神のみぞ知る*2
ぽたり、ぽたり、と雪解けの水が枯れ木の枝から滴り落ち、雪の下からは新芽を覗かせる。
そんな春の始まりに、澪とナビスはポルタナを出発することになった。
「それじゃ、皆。しばらくの間、留守にするけどよろしくね」
「おう!任せとけ!ミオちゃんが居なくても鉱山の仕事はサボらねえよ!」
出発直前には、ポルタナ中の人々が集まってくれた。一昨日の『しばらく留守にするけどよろしくね礼拝式』が大いに盛り上がったことからも分かる通り、ポルタナの皆、そしてメルカッタやコニナ村の人々まで、澪とナビスの王城行きを寂しがってくれている。
「何かあったら、すぐに伝心石で連絡を。遠慮などせずに呼び出してくださいね」
「ええ、分かってますよナビス様」
澪とナビスも、ポルタナを留守にするのは心配であった。勿論、月に1度は帰ってこようと思っているが、それにしても心配であったので、もうこれはやるしかないね、ということになり……伝心石通信を、王都まで繋いでしまった。
とはいえ、王都近隣で電柱を立てるような真似はできないので、とりあえずまずは、メルカッタ・レギナ間にポルタナ・メルカッタ間で使っている伝心石と同じものを引くことになった。そして、レギナ・王都カステルミア間には、また別の規格の伝心石を配置する……ように、カリニオス王子にお願いしてしまった。
するとカリニオス王子は『ならばレギナ・メルカッタ間もこちらでやっておこう』と、レギナ・王都カステルミア間と同じ規格の伝心石を設置してくれた。
……つまり、メルカッタとレギナの間には、王都カステルミアへ繋がる線と、ポルタナへ繋がる線、2本の通信ラインがあることになる。まあ、これはこれでありがたい。そういうわけで、レギナと王都カステルミアにはそれぞれ伝心石通信室が設置されることになった。
澪とナビスは、ついでにマルガリートとパディエーラにも伝心石を渡しておいたので、これで連絡が取りやすくなった。何かあってもすぐ、対応できるだろう。
他にも、ポルタナ製塩所にはナビスの祈りを込めた聖銀の杖を1本置いてあるので、聖水塩づくりはしばらく大丈夫だ。同じように、ポルタナ街道の街灯にも同様の杖を設置してあるので、こちらも多少は持つはずである。何より、一応、ポルタナには神霊樹がある。半ば、スケルトン達のガーデニング趣味を発揮する対象となっているが……。
ということで、安全面はぼちぼち担保されている、のだが。
「あーあー……礼拝式も少なくなるってえと、やる気が出ねえなあー」
やっぱり皆、寂しいものは寂しいのである!
「そういうこと言わずに働いてよー」
「んなこと言われてもよお、やる気ってのは自分で出せるもんばっかりじゃねえんだぜ?あーあ、俺達、定期的にミオちゃんとナビス様の顔を見ないとやる気出ねえなー、もしかしたらサボっちまうかもなー」
終いにはこんなことを言い出すものだから、澪もナビスも、思わず笑ってしまった。
これだけ寂しがってもらえるというのは、嬉しいことだ。澪はポルタナに来てまだ1年経っていない。だというのに、皆、澪がポルタナを去ることを寂しがってくれるのだ。
「あんまりそういうこと言わないでよ。こっちも寂しくなってきちゃうじゃん」
「おっ!?寂しくなるのか!ならもっと言おうぜ皆!」
「よし!ミオちゃんを寂しがらせて王都に行かないようにしよう!寂しい!」
「寂しい!寂しい!」
「いや、そこまで言われると、一周回って寂しくなくなってきちゃったな……?」
「あんまりだぜミオちゃん!」
「寂しい!寂しい!」
……まあ、寂しがってもらえるのも、澪が寂しくなるのも、幸せなことだ。それだけポルタナの人々に大切に思って貰えていて、そして澪も、ポルタナを大好きになれたのだから。
「ではシベッド。村の守りは頼みましたよ」
「……おう」
そして、ナビスはシベッドと話していた。澪はそれを見ていたので、なんとなく遠慮して鉱夫達の方に行っていたのだが。
幼馴染同士、話したいこともあるだろうと思ったのだが……だが、どうも、そわ、そわ、としているシベッドの顔を見ている限り、シベッドは言いたいことは特に言えていない様子である。『まあシベちんだもんなあ!』と澪は内心で大いに嘆いた。
「やっほー。そっちは何の話?」
なんとなく、このまま行くとシベちんがずっとそわそわしていそうな気がする澪は、ナビスの横へとたとた走っていく。するとシベッドが微かにほっとした様子を見せたので、澪は『情けないぞシベちん!』と内心で嘆いた。澪を見てほっとしないで欲しいのである!
