離れることで*10
王都カステルミアに入る時には、門を抜ける必要がある。そこで門番の確認を受けなければならないのだが……。
「さて、聖女ナビス。馬車の中に隠れていてくれ」
「へ?」
幌の外を眺めていたナビスは、カリニオス王子によって、そっと馬車の中へと引き入れられる。
「あの、門で入場者の確認を受ける必要があるのでは……」
「それならクライフがやってくれる」
どういうことかしら、とナビスが不思議に思っていると、門の審査の順番がやってきたようだ。……そして、クライフが何か、門番とやり取りをすると、なんと、馬車の中を一切確認せずに通れてしまったのだった。
「私の生存を知られない方がいいだろうからな」
不思議がるナビスに、カリニオス王子はそう言って苦笑いしていた。
「ついでに、君もそうだ。……長らく不在だった王子と共に王都へ戻ってきた聖女、などと噂されてはやりづらいだろう?」
言われて、ナビスはすぐに納得した。
確かに、カリニオス王子が帰ってきたとなれば大騒ぎになってしまうだろう。ついでに、ナビスもまた、それに巻き込まれることになる。……大騒ぎになってしまえば、動きにくくなる。そして何より、カリニオス王子の生存が知れてしまうと、ミオにも危険が及びかねない。
……ということでナビスは、外から見えないように、と幌の中で縮こまっておくことにした。それを見たカリニオス王子は『そんなに縮こまらずとも大丈夫だ』と笑っていたが。
さて。
王都に到着した馬車は、そのまま大通りを進み、適当なところで一本横道に逸れた。
そこにあった宿に入ると、クライフが何か話をしに行って……その後、こっそりと、人目に付かないようにナビスと王子も移動する。どうやら、この宿はカリニオス王子が使える隠れ家のような場所であるようだ。
そうして裏口から宿に入り、その一室へと進む。小さいながらも実用的な家具や物品が揃った部屋だった。
「さて。それではクライフには悪いが、もう少々働いてもらうことになるな」
「ははは。覚悟の上ですよ。それに、病に弱っていくあなたの世話をしているより、余程働き甲斐があって良いですから」
部屋に入って荷物を置くと、早速、クライフはまた出ていく。……彼もまた、重傷をナビスが治療したばかりであるはずなのだが。道中、王子と御者を交代していたかもしれないが、それにしても随分とよく働いている。ナビスは彼のことが少々心配になったが、クライフ自身は実に生き生きとしていた。
「……では、聖女ナビス。悪いが少々、ここでまた休憩だ」
クライフを見送った後、カリニオス王子はそう言って、室内のソファに腰を下ろす。
「クライフが王城で、ロウターの情報を仕入れに行ってくれている。ついでに応援もいくらか呼んでくれる手筈だ。流石に、我々だけで動くには限界がある」
成程。どうやら、使えるものを何でも使っていく方針であるようだ。……王城に『王子が戻ってきた』などと言ったら大混乱だろうに、思い切ったものである。
……そう。カリニオス王子は、随分と思い切っている。
つい先日まで、聖女の治療を拒んでいた人だ。余程聖女が嫌いなのか、神が嫌いなのか……と思われたが、その割に、今、カリニオス王子はナビスに対して非常に紳士的で優しい。
では、単に生き延びるつもりが無かったのかというと、それも違うような気がしてならない。何せ今、カリニオス王子は非常に元気だ。ミオ救出に向けて、使命感に燃えているような状態である。
……つい先日、ナビスがミオと共に訪ねてから昨日までの間に、何か、大きな心境の変化でもあったのだろうか。そうでもなければ、今までの王子の行動と今の行動が、どうにも噛み合わないような気がするが……果たして、どのような変化が、何故、起こったのか。
まあ、考えても仕方のないことである。ナビスはカリニオス王子に勧められて、ソファに腰を下ろす。ソファはふかふかしていて、大変に座り心地がよかった。
向かいのソファに座っているカリニオス王子は、ナビスを見つめて、何やらじんわりと嬉しそうににこにこしている。……見つめられてにこにこされる経験が無いわけではないが、それにしても、王子ともあろう人ににこにこされるとなんとなく不思議な気がする。
ナビスはカリニオス王子を見つめ返して……そこで、王子の表情に、じんわりした喜び以外のものを見つけて、慌てる。
「あの、王子様。少し、お休みになられては?確かに傷は癒えましたが、失われた血液までもが戻ったわけではありませんし、そもそも、あなたはずっと病に侵されていたのですから……」
