人か神か*6
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ナビスは1人、港へ向かっていた。シベッドが居るとしたらこっちの方だろう、と思われたから。
ちなみに、ミオは今、鉱山に向かっている。捕虜の確認をしておきたい、ということだ。
……ミオが『いやーだってホネホネーズに囲まれたら普通の捕虜、泣いちゃうよ。泣いてるって絶対ヤバいってちょっと励ましてくる』と言っていたのを思い出して、ナビスはくすくす笑ってしまう。ミオはとても優しい勇者様だ。そういうところも、大好き。
ナビスが1人で港へ向かっているのは、シベッドと話す為だ。ミオが1人で鉱山へ行くことを宣言していたのも、きっと、ナビスとシベッドを気遣ってのことだった。
「ミオ様が居たら、シベッドは素直になれないかもしれませんものね」
1人呟きながら、ほう、とため息を吐く。
……シベッドは、ナビスの幼馴染だ。ポルタナの中で、恐らく、一番一緒に過ごした時間が長い。だから、ある程度彼の考えは分かるつもりだ。分からないことも沢山あるけれど、分かることが全く無いわけではない、というか。
だから、シベッドはきっと、ミオの前では少し強がりたいんだろうな、と思う。
ミオは余所者で、なのにナビスの隣に居て、ポルタナの戦士であるシベッドを差し置いて勇者になった。強くて優しくて……けれど、脆くて柔いところも持っていて、けれどそれでも懸命に生きて、明るく皆を引っ張って行ってくれる。
そんなミオは、シベッドの目にはどう映っているだろう。太陽みたいなんじゃないかしら、とナビスは思うのだ。そう。太陽。眩しくて、真っ直ぐ見ていられなくて……ミオの前に立っていたら、自分の後ろに影ができてしまうような、そんな気分。
そう思うのは、ナビスもちょっぴり、シベッドと似ているからだ。ほんの時々、ミオを見て眩しすぎるように思うことがあるから。『私もミオ様のようであったなら』と思ってしまえば、ミオへの憧れと同時に、自分への嫌悪をも引き出してしまうから。
「……ねえ、シベッド」
夕暮れてきた海を眺める港の小さな桟橋に、大柄な幼馴染が座り込んでいるのを見つけて、ナビスはその背中に声を掛けた。
シベッドは黙って振り返る。その拍子にふわ、と揺れる癖の強い黒い髪は、ナビスのそれとはまるで異なるものだ。母であるアンケリーナはナビスの髪を梳いた後、ついでにシベッドの髪を梳かすことが多かったが、その時にくすくす笑いながら『あなた達の髪は全然違うわねえ。それでいて、どっちも素敵』と言っていたのを思い出す。
「お隣、いいですか?」
ナビスがそう問えば、シベッドは黙って目を動かして、自分の隣……桟橋の端っこを確認して、そこが海水に濡れているのを見るや否や、懐から取り出した布切れで乱雑にそこの水気を拭った。シベッドは不器用で粗野なようで、こういうところに細やかさが出る。ナビスは彼のこういうところを面白く思っている。
「お邪魔しますね」
水気が拭き取られたそこに腰を下ろせば、シベッドはまた海の方へと視線を戻す。
……そしてそのまま黙ったままのシベッドを見て、ナビスは『ああ、いつものシベッドだわ』となんとなく安心するのだ。シベッドとの会話はいつも、彼の声よりも波の音の割合の方が多いような、そんな具合なのである。
「シベッド。私、王女様になってしまいました」
「……なった、わけじゃないんだろ。元々王女様だった」
そうしてナビスから話しかければ、シベッドからはなんとも言えない返事が戻ってきた。その声がなんとなく寂しそうで、けれど寂しく思う自分への嫌悪に満ちていて、ナビスはなんだか胸を締め付けられるような気分になるのだ。
「まあ、そうなのだけれど……ううん、でも私、王女になったのはやっぱり、つい最近のことなんだと思うんです。私はずっと、昔から、ポルタナのナビスだから」
あなたのことを置いていきたかったわけではない。ずっとここに居たかった。
ナビスはそんな気持ちをなんとか伝えたくて、シベッドに話しかける。言い訳がましいかしら、とも思うが、それでもこれが本心なのだから。
「私はずっと、ポルタナのナビスで居たい。……我儘でしょうか」
「……いや」
ナビスが話しかければ、シベッドは海と空の境へ向けていた視線を、桟橋の縁にまで落として、短い返事をくれる。ナビスはそれに少しほっとしながら、シベッドと同じように桟橋の縁へと視線を落とした。
自分達のすぐ足元の海は、傾いてきた陽光に煌めきながらもその陰は仄暗い。もう少し日が落ちていけば、海はいっそ黒いくらいに暗くなっていくだろう。
昔、幼かったナビスは、この時間帯の海がほんの少し、怖かった。昼間には青く透き通っていたのに、どんどん黒くなっていく海。表面ばかり陽光にギラギラ輝いて、底が全く見通せないところも、反射する光の眩しさも、なんとなく、知っている海ではないような気がして。
