょ?」
「うん、まあ……」
パディはころころと笑っているが、澪としてはちょっぴり申し訳ない。
というのも……昨夜、澪が『とりあえず、神の力で他人を聖女にできるかどうかって、大事じゃん?どっかで誰か、聖女じゃない人を聖女にできるかどうかはやっておいた方がいいよね。どれくらいの信仰心コストがかかるかも見ておきたいし……』と発言してしまったところ、『ならパディでやればよくってよ』となってしまったのである!
そう!今、パディエーラは聖女を引退して、名実ともに『一般人』なのだ!つまり……『一般人』としての実験台に、丁度良かったのである!
「それに、私が『一般人』として扱われるの、なんだか新鮮なのよねえ。うふふ……」
「ううう、そりゃあね、私達が手っ取り早くお願いできそうな一般人が、エブル君かランセアさんか、パディか、っていう3択だったので……」
カリニオス王や先王を実験台にするのは流石に駄目だろう、と思われた。だが、『じゃあクライフ所長で』となると、絶対にカリニオス王が『何故クライフ!?』と騒ぎ出すであろうことが想像できた。
王都関係は何かと面倒そうなので、では、レギナ関係で……と、パディエーラに白羽の矢が立ってしまったのである。尚、その白羽の矢の射手はマルちゃんである。流石のマルちゃん……。
「なんかさー、思ってみたら私達って、一般人の知り合い、そんな多くないんだよねえ……」
「まあ、聖女と勇者だもの。知り合いは大体、聖女と勇者になるじゃない?」
「そりゃそうかぁ」
思い返してみても、澪のこの世界での知り合いは、聖女と勇者、あと王族関係……そんなところが多い。
メルカッタの戦士達や鍛冶師達、ポルタナの人々も知り合いではあるが、なんとなく、彼らは実験台にするのは躊躇われた、というか……。
「……あ」
「ん?どうしたのかしら?」
そこで澪は、ふと、思い出した。
「これ、シベちんに頼んでも、よかったのでは……」
……多分、澪とナビスが一番に思い出すべき一般人の知り合いである。ザ・一般人!と言ってもいいであろうシベちんが、ポルタナに居るのをすっかり忘れていた!
「……まあ、シベちんだしなぁ」
だがシベちんである。シベちんなので、まあ、忘れていても仕方ないか、と澪はそっと、シベちんを自分の記憶の底の方にそっとしまい直した。シベちんは実験台になるなら断らないでくれるだろうが、何にせよ、ここで勝手が分かっているパディエーラやマルガリートと一緒に実験した方が、何かと安全なことだし……。
「では、準備ができました!これより儀式を!」
さて。澪とパディエーラが雑談している間に、ナビスとマルガリートは準備を整え終えたらしい。
その手には、聖水の瓶と聖銀の錫杖を持っている。見た目からして、『とても聖女!』というかんじだ。
「聖女の儀式を簡略化して行ってみようと思うのです。本当なら、聖水の泉で沐浴するのですが、あくまでも『全国民聖女化』に向けての儀式ですので……こんなかんじに」
ナビスは、よいしょ、と聖水を振りまいて、パディエーラをしっとりさせた。パディエーラは『あっ、しょっぱいけれどまろやかな味ねえ』と口に入った聖水の食レポをしてくれた。ナビスは『ポルタナの塩で作った聖水ですから!』と自慢げである。……聖水テイスティングは聖女の嗜みだったりするのだろうか。
「では祈りを」
続いて、ナビスがそっと祈り始める。……すると、パディエーラの周りでふわふわと金色の光が舞って、部屋の中に朝陽以外の明るさが滲んでいく。
……そして。
「……終わりました」
呆気ないほど静かに、儀式は終了したらしい。
見た目に何も変化が無いので、誰もが、『これ、成功したの?』という疑念を拭いきれずにいる。
もうちょっと見た目に派手だといいなあー、と、澪はしみじみ思った。
「ふーん……なるほどねえ」
パディエーラは自身の両手を眺めつつ、ふんふん、と頷いたり、首を傾げたり、手をわきわき、と握ったり開いたりしている。
「それで、パディ。どうですの?何か変化は?あなた、また聖女になりましたのよね?」
「そうねえ……うーん」
結果を聞きたがるマルガリートを前に、パディエーラはあくまでもおっとり、のんびり、小首を傾げて虚空を見つめて……そして。
「そうね。その前に……ちょっと疲れたでしょう?甘いもの、何か欲しくないかしらぁ?私、ちょっぴり小腹が空いたのよねえ」
パディは、そんなことを言い出した。
「欲しい!」
唐突なおやつのお誘いだが、澪は大歓迎である。
