離れることで*8
澪が『聖女ナビス』と名乗った理由は3つある。
1つは、敵が間違いなく『聖女』を殺しておきたいだろうと考えたからだ。
聖女であれば、ある程度は癒しの術が使えてしまう。つまり、この状態から王子や所長を治してしまうこともできるかもしれないのだ。
王子を殺したい敵からしてみれば、それは避けたい事態だろう。だから、『聖女』を狙うのは間違いない。……だから、澪は『聖女』と名乗った。ナビスのふりをして、ナビスの代わりに殺されるかもしれない役を負うことで、ナビスを生き残らせ……結果的に澪も助かろう、という作戦である。
2つ目に、敵に『これで終わり』と誤認させるためだ。
ナビスが出てきて癒しの術を使い始めるためにも、敵にはさっさと退散してもらいたい。そのためにも、『これで任務完了』と誤認してもらいたいのだ。そのために、奴らが狙っているであろう『聖女』として出て『これで終わり』と思わせたかった。
……敵も、急いでいない訳はないのだ。彼らはこの家に攻め込む大義名分を持ってはいない。だからこそ、こんな夜中に、かつ少人数で攻め込んできたものと思われる。そうでなかったなら、この家を大人数で包囲するようなやり方だってあったはずなのだから。
つまり、敵は急かせば急いでくれそうなのだ。澪はさっさとこいつらを退かして、ナビスに癒しの術を始めてほしい。そのための『聖女』の名乗りである。
そして3つ目に……。
「……聖女ナビス、だと?だが、この短剣は……」
敵が、じっと澪を見つめて、それからまた短剣を見つめて……ちら、と王子を見て、それから納得がいったように笑う。
「成程な」
……何に納得がいったかは分からない。『なんか嫌な予感がするんだよなー』という程度にしか、分からない。
だが。
「よし……こいつは殺すな。連れ帰るぞ」
澪は、『嫌な予感』が的中したことをなんとなく察した。
……そう。澪がナビスを名乗った3つ目の理由。それは……『何かよく分からないけどこれナビス絶対何かヤバいことに巻き込まれてくよね』という直感に従って、少しでも敵の思惑を崩す行動を取っておきたかったからなのである。
要は、『状況が分からないから、とりあえず敵にもわけわかんなくなってもらうためにすり替えておくか!』という、半ば投げやりな、未来への布石なのである。
澪を連れていく、とオリハルコンの剣の男が言ったことで、その部下らしい3人の刺客達は少々戸惑ったようだった。だが、『何をしている。急げ』と急かされると、早速、澪を拘束し始める。
「ちょ、やめてよ!」
澪は『そうだそうだ!急げ!ほら急げ!』と心の中で応援しつつ、怪しまれないように適度に抵抗しておく。
その過程で、聖銀の杖は落としておいた。ついでに暴れてみせて、聖銀の杖を蹴って遠く、部屋の隅へと転がしておく。これで敵に回収されてしまうことはないはず。ナビスが拾って使えるだろう。
一方、オリハルコンの短剣については……少し迷ったが、手放さないことにした。どうも、この短剣が何か、重要な気がする。……今後、澪がどこかへ連れていかれるというのなら、その時、澪の命の保証であるナビスが近くに居ないことになる。そんな澪を守ってくれるものは、多い方がいい。
ついでに、オリハルコンの短剣は、何故か没収される気配がなかった。『武器持たせといていいわけ?』と澪は訝しんだが、まあ、確かにこの状況ではオリハルコンの短剣を持っていても使えない。没収するより先に連れて行こう、ということなのかもしれないが……。
「せめて、彼らの治療を……!」
「それをされたら困るから、お前には付いてきてもらうのだ」
