爆速全国ツアー*5
その日、王都カステルミアはここ20年余りで一番の盛り上がりを見せていた。
王家から『重大な発表がある』と伝達されれば、町の人々は大体、『ああ、遂にカリニオス王子が王になるのだな』と察する。王本人も待ち望んでいた譲位の時となれば、いよいよお祭りごとに縁遠かったカステルミアは盛り上がるというものなのである。
「緊張してる?」
そんな街の喧騒を窓の外に聞きながら、澪はナビスの顔を覗き込んだ。
「ええ……とても」
ナビスは、とても綺麗だ。真白いドレスは金銀の刺繍で控えめながらも美しく飾られ、そしてやはり控えめなデザインのネックレスが首元を飾っている。髪は綺麗に編んで結って、そこにブラウニー達からプレゼントされた永遠の花を飾ってある。
そしてその手には、聖銀の長杖。……正に、『聖女』といういで立ちであり、同時に、『お姫様』である。
「ま、そうだよねえ。これは誰だって緊張するよねえ。私もちょっと緊張してるもん」
そして澪も、ナビスに合わせた格好をしている。
燕尾服めいた白のジャケットに、同じく白の細身のパンツ。中に着るドレスシャツはナビスの瞳に合わせて勿忘草色だ。そして、いつものオリハルコンの短剣の他に、儀礼用の剣、ということで細身のレイピアを帯刀している。
……中々に気障たらしい恰好ではあるのだが、ナビスが『ミオ様!とてもお美しいです!ああ、ミオ様!ミオ様!』と大興奮だったので、澪は『まあ、ナビスの緊張がほぐれそうだし』と諦めた。
まあ、澪の恰好など消し飛ぶほどのナビスの美しさだ。澪は、民衆の注目はとにかくナビスに集まるであろうことを既に察している。
「でも大丈夫!ナビス、世界一綺麗だから!」
「あうう、ミオ様までそのようなことを仰るのですかあ……」
使用人達が口々に、『なんとお美しい!』『お亡くなりになったお后様の面影がありますねえ』『ああ、正に神が遣わした聖女そのもの!』と誉めそやすのも無理はない。だってナビスはとても綺麗なのだ。
美しい服装は、あくまでもナビスの美しさを引き立てるものでしかない。滑らかな白い肌も、緊張と恥じらいに紅潮した頬も、長く美しい銀髪も、同じく銀の長い睫毛に縁どられた、勿忘草色の瞳も。
その全てが、いっそ現実離れしているほどに美しいのだ。澪は内心で『うぎゃーっ!こんなにうちのナビスが綺麗ーっ!』と叫んでいる。多分、ナビスが外に出た途端、民衆も同じ叫びを上げてくれることだろう。
「……ま、頑張ろ。いっそ、楽しみにしよ。ね?」
「ええ……そう、ですよね。楽しみに。ええ。楽しみ、楽しみ……」
こんなに綺麗な人でも、緊張することがあるのだなあ、と澪はなんだかおかしく思いつつ、『楽しみ、楽しみ……これはどきどきではなく、わくわく……』と呟き続けるナビスをむぎゅうと抱きしめた。
ああ、ナビスは世界一美しく、そして、世界一可愛らしい!
