離れることで*14
「ナビス!ナビス、大丈夫!?」
澪は慌ててナビスを抱き留める。澪の腕の中、ナビスはくってりとしており、元気が無い。顔色も、あまり良くない。
ナビスの額に触れてみると、少々、熱かった。どうやら、熱を出しているらしい。
「大丈夫、です……ふふ、なんだか、ミオ様が居るなあ、と思ったら、安心してしまって……」
くすくす、と笑いながらも、ナビスの声は力無い。どうやら、安堵のあまり緊張の糸が切れて、それで発熱しているらしかった。
「……私とクライフを死の淵から掬い上げるほどの所業を成した後、休む間もなく移動続きだったからな……」
「と、とりあえずすぐ休ませよ。ここからなら、ポルタナもそんなに遠くないし!」
澪は慌ててナビスを抱き上げて、馬車へと運び込む。カリニオス王子とクライフ所長も後に続いて、馬車はごとごとと走り出すのだった。
澪が御者をやろうとしたのだが、クライフ所長に『ミオ様はナビス様の元に居てください』と言われてしまったため、馬車の中でナビスを看ている。
とはいえ、ナビスは澪の脚を枕にして、すやすやと寝息を立てている。疲労と体調不良、そして澪が居る安心感から、眠ってしまったらしい。澪はナビスに掛けたブランケットを直したり、ナビスの顔色を見たり、ナビスを撫でてみたりしながら馬車の時間を過ごす。
……だが、ふと、澪は気づいた。そういえば今、カリニオス王子と話すチャンスなんじゃないかなあ、と。
「……あのさ」
澪は、ナビスを起こさないように気遣った声量で、そっと、聞いてみる。すると、カリニオス王子も澪と同じことを考えていたのか、少々緊張気味の顔になる。きっと、澪も同じような顔をしているのだろう。
「この短剣って、あなたのものだったんじゃないか、って、そう思ったんだけれど……どうかな」
澪が尋ねると、カリニオス王子は視線をナビスから澪、そして澪の短剣へと移して、苦笑いを浮かべた。
「……参ったな。ロウターから聞いたのか」
「半分は。もう半分は、まあ、王子様自身の行動がそうだったから、かな」
思い返してみれば、カリニオス王子は澪の短剣を時々見ていたし、澪の短剣がオリハルコンでできていることを知っていたようにも思う。また、彼自身がロウターからオリハルコンの剣を取り上げた時には、『返してもらう』と言っていた。
そして……今、カリニオス王子が持っている彼の剣は、恐らく、澪の短剣と揃いの装飾が施されている。ならば答えは簡単だ。
「そうか。まあ、気づくか」
「うん。……ということは、もしかしてあなたはポルタナの鉱山の地下4階に入ったことがあるんじゃないかなー、って、思ったんだけれど」
澪の短剣は、ポルタナの鉱山地下4階で見つけたものである。ならば、そこにカリニオス王子も居たことがある、のかと思ったのだが。
「いや……私が入ったのは、地下3階までだった。そこで龍を退けるために戦い……短剣は、当時の聖女に、託した。今後必要になることがあればこれを使ってほしい、と」
どうやら、鉱山地下4階に短剣を持ち込んだのはカリニオス王子本人ではなく、王子から短剣を託されていた先代聖女……つまり、聖女アンケリーナであろうと思われた。つまり、ナビスの母親だ。
「えーと、もしかして、あなたが退けた龍って、白っぽい鱗の……?」
「ああ。もしかして、知っているのか」
「あ、うん。えーと……まあ、それはポルタナに着いてから見てもらった方が早いかも」
龍は結局、澪とナビスが倒した。その素材がポルタナにあるので、王子にはそれを見せてみよう、と澪は決めた。……ついでに、龍が見せてきた幻影のアンケリーナは、もしかすると、ナビスではなくカリニオス王子を引き寄せるためのものだったのかもしれない、と思う。
そして、そうだとすると……やはり、ロウターの話が、正解であるように思えるのだ。
つまり、カリニオス王子と聖女アンケリーナの間の子がナビスである、ということが。
……澪は、迷った。
本当に確認すべきか、迷った。
これを確認すべきかどうか決めるのは、ナビスであるはずだ。澪が気にするのもおかしな話である。余計なお世話、というやつだろうとも、思う。
だがそれでも……澪は、切り込むことにした。
「それで……やっぱり、あなたって、ナビスの……お父さん?」
澪はどきどきと脈打つ心臓の存在を強く感じながら、じっとカリニオス王子の返事を待つ。その永遠にも思える時間の後……カリニオス王子は黙って首を横に振る。
それを見て、澪は、がっかりしたような、ほっとしたような、そんな気分になった。
「分からない。私自身、アンケリーナに娘が居たなどとは、聞いていなかったから」
「え、あ、そっち?」
が、カリニオス王子から発された言葉は、澪の想像していた答えとは異なった。だがよくよく考えてみれば、確かにそうでもないと色々とおかしいもんなあ、と思い至る。カリニオス王子はナビスのことを知らなかったからこそ病に臥せっていたのだろうし、知らなかったから、今、こうしてなんとも気まずげにしている。
「だが……その、アンケリーナを、信じる、ならば……確かに、彼女は私の子、ということに、なる、のだと、思う」
「わーお……」
少々気まずげな王子の言葉を聞いて、澪もなんとなく気まずくなる。
つまるところ、これはやっぱり、実質『YES』だ。それも、『一応、身に覚えはある』やつだ。……生命の誕生は神秘的な尊いものだが、そのちょっと手前にあるものは破廉恥なのである。うーん、不思議!