レギナのおやつは大体、ものすごく美味しいのだ。それもそのはず、この世界で重要な聖女様がこの世界で一番集まっているところなのである。そして聖女様達は全員女の子で、そして、女の子達の好きなものといったらやっぱり、甘いものなのである。
つまり、レギナはこの国随一のお菓子屋さんが集う町なのだ!……まあ、聖女への差し入れの需要の外にも、王都へのお土産需要も見込める他、そもそもレギナは比較的裕福な人が多く、嗜好品を楽しむ余裕が多い、といった事情があるのだろうが……それはさておき。
「あまいもの……いいですね!ふふ、私も少し、お腹が空いてしまいました」
「あら。でしたら私もお相伴に与ってもよろしくて?」
ナビスもマルちゃんも、甘いもの大好きっ子達である。パディエーラが用意するおやつなら、まず間違いなく美味しい。美味しいレギナのおやつの中でも最高に美味しいものを知り尽くしているパディプレゼンツオヤツには、期待が高まる。
……というところで、パディエーラはふと、少し難しい顔をした。
おや、と澪が思っていると……。
「ねえ、ランセア。あなたも甘いもの、何か食べたくないかしら?あなたの好きな紅茶のクッキーとか、ジャムを挟んだビスケットとか、どう?」
「ああ、表通りの店のか。悪くないね。あそこのは最高に美味しい」
そこらへんでパディエーラを見守っていた勇者ランセアも声を掛けられて、おやつの輪に入る。
「ついでにエブル君もどうかしらぁ。あなたも甘いもの、嫌いじゃないでしょう?」
「え?あ、いや、その……」
そして、勇者エブルにも声がかかったものの、勇者エブルは、おず、と半歩ほど後退して……。
「あらパディ。むしろエブルは甘いものに目がありませんのよ。『勇者らしくない』と控えているようですけれど……エブル。ここでは隠す必要なんて無くってよ。皆、私の信頼する友人達ですもの。貴方にとってもそうでしょうに」
……後退も空しく、ぐいぐい、とマルちゃんに引っ張ってこられてしまったので、勇者エブルは『はい、姉上』とくすくす笑いつつ、おやつの輪に入った。
その途端。
……ぽん。
「へっ?」
「あ、あら?」
「きゃっ!?なんですのっ!?」
……間の抜けた音と共に、卓の上に、クッキーがこんもりと乗っていたのであった。
「あらぁ……お皿は難しかったみたいねえ。まあ、紙の上なら十分、よね?ふふ……」
そしてパディエーラは卓の上のクッキーを1つつまんでさくさくやりつつ、『おいしい!』とにっこり笑うのだった。
「……つまり?私達の『甘いものを食べたい』という信念の一致によってクッキーを生み出した、ということですの?」
「ええ。まあ、そういうことよねえ、これ」
皆で卓を囲みつつ、お茶とクッキーとを楽しみつつ、早速、パディエーラからのネタばらしを聞く。パディエーラはなんだかとても楽し気なので、澪もナビスもそわそわ、わくわく、としてくるのが面白い。
「要は、ナビスとミオが言っていたようなことになっているみたいなの。『何人かの信仰を共にする』ことで、その信仰の力を使って、クッキーを生み出したのよ」
「成程。……パディ。私やエブルを誘ったのは、『信仰の数』が足りなかったからかな?」
「ええ。そうなの。私とミオとナビスとマルちゃん。そこまでで4人だけれど……その4人の意見の一致だけだと、クッキー製造に至らなかったのよね」
どうやら、先程のパディエーラの言葉はその全てがパディエーラの戦略の上、だったようだ。流石はパディ。抜け目がないというか、ちゃっかりしているというか。
「成程なー。つまり、6人くらいが『クッキー食べたい!』ってなると、クッキー、生み出せちゃうのか」
だがこれは大きな発見である。『全国民聖女化』にあたって、どのくらいの人の信仰が集まるとどのくらいのことができるのか、ということはしっかり検証しておきたかった。その結果、『6人くらいでクッキー出せる』という結論に至ったわけだが……。
「うーん、それはどうかしらぁ。多分ね、私、信仰心を集めて使うのは相当に上手よ?」
「あ、そっか」
「それにね、ミオ。多分、あなた達は他人に自分の祈りを届けるのがとっても上手。だから、あんまり参考にはならないと思うわぁ」
「あああ、そっかあー……!」
……まあ、これはあくまでも、『理論上の最高効率を叩き出した場合』ぐらいに考えておいた方がいいだろう。
術者がパディエーラで、その周りで『クッキー食べたい!』とやったのが揃いも揃って聖女と勇者ばかりだった。この状況が揃って初めて、『6人でクッキー錬成』という結果が生まれたのだろう。全国民が聖女化しても、まあ、この結果は出てこないと思われる。
