離れることで*7
瞬時に緊張が走る。どうする、と澪とナビスは目を合わせる。
その間にも、ばん、ばん、と戸を叩く音は聞こえてきていた。メキ、と厭な音がしたのは、壁か何かが破られる音だろうか。
「くそ……君達だけでも、逃げてくれ」
そんな中、王子の呻くような声が小さく響く。
「巻き込んで、すまない。だが、奴らは私を殺せば、それで満足するだろう、から……」
苦渋に満ちたその表情を見て、それから澪とナビスは顔を見合わせて……。
「ナビス。その人の治療を優先して」
「はい。ミオ様」
方針を、決めた。
「なっ……!?」
王子は驚き、絶望しているようにすら見えたが澪もナビスも判断を覆すつもりは無い。忘れてはいけない。王子は、今も尚、毒に侵された状態にあるのだ。
そして……今ならまだ、助けられる。
「私に構わないでくれ。どうか、君達は……」
「いや、いけるいける。相手、そんなに大人数じゃないっぽいし……それに、私、勇者だし」
澪は、にっ、と笑って見せつつそう言った。
そう。澪は勇者だ。だから相手を迎え撃つ覚悟がある。それに能うだけの力も、きっと、ある。
……だから考えなければならない。どうしたらいいか。どうすれば、より良い結果を得ることができるだろうか。
一番いいのは、誰も傷つかず、誰も死なずに済むことだ。当然、それが最高の結果である。
そして澪は勇者だ。ナビスに与えられた神の力を使えば、常人を捩じ伏せることができる程度の武力を持っている。
だが、相手はどうも、この王子様を殺しに来ているらしい。それも、恐らくは『呼ばれた聖女がここに居る』という状況を知った上で、だ。
……となると、相手も何か、対策をしてきているはず。上手くやらない限り、こちらは少なくとも王子を死なせる羽目になる。……或いは、澪自身も。
そして何より、澪はこれから、人間と戦うことになるわけだ。これについても、澪は『ちょっとなあ』と思う。……相手が人間だからといって、容赦するつもりはない。野盗とも戦えたのだから。……だが、野盗相手の時は、相手が弱かった。簡単に制圧できた。だから手加減も、簡単にできたのだ。
その点、今回はきっと、そう甘くはないだろう。それなりに強い人間相手に、澪は、果たして本当に躊躇なく戦えるだろうか。
仕方が無いので、澪は頭の中で優先順位をつけていく。
まず、優先順位最上位はナビスだ。それから澪。続いて、王子とギルドの所長……どうせこの所長さんも王子の側近なのだろうが、まあ、この2人は澪とナビスの下に優先づけする。澪にとってはこれが正解だ。仕方がない。
そして、優先順位最下層は、当然、敵だ。今、家の戸をバンバン叩いている連中だ。
……というところまで決めたら、後は色々と考えていくことになる。
1つに、王子が提案している通り、『王子を差し出して澪とナビスと所長は助かる』という方策がある。だが澪はこれを真っ先に切り捨てた。
人を殺させることは、当然、澪とナビスの信念に反する。それにそもそも、王子を差し出したからといって、澪やナビスが見逃されるとも限らない。王子の存在を抹消したいのならば、澪とナビスも口封じに殺しておいた方が得策、と考えてもおかしくはないのだ。
それを防ぐためには、澪とナビスを殺せない状況を作らなければならない。つまり、殺すより生かす方が得策だと思わせる必要がある。『殺せないくらい強い』にしても、『情報を手に入れるために殺せない』でもいい訳だが……。
だがどちらにせよ、澪の望むところではない。やはり、王子を差し出すのはナシだ。誰も死なないのが一番だ。
となると、いよいよ武力で敵と戦うことになるのだが……。
さて。
色々と考えてみたが、相当に厳しい。結局は出たとこ勝負になってしまいそうだ。
澪達が全員無事に助かるには、この場所から出て逃げるか、相手が去ってくれるまで耐久するかのどちらかとなる。
だが……どうも、扉はもうじき破られそうな気配がしている。上階から聞こえてくる音が、『バリバリ』といったような、木材を剥がす音になってきている。到底、持ち堪え続けられはしないだろう。