さて。
そうしている内に、澪とナビスは使用人達に案内されて、城の広場に面したバルコニーがある部屋の中までやってきた。
バルコニーには、既に王が立っている。そしてその横にはカリニオス王子が控えており、これから譲位の宣言が成されるところなのだと分かる。
改めて眺めていると、王は老体ながら美形であるし、カリニオス王子も『王子』の肩書きに負けない美形である。特に、王子は最初に出会った時に大変やつれていたのでその印象が強かったのだが、こうして回復したところを改めて見ると『ああ、やっぱナビスのパパだ……』というかんじである。
聖女アンケリーナも相当な美人さんだったようだが、ナビスの半分はカリニオス王子の血である。まあ、美形と美形の掛け合わせで順当に美形が生まれたんだなあ!と澪は大いに納得している。
「ああ……この国が大きく動く時に、『こちら側』に居るなんて。なんだか今でも嘘のようです」
ナビスがそう苦笑するのを見て、澪も笑う。
「これから何もかも、環境が変わってしまうのですよね」
ナビスはそう言って、バルコニーへ繋がる窓の外、王と王子の姿を見つめる。引き結ばれた唇は、やはり緊張と覚悟によるものだろう。
「ま、慣れるまで大変そうだけどさ。でも、変わらないものだってあるよ」
そんなナビスの頬をつつきつつ、澪はナビスに笑いかける。
「ナビスが多くの人に愛されてることは、変わらない!」
「……はい!」
ナビスも笑顔になったところで、『そろそろです』とクライフ所長から合図があった。尚、クライフ所長はこの姿のナビスを最初に見た時『アンケリーナ様がおいでになったのかと』と目を円くしていた。どうやらナビスは、やっぱり聖女アンケリーナに似ているようだ。
澪はナビスにそっと手を差し出す。するとナビスはもじもじ、としながら澪の手に手を重ねて、椅子から立ち上がった。
ふんわりとした白いドレスの裾を揺らして、ナビスは歩く。澪はナビスの手を引いてナビスをエスコートしながら、バルコニーの近くへ向かった。
丁度、王から王子へと、冠が渡されるところだった。
恭しく、頭上に冠を頂いた王子改めカリニオス王は、民衆から送られる割れんばかりの拍手と歓声に応えて真っ直ぐに彼らを見渡す。
そうして歓声と拍手を一度鎮まらせてから、挨拶を始めた。
「……長らく不在であった王子が次の王になることを、不安に思う者も多いだろう」
そんな一文から始まった挨拶に、民衆は少々、ざわめいた。
確かに、不安に思う人は多いのだろう。だからこそ、今まで聖女キャニス派と聖女シミア派が頑張っていたのだろうし、その背景があることはどうしたって否定できない。
「だが、私にあるのは正統な血だけではない。それを証明する成果は少ないが、今後の働きを以てして、皆に認められる王になってみせよう」
カリニオス王は、いつか澪が聖女キャニスの勇者と決闘した時に言っていたようなことを述べて、それから、ふと、笑った。
「かつて、私はこの世界に絶望した」
今度こそ、民衆がざわめく。新たな王となった者が一体何を言い出すのか、と。
だが、それを鎮めると、カリニオス王は笑って続ける。
「私は愛する者を喪った。……私が愛した人は、魔物の犠牲となって、死んだのだ」
ずっと行方不明であった王子の、『愛した人』。その存在は、大スキャンダルでもある。民衆は最早、衛兵達の『鎮まれー!』という声も無視して騒いでいる。
だが、そんな中でも、カリニオス王の声は響く。何故なら彼は、ポルタナ謹製の聖銀マイクを手にしているからだ。
「そして今、再びこの世界は魔物の脅威にさらされている!各地を魔物の群れが襲撃していることは皆も知っているだろう!これを無視するわけにはいかない!……そう。無視するわけには、いかないのだ。私は絶望しても尚、この国を、この世界を愛しているから!」
王子の叫ぶような言葉は、次第に民衆を鎮めていく。民衆も思うところはあるのだろうし、言いたいことも聞きたいこともたくさんあるのだろう。それでも、『まずは聞いてみよう』と思わせるだけのものが、カリニオス王の言葉にはあった。
「皆もどうか、思い出してほしい。あなた達が愛するものは、在るか?あなたを愛しているものは?別に、人でなくともよい。愛するものは、歌であっても、書物であっても、美しい景色であっても、可愛らしい猫であっても……なんでもいいのだ」
