聖女と勇者と*7
ということで。
「……ええと、ここに呼び掛けてみるかぁ」
「そ、そうですね。ええと……聖女モルテ!どうか、対話を!あなたに教えていただきたいことがあるのです!」
澪とナビスは、レギナ近郊の森の中へ来ていた。そして、聖女モルテの元となった姫君や従者達の墓に向かって呼びかける。
聖女モルテは消えてしまったが、それでも助けを求めれば現れてくれるのではないかと思われた。なんとなく。……『死』は慈悲深いのだ。それを澪は知っている。
そうして澪とナビスが墓の前に居ると。
「まさか、また訪れるとは」
澪達の背後に、ゆらり、と気配が立ち上る。澪もナビスもぱっと表情を明るくして振り返れば、そこにはやはり、聖女モルテが居たのである!
「やっほーモルりん!来たよー!」
「……モルりん……?」
そして、澪は聖女モルテを困惑させた。まあ、平常運転である。
「ってことで、王都でまた聖女さんが自殺しちゃったんだけど、知ってる?」
改めて、聖女モルテに話を聞くことにした澪とナビスは、聖女モルテの力で作られた影色のテーブルを囲んで影色の椅子に座り、そして澪とナビスが用意してきたおやつとお茶を楽しみながら話す。
まずは、王都の現状から。こういう事情があって、こういう風に聖女さんが自殺してしまった、というようなことを説明すれば、聖女モルテは合点がいったような顔で頷くのだ。
「ええ。それなら確かに、ここに」
……そして、聖女モルテの影から、もこ、と湧き上がるようにして出てきたのは、聖女キャニスによく似た姿形の少女である。
「おおー……えーと、これは一体」
「影でしかなく、意思も記憶も持たない、人形のようなもの。……ただ、彼女が私の手の中にやってきたことで、このように姿を借りることはできるようになったというだけのものよ」
聖女モルテの説明の後、聖女キャニスによく似た少女の姿はとろんととろけて、また聖女モルテの影の中に沈んでいった。
「あの、聖女モルテ。今回自死した聖女キャニスやその前の聖女、更にその前の聖女トゥリシアの他、過去に自死した聖女は居ましたか?」
そこでナビスが問えば、聖女モルテは小首を傾げる。
「ええ。幾度となく」
あ、やっぱりそうなんだぁー、と澪は納得しつつ、期待を膨らませて話の続きを聞いていく。
「聖女の自死は、時折見られるもの。私が自ら手を伸ばすことは無く、ただ、聖女達が自ら、私を求めて『こちら』へやってくる」
聖女モルテの言葉は相変わらず宙を揺蕩う歌のようで、仄暗さと妖艶さ、そして清らかな静謐さを纏っていた。澪は『落ち着く声だなあ』と思いながらのんびりお茶を飲んだ。慣れたものである。
「トゥリシアさんの時は、『彼女を死へ導いたのは私ではない』ってモルりん言ってたけど……今回も、そう?」
「ええ。私が導くことなどせずとも、彼女らはこちらへやってきた。そして……」
聖女モルテもすっかり落ち着いた様子でお茶を飲むと、ふう、とため息交じりに呟く。
「……バラバラになって、闇へ溶けていった」
「バラバラに、なって……」
「ええ」
ナビスの声が微かに震えたのに気づいたのか、聖女モルテは、にこ、と微笑む。
「死は全てを受け入れます。だから、一度溶けてしまえば何もかも同じ。彼女達は確かに、私に救われた。だから、何も案ずることはありません」
「そ、そうですか。それならば、よかった、のかもしれない、ですが……」
ナビスは、きゅ、と眉根を寄せて考え込み、それから顔を上げて聖女モルテの顔を真正面から覗き込む。
「あの、聖女モルテ。『バラバラになった』というのは、どういうことでしょうか。聖女トゥリシアも、聖女キャニスも、皆がそうだったのですか?」