そして当然ながら、この場から逃げることはできそうにない。澪は所長に『ここ、隠し通路とかあったりする?』と聞いてみたが、黙って首を横に振られた。折角こんな隠れ家を用意するなら、脱出経路も用意しておいてほしかったなあ!と思う澪である。
「ううーん……相手は王子様を殺したい……のか。生け捕りじゃなくて」
「私を生け捕りにしたいのならば、毒など盛らないだろうな……」
澪達がここから逃げられないとなると、相手に去ってもらうしかないのだが……相手の目的は、『王子の殺害』であるようだ。となるといよいよ、相手に去ってもらうことも難しい。彼らも、目的を達する前に去ってはくれないだろう。
どうしよう、どうしよう、と澪は悩む。悩んで、悩んで……そうする間にも時間は過ぎ、そして……。
ばん、と、大きな音がして、足音がいくつも流れ込んできた。
いよいよ、戸を破られたらしい。
そしてその瞬間、澪はとんでもない手段を、思いついてしまった。
「……あー、えーと、王子様」
地下室への扉を探しているらしい足音がばたばたと響く中、澪は、静かに王子へ向き直る。
「私、一応戦ってみるけどさ。でも、ダメだったらさ……悪いんだけど、やっぱり死んでもらうことになりそう」
ナビスの治療を受けていた王子は、澪の言葉に頷いた。凪いだ目をしていて、覚悟が決まっているようだった。自らの命を擲つことを、まるで厭わないような、そんな顔をしていた。
……ので、澪としては少々、気に食わない。
「で、死んだ後でナビスに生き返らせてもらってね!」
「は?」
澪がこれだけ考えて考えて、悩んだのだ。死を受け入れるような顔をされていては困る。ギリギリまで粘って、足掻いて、しがみついてもらわねば。
「それで、ナビス」
困惑する王子はほっぽっておいて、澪はナビスへ向き直る。
ナビスは不安げに瞳を揺らしながら、それでも、胸に抱いた聖銀の杖をより強く抱いて、静かな決意に身を震わせていた。
「私、信じてるよ。ナビスなら、それくらいできちゃう、って」
「……ミオ様」
澪は、ナビスを強く信じる。
この世界は不思議なことに、信じていれば救われてしまう世界だ。だから澪は、ナビスを信じる。絶対になんとかしてくれるのだと、信じるのだ。
「だから、ナビスも私のこと、信じてて」
同時に澪は、己をも、強く強く信じるのだ。
なんとかできる、と。まるで読めない未来のことでさえ、きっとなんとかなる、と。そう、澪は強く信じるのだ。それが力になるのだと、信じて。
「はい。信じます、ミオ様」
ナビスは、そう言って澪を見つめ返してくれる。その眼は相変わらず不安げではあったが……それ以上に、信じるものを得た力強さがあった。
それを見た澪は、安心する。ナビスが信じてくれるなら、きっと、上手くいくはずなのだから!
「ありがと、ナビス。……じゃ、ナビスは、隠れてて!」
「え?」
「あと、杖、貸して!」
「……ええ!?」
……ということで、澪はナビスから聖銀の杖を優しく奪い取り、ナビスを部屋の隅の穀物袋の後ろに隠し……そうして、地下室へ招かれざる者達が降りてくるのを迎え撃つのだった。
最初に動いたのは、ギルドの所長だった。
彼は、いつの間にか取り出していたナイフを携えて、階段から降りてきた敵へと斬りかかっていく。
だが、敵も素直にやられてくれるわけがない。ヒュッ、と風を切る音が響いたかと思うと、一拍遅れて、どすっ、と重く湿った音が響く。見れば、所長の腹に矢が突き刺さっていた。
それでも所長は1人、奮闘していた。階段から降りてきた敵の1人の脚を捕まえて、もんどりうって一緒に倒れ込む。そのまま更にもう1人、ナイフを持った敵を道連れにして床を転がった。
だが、敵の動きは生身の人間のそれとは思えないほどに俊敏であった。目にもとまらぬ速度でナイフを振るい、体を動かして所長を追い詰めていく。……敵の動きを見て、澪はすぐに気づく。
彼らのために祈っている聖女が、居る。
……こちらは勇者だが、敵もまたどうやら、勇者……神の力によって強化された戦士であるらしい。
澪は咄嗟に出方を迷った。そうしている間にも、所長は斬りつけられ、あるいは蹴り飛ばされて傷を負う。床に、赤く血の線が引かれていく。
澪は内心で只々所長に謝る。後で絶対にナビスが治してくれるから、だからどうか耐えて、と祈る。
