聖女と勇者と*3
さて。
ドラゴンの本格的な解体は明日になるだろう。オリハルコンの短剣を使えば幾らでも切れるのだが、如何せん、暗くなってしまうとどうしようもない。
ひとまず血抜きの為、大雑把にドラゴンを切り分けたら、今日食べてもおいしい部分……ドラゴンのレバーだけ、皮袋に入れて持って帰ることにする。
ドラゴンには、ナビスが『聖女ナビスの勇者ミオがやっつけました。』の印となる紋章を刻んで、後はそのままに、皆で帰路に就くことにする。
御者に『いやあ、素晴らしい戦いでした!本当に、物語の中の勇者様と聖女様もかくやといった光景でしたよ!』と興奮気味に賞賛されつつ、馬車に乗り込み、ついでに聖女キャニスを馬車に乗せる。半ば積み込んだような形で聖女キャニスを馬車に収めると、馬車はごとごと進み始めた。
「……じゃ、聞かせてもらおっかな。聖女シミアに騙された、っていうのは?」
馬車が進む傍ら、澪とナビスは聖女キャニスをじっと見つめて問い質す。勝手なことをして勝手に窮地に陥った彼女に同情心は然程湧かないが、聞ける話は聞いておきたい。
「……シミアの部下が話しているのを、勇者が聞いて帰ってきたの」
聖女キャニスは聞かれるがまま、話し始める。死にかけた彼女は気持ちを落ち着かせるためか、とにかく喋りたい気分らしい。
「あのドラゴンは火が弱点だから、聖女キャニスをドラゴンと戦わせるな、って……手柄を1人で持っていかれてしまうから、って……そう話してるのを、勇者が聞いてきたから……」
「……それを信じて、1人でドラゴンを倒そうと?」
「だ、だってシミアの情報があったから……私は騙されたのよ!」
だから自分は被害者である、と。聖女キャニスの主張を聞いて、澪とナビスは小さくため息を吐いた。『いや、それ騙す側はまあ悪いけど、騙される側も相当悪いと思うよ……』と澪は思う。悪意が云々以前に、頭が悪い。澪は、そう思う。ちょっと辛辣な気分なので、余計にそう思う。
「まあ……そういうことでしたら、あなたが新しく雇った勇者は聖女シミア側の人間だったと考えられますね。そしてあなたを殺そうとした」
だが、ひとまず、聖女シミア側には明確な殺意があったと思われる。勿論、聖女シミアの部下は『ドラゴンの能力について憶測で噂を話していただけ』だし、『ちょっと過剰に聖女キャニスを警戒しただけ』だ。そして聖女キャニスの新しい勇者も、『自分の聖女に関わる噂話を聞いて伝えただけ』。故意を問うことは難しい。
だが、これを『殺意は無かった』と言うのは短慮だろう。
……殺意は、あったのだ。どんな意図かははっきりしないにせよ、殺意は、あった。そう考えた方が良さそうである。
港町リーヴァに戻った澪達は、ひとまず聖女キャニスが無事に戻ったことを伝え、聖女キャニスを取り巻きの聖女達に預けた。取り巻きの聖女達からは口々に礼を言われたが、聖女キャニス本人は半ば茫然自失状態で、さっさと休みに行ってしまったので、聖女シミアとのあれこれを勝手に進めるわけにもいかない。
……下手に口に出すと、何かと面倒そうな話ではある。キャニスを生きた状態で連れて帰ってしまった時点で聖女シミア側からは目をつけられているのだろうが、それを激化させるのも望ましくない。
ひとまず、澪とナビスは『これドラゴンの肝。焼いて食べよ』と巨大なレバーを取り出して皆を湧かせるに留めた。面倒なことはひとまず後回しでもいいだろう。流石に、ドラゴン討伐はちょっと疲れるのだ。
ドラゴンのレバーはとろりと蕩けるような濃厚さで、かつ旨味が強い。そして新鮮であったからか、臭みは無い。非常においしい食べ物であった。
澪もナビスも、周りの人々も美味しさに幸せな気持ちになって眠り……そして翌朝には、澪達がドラゴンを討伐した地点まで皆で赴いて、ドラゴンの解体作業が始まった。
昨夜はドラゴン討伐でやんやの喝采を浴びた澪とナビスであったが、今日は解体作業でやんやの喝采を浴びることになった。
何せ、早いのだ。……オリハルコンの短剣に神の力を纏わせれば、それだけでドラゴンの皮や骨を容易く切断することができる。そうしてある程度の大きさごとに分けたドラゴン肉は、ナビスの巧みな技術によってどんどん皮を剥がれ骨を取られて、単なるお肉の塊になった。
大雑把な解体が終わった澪は、ナビスの手伝いに回って皮を剥ぐ作業を進めていき……そうして、ドラゴンの解体は案外早く終わってしまった。