「ええ。死によって救われるものは肉体ではなく、魂であり、心です。……でも、彼女達は、それらがバラバラになっていた。まるで、心が彼女達のものではないかのようにね」
心が、バラバラに。自分のものではないかのように。
……澪とナビスは顔を見合わせて、頷き合う。
これはいよいよ、『神』の仕業かもしれない。
それから澪とナビスは聖女モルテ相手に『過去に自死した聖女の記録』を思い出してもらって、それをメモして王城へ帰ることにした。カリニオス王子にはこれを提出することになるだろう。
「……追い詰められて心がバラバラに、っていうわけでもなさそうだね」
「ええ……邪教に堕ちた聖女も同様に、となると、いよいよ……」
自死した過去の聖女達の中には、元々気が狂っていたのではないかと思われる例や、邪教に傾倒してしまった聖女の例もあった。
……そして。
「そもそも、自殺じゃなければ山ほど例があるんだよなあ」
「そう、ですね……言ってしまえば、私のお母様も、死んでおりますから」
『自殺じゃないけれど死んだ聖女』というものは、当然、沢山居る。ナビスの母、聖女アンケリーナもそうだ。
聖女モルテは、『死んだ聖女は数多くいるけれど』とも言っていた。それをよくよく考えてみると、聖女の死というものは、老衰や病死の他、ガチ恋勢に刺されたり魔物と戦って死んでしまったりといった事故死の類もあるわけだ。
……もしかすると、その中には、自らの信仰を捨ててしまったが故に死んだような聖女も居たのかもしれない。
「いや、待てよ。でも、邪教に傾倒しちゃった聖女の代表格であるモルりんはふつーに生きて……いや、モルりんの場合は色々事情が違うか……」
「しかし、彼女も神の力を行使しているように見えます。信仰を集めて、その信仰によって神の力を行使している以上、我々と同じ法則には則っているのではないかと」
聖女モルテはモロに邪教の宣教師だったわけだが、自死に追い込まれているわけでもない。更に言ってしまえば、発狂している訳でもなく、心がバラバラになっているような様子も無い。となると色々と、不思議である。
「うーん……モルりんは本当に最初っからずっと邪教……っていうか、モルテ教だったわけだから、そこの違いかなあ」
「ああ、改宗してはいけない、ということでしょうか?」
「うん。え?聖女の改宗って、例、あるの?」
「ええ、まあ。……レギナのように、聖女間の競争が激しかったり、王都のように聖女と政治が密接にかかわっていたりすると、その、相手方の聖女を屈服させて改宗させる、ということが起こることもあるとか……」
澪は『うわーお』と思いつつ、この世界の宗教戦争およびアイドルの熾烈な戦いを想って遠い目をしてしまう。
「……あら?でも、確かに、改宗した聖女がその後表舞台に出ることは、ありませんよね……?」
が、遠い目をしている場合でも無さそうである。
ナビスは『ちょっと見せてください』と、聖女モルテの自死聖女リストを取り出して、眺め始めた。……そして。
「……ああ、聖女モルテに頂いたリストの中に、覚えのある名前があります。この聖女様は、一族がそのまま他の一族に吸収されたことで改宗を余儀なくされたはずですが……そうですか。彼女も、自死の道を……」
「え、ちょっと待ってちょっと待って。え?改宗も?改宗も駄目なの?」
「ううん……ものによる、のかもしれません。こちらの、自死してしまった聖女様については、確か、2つの村の間の抗争に巻き込まれていたかと。彼女の場合、改宗するとなると、自分の村ではなく相手の村の利益になるような信仰を持たされることになっていたのかもしれませんね」
ナビスの話を聞いて、澪は『はえー』と声を漏らした。
その自死してしまった聖女については、つまり、村を支える役割であったはずの聖女の方針が、村を脅かす別の村を支える方へと方針を変えた、ということになるのだろう。それも、急に。それは聖女もだが、周りの人々も困惑しただろうなあ、と澪は思う。
