手段と目的*3
その日はレギナで一泊する。流石に、ポルタナとレギナを日帰りするのは相当に厳しい。
宿の部屋の中で、ナビスは少々ぼんやりと、何かを考えている様子であった。しかし、考えながらもその表情は決して暗くはない。……つまり、前向きに、明るいことを考えているのだろう。
ならだいじょぶそう、と判断した澪は、特にナビスに話しかけず、ただ、少々楽しそうなナビスを見守ることにした。
そうして、翌朝。
「おはようございます、ミオ様」
「んー……おはよ、ナビス。ふわ、ねむねむ……」
1つのベッドの中で目を覚ました澪とナビスは、どちらから言うでもなく、そのままもう少しばかり、ベッドの中に居ることにする。……冬は、ベッドから出難いのである。寒いのである。眠いのである。ところで澪は常々、『さむい+ねむい』は因数分解して『むい(さ+ね)』にできるのではないかと考えている。
「あの、ミオ様……」
そんなミオに、ナビスがそっと、話しかけてくる。同じベッドの中、すぐ隣り同士ということもあり、囁くような声量で。
「私、昨日、考えてみたのですが……」
「うん」
「……その、私、やっぱりポルタナに居たいみたいです」
ナビスはそう言って、だが、不安そうなところはまるで無く、澪を見つめる。それは、澪なら否定しないだろうと信じてくれているから、なのだと思う。澪はそれが嬉しい。
「そっか。うん。そんな気がしてた。ナビス、ポルタナ大好きだもんね」
「はい!」
ナビスはやっぱり、ポルタナの聖女なのだ。ポルタナを愛し、ポルタナに愛されて、海辺で波音を聞きながら過ごすのが似合っている。
「ただ……その」
だが、ナビスはまだ少々、迷いがあるようだった。
「以前、パディ様が仰っていたこと、思い出してしまって」
「へ?パディ?」
「はい。その、ジャルディンからレギナへ、出稼ぎのようなことをしていた、というお話です」
パディエーラの話が急に出て、澪は一瞬頭が追い付かなかったが、『あー、あの時の話か』と思い出す。
パディエーラは、ジャルディンの聖女でありながらレギナでナンバーワン聖女の座を獲得していた聖女だ。確かに、彼女の実力があるなら人口の多いレギナに出向いて信仰心を獲得した方が、効率よくジャルディンを守れただろう。
……そのパディエーラの話を思い出した、ということは、ナビスもまた、同じことを考えているということだ。
「マルちゃん様も、仰っていましたよね。目的があって、そこに至る手段はいくつでもある、と」
「うん」
カーテン越しの朝日に照らされたナビスの銀髪が、きらきらと新雪のように煌めく。眩しい光景を見つめながら、澪はただ、ナビスの決意を見守った。
「ならば……私は、王城に行くのも、1つの手段なのではないかと、そう、思いました」
ナビスが考えて、考えて出した結論を、澪は少し寂しく、そして大分嬉しく思う。
「……うん。そっか」
「はい。そうなのです」
にこ、と笑うナビスを見つめて、澪も笑う。
変化していくのは、やはり少し寂しいことだ。だが、変化の先に、きっと、もっとずっと楽しいことが、待っているから。
「まあ、ひとまずは王子様に事情をお伺いするのが先ですね……」
「ま、そだね……やっぱまだ気まずい?」
「そ、それは当然気まずいです!あああ、私、一体どんな顔をすれば……」
「あー、そこは決意の範囲外だったのかー、そっかー」
……まあ、一歩前に進んだらしいナビスでも、やはり気まずいものは気まずいらしい。澪はそんなナビスを『かわいいなあー!』と抱きしめてゴロゴロした後、ナビスに『揶揄わないでくださいよう』と少々拗ねた顔を見せられて、益々『かわいいなああー!』となった。
それから少し怒って見せてくるナビスに促されてベッドを出て、『うう、寒いですね!』『早速お布団が恋しい!』と言い合って、2人くすくす笑いながら身支度を始める。
さあ、新しい一日の始まりである。
その日の夕方近くになって、澪とナビスは無事、ポルタナへ到着した。
なんだかんだ、澪もこの半年程度ですっかりポルタナに馴染んだ。『あー、帰ってきたなあ』という感覚になる程度には。
ポルタナの交易所でメルカッタからの連絡のやり取りが『異常なし。本日のギルド食堂のメニューはシチュー定食です。美味しいです。』『こちらも異常なし。ポルタナでは白雪鯛がよく獲れています。美味しいです。』という平和なものだったことを確認して、コニナ村との物資のやり取りを確認して……。