そう。王子の顔を見る限り、どうも……血色があまり良くないのだ。にこにこしていても、隠し切れない疲労が色濃く見えた。
それはそうである。ナビスは馬車の中で大分眠ってしまったが、その間、カリニオス王子とクライフ所長は休まずに動いていたのだろうから。そして2人とも、重傷を受けた直後なのである。
ナビスが慌ててカリニオス王子にソファではなくベッドを勧めると、カリニオス王子はきょとん、として、それから苦笑した。
「……そうだな。すまない。では少し休ませてもらおう。気分は非常に、活動的な気分なのだが。いや、もう気分だけで動ける齢でもないな……」
王子はソファから立ち上がり、そして、ふらり、と体勢を崩した。ナビスは慌ててそれを支えて、よいしょ、よいしょ、とベッドまで王子を連れていく。
ベッドの縁に腰掛けさせてやれば、王子は後は自力で動けたようで、多少緩慢な動作ながら、もそもそ、と自らベッドに入っていった。
ベッドに入った人をいつまでも見ていては悪い。ナビスは『お休みなさいませ』と笑いかけて、そっとソファのところまで戻った。
ナビスがソファに座って少しすると、すうすう、と寝息が微かに聞こえてくるようになる。どうやらカリニオス王子は早速寝付いてしまったらしい。やはり、疲労は色濃いのだろうと思われる。
……そうして、ナビスはソファに座ったまま、思う。
やはりカリニオス王子の気分は、随分と元気であるらしい。ということは何か、心境の変化があったのだろうが……。
ナビスが宿の部屋の中にあった本を読んだり、茶を淹れて飲んだりしている内に、やがてクライフ所長が戻ってきた。
「王子は」
「お休みになられています。奥のベッドです」
「ああ……それはよかった。彼も随分と、無理をしていらっしゃるようですから……」
戻ってきてすぐ、クライフはカリニオス王子の様子を確認して、そして静かにすやすや眠っている彼を見ると安堵の表情を浮かべた。
「しかし、起きて頂くより他にありませんね。ご報告しなければ。王子、王子、お目覚め下さい」
そしてクライフはゆさゆさ、と王子を起こしてしまう。ナビスとしてはもう少し寝かせておいてあげた方がよいのではないか、とも思うのだが、どうも、それどころではないらしい。
「ああ……戻ったか、クライフ。ご苦労だった。して、どうだった」
カリニオス王子は起こされてすぐに起きた。言葉を発する声は寝起きの掠れたものであったが、頭は既にしっかり働いているらしい。
……だが。
「はい。少々、計算が狂いまして」
クライフ所長は疲れた顔で、ため息交じりにそっと報告した。
「ロウターは王都へは戻っていない、とのことでした」
「……なんだと?」
青ざめたカリニオス王子が立ち上がると、クライフ所長は険しい表情のまま頷いて、そっと地図を机の上に広げた。
「セグレードの井戸に毒が投げ込まれた時点で、王城には使いを出しておりました。ですので、昨夜の内から既に諜報部隊がこのあたりとこの地点、そしてここからここにかけてをずっと張っていたわけなのですが……ロウターはここを通過していないとのことです」
ナビスも一緒に地図を覗き込む。……詳しいことはよく分からないが、どうやら、ロウターは王都の中に入っていないようだ。どこからでも王都に入っていたら分かるように、監視網を敷いていたようなので。
「となると、どこか別の隠れ家へ向かったのか……?一体、何のために……?」
ありえない、とカリニオス王子が首を横に振る中、ナビスは考えることになる。
果たして、ロウターはどこへ行ったのだろうか。
事情をよく知らないナビスではあるが、一応、ロウターの行動の理由や目的はなんとなく分かっている。
彼はカリニオス王子を殺すことで、王位継承権第一位の存在を抹消したかった。そして、宙ぶらりんになった次の王の座に自分こそが就こうとしていたに違いない。
となると、ロウターはやはり、王都へ向かうのがよいように思われた。
例えば、彼を支持する者に今回の顛末を知らせることも必要であろうし、あるいは、直接王の元へ向かってもいい。……否、王の元へ向かうには、理由が足りない、だろうか。
これがもし、カリニオス王子の死体を持ってきているのならば、話は別だが……今、手ぶらで王に会いに行って『カリニオス王子が死んだ』というような話をしたところで、単なる無礼ととられるだけだろう。