……そう。周りの人も。
「信仰……信仰……は、別に、聖女だけの、ものじゃ、ない……?」
ふと、気づいてしまった。
澪はそう呟いて、御者台から空を見上げる。
「そりゃ、アイドルの急な路線変更って、上手くいくこと少ないし、下手したら大炎上待ったなしだし……そういうことだったりするのかな」
例えば。もし、ナビスが急にお色気方面に特化し始めたら、ファンが付いてこられない。多くのファンが泣くだろう。あと多分、シベちんが死ぬ。
そうなると、新たな信仰を集められなくなりそうであるが……同時に、澪は思うのだ。
今までに集めちゃった信仰は、どうなるんだろ、と。
「聖女ってさ」
澪は、馬車の荷台のナビスを振り返りつつ、聞いてみた。
「自分自身の信仰もそうだけど、今までに貰ってきた信仰も、捨てられなかったり、する……?」
すると、ナビスは真剣な顔で頷いた。
「……ええ。それは、勿論。自分を信じて祈りを預けてくださった人々を裏切るなんてこと、できません。人々に平和を祈らせておきながら、その信仰を用いて魔物の襲撃を引き起こすような……そうしたことは、許されてはならないのです」
だよねえ、と澪は思う。
聖女は、因果な商売だ。信者達に、永遠の夢を見せ続けなければならない。夢が終わる時が来ても、あくまでも、綺麗に終わらせなければならない。
自分自身の信仰も、そして、周りから集めた信仰も、全て、裏切れない。雁字搦めだ。
だから……澪は、ちょっぴり心配になる。
「……パディ、大丈夫かな」
パディエーラは結婚のために聖女を引退しようとしているが。うっかりやり方を間違えると、パディエーラも『信仰を裏切る』ことになりかねないのではないか。
或いは、パディエーラは、ジャルディンのためにレギナの聖女をやっていた。それは、レギナの人々、あるいはジャルディンの人々の信仰を裏切ることに、なるのでは。
「……いや、流石に大丈夫かあ」
だが、パディエーラのことだ。上手くやるに決まっている。そして、結婚を機に引退した聖女の例は多くあるようだし、きっと大丈夫だ。
大丈夫だ、と、思うのだが……。
……どうにも、澪は気が急いて仕方がなかった。
聖女モルテの森から王都へ戻るまでの間には、レギナを通る。今日は遅くなってしまったので、レギナで一泊していくことにした。
澪とナビスは、夕飯は何を食べようか、などと楽しく話しながら、のんびりレギナの門を抜け……。
「あれ」
そこで、澪のポケットが光った。
規則的に点滅する光は、伝心石通信によるものだ。澪は慌てて伝心石を取り出すと、通信内容を読み取ろうとする。
……だが、ふと、点滅が途切れた。おや、と思っていると……。
「ああ、聖女ナビス!勇者ミオ!」
レギナの門の近くの塔……レギナの伝心石通信の管制塔であるそこから走ってくる金髪の美男子……勇者エブルの姿を発見する。どうやらエブルは伝心石通信を打とうとして、そこで丁度、塔の下を通る澪とナビスを見つけ、伝心石を放りだして走ってきたらしい。
きょとん、としながら2人が立ち止まると、エブルは息を切らしながらも2人に告げるのだ。
「こちらへ!姉上が、お2人をお呼びです!」
ただならぬ気配を感じて、澪とナビスは走る。勇者エブルも、往復になって辛いだろうに、必死に走っていた。
そうして大聖堂へ到着した澪とナビスは、エブルに案内されるままに進んでいき、そして……。
「ナビス!ああ、こちらへ!力を貸して頂戴な!」
そこで、青ざめたマルガリートと……パディエーラの姿を、見ることになった。
「パディが、パディが……」
そこに倒れていたのは、聖女パディエーラだ。
ただし、胸にナイフが刺さっている。