「まあ、それはそれとして……その、私自身、彼女の存在をようやく知ったところだ。それで、未だにどう受け止めていいのか、分からなくてな」
いよいよ気まずげな王子は、そう言ってため息を吐く。
「どんな顔をすればいい?今まで、存在すらも知らなかった娘に」
「あー、確かに気まずいよねえ……」
澪も、これには大いに共感しつつ頷いた。
何と言っても、父と娘だ。普通に生活していると『お父さん嫌い!』となることの多い間柄であるというのに、そこに更に、『今まで存在を知らなかった』『しかもパパは王子様』と、ややこしい条件が積み重なっていくのだ。いよいよもってして、どんな顔をすればいいか分からない。澪にも分からない。
「……おまけに、知っての通り、最近まで私は神への信仰を捨てていたからな」
ついでに、ナビスは聖女だというのに、この王子様はどうも、信心深さからは対極にいるようである。
「あ、それは何で?気になってたんだけど、理由、聞いてもいい?」
セグレードで最初に治療を依頼された時から不思議だったが、澪がそう尋ねると、カリニオス王子は苦笑しつつ伏し目がちに答えてくれた。
「それは勿論、アンケリーナが死んだからだ」
後悔と、少々の憎悪すら滲んだような声が、随分と寂しかった。
「彼女は聖女だった。神に祈りを捧げ、その力の顕現で人々を救い……よく笑い、周りを明るくする、すばらしい人だった。……なのにどうして彼女が死ななければならなかった?神は、己に祈る聖女ですら見捨てるというのか?或いは、これが神の試練だとでもいうのなら、それは一体、何のために?」
カリニオス王子に答える言葉を、澪は持っていない。
澪自身も勇者とはいっても、正直なところ、信仰心など碌に持ち合わせてはいないのだ。現代日本に暮らすごく普通の女子高生からしてみれば、『神を信じる』という感覚は理解し難い。
世界には『神が殺せと言ったなら殺すし、神が死ねと言ったら死ぬ』というような信仰を持つ人々も多く居るらしいが、澪にはそれらがよく分からない。
だから、『神の試練』と言われれば、傲慢なことだな、と思うし、神に意思があるというのならそれは時に悪意の塊でしかないだろうとも思う。……結局のところ、澪にとっての信仰とは、誰のせいでもないことを神の意思などとせず、ただ『誰のせいでもないしどうしようもなかった』と割り切るというものなのだ。
「……彼女は聖女だった。だというのに私は、未だに割り切れない。神を崇拝する気に、なれない」
「そりゃそうだよねえ」
だから、澪はカリニオス王子の言葉に深々と頷く。
「ま、いいじゃん。別に、なんでもかんでも神のせいじゃないし、神のおかげでもないし。誰のせいでもなかったら『しょうがないなあ』って諦めるしかないし、誰かのせいなんだったら『神の試練』とか言ってる場合じゃないし」
ねえ?と同意を求めつつ、澪は、しゅっ、しゅっ、と虚空にパンチを繰り出す素振りをしてみせる。『誰かのせいなんだったらそいつぶん殴らなきゃね!』のポーズである。そして概ね、その意図は王子に伝わったらしい。彼は明るくなった笑みを浮かべてくれた。
「そうだな。聖女を愛していても、神までもを愛さなければならないということはないだろう」
「うん。そういうこと、そういうこと」
とりあえず王子様の元気が出たならよかった。澪はにこ、と笑って……。
「……だが、祈る気には、なった。本当に久しぶりに……10年以上も経って、ようやく、だ」
……そこで、カリニオス王子がそんなことを言うものだから、おや、と思う。
「どうか彼女が無事であるように、と……信じてもいない、恨んですらいる神に、祈る気になってしまってね。全く……私はなんと軽薄な奴だろう、と自分でも思う」
王子の表情は、穏やかだった。
彼は、澪の膝で眠るナビスをじっと見つめて、静かに笑っていた。
それは確かに、祈るように。ただ、ナビスの幸せを願うように。
「……軽薄かなあ、それ」
こんな顔をする人が、果たして本当にケーハク、だろうか。澪は首を傾げる。するとカリニオス王子もまた、首を傾げた。その仕草がなんとなく、ナビスに似ているように見えて面白い。
「都合のいい時にだけ祈る奴は、軽薄ではないか?」
「うーん、ただの良い人だと思う」