澪は上手いこと抵抗しつつ、それでいてスムーズに連れ去られていく。このまま敵が全員退場してくれれば、後はナビスに任せて何とかすることができる。……最高の形ではなかったが、ひとまず、全員が生き残る可能性を残しておくことができる。後は、ナビスの頑張り次第、ということになるが……。
「こいつ……レクシアの直系を娶れば、いよいよ私の地位は盤石なものとなるだろうからな」
地下室を出る間際、そんなことを、オリハルコンの剣の男が言った。
……めとる。
澪にも、意味くらいは、分かる。……つまり……。
「えっ!?おっさん、私と結婚するつもりなのぉ!?正気ぃ!?」
思わず澪は声を上げる。
流石にこれは、びっくりである。ついさっきまで短剣を持って向かってきていた相手と結婚するつもりとは!ついでに言ってしまえば、相手はどこからどうみても10代20代ではない。一方の澪は花の17歳である。齢の差婚もビックリだ。
「ありえない!マジありえないんだけど!いやだって何歳差!?犯罪でしょこんなん!」
「……やれやれ。うるさい女は好みではないのだがな」
「マジで!?やったー!じゃあ私めっちゃ騒ぐね!わー!わー!わー!」
……ということで、澪は大層騒ぎながらの退場となった。
澪は内心で『まあこういう風に騒いでいれば、私達が退場したことが隠れてるナビスにも伝わりやすくてよし!』と思ったり、『いやでもこいつら元々17のナビスと結婚する気だったわけぇ!?ならここで私が出てきたのはやっぱ正解だったじゃん!ナイス私!絶対にナビスは嫁にやらん!』と憤ったりしつつ、素直に連れ去られていくのだった。
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物音がしなくなってすぐ、ナビスは物陰から姿を現した。
即座に聖銀の杖を拾い上げて、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま、それでも意志だけは強くはっきりと持って祈り始める。
どうか、救いを。どうか、安寧を。……そして必ずや、裁きの鉄槌を。
その瞬間、ナビスの祈りはきっと誰よりも強かった。強く強く、金色の光で地下室内を染め上げて、ナビスは神の力を行使する。
『できないのでは』などとは、ちらりとも思わなかった。ナビスは、自分の失敗など、まるで疑わなかったのである。
そう。信じていた。……ミオが信じてくれた自分を、ナビスは信じていた。
そうして金色の光が、2人の男を癒していく。
セグレードギルドの所長も、王子であるらしいその人も、見る見るうちに傷を癒されていく。
斬られた傷が塞がり、刺さったままであった矢は抜け落ちて。……そうして、ナビスはこの世界の聖女の中でもごく一握りにしかできないであろう所業を、成し遂げた。
死にかけていた人2人を、救ってしまったのである。
「こ、これは……まさか、本当に、私は助かったのか……?」
「なんということでしょう……聖女様、ああ、あなたは、本当に……」
王子も所長も戸惑いながら体を起こす。それを見てナビスは、ひとまず自分に託された使命を1つ、果たせたことに安堵した。
だが。
「……ミオ様」
それでもナビスの表情は、晴れない。
ナビスの身代わりになって連れ去られてしまったミオのことを想えば、到底、明るい気分になどなれなかった。
そう。ナビスの役割は、ここからなのだ。王子とギルド所長を救っただけでは終われない。ナビスは、ナビスが一番助けたい相手……ミオを助けるまで、立ち止まることなどできないのだ。
「必ずや、お助けします!絶対に!ミオ様は!あんな方のお嫁になんてやりませんから!」
……特に。
ミオが、あの悪辣な男に娶られそうともなれば……ナビスはいよいよ、頑張らないわけにはいかないのである!