澪はふと、ナビスを見た。ナビスもまた、澪を見ていた。……2人揃って、小さく笑う。澪が愛し、澪を愛しているものの手を握れば、やはりナビスもまた、きゅ、と澪の手を握り返してくれた。
「なんでもいい。だが、何かを愛し、何かに愛されていることを忘れないでくれ。あなたの心を動かす何かが、この世界にはまだ、あるのだということを」
そうだよねえ、と澪は思う。
澪を助けてくれるものは、沢山ある。
銀のトランペットの鋭い音色。冬の朝練の時のきりりと冷えた空気。購買のお気に入りのパン。夕暮れの帰り道、友達が押して歩く自転車のチェーンの音。
花の色。風の声。海に煌めく光。繋いだ手のぬくもり。笑いかけ、笑い返される関係。
……たくさん、ある。数えきれないし、挙げきれないほどに、たくさん。
それらが澪を世界に繋ぎ留めているし、澪も、世界を喪わないようにと頑張っている。澪が元の世界に帰りたい理由も、きっと、そこにある。
そして同時に、澪が今居るこの世界の為に頑張る理由も、また、似たようなものなのだ。
愛し、愛されているから。だから澪は、この世界のために頑張りたい。
「私もそうだ。最愛の人を喪って尚、それでもこの世界にはまだ、愛すべきものがたくさんある。だから、私は数々の凶刃を跳ね除け、病と呪いに打ち勝って、再びここへ戻ってきた」
そしてカリニオス王も、一緒なのだ。愛し、愛されている自覚があるから。だから彼は、この国のために頑張りたいのだ。
「この国を良くしたい。そして願わくば、もう二度と、誰もが、愛するものを喪わないようにしたいのだ。あんな絶望は、もう二度と、誰にも、齎されてはならない。皆が絶望から逃げるあまり、死を選ぶようなことがあってはならない。この国では、皆が、生きることにこそ希望を見出せなくてはならないのだ!」
バルコニーで話すカリニオス王の後ろ姿を眺めて、ふと、ナビスが零す。
「……私、王子様の娘だなんて、不相応だと思っていました。今も、思っています。でも……この方がお父様でよかったとも、思うのです」
「そうだねえ。こんなに格好いいパパ、中々居ないよ」
澪はナビスと顔を見合わせて笑う。そして、一緒に前を向く。
「そして……もし、この国に、『何かを愛したことも、何かに愛されたことも無い』という者がいたなら……それは、私の娘が解決に向けて力を貸してくれるだろう」
カリニオス王が、振り向く。澪とナビスに笑いかける。
バルコニーの向こうでは、『私の娘』という言葉に、人々がざわめいていた。……だがきっと、そのざわめきの中には、『もしや!』『ああ、そういうことだったのか!』というような、期待と納得に満ちた呟きも混ざっているのだろう。
「さあ、こちらへ」
カリニオス王が招くそちらへ、澪とナビスは歩いていく。そして、バルコニーの上、太陽の光の下、人々の視線に曝されるそこに立って、ナビスは澪の手を離し、バルコニーの一番前まで進み出て……一礼した。
……その瞬間、民衆からは、凄まじいほどの歓声が湧き起こる。
その歓声の中には、『ナビス様はー!すごーい!』というような声も、混じっていたとか、いないとか。
それからナビスの挨拶が始まった。
『私はお父様と同じく、長らく王城に居なかった王女です。しかし、この国をより良くしていきたい気持ちはお父様と、そして皆様と同じです。どうか、私を信じてくださいませんか』と。そんな挨拶に、人々は只々、聞き惚れていた。
ナビスの姿には、説得力がバッチリあったのだ。聖女として修業を積んできたナビスの立ち居振る舞いは気品すら感じる美しいものであったし、その表情、話し方、それら全てが人々を安心させ、そして人々に愛されるものだ。
誰も、ナビスのことを『本当に王女なのか?』なんて疑うことはできなかった。斜に構えていた者達でさえ、『ああ、あれは確かに王女だろうな……』と納得してしまうほどの、或いは『本当の王女でなかったとしても構わんだろう』と言ってしまうほどの説得力を以てして、ナビスは皆の前に立ったのである。
……そうして、最後に。
「私は、王女として働く傍ら、今まで通り聖女としての活動も続けていきたいと思います。より多くの人を救いたいのです。ですから……」
「この国中の、全ての町や村を巡って礼拝式を行う……全国ツアーを、開催いたします!」
ナビスはそう宣言し、そして、人々からは割れんばかりの拍手と歓声、そして『全国ツアーって何!?』という声が湧き起こったのであった。
……さあ。ここからが、全国ツアーの始まりである!