「ナビス様もミオ様も、素晴らしい手際ですね……!」
「いやー、まあ、慣れてるし」
「こんなに大きなドラゴンは初めてですが、もっと小さなドラゴンでしたら、よくポルタナで解体しておりましたので」
澪とナビスが、ねー、と顔を見合わせれば、周囲の聖女達や兵士達は、ぽかんとするばかりだ。……まあ、確かに、ドラゴンをよく解体することになる小さな漁村、というのは物珍しいかもしれない。
ドラゴン肉やドラゴン皮は王城に献上することになった。だが、澪が『焼き肉……』としょんぼりしたところ、一部の肉は『切り分けた形が不揃いで献上には適さない!』と判断されることになったので、澪達は無事、ドラゴン焼き肉パーティーを開催することができた。
リーヴァの人々の慰問も兼ねての焼き肉パーティーとしたので、リーヴァの人々もお腹いっぱい美味しいお肉を食べることができた。大変な時にこそ美味しいものがあるといい。それで頑張れるものもあるのだということを、澪は知っている。
……そうして、概ね和やかに焼き肉パーティーは進んでいったのだが。
「あーあ。本当に、聖女キャニスって何の役にも立ちませんでしたよねぇ。何のためにここへ来たのだか。同じ聖女として恥ずかしいですぅ」
そんな声が聞こえてきたものだから、おや、と思う。
「救護は一切やらなかった上に、勝手にドラゴンに向かっていって、勇者には逃げられて、自分も死にかけて帰ってきたなんて!聖女ナビスが居なかったらどうするつもりだったんでしょうねぇ?」
そう話すのは、聖女だった。その聖女を囲む聖女が居る所ところを見ると……あれが聖女シミアなのだろう。
「私だったら恥ずかしくって生きていけなぁい!……ねえ、あなた確か、聖女キャニスと仲良くしてましたよねぇ?これからも聖女キャニスと一緒に居るつもりですかぁ?」
「それは……」
「止めておいた方がいいと思いますよぉ。聖女キャニス側を表明するのなんて、絶対によくないですよぉ!」
聖女シミアは、どうやら聖女キャニス側の聖女に話しているらしい。聖女キャニス側の聖女は聖女シミアと聖女シミア派閥の聖女達に取り囲まれて、非常に居心地悪そうにしている。
「あんな人、聖女だなんて言えませんよぉ!聖女ナビスにも言われてましたしぃ。これで死んじゃったならまだしも、生きてるんだしぃ?今後のことはちゃんと考えないとぉ。ね?」
聖女キャニス側の聖女が、おろおろしている。今までのことがあるから『はい、聖女キャニスの側に付くのを止めます』とは言いにくいのだろうし、かといって『聖女キャニスの派閥で居続けます』とはもっと言いにくいのだろう。
「流石にそこら辺にしときなよ」
なので、澪が助け舟に入ることにした。
澪は、『ほら、もう行っていいよ』と、聖女キャニス側の聖女を逃がしてやる。その聖女は、ぺこん、と頭を下げると、澪が作ってやった道を通って聖女達の輪の外へと出ていった。これでよし。
「……えーと?勇者ミオ?あなた、どうしたんですかぁ?」
となると、ミオだけが輪の中に取り残されてしまうことになるのだが……まあ、澪はこういうのに比較的慣れているので、動じない。
「まさか、聖女キャニスを庇うんですかぁ?」
「まあ、この状況だと、そういうことになるかな。流石にあなた達のやり方は目に余るから」
動じない澪は、ズバリとこういうことも言ってしまえるのだ。
恐らく『庇うわけじゃないけど』というような澪の反応を期待していたのであろう聖女シミアは、ひく、と表情を引き攣らせた。
「聖女キャニス側の勢力を削りたいんだとしても、もうちょっとやり方考えなよ。あなたの印象がめっちゃ悪くなるだけじゃん、今の」
「え、えぇー?でもぉ、私、別に間違ったことなんて言ってないと思うんですけどぉー……」
「そう思うんなら余計にもうちょっとやり方考えなよ。こんな、取り囲んで袋叩きにするようなやり方じゃなくて、1対1で話した方がいいよ」
澪は聖女シミアににっこり(或いは見方によっては恐らく、にやりと)笑いかけた。
「……ってことで、2人で話さない?周りの人、関係無いし」
そうして聖女シミアは去っていった。澪と1対1で話すのは嫌だったらしい。何やらごにょごにょと尤もらしく理由をつけて逃げていってしまったので、澪としても追いかけるようなことはしなかった。澪としては不安が残るが、まあ、ひとまず今この段階では、特段何かがあるわけではない。