「では、私はこれで」
「い、いや、待て!待ってくれ!今から追いかけても間に合わないだろう!」
早速ミオを追おうとしたナビスだったが、王子に引き留められてしまった。
「……奴らの居所がどこか、あてはあるのか?」
「馬車の轍を追っていくつもりでいました」
「それは難しいだろう。一度、街道の外に出てしまえば、草地だ。車輪の後を探すのは難しいだろう。後を追えなくなる」
王子の言葉に、ナビスはより一層焦りを募らせる。早くミオを追わなければ、と。……だがその一方で、王子の言葉が尤もであることもまた、分かっている。
気持ちばかりが焦る。今は慎重に動くべきだと分かっているのに、ナビスの体は今にもこの家を飛び出していきたがっているようだった。
「さて。気は急くだろうが、まずは改めて、名乗らせてくれ。……私はカリニオス・レクシア。現王の唯一の子にあたる」
さて。ナビスを落ち着かせるように、王子が改めて名乗る。彼を見て、ナビスはなんとも不思議な気分になった。
ナビスの癒しの術がしかと効いたと見えて、カリニオス王子は今や、すっかり生気を取り戻していた。金にも見える琥珀の瞳には強い意思が感じられ、先日までただパサついていたばかりの髪も艶を取り戻している。
未だ、骨が目立つ顔ではあるが、それでも整っていると分かる容貌と気品のある真摯な立ち居振る舞いに、ナビスはいよいよ、彼が本当にこの国の唯一の王子だと納得した。
「……本当に、王子様なのですね」
「ああ。証拠が必要なら、ここに……」
「いえ、結構です。あなたを信じます。それに……不敬は承知の上ですが、今は疑う時間すら、惜しくて」
事実、ナビスは王子を疑っていない。というよりは……ここまで色々あって、それで『本当は王子ではありませんでした』となったとしても、そうなるだけの下地があるような身分と立場の人なのだろう、と理解していた。彼が何者であろうとも、彼を助けることで世界の運命は大きく変わるだろう、とも。
「……そうだろうな。すまない。私のために、勇者ミオを」
「いえ。私がミオ様の立場でも、同じようにしていたと思いますから」
ナビスは、ナビスを案ずるようなカリニオス王子の言葉を聞いて、自分の内にジワリと滲み出した焦燥を押さえつける。
あれは、最適解だった。武力で太刀打ちするのが難しい相手を、できる限り犠牲を払わずに退けるための最適解だった。
もっとナビスに力があれば、という思いも、慚愧の念も、ナビスの胸の内を食い荒らしにかかるが……それでもあれしかなかったのだ。ミオは正しい手段を講じたのだと、そう、自分を納得させる。
「……そしてこちらは、クライフ。セグレードのギルド所長だが、元は私の近衛だ」
続いて紹介されたギルドの所長を見ると、彼はそっと一礼して見せてくれた。やはり、彼もまた、王家に関わる人であったらしい。
「それで……お二人には、ミオ様を連れ去ったのが誰か、今、どこに居るのか、お分かりなのですか?」
ナビスは時間を惜しんで、早速尋ねる。ナビスはすぐにでも、ミオを救いに行きたいのだ。
「ああ。ある程度は」
カリニオス王子はナビスの意を汲んで、一つ頷くと早速話してくれた。
「勇者ミオを連れ去った相手は、ロウター・レクスファミラ。私の父の兄の孫にあたる。つまり、従甥だ」
ナビスは頭の中に家系図を描き出す。
今の国王は高齢だが、その兄となるとさらに高齢だろう。その王兄の孫、というと……ナビスが先程こっそり覗き見た、あの業物らしい剣を持った男が、そうなのだろうと思われた。
ついでに、ナビスは既に、『王兄の孫』を1人知っている。
「国王陛下の、お兄様の、お孫さん……というと、聖女トゥリシアの……?」
「ああ……トゥリシア、というのは、父の兄の2人目の息子の娘にあたる。一方、ロウターは父の兄の1人目の息子の息子だな。2人はいとこ同士、となるか……」
死んだ聖女トゥリシアも、王兄の孫にあたる人であった。王位継承権がある人だったからこそ、あのような騒ぎを起こしていたと思われるが……トゥリシアのことを考えるに、今回のロウターの行動もまた、王位継承を巡るものなのだろう。
「奴は、どうも次の王になりたいようでな。そのために、現王の唯一の子である私を殺そうとしてくるのだ。厄介なことに」
苦々しい表情のカリニオス王子を見ていると、ナビスは『ああ、この人は争うことなど望んでいなかったのだろうな』と思う。それでいて、『これから争うことを躊躇うつもりもないのだろう』とも、思えた。
「つまり、この件を解決することは、私にとっても利となるというわけだ。どうだろうか、聖女ナビス」
「……へ?」
少々唐突なカリニオス王子の言葉に、ナビスはぽかんとする。
だが、そんなナビスの前に、カリニオス王子はそっと膝をついて、ナビスの手を取った。
「利害は一致する。そして何より、助けられた恩は、返したい。……私達にもどうか、勇者ミオの救出に協力させてほしい」




