離れることで*6
明け方、空の端が白み始めた頃。群青の光の中、馬車はセグレードに到着した。
「よーし、ナビスー、到着だよ!」
ギルド横に馬車を停め、笑顔で幌を開けると、うとうとと仮眠していたナビスはすぐに起きて馬車を降りる。そして、そのまま2人はギルドへと向かった。
安心できることに、ギルドの建物からは光が漏れていた。恐らく、夜通し誰かが起きて作業しているのだろうと思われる。つまり、こんな時刻であっても、澪とナビスが押し掛けて大丈夫、ということだ。
「ごめんください!所長さんはいらっしゃいますか!?」
入って早速、ナビスがそう声を掛けたが、呼ぶまでもなく、所長はそこに居た。
「お、おお……ナビス様!ミオ様も、ようこそおいでくださいました!」
「毒が撒かれたって、どういう状況ですか?患者の数は?」
「多くの住民は、王都の聖女様方の治療によって持ち直しております。あとは薬と栄養と休眠で完治するでしょう」
ひとまず、大規模な治療は必要なさそうである。その点は澪とナビスの予想通りだ。王都の聖女がここまで何もしていない訳がないのだから。
また、薬についても、ある程度メルカッタから積んできたものが役に立ちそうだ。つくづく、色々と準備して、かつ迅速に動いてよかった、というところだろう。
「ただ……」
「……例の患者さんですね?」
表情を曇らせた所長にナビスが確認すれば、所長は複雑そうな顔で頷いた。
……そう。この町には、神の力嫌いの患者が居る。彼は病み上がりである上、きっと王都の聖女の治療は受けていない。今、最も命が危ないのは彼である。
「えーと、あの人、また怒り出さない?大丈夫?っていうか、こういう緊急事態なんだから、わざわざ私達を呼ばなくてもよかったんじゃ……」
とはいえ、わざわざ呼び出された澪達としては、非常に複雑な気持ちである。何と言っても、相手は厄介な患者さんだ。ついでに、緊急事態なのにつべこべ言っているのはどうなのだ、とも思う。先日、病状の悪化を理由にナビスに治療させたように、緊急事態ということで王都の聖女に治療させてもよかったのではないだろうか。
だが。
「……そういうわけにもいかないのです」
所長は、緊張に満ちた顔で、小さく囁いた。
「彼の存在を、王都の聖女に明かすわけにはいかないのです」
「……へ?」
「彼は、命を狙われる存在ですから」
……どうやら、例の厄介な患者さんは、とてつもなく厄介な患者さん、であるらしい。
「……ちょっと待って。つまり、私達はその『命を狙われる存在』を助ける、ってこと?それは、ナビスを危険な目に遭わせることにならない?」
当然、澪はそんな厄介な情報を聞き流すことはできない。
彼が命を狙われる存在なのだとしたら、それを助けた澪とナビスもまた、厄介者扱いされて命を狙われることになるのではないか。もしかしたら、今回の毒物騒ぎも、彼を狙ったものなのかもしれない。だとしたら、犯人は間違い無く、様子を見ている。誰が厄介な患者を助けたか、きっと分かる。
「……できる限りのことは、したいと思っています。しかし、確かに……聖女様方を危険に曝す可能性も、あるでしょう」
所長の苦しみに満ちた表情を見る限り、事態を楽観視することはできなさそうだ。澪は深々とため息を吐いた。そして、その隣でナビスもまた、ほふ、とため息を吐く。
「だとしても構いません。助かる方が、いらっしゃるなら。……ミオ様だって、同じようにお考えでしょう?」
「……まあ、そうなんだけどさあ」
澪が顔を上げると、決意に満ちた勿忘草色の瞳がそこにあった。それを見て、澪は少しばかり、安心する。
大丈夫だ。澪もナビスも、覚悟の上ではある。その上で、助けられる人は助けたいと思っている。澪としては、ナビスの危険は避けたいのだが……他ならぬナビス自身が危険を省みずに人を助けたいと思うのであれば、それを助けたいと、思うのだ。