問題が起きてからでは遅いのだが、問題が起きてからでなければ効果的な対処ができない。そんなかんじだ。
……澪は、『聖女キャニス、大丈夫かなあ』と思いつつ、ナビスの元へ戻ることにした。
港町リーヴァのドラゴン退治は無事に終了し、ある程度、復興の手伝いもしたところで、澪達、王城から派遣された人々は王城に戻ることになった。
ドラゴン肉やドラゴンの皮、牙やそのほか諸々……沢山のお土産を積んだ馬車が戻るので、なんとなく皆、浮かれた様子である。かくいう澪とナビスも、『王子様喜ぶかなあ』『是非、いっとう美味しいところをお召し上がりいただきたいですね』とにこにこ笑顔である。
……だが、そんな中でも沈んだ様子の馬車がある。
「聖女キャニスの件、心配ですね」
「ね。まあ、処罰はあるものとして、それはしょうがないんだけど……」
聖女キャニスは、今回身勝手な行動を取ったことや人命救助に尽力しなかったことなどから処分の対象になる予定だ。人命救助に参加しなかった点だけなら揉み消せたのだろうが、ドラゴンに1人で挑んでしまったことは揉み消せない。結局、『流石に目に余る』ということで、厳重注意くらいの処分になりそうだとのことである。
……だが、それ以上の厳罰を、と聖女シミア側が望んでいるらしい。聖女シミアは今回の件やその前の、澪と勇者フェーレスとの決闘の云々を持ち出して、聖女キャニスを王城から追放しようとしているようなのだ。
そのやり口が、先日澪が見たものなのである。『聖女キャニス側の人間を1人ずつ、多人数で囲んでは詰問する』。そうやって聖女キャニス側に付いている人達が居心地悪くなるように仕向け、聖女キャニスの周りの人達が王城を自ら出ていってしまうように仕向けているという。
澪としては、ただ『目に余る』というその一点に尽きる。あのやり方では、聖女キャニスが必要以上に気に病むだろう。勿論、聖女シミアは『聖女キャニスに必要以上に気に病んでほしい』のだろうが。
「トゥリシア派閥もロウター派閥も、どうせどっちもカリニオス王子に負けるんだろうになあー。何をそんなに争う必要があるんだか」
「王子様が次の王になられるにせよ、その一番近い側近の座に誰が付くかはまだ決まっていませんし……片方の派閥が倒れれば、もう片方の派閥の影響は益々大きくなりますから」
「そういうことかー……やだねえ」
そうだとしてもやり方というものがありそうなのだが。聖女シミアにはそういう美学が無いのだろうか。まあ、無いのだろうが……。
「……聖女キャニス側にお見舞いとか、行っといた方がいいかな」
「うーん……火に油を注ぐことになりそうでもありますが……」
提案しておいてなんだが、澪もそう思う。澪とナビスが聖女キャニスを訪ねたら聖女シミアが警戒するだろうし、キャニス本人も嫌がるだろうなあ、と。つまり、あまり良い結果は生まれなさそうである、とも。
「私達は聖女キャニスに舐めた態度取られた以上、王城で上手くやっていくためにもガツンとやるべきだった。それは間違いないと思うんだけど……」
「聖女シミアが便乗して聖女キャニスを追い詰めている現状を見ると、あそこであのように戦うべきではなかったようにも、思ってしまいますね……」
澪とナビスは揃ってため息を吐く。何とも上手くいかないものであるなあ、と。
「働きかける余地があるとすると、むしろ聖女シミアの方かなあ。あの人が変に聖女キャニスを追い詰めるようなことが無ければいいんだし」
「そうですね。彼女のやり方は目に余ります」
ドラゴン焼き肉パーティーの後も、聖女シミアが懲りずに『袋叩き』の方針を貫いていることは王城の噂で聞いている。何せ澪とナビスが居る場所は、王城の噂が集まる場所、診療室なのだから。澪とナビスに好意的な兵士達や、薬草をお裾分けに来てくれた庭師やメイドさん達が話を聞かせてくれるのである。
「じゃ、聖女シミアのところ、明日にでも行ってみるかあ……」
「はい!お供させてください!」
そうと決まれば、澪もナビスも今日の分の仕事をてきぱきと片付けていくのみだ。洗って干しておいた包帯を巻きなおしたり、薬草を挽いて粉にしておいたり、はたまた、『急患です!』と飛び込んできた兵士達を治したり。
明日のお昼休みにでもすぐ動くべく、澪とナビスはそれはそれはよく働くのだった。
……だが。
聖女キャニスが自死した、という報せが王城を駆け巡ったのは、その翌朝のことだった。