それから、そもそもロウターがセグレードを急いで出ていった時点で、彼が『自分が王子殺害の犯人だと思われたくない』ということになるだろう。ならばやはり、ロウターは今すぐに王になるつもりではなく、ひとまず今は現場不在証明の類を……。
「……すまない、聖女ナビス。当てが外れたようだ」
ナビスが考える間にも、カリニオス王子はそう、焦燥を滲ませて言った。
「すぐさま、王城の諜報部隊が情報を得るだろうから、もう少し……」
「……あの」
そんな王子の言葉を遮るように、ナビスは小さく手を挙げた。幸い、ナビスの無礼を咎める者はこの場におらず、ナビスは発言を促される。
ナビスは意を決して……自身の内に芽生えた疑いを、口に出すことにした。
「王子様。差し出がましいようですが……ロウター様の後ろには、誰か聖女様が付いていたように思います。それは、何かの手掛かりになりませんか?」
「聖女、が?」
「ええ。……物陰から見ていただけですので、あまり詳しいことは分かりませんでしたが……ミオ様がやりあって勝てなかった相手です。間違いなく、神の力を得ていたのではないかと思います」
カリニオス王子も、クライフ所長も、唖然としていた。だが、ナビスの言葉に『ああ、確かに』と頷き合う。
「成程な……勇者ミオは聖女ナビスの祈りを受け、更にオリハルコンの短剣を以てしても太刀打ちできなかったのだ。ならば、相手はオリハルコンの剣を持ち、同時にやはり、聖女の祈りを受けていた、と……そういうことになるか」
「はい。ロウター様に協力した聖女が誰なのかが分かれば、手掛かりになるのではないかと」
ロウターの足取りが掴めない以上、他の手掛かりを探すしかない。そして、『聖女』というものは、きっと1つの手掛かり足がかりになってくれるはずだ。
「……だが、聖女のこととなると、王城で調べるのは難しい。大変恥ずかしい限りだが、聖女ナビス。この分野はあなたの方が詳しいだろう。何か、心当たりは無いか?」
カリニオス王子の言葉に応えるように、ナビスはゆっくり頷く。
「その……私も、聖女事情に詳しいわけではありません。ずっとポルタナにおりましたので。でも……」
ナビスの脳裏に思い浮かぶのは……マルガリートとパディエーラ。2人の聖女の姿である。である。
「……私を助けて下さる聖女様が、レギナにいらっしゃいます。レギナを、訪ねてみるのはいかがでしょうか」
ということで、馬車は早速、レギナへ向かって走り出した。
王都カステルミアから大都市レギナまでは、半日以上かかる道のりだ。……そこを、相当な速度で走っていく。
もう、澪が連れ去られて丸1日が経過する。レギナに到着するころには、1日半以上になるだろうか。どうか無事で居てほしい、とナビスは祈りながら、傾いてきた太陽を見つめるのだった。
……そうして、永遠にも思われる時間の後。
馬車は無事、レギナへと到着した。ナビスはすぐさま馬車を降り、大聖堂に向かって走り出す。突然の来訪ではあったが、それでも、なんとかマルガリートかパディエーラに取り次いでもらわなければならない。
ナビスは必死に走って、走って、大聖堂の門へと向かっていき……。
「ああ!ナビス!あなた、本当に丁度いいところに来ましたわね!」
「えっ、ま、マルちゃん様!?」
そこで、マルガリートがパディエーラと何か話しているところに丁度、出くわした。
ありえないことである。何故、呼び出してもいない顔見知りの聖女が2人で大聖堂の門の前で立ち話などしていたのだろうか。ナビスは只々、ありがたくも不思議なことがあったものだ、と唖然とし……。
「さあ、ナビス。これを」
そして、せかせかとやってきたマルガリートに、何か、紙切れを渡される。
「これ。ミオからの伝言らしいんですの」
「……へ?」
一体何を言われているのか、ナビスにはよく分からない。マルガリートの言葉の意味がよく分からないまま、のろのろと、ナビスは手元の紙切れに視線を落とし……。
「私達には意味が分かりませんわ。でも、これはどうやらミオからのものらしいんですの。ただ、『緊急事態だから、聖女ナビスが近くに居たらこれを渡してほしい』とだけ……」
「これが鳥文で届いたのも、ついさっきのことなの。だから解読もできていなくて……ねえ、ナビスにはこれの意味、分かるかしら?どう?」
……そこには、伝心石通信の信号を書き起こしたものがあった。
『なびすへ めるかった なんとう ぶじだよ みお』
そんな意味の信号を読み取って、ナビスは只々、神に感謝したい気分になるのだった。