「本当に、何とお礼を申し上げたらよいか……!我々の我儘にあなた方を巻き込んでしまうこと、深くお詫び申し上げます」
所長は深々と頭を下げた。……その姿を見て、澪はふと、『あっ、多分この人、ギルドの所長っていうのは世を忍ぶ仮の姿なんだな』と察する。
本来ならば、ギルドの所長がただの町民1人をここまで気にする義理はないだろう。ましてや、彼1人のために秘密裏に遠く離れた町の聖女を呼び寄せるなど、普通だったら、しない。
そしてあの患者についてもそうだ。ここまで手厚く保護されて、誰かから隠されるようにされている。恐らく、今回澪とナビスが呼ばれた理由は、『他の聖女の治療を受けたくないから』ではなく、『彼のことを知る者は少ない方がいいから』なのだろう。
そして、あの患者本人が聖女の治療を拒む理由は分からないが、命を狙われる理由については……。
「あー……ナビスぅ。そのねー、私ねー、なんかめっちゃ嫌な予感してるんだけどねー……」
澪はそっと声を潜めて、ナビスの耳元で囁く。
「……これ、聖女モルテが言ってたこと、マジになってない?」
澪がそう言えば、ナビスはきょとん、として……それから、はた、と何かに気付いたような顔をする。
「……ま、まじ、でございますか……?」
「うん。マジでございます」
ナビスも恐らく察したであろうことを確かめて、澪は半ば諦めるような気持ちで所長に向き直る。
「所長さん。いちお、確認ね?あの患者さんってさー……」
どうかマジでございませんように!と願いつつ、願っても無駄だろうなあ、とも思いつつ……澪は、聞いた。
「……王子様だったり、する?」
「……御明察でございます」
「うわああー……」
「ああああー……」
答えが出てしまって、澪もナビスも聖女モルテに祈りたい気持ちになった。
全く予期していなかったことに……うっかり、本当にうっかり、王に近づいてしまっていたのである!
「こりゃ運命変わるわ。歯車も動くわ。ぐるんぐるん回っちゃうよねこんなの」
「私の、というよりは、世界の歯車が動きかねませんね……」
さて。
澪とナビス、そして所長は、こっそりとギルドの裏庭を抜けて、例の隠れ家へと向かっていた。
澪もナビスも『あちゃー』という気分ではあるのだが、それでも目の前に死にかけている人が居るのだから、救わない理由にはならない。たとえ、これが原因でナビスの運命の歯車が動いたり、世界の運命の歯車が動いたりしちゃったとしても、である。
……無論、澪としては、考えてしまう。『1人を救うことで1万人が死ぬかもしれない』といった可能性について、だ。
この王子様……つまり、今の高齢の王の一人息子が元気になって政界に復帰することがあれば、それを原因とした内紛が起きかねない。その時、もしかしたら、2人以上の……千、万といった人が傷つき、時には死ぬこともあるのかもしれないのだ。
だが、そんなものはあくまでも可能性の話である。逆に、今、王子様を救うことで未来に起こる内紛が沈静化されて幾千幾万の人が助かる……かもしれないのだ。
未来のことは分からない。だから、澪もナビスも、今、目の前で救える人を救いたいと思う。たとえ、多少、自分達が不利益を被ることがあっても。
隠れ家の地下室へ進むと、そこには前回同様、例の患者さんが居た。ただ、前回と異なる点は……例の患者は昏睡状態にない、ということだろう。
「聖女様をお連れしました」
そこへ所長を先頭に澪とナビスが入っていくと、ベッドの上の患者は、はっとした顔でこちらを見る。
……そうして、澪とナビスはその人が起きているところを初めて見た。
彼は未だ床に臥せっている状態で、相変わらずやつれた姿をしている。だが、前回見た時よりは大分、マシになったと言えるだろう。幾分、血色がよくなったように見え、肉付きも多少、良くなっている。