「戻ってきてたのか」
「あっシベちん!やっほー」
そこで、シベッドに行き会うことになった。シベッドは漁師であるが、村の戦士でもある。海には大分減ったとはいえ、まだ魔物が多少は出る。それを狩ったら、その素材をこうして交易所に持ち込んで、メルカッタで売ってもらえるように手続きをするのだ。
「そういや、またあの不審な男がうろついてるんだけどよ、何なんだあいつは」
「いや、あれは不審者じゃないんだってば」
「んだよ。どう見ても怪しいだろうが」
手続きを交易所の職員に任せている間、シベッドは眉間に皺を寄せてそんなことを言いだす。……彼の言う『不審者』は、まあ、当然、カリニオス王子のことなのだろう。
シベッドからしてみれば、『観光客のようだが少し様子がおかしい。ついでに従者らしい者を連れて歩いているところを見ると、お高い身分の野郎らしい』ということで、非常に不審なのだろうが……その実、愛する女性が守っていた村を感慨深く見て回る王子様なのだから、なんとも悲しいすれ違いである。
「えっ、もしかしてカリニオス様のことですか!?だ、駄目ですよシベッド!彼を不審者扱いなどしては!」
ナビスが慌ててそう言えば、シベッドは『ナビス様がそう言うなら』と渋々頷いた。澪が言っても『んだよ』であった割にこれなのだから、やはりナビスの言うことは聞くシベちんなのである。
「で、シベちん。そのシベちん曰くの『不審者』、今、どこに居るかな」
澪は、そんなシベッドに聞いてみる。ひとまず今は、ナビスが王子と話すのが先決なのだ。さっさと王子を見つけてアポを取りたい。
「知らねえよ。知るわけねえだろうが」
「まあそりゃそうだ」
「……だが、ここに来る前に、鉱山の方から港の方に戻っていくのを見た」
「えーなんだよシベちん、知ってんじゃーん……」
なんだかんだ、よく気が付くというか面倒見がいいというか、そういうシベちんの脇腹のあたりを『こいつこいつー』と小突いてなんとも言えない顔をされた後、澪は早速、ナビスを連れて王子目撃情報があった方へと行ってみることにしたのだった。
王子は、シベッドの目撃情報通り、港近くに居た。そこから、水平線に沈みゆく夕日をじっと見つめていたのだ。
「あ、王子様ー」
そこへ澪がてくてく寄っていくと、カリニオス王子はすぐに振り返り、そして、澪と一緒にナビスの姿も見つける。すると途端に固まってしまうのだから、王子もやはり、ナビス相手は気まずいのだろう。……澪は、『やっぱりこれ親子じゃん!』と深く深く思った。気まずくなって固まっちゃうあたり、本当に、親子!
「あ、ああ……ええと、どうしたのかな」
そうしてようやく、カリニオス王子がそう口を開く。ほとんど意味のない言葉だったが、ひとまず、場を繋ぐのには役立った。
「あ、あの、ええと、その、お伺いしたい、ことが、ございまして……」
ナビスもそう言って、しかし、その先の言葉が出てこない。……そうして、また2人は固まる。
……これは、進まない気配がする。このまま放っておいたら、両者共に黙ったまま月が出て星が出て、ついでにその内夜が明けそうだ。
つまり、つまり……澪は『勇者』であるからして、ここで一つ、『勇気』の出しどころ、ということなのだろう。
「あーもー話進まないから言っちゃうね?ごめん王子様。ナビス、起きてたみたい。ほとんど全部聞いてたわ」
「なっ……えっ!?」
「つまり!ナビスはもう、大方色々知ってるってこと!どうも王子様と血のつながりがありそう、ってところまではもう知ってるから、そこんとこもうちょっと詳しく話し合って!よーい、はじめ!」
「えっ、あっ、あのっ、ミオ様!?」
全部、ぼぼーん、とぶちまけてみた。両者共に混乱状態にはなったが、互いに硬直は解けたようなので、これで良しとする。澪は『よし』と深く頷いて、わたわたと見つめ合う2人をのんびり眺めることにしたのであった。
「……まあ、そういうわけで、どうも、私は君の父親、かもしれない、ということなのだが……」
最初に話し始めたのは、カリニオス王子の方だった。王子は非常に気まずそうではあったものの、一応、大人として頑張るつもりでいるらしい。
