離れることで*1
パディエーラが、引退。
その言葉を聞いて、澪もナビスも、一瞬思考が追い付かなかった。
だが、思考が追い付いてしまえば、後は只々、驚きだけが残る。
「いっ……!?」
「んた……!?えっ、あのっ、パディ様!?な、何故!?」
「こらこら、声が大きいわよ?内緒、内緒。ね?」
思わず立ち上がり、慄く2人だったが、しー、と、唇の前で指を立てるパディエーラに促されて黙り、そしてそっと着席する。だが、席に着いてみたところで驚きが消えるわけではない。2人揃って只々、パディエーラを見つめるのみである。
「えーと、簡単に説明するとね、そろそろレギナの第一聖女の座を明け渡した方がいいだろう、って考えたのよ」
驚く澪とナビスに、パディエーラはそう、説明を始めてくれた。
「マルちゃんになら、レギナの大聖堂を任せても問題無いでしょう?心根はちゃんとしているし。良からぬことを企む訳でもない。強いて言うなら、ご実家の意図する方向に動かざるを得ないことはありそうだけれど、それだって、ご実家の力で実現できるものが多いことを考えれば、まあ、差し引きでとんとん、よねぇ」
どうやらパディエーラはマルガリートにレギナのナンバーワンの座を明け渡すつもりらしい。それ自体には、澪もナビスも、反対はしない。
マルガリートは確かに、貴族出身の聖女である。……だが、それ故に月と太陽の祭典の際には『聖銀の杖10本!』などという発注をしてくれて、それで祭典の開催にこぎつけることができた。彼女の実家は彼女やレギナにとって、足枷になるかもしれないが、同時に、遠くへ快適に走るための車輪ともなり得る。
「でも、どうして……?マルちゃん様に座を明け渡す、ということなら、引退はされずとも……」
「まあ、引退しちゃった方が、より多くの信仰をレギナに残して行けるでしょうから。それは、レギナで聖女をやっていた者としてのけじめみたいなものよ」
また、マルガリートに座を明け渡すために引退する、というのも、澪にはなんとなく分かる。
要は、パディエーラに残ったままのファンを、ある程度マルガリートやレギナの他の聖女達に移してから引退すべきだ、と。そういうことなのだろう。
パディエーラの信者は多く、それ故に、パディエーラが引退したならば一気に信仰心がガタ落ちすることは想像に難くない。それを少しでも緩和していきたい、と思うのは、真っ当な聖女であれば当然の発想であろう。
「それに……」
……そして、更に、パディエーラは含み笑いを口元に浮かべながら、言った。
「……子を産むなら、引退してからの方が何かとごたつかなくていいでしょう?」
「へ?」
澪とナビスは、ぽかん、とする。
しばし、ぽかん、とした後、つい見てしまうのは……勇者ランセアである。ずっとパディエーラの隣に居る、居心地の悪そうな、勇者。
……澪とナビスがじっとランセアを見ていると、ランセアは視線に気づいて慄いた。
「ご、誤解だ!まだ手は出していない!」
「あ、そうなんだ……?」
「おい、パディ!誤解を招くようなことを言ってくれるな!」
「あはははは!ごめんなさいねぇ、ふっふふふ……澪もナビスも、反応が新鮮なものだからぁ……」
パディエーラは1人ころころと笑っているが、ランセアにとっては間違いなく笑い事ではない。ついでに、澪とナビスからしても、妙な緊張感が走っていて笑うどころではない。
だが、パディエーラは1人笑いながら、それでいてほんのりと、彼女にしては珍しく……どこか恥じらうような素振りを見せながら、言った。
「……要は、そろそろ結婚したいわね、っていう話よ」
「……相手は?」
「ランスよ」
……改めて、澪とナビスは勇者ランセアをじっと見つめた。今度は『誤解だ!』と言うこともなく、ランセアはただじっと、澪とナビスから目を逸らしながら大人しくしている。
元々、親しい人達の前では『パディ』『ランス』と愛称で呼び合っているところも、同郷だということもあって『もしや?』と思える2人ではあったが、まさか、本当にそうだとは。
