聖女と勇者と*10
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「望んだからといって得られるものではないでしょうが、私は王位を望もうと思います」
……悩みに悩んだ結果、ナビスはそう結論を出した。
「いいの?」
遠慮がちにこちらを伺ってくるミオを見て、ナビスは頷く。
「はい。最早、そうするしかありません。だって私、ポルタナだけじゃない、この国全てを好きになってしまっているから」
ナビスの意思は固い。最早、ナビスの願いはポルタナの外にまで広がってしまっているのだ。
「私、ミオ様がいらっしゃるまで、ほとんどポルタナを出ずに過ごしていました」
ミオが来て、もうじき、1年が経つ。逆に言えば、まだ、1年経っていない。
だが、その1年前のことを、ナビスは良く思い出せない。今とはあまりにも、違いすぎて。
「メルカッタに出かけることはあれども、知り合いなどほとんどいませんでした。お世話になっている商店の方や、魔物討伐の依頼を受け付けているギルドの職員さんのごく一部……それくらいだったんです」
かつてのナビスは、町に出ても誰と話すでもなく、用事を済ませて帰るばかりだった。自らギルドの依頼を引き受けるようなこともほとんどなく、時々、レギナの聖女の手が回らない時に手紙を貰って、手伝いに赴いていた程度だったのだ。
「後は、時々コニナ村の様子を見に行く程度でした。ポルタナの中からはどんどん人が減っていっていましたから……私の世界は、広がるどころか、どんどん狭まっていたように思います」
そしてポルタナからはどんどん人が減っていった。鉱山の地下2階、地下1階までもが閉鎖されて、いよいよ人口の流出が激しくなっていた。
だから……ナビスの世界は、とても狭かったのだ。
あの、美しく優しく、そして滅びに向かうポルタナだけが、ナビスの世界だった。
「でも、ミオ様は私を狭い世界から連れ出してくださいましたね」
……そう。当時のナビスは狭い世界の中に居たが、それが一変したのは間違いなくミオのおかげである。
ミオはナビスの手を引いてメルカッタへ向かい、臆することなく人と関わっていき、そうして、知り合いがどんどん増えていった。
活動範囲も広くなっていった。ドラゴンタイヤの馬車の開発によって移動速度が上がれば、より一層、ナビスの活動範囲は広がっていった。そうしていつしか、他の聖女達ともかかわりが増えて……今、マルガリートとパディエーラはすっかり友人となり、聖女モルテといった不思議な聖女とも知り合うことができた。
活動する町も、レギナにジャルディンにセグレードに、そして王都カステルミアに、港町リーヴァに……と、随分増えてしまった。ナビスが暮らす世界は、どんどん広がっていく。
色々な人が居て、色々な場所があって。それぞれに思うことがあって、それぞれに苦しんでいることがあって……それぞれに必要としている救いがある。
それを知ってしまったナビスは、今までのようにはもう、戻れない。
「……世界は、広い。多くの人が、居る。それを知って、私は……私は……」
ナビスは、本当にこれで良いのか、と躊躇う。
これは、愛するポルタナへの裏切りではないのか、と。
だが……躊躇うが、もう、自分の気持ちに嘘は吐けない。それもまた、確かであった。
「私は、ポルタナのみならず、国中全てを救いたいと、そう願うようになりました」
ナビスの愛は、もう、狭い世界に留まっては居られない。
ただひたすらに、広い世界へ羽ばたこうとしている。ナビスは自分自身のそれを、感じ取っていた。
「……いかがでしょうか、ミオ様」
こんなの、我儘じゃないかしら、とも思う。
ある種、救いというものは傲慢なものだ。人々の信仰、人々の願いを、ナビスが本当に叶えられるかは分からない。時に、意図せずして人々の信仰を裏切ってしまうことだって、あるのかもしれない。……パディエーラのように。
だから、『皆を救いたい』というのは、我儘なのかもしれないのだ。聖女として、相応しくないのかもしれないのだ。
そして……聖女としてふさわしくないかもしれないから、王女となり、そしていずれ、王になろう、など。それこそ、傲慢なことだとナビスは思う。
思うが、それでも止められない。ナビスはそんな気持ちでミオを見上げ……。
「うん。いいと思う!」
……底抜けの明るい笑顔を見せられて、自分の心の緊張がゆるゆると緩んでいくのを感じた。
「目指すものがあって、多くの人のことを考えてて、それで、ちゃんと愛してる。……すごく王様向きだと思うよ。勿論、聖女様としてもバッチリだと思うけどね」
「そうでしょうか?私、不遜だとも思うのです。こんなこと、望んでしまって本当にいいのかどうか、と」
「なら、カリニオス王子に聞いてみようよ。多分、相談に乗ってくれるよ」
不安を零せば、ミオはそう、あっけらかん、と返してくれる。それを聞いてナビスは、『ああ、そうだったわ』と思い出す。……『許可を取る』のでもなく、『決意を伝える』のでもなく、『相談してみる』。それでいいのだ。
ナビスは時に、自分の視野が狭くなりがちだということを自覚している。そしてミオは、そんなナビスの視界の端でひらひらと手を振って、ナビスが見えていないものを教えてくれるのだ。