「ええ。ポルタナの守りについて、確認を。一応、魔除けの紐も聖銀の杖もありますし、神霊樹も鉱山にありますが……その分、海の守りは手薄になってしまいますから」
ナビスはナビスで、本当に業務連絡ばかりになっていたようである。『これで大丈夫!』とばかりに意気込むナビスを見ていると、シベッドが余計にかわいそうに思えてくる。
これはいよいよ、澪が発破をかけてやらねばダメか、と思った時だった。
「……これ、持ってけ」
シベッドはようやく意を決したのか、懐から小さな包みを2つ取り出して、澪とナビスにそれぞれ、渡してきた。簡素に、ただ紙で包んだというか巻いただけ、というようなそれは、中身を見るのも容易であったので、澪はその中を見て……。
「おおー!櫛だ!」
「月鯨の歯で作ったものですね?わあ、綺麗……」
そこには、柔らかな白色をした櫛があった。ナビスの方には、魚の模様が繊細に彫刻されている。一方、澪の方の細工は非常にシンプルで、波模様がライン状に刻んであるものだ。
「邪魔になるようなら売ってもいい」
「いや売らないよ!売らないから!絶対売らないって!」
シベッドがなんとも自信無さげにしているので、澪はなんとなく、ピンとくる。
「……もしやこれ、シベちんが作った?」
そして言ってみれば、シベッドは何とも気まずげにぼそぼそと喋る。
「ほとんどテスタの爺さんだ」
ほとんどテスタの作、ということは、つまり……若干シベちんの作、ということなのだろう。
どうやらシベッドは、澪とナビスの出立に向けて、頑張ってちまちまと鯨の歯を削ってくれていたらしい。なんともいじらしいことである。
「ありがとねシベちん!大事にする!」
「ありがとう、シベッド!毎朝使います!ね、ミオ様!」
「そうだね!髪の毛、梳かしあいっこしよ!」
シベッドの健気な様子に胸を打たれつつ、澪とナビスはきゃいきゃいと喜ぶ。艶やかで滑らかな象牙色の櫛は、間違いなくこれからの2人のお気に入りになるだろう。
「……ん」
澪とナビスが喜んでいる様子を見て、シベッドはなんとも気恥ずかし気にそっぽを向いていた。そんなシベッドを見て、澪とナビスはまた一層、笑みを深めることになる。
「……気をつけてな」
「ええ。あなたもどうか、気を付けて」
「ちょいちょい帰ってくるからね、シベちん!」
結局、言葉は少なかったものの、シベちんにしては頑張った方だろう。澪がシベッドに満面の笑みを向けると、シベッドは余計にそっぽを向いてしまったが。……だが、とりあえず、これで澪もナビスも心残りを減らして出発することができそうである。
そうして皆に見送られつつ、馬車が出発した。澪とナビスは揃って御者台に並んで、春の気配のする道を楽しみながら進んでいく。
「カリニオス王子、大丈夫かなー」
「きっと大丈夫ですよ、ミオ様」
「まあ、クライフ所長も居るし、他にも色々、助けてくれる人が居るんだろうし……心配するまでも無いかあ」
カリニオス王子は、一足先に王城へ戻った。それがまた、世間を揺るがす大ニュースになったのだが、まあ、それはさておき……。
「多分、王子様はナビスに会えるの、滅茶苦茶楽しみにしてるだろうなー」
「そ、そうでしょうか。……まあ、そう、でしょうねえ……」