「ありがとう、シベッド。それから、ごめんなさい。何の相談も無く、こんなことになってしまって」
「別に、俺に相談する必要なんて……」
暗くなりゆく海だけを見つめて零せば、隣から少し焦ったような声が聞こえてくる。そこでナビスがそっと隣を向けば、ようやく、シベッドと目が合った。
そのままほんの数秒、見つめ合う。ナビスは凪いだ心で。シベッドは恐らく、とても気まずい思いで。
「……でも、私はやっぱりポルタナの皆に、そしてシベッドに、相談しておくべきだったと反省しています」
シベッド相手だと、ナビスはなんとなく、こういう話をしやすい。ミオと同じくらいには、こういう話がしやすい。……そして、故郷に関わる話であれば、ミオよりも。
「なんだか、随分急いでここまで来てしまったような気がしていて。置いてけぼりにしてしまったような気がしているんです。自分勝手ながら、それがなんだか、寂しくて」
多分、シベッドは寂しく思ってくれるだろう、とナビスは思っている。そして同時に、ナビスも寂しく思っている。
自分で進んでしまったというのに、置いてけぼりにしてしまったポルタナを想って寂しいだなんて。自分勝手だとも思うが……それでもシベッドにこれを伝えたのは、彼らもきっと同じような気分だろうと、ナビスはそう、思ったから。同じように思ってくれていると、信じているからだ。
「……そうか」
シベッドは小さく、ため息を吐いた。それは諦めのようでもあったが、きっと安堵のそれだ。
それからシベッドはほんの少しだけ笑って、それから、幾分喋りやすくなったのか、口を開く。
「あいつには、相談したんだろ」
「え?あいつ?」
「……勇者」
『あいつ』を聞こうとしたら途端に渋くなったシベッドの顔を見てなんだか面白いような気分になりながら、ナビスは『笑っちゃったら怒らせちゃうかしら』と思いながら、努めて真剣に頷く。
「ミオ様に、ですね?ええ、相談、しました」
すると、シベッドは、ふ、と表情を緩めてまた海へ視線をやった。
「ならいい」
……ナビスは、海を見つめるシベッドの横顔を眺める。傾いてきた太陽の光と海からの反射光に照らされた幼馴染の横顔も、風に揺れる髪も、なんだか新鮮に見えて……。
「……シベッド、あなた、本当に……」
ほう、と感嘆のため息を吐いて、ナビスは、言った。
「ミオ様のことが、好きなのですねえ」
途端。
ざっぱん。
……ナビスの言葉を聞いたシベッドが、何故か、海に飛び込んでいた!
「え、ええええええ!?シベッド!?シベッド!?どうしたのですかシベッド!?」
何事!?とナビスは慄きながら海へと声を掛ける。これで溺れているようならナビスも海に入るのだが、シベッドに限って海で溺れるようなことは無いので桟橋の上から声を掛けるに留める。
……シベッドからは返事が無い。無かったが、たっぷり1分近くの後、ざぶ、と、シベッドの頭が海面に出てきた。癖の強い黒髪は、水から上がってすぐにはちょっと海藻っぽくも見える。
そのまま、シベッドはナビスの問いに答えることはなく、ただ、強張った顔のまま、見開いた眼もそのままに、のそ、と桟橋へ上がってきた。
そしてぼたぼたと海水を滴らせながら、またナビスの隣に腰を下ろす。表情はそのままである。微動だにせず、すごい形相で海を見つめているので、なんだか妙な彫像のようにも見える。
大柄な幼馴染がびしゃびしゃの状態で無頓着に座ったことで、ぴしょ、と飛沫が飛んできたのだが、ナビスは特に指摘しなかったし、シベッドも気づいていないようであった。案外細かいことに気が付くシベッドが気づかないのだから、まあ、動揺している……ということなのだろう。
動揺するあまり全く動かず座り続けているシベッドを見て、ナビスは『あらまあ』となんだか、一周回って感心してしまったような気分になって……。
「いや、別に、好きじゃねえ!」
そしてそんなことを言い出したシベッドをしげしげと眺めて、ナビスはなんだか、もう二周回ってまた感心してしまったような気分になって……。
「それは……その、無理がありますよシベッド」
……とりあえず、諭しておいた。
それからしばらく待って、シベッドがようやく落ち着いた。……シベッドは何も言わなかったが、すごい形相がいつもの不愛想な、ちょっと苦々しい顔になったことで、ナビスは『ああ落ち着いたみたい』と判断したのである。
「私はミオ様のこと、大好きですよ」
ということで、ナビスは早速、そう言ってみた。
「明るくて、勇ましくて……私を導いてくれる人。この人の隣に立つために強くなりたい、と思わされる人。大好きです」
ミオの話をする時、ナビスは思わずにこにこ顔になってしまう。今も表情がふわふわ綻んでしまうのを自覚しながら、ナビスは『大好き』を言い切った。
「シベッドだって、ミオ様のこと、好きでしょう?」