「それでさ、ナビス。折角だし、今の国王陛下にも挨拶してみれば?ナビスのおじーちゃんでしょ?」
「え、あの、それは流石に不遜が過ぎるのでは……」
「えー、でもさー、おじーちゃんとしては、可愛い孫娘とちゃんとお話したいと思う。それにさー、頼られたら絶対嬉しいって!」
更に、ミオはそう言ってまた、ナビスが気づいていなかったことに気付かせてくれるのだ。
……ナビスは未だ、カリニオス王子を父と慕えるほどに、厚かましくはなれない。国王陛下については、余計にそうだ。祖父かもしれないなどと言われても、だからといって気安く接することなどできるはずがない。
だが……ナビスが臆しているからといって、相手の気持ちを決めつけてはいけない。
ナビスはなんとなく、『国王陛下にご迷惑では』『カリニオス王子のご負担になるのでは』と思っていた。だが……それはナビスの決めつけでしかないのだ。
もしかしたら、国王も王子も、ナビスと話してみたいかもしれない。『私などにそのようなこと』とも思ってしまうが、そこは、この1年弱、ずっとミオと一緒に居たナビスだ。えい、と一歩踏み込んでいく勇気は、ミオから分けてもらっている。
「ね?とりあえず一回、相談してみよ?きっと皆、喜んでくれるよ」
だから……ナビスは、勇気を出して一歩、踏み込むのだ。今、ここで。
「……ミオ様も、喜んでくださいますか?」
笑いかけてくるミオに、そう、尋ねてみた。少しだけ、冗談めかして。それでいて、『きっと肯定してくださるから』と信じて。
「……勿論!」
そうして想像通り、ミオが満面の笑みで応えてくれたのを見て、ナビスは、一歩踏み出す勇気をまた少し、確かなものにした。
信じれば、信じたとおりのものを返してくれる。これだから、ミオとの会話はこんなにも温かくて、眩しい。
「いやー、だってさー、お姫様になったナビス、見てみたいじゃん!?絶対かわいいって!かわいいドレス着せてお姫様っぽくしてみたら絶対に可愛いってえ!」
きゃいきゃいとはしゃぐミオを見て、ナビスは、ああ、まるで太陽みたい、と思う。
信じ、信じてもらう喜びを、ナビスはミオに教えてもらった。『信じあえる』仲間を得たから、ナビスはこうまで変わったのだろう。
「それにさー、ほら。全国ツアーやろうと思ったら、絶対に国王陛下とか王子様の支援があった方がやりやすいじゃん?もっと大規模なこともできるかもしれないし!そうやって、ナビスの信仰心集めが捗れば、世界は平和にまた一歩、近づくし!」
ミオはそう言って、それから、ちょっとだけ恥ずかしそうに笑った。
「……私も、この世界、大好きになっちゃったからさ。もう、ポルタナだけじゃ、満足できないみたい」
「この世界を好きになれたのは、ナビスのおかげ。ありがとね、ナビス」
「……いいえ。私に世界を見せてくださった、ミオ様のおかげです」
ナビスは気づけば、手を祈りの形に組んでいた。本当に祈りを捧げるような気持ちだったから。
ミオは、本当に太陽みたいな人だ。明るくて、凛々しくて……時に脆くて、けれどその脆さを超えていこうとする強さを持っていて。苦しむこともあって、悩むこともあって……大好き。
そう。大好き。
ナビスは、ミオのことが大好きだ。そして、誰よりも信じている。それこそ……。
「……ミオ様はやっぱり、神様なのではないかしら」
彼女が神なのではないかしら、と思ってしまうほどに。
「えええー!?それ、初めて会った時のやつ!?いや、ないっしょ!?流石にないない!」
ミオが手をぶんぶん振って『ないない!』とやる時の仕草が、なんとなくブラウニーに似ている。そう思ってしまったからナビスはくすくす笑ってしまう訳で、そうするとミオもつられて、一緒に笑い出すのだ。
「私、ナビスの勇者になれてよかったなあ」
「私も、ミオ様が私の勇者様でいてくださって、本当によかったです」
聖女と勇者が、並んで笑う。この時間を心から嬉しく愛おしく思いながら、ナビスはこの時間にいつか終わりが来ることをまた、知っている。
……いつか、ミオは元の世界へ帰る。それが分かっているから、ナビスはその時がちょっぴり怖い。
だがその時も、笑っていたいと思うのだ。今みたいに。
それが、彼女への信仰を裏切らないことだと思うから。
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……さて。
そうしてレギナから王都へ戻った澪とナビスは、早速、カリニオス王子との謁見に臨んだ。
事態は急を要する。何せ、『聖女の自死について調べに行ったら、その帰り道でまた1人、別の聖女が自死未遂してしまった』のだから。
王城の使用人達は、『聖女様が王子に謁見……?』と不思議がっていたが、嫌に思う者は居なかっただろう。それだけ、ナビスはこの短期間で城の皆の信頼を勝ち得ていた。
「よく戻ったな。して……報告は、レギナの聖女のことか」
「はい。聖女パディエーラ様が、自死しようとなさいました」
そして、王子の信頼も。
……親子としての愛だけでなく、共に働いてこの国を善くしようとする者同士の信頼をも、ナビスは王子から勝ち取っているように見える。澪はそれが誇らしい。えっへん、という気分である。……決して、澪のおかげだなんて思ってはいないが!思ってはいないが!