だが……更にもう1人、地下室へ降りてくる。矢を番えた弓を構えて。その矢の先に所長を見据えて。
それを見て、いよいよ動かないわけにはいかなくなった澪は、ぱっと動き出した。オリハルコンの短剣を振るって、敵へと迫る。
敵達も流石に、神の力に強化された澪を無視することはできなかったらしい。ナイフを持った2人がすぐさま澪へと迫り、澪の短剣をナイフの刃で受け止めにかかる。
だが、オリハルコンの短剣がぶつかった時、敵のナイフは無残にも切れ飛んだ。澪は内心で『マジでぇ!?』と驚きつつ、それを表情には出さないように振る舞う。オリハルコンの短剣がまさかここまですごいとは流石に思っていなかったが、こんなものは想定内!という顔はしておかなければならない。
一方の敵は、澪の短剣を見てどよめいた。澪の背後では、王子もまた、大層驚いた様子であった。流石のオリハルコンである。
「成程な……オリハルコンの短剣か!」
「そうだよ!これで斬られたくなかったら……!」
慄く敵の間をすり抜けて、澪は敵へと迫る。もしかしたらこのまま、敵を倒してここから逃げられるかも、と期待しつつ。
……だが。
「舐められたものだ」
射手の更に後ろに居た者によって、オリハルコンの短剣が、受け止められていた。
短剣を受け止めていたのは、短剣と同じ色合いの金属でできた……剣。
そして、その剣が纏う、神の力の気配である。
ぞっとする。澪は、『あっこれ勝てないやつじゃない?』と悟ってしまう。それだけの力が、相手から感じ取れた。
相手は、こちらと同等の武器。こちらと同等か、それ以上の神の力。そして、こちらには碌に無い戦闘の技術を、相手は持っている。
それでいて、人数の差は、2倍。それでいてこちらは既に1人、戦闘不能状態。これでは、勝ち筋が見えない。
……やはり、敵も相当に、対策してここまで来たらしかった。
「やめろ。お前達の狙いは私だろう」
その時、澪の背後から声が聞こえる。
ベッドから起き上がり、自分の脚で立ち上がったその人の姿は、病み上がりの如何にも弱った様子でありながら、どこか気品と気高さを感じさせるものであった。澪は、『ああ、この人本当に王子様なんだな』と思う。
「その少女は見逃せ」
王子が一歩、前に進み出ると、敵が一斉に王子を取り囲む。
「これはこれは……カリニオス様。随分とお変わりになられて」
オリハルコンの剣を持った男が、馬鹿にするように王子に笑いかける。……王子よりもオリハルコンの剣の男の方が幾分若いように見えるが、少しばかり、2人の顔立ちには似通ったところがある。親戚、なのかもしれない。
「かつての英雄も、病に罹ればこんなものか。全く、時の流れとは恐ろしいものだ」
「その恐怖はいずれお前にも襲い来るぞ。覚えておけ」
王子は自嘲気味に笑ってそう言うと……どこに隠し持っていたのか、細身の剣をすらりと抜いた。
だが。
「だとしても、先に時の流れに絡めとられるのはそちらだ」
剣を振るう間も無かった。
王子の胸に、オリハルコンの剣が深々と突き刺さる。
王子は自嘲気味な笑顔のまま、こふ、と血を吐いて、そのままずるり、と床に崩れ落ちたのだった。
いよいよ、後がなくなった。澪が想定していた最悪のパターン一歩手前である。
……だが、まだ、『一歩手前』だ。澪にできることはまだ、残っている。
「王子様!」
澪は聖銀の杖を携えると、すぐさま王子に駆け寄っていく。……すると当然、敵は澪を見咎めた。
「何をするつもりだ!」
「治療を!」
澪はすぐさま取り押さえられ、王子の元までたどり着けない。分かっていた。こうなることは想定通り。
後は……殺されるか、否か。どちらかだ。
澪は極度の緊張に自分の瞳孔が開いているのを感じながら、自分に近づいてくる男……オリハルコンの剣を持った男を、見上げた。
男は、澪を見て、それから……何故か、オリハルコンの短剣を見た。
「……お前は誰だ?」
オリハルコンの剣の男が、改めて澪を見る。その表情は実に怪訝なもので、澪の正体を注意深く探るようであった。
「聖女か……?」
……ここの返答次第で殺されるかもしれない。
だが、澪の返答はもう、決まっている。
「うん。そう。……私が、ポルタナの聖女ナビス」
澪は、そう答えた。