ナビスは少々もじもじと言って、ほふ、と息を吐く。王子がポルタナに居る間に、澪もナビスも王子に随分と、慣れた。王子は王子で、この国で2番目くらいに偉い人なのだろうが、まあ、ナビスにとっては父であるし、澪にとっては友達のお父さん……つまり、身近なおっちゃん、という立場だ。慣れもする。
「お城の中では、ちゃんと王子様のこと敬わないとねえ。……できっかな」
「わ、私もうっかり気安く話しかけてしまいそうです……」
まあ、これから先は王子はあくまでも『王子』であり、澪とナビスは王城の従業員になるので……立場は弁えた振る舞いをする必要があるわけだが。あの王子はきっとそれを寂しがるだろうなあ、とも、思う。
王城は王子の帰還によって大きく揺れ動いていることだろう。きっと、多くの人が不慣れな状況になっておろおろしながら生活している。だが、不安と共に、野心や好奇、そして希望も感じているのではないだろうか。きっと、さながら入学したての高校1年生のように。
「……ま、楽しみだねえ、ナビス」
「ええ。とても」
まあ、統括すると、楽しみなのだ。
澪もナビスも笑い合って、春風に髪を揺らし、麗らかな日差しに照らされながら街道をゆく。
そわそわと、うきうきと……芽吹きの季節、新学期の季節でもある、春先の気分で。
さて。
そうして澪とナビスはレギナに到着した。ここで一泊してから、王都カステルミアを目指すことになる。
そしてレギナに来たのだから当然、マルガリートとパディエーラにも会って行くことになるわけである。2人は早速、集合場所に指定してあった食堂に入って、そこに既に居たマルガリート達と合流した。
「久しぶりねえ、ナビス、ミオ」
「元気にしていらした?……していらしたようね」
「うん。めっちゃ元気!」
聖女2人は相変わらずだ。澪もナビスも笑顔で2人に挨拶し、ついでに、2人の勇者君達にも挨拶しておいた。
「王都行き、なのですものね。はあ……なんだか私、未だにナビスのこと、夢か何かだと思ってしまいますのよ?」
「私もですよ、マルちゃん様。まだ現実味はありません」
ため息を吐くマルガリートの隣に座ったナビスは、苦笑しつつそう言って、パディエーラが注いでくれたお茶のカップを礼を言って受け取る。
「ま、現実味は王城暮らしする間に出てくるかもよ?」
「ミオは楽天家ねえ。良いと思うわあ」
「へへへ。ありがと」
澪もパディエーラからお茶のカップを受け取って、中身を飲んで……さて、では夕食を注文しようかな、と壁に貼り出されているメニューを眺め始めたところ。
「でも、気を付けてね?今の王城は王子の帰還で大いに揺れているようだから。それに……なんだか怪しい事件も起こっているし」
パディエーラからそんな忠告を受けてしまって、澪もナビスも、思わず動きを止める。
……そして。
「王都の聖女が1人、急死したらしいんですのよ。……自ら、胸にナイフを突き刺す形で」
マルガリートから聞いた続きによって、2人はいよいよ、表情を引き攣らせることになる。
「王都、楽しみだけど……いや、楽しみだねえ、ナビス!」
「え、ええ……楽しみ、と、思うことにしましょう、ミオ様!」
不安だ。不安である。だが、澪とナビスは、開き直るしかないのである!
……聖女の急死も、王都の様子も、2人の未来も、神のみぞ知る、というところなのだから。
ひとまず2章終了です。3章開始は12月13日(水)あたりを予定しております。