……澪はずっと、『神』とは救われたい時や縋りたい時に祈る対象なのだと思っていた。
辛さや苦しさを紛らわすために祈るのだ、と。困難に理由を付けて受け入れるために信じるのだ、と。ついでにそれらが合理性とは無関係で、時には合理性の対極に位置するのだとも、理解していた。
……だが、この世界の、聖女や信仰心や神の力などを一切合切抜きにしても……信仰には、また別の意味があるのだと、今、澪は知った。
溢れた喜びの分、誰かに優しくなるため。
そのためにも、人は、神に祈るのかもしれない。
「なんというか……君も、聖女向きだな」
「えっ、そう?」
「ああ。或いは……そうだな、『勇者』か」
カリニオス王子は澪を見て、何かすっきりしたような顔をしていた。そして……。
「君が、聖女ナビスの勇者であってくれて、本当によかった」
彼が、そんなことを言うものだから。澪はただ、えへへへへ、と照れつつ誇らしく思ってしまう。
……カノジョのパパに『娘をよろしく頼むよ』と言われたカレシの気持ちは、こんなかんじなのかもしれない……。
ポルタナが近づいてきたところでナビスがもぞもぞし始めたので、澪は優しくナビスを起こしてやる。ナビスは多少、元気になったらしいが、それでも未だ、ぽーっ、とした様子だった。
カリニオス王子とクライフ所長には適当に宿を取ってもらうことにして、澪はさっさとナビスを連れて教会へ戻る。
ナビスの部屋までナビスを連れていくと、ナビスはくったりとしながらもベッドの縁に腰を下ろした。『寝ないの?』と聞いてみると、『湯浴みしてからにします』と、少々恥じらいながらの返事をしてくれた。かわいい。
「……あの、ミオ様」
更に、ナビスはなんとも恥ずかしそうに澪の服の裾を引っ張りつつ、澪を呼ぶ。澪はそれに応えるべく、ナビスの向かいに椅子を持ってきて、座った。
「私、今回、ミオ様と離れてしまって、分かったんです。その、私……ミオ様と一緒に居る時が、一番落ち着くみたいで……」
「あ、それ、私もかも」
ナビスがもじもじしているのを、きゅ、と抱きしめつつ、澪も同じ気持ちを伝えておくことにする。
「どうも、ナビスが一緒に居ないと、調子出ないっていうか……なんか私、必要以上に緊張してた気がする。ロウターにも必要以上にツンケンしてたよーな気がするし……」
多分、澪はナビスが傍にいることで……仲の良い、大切にしたい人が近くに居ることで、上手く動くことができるのだ。
元の世界で吹奏楽部に居た時も、多分、そうだった。澪は人の中、人の隣でこそ、上手くやっていけるのだと思う。
「まあ……!その、私もです。私、ミオ様と離れている間、神の力の制御が、あまり上手くいっていませんでした」
「えっそうだったの!?」
「はい。あまり自覚せずに神の力を使ってしまっていた、というか……加減ができていなかった、というか。必要以上に力を使い過ぎていたようです。今、体調を崩してしまっているのも、そのせいかも」
どうやら、ナビスはナビスで澪のようなものだったらしい。
……ナビスも、ずっと頑張り通しだった。人2人を生き返らせるほどの力を使ったわけだが、きっとそこでも、力みすぎていた部分があったのだろう。
「でも、そうして加減ができなくなって、焦っていたからこそ、王子様と所長さんとをお助けすることができたようにも、思います。ミオ様と離れたことによって、得られたものもあったのでしょう。きっと」
「そっかー……」
なんとなく、澪からしてみると少し寂しい。……だが、澪としても、今回、ナビスと離れてみたことで得たものがある。人の横っ面を思いっきりぶん殴る経験とか。
「ま、お互い、いい経験になった、ってことで」
「はい。そういうことで」
澪とナビスは互いににっこり笑い合う。……そして、互いの笑顔を見て、やっぱり何となく落ち着くのだ。
「……その、ミオ様」
そんな折、ふと、ナビスはまた表情を陰らせ、同時に何かを決意したような、そんな目で澪を見つめる。
きゅ、と澪の手を握り、そして。
「それで、私……またミオ様と離れた方が、いいのかもしれません」
「へ?」
「……私は、王城に行くべき、でしょうか」
……ナビスは、そう、不安げに問うてきたのだった。