「あとねえ、エブル君の『クッキー食べたい!』っていう祈りも、常人の数倍あるから……」
「ぱ、パディエーラ様!?」
「そうですわね。エブルは昔からそうでしたわ。私のおやつを分けてあげると、それはそれは笑顔になって……」
「姉上まで!」
……が、もしかすると、ものすごーくお菓子好きの人達が集まって、必死に祈り続けたら……もしかすると、もしかする、のかもしれない。
祈りの強さおよび欲望は、時に、無限大なのである……。
「それで、パディ。貴女自身の感覚としては、いかがですの?」
さて。パディエーラとマルガリートが一頻り勇者エブルを揶揄って、金髪碧眼の美少年が赤くなって『揶揄わないでいただきたい!』と怒って見せ始めたあたりで、ようやくもう少し詳しい話に入る。
「そうねぇ、やっぱり今までとは勝手が違うわぁ。全然力が使えないかんじよ?だから、まあ、ミオとナビスの狙っていたところには上手く落ち着いているんじゃないかと思うわ」
「成程ね。じゃあ、もう少し実験してみて、それから全国民聖女化を進めていくかんじかなー」
実験第一弾は上手くいった。では次はベータテスト、ということになるのだろうか。今度はポルタナの人達に協力をお願いしてみてもいいかもしれない。シベちんとか。
「……で、あのさ、パディ」
というところで、澪はそっと、パディエーラに聞いてみる。
「えーと……信仰の裏切り、みたいなのの気配、ある?」
一番心配なのは、そこだった。
特にパディエーラは、一度それで死にかけている。あれを回避するために聖女を引退したのだから、またそれが起きてはたまったものではない。
のだが……。
「それがねえ……ぜんっぜん、無いのよぉ」
パディエーラは、あっけらかん、とにこにこしていた。
「ぜんっ、ぜん?」
「ええ。ぜんっ、ぜん。不思議なものだけれど……自由なかんじ、と言ったらいいのかしら?ええと、聖女をやっていると、良くも悪くも、繋ぎ止められているような感覚があるのだけれど、今はそれが無いのよねえ」
パディエーラがころころ笑ってそう言うのを聞いて、澪は『へーそんなかんじかー』と思うだけなのだが……一方、ナビスとマルガリートは、『成程!』と何やら実感のこもった頷き方をしている。
「繋ぎ止められているような感覚……って、えーと、それ、ナビスとかマルちゃんとかにもあるの?」
もしや、と思って聞いてみると、ナビスもマルガリートも、しかと頷いてくれた。
「はい。それが聖女としての支えでもありますし、同時に、自らに課された義務でもある、といった感覚、でしょうか……?神の名の下に活動する聖女達は皆、その力を感じながら日々を生きるものなのです」
「聖女の修行をしていると、大抵はそれを感じ取るところから始めますわね。そして、しかとそれが自分を繋いでいることを認識できたなら、その時ようやく、一人前の聖女となりますの」
どうやらこれは、聖女あるあるだったらしい。澪は『ほえー』と気の抜けた返事をしてしまいつつ、『分かる分かる』とやるナビスとマルガリート、そしてその輪に入っていくパディエーラを眺める。聖女達がきゃいきゃいやっているのは、まあつまり美女美少女の集いであるので非常に眼福なのだ。
……だが。
「聖女としての枷が感じられないということでしたら、きっと裏切りやなにやらに絡めとられることもありませんね!」
「ならばやはり、成功なのではなくって?まあ、人々の祈りと切り離されている感覚、と捉えるならば、パディの言う『勝手が違う』という話にも納得がいきますわね」
「ああ、そうでもないのよ。人々の祈りというか、皆の『クッキー食べたい!』っていう祈りとの繋がりはむしろ強く感じたわぁ。ということは、人々じゃなくて神様と切り離されてるのかも」
「成程、神との交信が弱まっているということでしょうか?」
そんな話をしながら、『興味深い!』とばかりに笑顔でいる聖女達を見て、澪も笑顔になりかけて……ふと、真顔になった。
……神様と、切り離されていたら……それは、こう、いいのだろうか?
この世界って……信仰心を神様に捧げることで力を得ているのでは、なかったのだっただろうか。
ということは、神様と切り離されていたら、『クッキー食べたい!』でクッキーが出てくるの、おかしくないだろうか。
もし、もし、それでクッキーが出てきてしまったならば、それは……。
「いや、あの、それ……もう神様では?」
……なんか、ダイレクトに信仰心を使っていそうな、つまり、『神』であるような、そんなような気が、しないでもないのである。