だがなんとなく、『ナビスは私が育てた……』というような気分になることは、ある。今がそうだ。不遜である。でも思っているだけならいいとも思う。不遜どんとこいである!
「私と、聖女マルガリートとの2人がかりで治療を行いました。パディエーラ様は一命をとりとめ……しかし、目を覚ましていません」
「ふむ……成程な」
王子が険しい表情で頷く。パディエーラは王子と会ったこともある。それだけに、王子としてもショックなのだろうと思われた。
「そこで……差し出がましくも、お願いがございます」
そこへナビスもまた真剣な表情で、言った。
「私、聖女パディエーラを救い、そしてこの国全体を救うべく、ぜんこくつあーに参りたく!」
「ぜんこくつあー」
「はい!ぜんこくつあーです!」
……カリニオス王子は、堂々と答えるナビスをじっと見て、それから、ちら、と澪の方を見てきた。『たすけて』という顔であったので、澪は必死に笑いを我慢しつつ、説明を挟む。
「えーと、つまり、ナビス自身が国中の各地を巡って、そこで礼拝式を開いていく、っていう企画で……そうすれば、国中全ての人からナビスへの信仰を集めることができるし、ナビスが国中のあちこちを救うことができるよね、っていう、そういう利点があります。いかがでしょう」
澪は『どう?どう?これでだいじょぶそ?』という気持ちで王子を見つめると、王子は『たすかった』というような顔で頷いた。よかった。たすかったらしい。これでとりあえず『娘のことがよく分からないが必死に理解しようとしている父』が1人救われた!
「勿論、それは構わない。王城の診療室の仕事は、派閥の抗争が減って以来、随分と楽になったとリグナより聞いている。暇を出しても問題は無かろう」
「ありがとうございます。でしたら、告知の後、早速旅立とうかと」
「早速だな。ならば、来訪予定地を教えておいてくれ。各地に通達を出しておく」
恙なく、ナビス全国ツアーの予定が進んでいく。澪はそれを『流石にやり取りがスムーズだなあー』と思いつつ、同時に『ほ、本題は?本題はそっちじゃなくない?大丈夫?ねえ大丈夫?』と大いに焦る。
……だが、そんな澪を見て、ナビスは少しばかり笑う。『大丈夫ですよ』ということらしいので、澪は焦るのをやめた。ナビスが大丈夫だというのなら大丈夫だ。澪は、ナビスを信じている。
……そうして、全国ツアーの概要と、王城から各地へ出す通達についての打ち合わせが終わったところで。
「それからもう1つ、ご報告が」
ナビスはそう、切り出した。王子も何かを察したらしく、居住まいを正す。
「私は此度、聖女の自死の謎に触れ、私の中の信仰を今一度、見つめ直してみました」
「ほう」
王子は少々の緊張を見せながらも、それでも優しく、ナビスの言葉を待ってくれる。そしてナビスもまた、王子を信じて喋っている。
「そうして……思ったのです。私が知る世界は最早、ポルタナだけではなく、知ってしまった以上、もう、それらを見て見ぬふりはできない、と」
そこで一度言葉を切って、ナビスは呼吸を整える。澪は隣で、がんばれ、がんばれ、とひっそり応援した。
「私はポルタナだけでなく、この国全体を救いたいと、不遜にもそう思いました。だから……この国全体を救うことを許される立場を、望みます」
王子の表情が、何かに気づいたように驚きと喜びへと変わっていく。
そして。
「お父様、と公にお呼びしても、よろしいでしょうか」
ナビスはそう、言い切ったのであった!