そして何より、その目が開いてこちらを見ている。金色にも見える明るい琥珀色の瞳は生気を宿していて、確かにこの人が生きていることを証明していた。
「――?」
彼は澪とナビスを見ると目を見開いて、何か、小さく唇を動かした。だが、何か言葉を発そうとしたものの、言葉は言葉になることなく、掠れて喉の奥に引っかかってしまったらしい。
咳き込む患者を所長が支え、水を飲ませる。それを見ながらナビスは早速、治療の準備に取り掛かり始める。即ち、聖水で場を清め、杖をついて祈りを捧げる姿勢を取ったのである。
「こちらは聖女ナビス様と勇者ミオ様です。治療にいらっしゃいました。信頼のおける方です。私がお呼びしました」
「お、おい……何を、考えている!誰も呼ぶなと……言った、だろう……!」
所長の説明に、患者は焦燥の色を表情に滲ませ、苦し気にそう言った。
「彼女らに、危険が及んだら、どうする……つもりだ!」
所長が宥めるのも聞かず、患者は起き上がって、澪とナビスを見つめた。
「さあ、もう帰りなさい。長くここに居てはいけない。私を見たことは、忘れて……」
「いいえ。覚悟の上ですもの」
だが、引き下がるナビスではない。澪も当然、引き下がらない。
「そういうこと。ってことでおじさん、悪いけど治療しちゃうから。……ね、『おじさん』ってことにしといていいよね?」
澪の言葉は、暗に『もうあなたの正体は知っている』と伝えているものだ。患者……この国の王子であるらしい彼もまた、それは分かったらしい。
「分かっているなら、どうして……」
「私もミオ様も、お人よしなのです。助けられる方が目の前に居るのに諦めるというのは、性に合いません」
「そういうこと。だからもう、諦めて治療されちゃって。ね?」
王子は澪とナビスとを見て、『意味が分からない』というような顔をする。だが、澪もナビスも今更ここで『やっぱり帰ります』などとやる気はない。
「安心してよ。私達はおじさんの敵じゃないよ。まあ、色々と因果関係分かってないし、これからもずっとそう、とは言えないけどね」
「しかし、全ての民と……とりわけ、ポルタナの敵にならずにいてくださるのならば。ならば、私達は味方であり続けることができるでしょう」
澪もナビスも、彼を安心させるべく、そう笑いかける。
そう。王子は、敵ではないはずだ。どうやら彼の敵が居るらしいことは分かっているが……今、碌に情報が無い状況においても、澪とナビスは『王子と王子の敵、付くとしたらどちらに付くか』と迫られたなら、王子の側を選ぶだろう。
何せ、王子の敵は井戸に毒を投げ込んだ可能性が高い。セグレードに混乱を起こし、それに乗じて王子を見つけるなり殺すなりするつもりだったのかもしれないが……いずれにせよ、無関係の多くの人々を巻き込んだ時点で、澪とナビスの矜持には反する。
だから、澪もナビスも、どちらかといえば王子の味方なのだ。
と、そういう意味を込めて、澪とナビスは王子に笑いかけたのだが……。
「……ポルタナ?」
王子は、そう呟いて、唖然としていた。
「ポルタナと言ったか?今……」
「え、ええ……私はポルタナの聖女ですので」
「ポルタナの、聖女……?」
ナビスの言葉をオウム返しに繰り返して唖然とする王子を見て、澪とナビスは揃って首を傾げる。何か、ポルタナに思うところがあったのだろうか。
……と、その時だった。
ばん、と剣呑な音がする。それは、家の戸が叩かれる音だ。
「……まさか、つけられていたか」
所長が青ざめる間にも、地下室の階段の上からは微かに、『鍵がかかってやがる』『この扉、裏に鉄が貼り合わせてあるようです。破れません』といった声が聞こえてきていた。
……どうやら今日は、嫌な予感が悉く的中する日らしい。