「それは、えーと、最近、ランセアさんとお付き合いを始めた、ってかんじ……?」
「いいえ。私達、元々そういう仲よ。ジャルディンに居た頃からの」
「今までよく隠せたねえ!?」
更に、『元々そういう仲だった』というのだから驚きである。確かに、2人は仲が良かったが。良かったが、まさかそうだったとは。
「あらぁ、隠してはいないのだけれど……」
「私はいつ刺されるかと常に警戒していた」
「うわあああ……」
……パディエーラのどこか飄々とした雰囲気と、ランセアの真面目な雰囲気が噛み合って、あまりそういうかんじが無かったのだろうなあ、と澪は分析する。ついでに、2人とも仕事に対して真面目なので、尚更だろう。
だが、ランセアの心労を考えると、澪はつい同情してしまうのであった。自分の恋人が大都市で一番の聖女になって人々の信仰を集めている、という状況は、果たしてランセアにとっていかほどの心労となっていたのだろうか……。
「まあ、そういうわけで引退を考えているの。それで、単にジャルディンの聖女に戻ることも考えたのだけれど……」
「……それでも、『刺される』だろうと思われてな」
「成程……大変ですねえ」
パディエーラとランセアの予想は、恐らく正しい。
レギナのナンバーワン聖女が『地元に戻ります』とだけ言ったところで、付いてきてしまう信者はとてつもない数、居るだろう。そして、その状態でランセアとの結婚など仄めかせば、間違いなく、刺される。ランセアが。或いは、パディエーラも。
「まあ、パディはガチ恋営業してるわけじゃないし、そのあたりは結構ドライな芸風だと思うから被害は少なめだと思うけれど……でも確かに、『引退』って形をとっておいた方がいいのは同意する」
「でしょう?ついでに、数年間、皆が私のことを忘れるまでジャルディンの外れの方でのんびり過ごしてからジャルディンの聖女として復帰する、っていうことなら、悪くないと思わない?ついでに、その期間に結婚しておく、っていうのも」
パディエーラの説明に、澪は『成程なあ』と深く頷いた。
パディエーラに熱狂的な信者が居たとしても、パディエーラが引退して、そのまま数年間音沙汰無い状態になれば、その間に信者達の興味は薄れ、他の聖女へと移っていく。そうなれば、パディエーラが結婚しようが子持ちになろうが気にする者は少なくなるし、気にする度合いも弱くなっているだろう。
そうなれば、刺されにくい。非常に、刺されにくいのだ!
「そういうわけで……まあ、引退して数年は、聖女の活動を一切やめようと思っているのだけれど……そうなると、ジャルディンを守る聖女が、居ないのよね」
「そこで神霊樹を、というわけですか」
「そういうこと」
さて。一通り説明が終わったところで、ようやく話が最初に戻ってきた。
つまり、パディエーラがジャルディンに神霊樹を植えてほしい、と言っていた理由は、『自分はこれから当面、表だって聖女として動けなくなるので、その間ジャルディンが手薄になってしまう』というものだったと。
「そういうわけで……もしよかったら、神霊樹をジャルディンにも1本、植えて欲しいのよ。勿論、無理にとは言わないわ。表だって活動できなくなるとはいえ、緊急時にはやっぱり私が動くしかないだろうし、緊急時だけでも動ける私が居るのだから、他の町を優先した方がいいだろうし……」
パディエーラはそう言うが、澪とナビスはもう、『じゃあ最後の1本はジャルディンで!』と決めている。
「でも、まあ、どのみちジャルディンが手薄なのは前から分かってたことだし。丁度いいっちゃ丁度いいんだよね」
「ジャルディンでしたら、果物の木がよく育つ風土ですから、神霊樹の育成にも丁度良いのではないかと」
ジャルディンは元々、手薄だった。唯一の聖女がレギナに出稼ぎに行ってしまっている状態だったため、守りは薄く、それでいながらそれなりの規模の町である。
なら、ここに神霊樹を植えていくのは、そう悪くない手のはずだ。ひとまず、澪とナビスとしては、守れる範囲を増やすことが第一なのだから。
「あっ、そうだ!それからさ……」