「まあ、君からしてみると、唐突に見知らぬ男が父親だなどと言われても気味が悪いだろうな。困惑も無理はない」
「い、いえ、気味が悪いなどとは……」
ナビスを気遣うようなカリニオス王子の言葉に、ナビスはわたわたと首を横に振って、それから、もじもじ、と続ける。
「……けれど、困惑はしています。その、あまりにも実感が無くて……」
「ああ……だろうなあ。私もあまり、実感が無い」
カリニオス王子はほっとしたように笑う。それを見て、ナビスもおずおずと笑う。なんとも似た者親子である。
「……とはいえ、君よりは実感があるのかもしれないな。いや、私の娘だと思うにはまだ、その、意識の隔たりがあるのだが……『彼女の娘だ』とは、思う。君は彼女によく似ているから」
「お母様のこと、ですね?」
「ああ」
続いて、話は聖女アンケリーナのことへと移っていく。……故人の話であったが、2人の表情は穏やかであった。それは、2人が既に聖女アンケリーナの死を受け止めているから、なのだろう。
「彼女が死んだ、と聞いて以来、随分と塞ぎ込んだ。だが……君を一目見て、まだこの世には希望というものが残っているのだ、と、そう思ってな」
「希望……」
「ああ。希望だ」
カリニオス王子の言葉を聞いて、澪はふと、『やっぱり王子様、アンケリーナさんの死を受け止められたの、割と最近のことなのかもなあ』と思った。
彼にとっては、ナビスが希望となった。だから、王子は聖女アンケリーナの死を受け入れることができた。……王子がずっと聖女アンケリーナの死に囚われていたというのならば、ナビスはやはり、希望、なのだろう。
「……こんなことを私が言うのも烏滸がましいが……君が生きていてくれて、本当に嬉しい」
心底嬉しそうにそう言う王子を見て、澪は……そしてナビスもきっと、思った。
『ああ、この人は本当に聖女アンケリーナを愛していて、ナビスのことも大切に思ってくれているんだなあ』と。
それからナビスとカリニオス王子は、しばらく聖女アンケリーナの話をしていた。
ナビスは、自分が小さい頃の母親の思い出を。カリニオス王子は、ナビスが生まれる前の聖女の思い出を。それぞれが見た側面から語られる聖女アンケリーナの話は、彼女を知らない澪にもアンケリーナを身近に思わせるほどに色鮮やかで、そして、温かかった。
そんな話を続けていけば、海に太陽が沈む頃、ナビスとカリニオス王子は随分と打ち解けていた。
共通の愛しいものがある2人のことであったし、何より、2人とも、似た者同士なのだ。仲良くなるのも自然なことだろう。
「さて……そろそろ夜も遅いな。続きはまた明日、ということでいいだろうか」
「はい。また明日にしましょう」
話の本筋の部分はほとんど話せなかったが、今日、この会話の時間は意味のあるものだっただろう。最初、固まりあっていた2人がこんなに自然に話して、笑い合えるようになったのだから。
「では、教会まで送ろう」
「あー、気持ちは嬉しいんだけどね、王子様。多分、送られなきゃいけないのはどっちかっていうとあなたの方なんじゃないかな……」
「そ、そうか……そうだったな……」
王子は、はた、と気づいて気まずげな顔をする。……そう。今、この3人の中で一番狙われる恐れがあるのはカリニオス王子で、一番弱いのも多分、カリニオス王子なのだ!
「うふふ、こちらにはミオ様がいらっしゃいますから、大丈夫ですよ。お宿を経由して、教会へ戻りましょう」
ナビスがくすくす笑って歩き出せば、王子は少し笑って、共に歩き出す。澪も『ナビスのご期待に応えなきゃね!』と、にこにこついていく。
「ふむ……君は、実に素晴らしい勇者様を見つけたんだな」
「ええ!そうなのです!ミオ様は最高の勇者様なんですよ!」
そうして、宿までの道すがら、ナビスは嬉しそうに澪の話をして、王子はそれを嬉しそうに聞いていた。先程のアンケリーナの話のように、故人の話でもないので、2人の表情は只々明るい。まるで、普通の父娘のような光景を見て、澪は微笑ましく思う。
……だが同時に澪は、いつぞやに思ったことを、またしても思った。
『これ、彼女のお父さんに認められた彼氏みたいなかんじかな……?』と。
澪の何とも言えないそわそわ感などつゆ知らず、ナビスは嬉しそうに、澪の自慢を続けるのだった。
まあ、ナビスが可愛いので、これはこれで……。