そして自信たっぷりに……ナビス自身のことなんかよりずっとずっと自信たっぷりにそう尋ねれば、シベッドはまた動揺する。
動揺したシベッドは、しかし、今度は海へ飛び込むようなことはしなかった。ただ、落ち着かなげにそわそわ、もぞもぞ、と動きながら視線を虚空に彷徨わせて、そうしてやがて、深々と、諦めのため息と共に言葉を吐き出した。
「別に好きじゃねえ。嫌いでもねえってだけで」
「あらまあ」
やっぱりシベッドは素直じゃない。ナビスはちょっぴり呆れるような気持ちになってしまう。
「ただ……その、あいつ、神様か何かなんじゃねえかと、最初は思った」
だがシベッドは、まだもう少し話してくれるらしい。奇遇なことに、シベッドもナビスと同様、ミオのことを『神様』だと思った、と。
ナビスはシベッドの言葉を聞いて、深々と頷く。初めて会った時にはミオのことを神だと思ったし、それからも度々、『ミオ様は本当に神様なのではないかしら』と思うことがある。
「だが……その、野外の、合同礼拝式で……人間じゃねえか、って、思った」
……同時に、シベッドの言う通り、ミオはやはり人間なのだ、と、ナビスはそうも思うのだ。
「そう、ですね。ミオ様は神様みたいな方で……でもやっぱり、人であらせられる」
ナビスがつい先ほど、しろごんの上で思ったことだ。ミオは人間で、それ故に脆く、それでも強く、そして美しいのだ。
「……それで、神じゃなくて人間なんだったら何でもできるわけじゃねえだろ、って」
「成程。それでちょっと心配になったんですね」
ナビスが深々と実感を込めてまた頷くと、シベッドはまた何とも言えない顔をした。『むすっ』を絵に描いたような顔である。
そうして『むすっ』になったシベッドは、少しやさぐれたようにそっぽを向いて、やさぐれたようなことを言うのだ。
「……俺は、聖女ってもんをアンケリーナ様とナビス様しか知らねえ。だから……聖女も、人間じゃなくて神なんじゃねえかと思ったことがある」
「まあ」
まさか、シベッドですら『それ』を思ったことがあるとは。『聖女は神か、人間か』という問題は、そのまま信仰と信仰の裏切りの問題へと直結している。
信者が聖女に完璧を求める……つまり、『聖女は神である』という考えでいると、どうしても、『信仰の裏切り』に繋がりがちなのではないか、と、ナビスは思っている。
「私は人間ですよ、シベッド」
「だろうな。ミオのことを話す時、人間の顔をしてるから」
更にそんなことを言って、シベッドはにやりと笑った。そうして笑ってから、ふと、その笑みを海へ向ける。今日の凪の海のような、穏やかな笑みだった。
「……だから、ナビス様はあいつと一緒に居てくれ」
「え?」
「そうしたらナビス様は、神でもなく、王女とかも関係なく……こう、人間でいられるだろ。それに、あいつだって、人間でいられる。あんたら、そういう風に見える」
ナビスは、他でもないシベッドがそんなことを言うから驚いた。
「……そうですね。うん、そう、なんだわ。きっと」
だが、言葉自体は腑に落ちた。
そう。ナビスはミオと一緒に居た方がいい。『こっちこっち』と手をひかれて、導かれて、一緒に駆けていく。その間、ナビスはきっと、人間っぽく居られる。そしてきっと、ミオも。
……聖女と勇者は、神の力を行使する存在であり、信仰を集める存在でもある。つまり……ある種の、神、なのかもしれない。
だがそれでも人間だ。ミオもナビスも、人間なのだ。
どんな肩書きがあって、どんな能力があって、どんなふうに人の前に立ったとしても。それでも。
「……ねえ、シベッド。やっぱりあなた、ミオ様のことが好きでしょう」
「別に」
ナビスはくすくす笑いながら、もうしばらく、シベッドと一緒に海を眺めていた。
……今度はミオも連れてきたい、と考えながら。そしてその時、シベッドがどういう顔をするか想像して、またくすくす笑いながら。
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一方、澪は。
「ほらぁー!やっぱ泣いてんじゃーん!」
ポルタナ鉱山地下3階にて、案の定の光景を見て頭を抱えていた。
「ちょうどいいだろ!はっはっは」
「いやいやいやいやかわいそうでしょ!流石に!なんかこう!手心っていうか!」
……ポルタナ鉱山地下3階では、捕虜の皆さんがいらっしゃった。『雇われのゴロツキです』というような見た目の者の中に1人、身綺麗な騎士然とした人も居る。多分、この人から話を聞いたらいいんだろうなあ、と思われるような。
だが……そんな彼らは全員、めそめそと泣いていた。『悪魔だ……』『俺達はもう終わりだ……ここには魔物と悪魔しか居ねえんだ……』と弱音を吐きながら、大の男達が、めそめそ泣いていた。
それもそのはず。
「沈黙のマイムマイムはね!流石にホラーが過ぎる!」
……ホネホネーズが捕虜の周りで輪になって踊っていた。
これは、怖い。