さて、早速神霊樹を植えに行こうか、と席を立った澪だったが、うっかり忘れていたことを思い出して、パディエーラとランセアに笑いかけた。
「パディにランセアさん。ちょっと気が早いけど、ご結婚おめでと、ってことで!」
「引退後、また改めてお祝いさせてくださいね?」
……神霊樹を植える意義も、聖女の引退に纏わるあれこれも抜きにしても、やっぱり何より友達の幸せは祝福したい。全力で応援したい。そんな澪とナビスなのである。
そうして、ジャルディンにも神霊樹が生えた。
パディエーラが祈りを捧げると、にょきにょきにょき、と芽が伸びて、なんと、1時間で若木になってしまった。
「こ、これがパディの祈り……!」
「多分、聖女が持っている信仰心を注ぎこめば、これくらいは簡単にいくと思うわぁ」
パディエーラはころころと笑っているが、ブラウニーやスケルトンの時をも凌ぐにょきにょきぶりに、澪もナビスも驚くしかない。パディエーラの祈りも、こんなにも急速成長する神霊樹も、只々驚きである。
「これは、私がレギナで稼いできた分を地元に還元した、っていうところかしらねえ」
よいしょ、と神霊樹の前から立ち上がって、パディエーラはにっこり笑う。
「……あの、パディ様。1つ、お聞きしたいのですが……」
そんなパディエーラに、ナビスは少し躊躇いながら問いかける。
「何故、レギナの聖女になられたのですか?ジャルディンに留まるのではなく……レギナに行かれたのは、何故ですか?」
パディエーラは、ぱち、と目を瞬かせると、笑って、それから少しばかり、気まずげな顔もした。
「そうねえ。まあ……『裏切り者』に見えるかも、っていうのは分かるわぁ」
……『裏切り者』。
中々に重々しい言葉だが……確かにそうかもしれないよなあ、と澪は思う。
ジャルディンの人々にとっては、『ジャルディンの聖女であったのにレギナへ行ってしまった裏切者』なのかもしれないし、レギナの人々にとっては『レギナで得た信仰心をジャルディンに還元している裏切者』なのかもしれない。
「い、いえ、そういうつもりでは!」
「あははは、それも分かってるわよぉ。ナビスがどう思うか、じゃなくて、まあ、他の、不特定多数の人から見たら、っていう、ね?」
慌てるナビスにパディエーラはころころと笑って、そして、随分と優しい顔をする。正に、『聖女』というような、そんな顔だ。
「私は、見ていれば分かると思うけれど、ジャルディンが好きよ。ジャルディンに育てられたし、恩返しをしたいから……だから、そのためにレギナの聖女になったの。だから、ジャルディンを裏切ったつもりはないけれど、レギナにとっては、不誠実な聖女だったわね」
「でも、やっぱレギナの方が稼ぎが良い、ってことでしょ?」
パディエーラの言葉に澪がそう重ねれば、パディエーラは頷く。
「やっぱりね、ジャルディンって、いいところだけれど人は少ないでしょう?しかも、流れの傭兵なんかだと、あんまり信仰してくれない訳だし。……その点、レギナは人口が多いし、何よりも『信仰する』っていうことが娯楽の一種として根付いているようなところがあったから、信仰を得やすかったの」
「ああ……確かに、競い合うように複数の聖女が居ると、選択の余地がありますから……」
人間は、『選択』が好きらしい。1つしかない選択肢を選ぶ時、それは単なる義務になりがちだが、2つ、3つの中から選んだものであれば、それを楽しむ心が生まれるものだ。レギナの聖女達も、同じようなものなのかもしれない。
「ジャルディンを守るために、ずっとジャルディンに居なきゃいけないっていうことじゃ、無いと思ったの。もっと効率よく、もっとジャルディンの力になれる方法が、レギナの聖女になることだったのよ」
パディエーラの言葉を聞いて、澪もナビスも、ふんふん、と頷く。先輩聖女の言葉は含蓄がある。
「それに、ジャルディンはポルタナみたいに、天然の要塞みたいな土地でもないでしょう?産業も、すぐに増やせるわけじゃなかった。だから、あんまりジャルディンに他所の人を呼び込むのは得策じゃなかったのよね。でも、私が信仰を多く集める聖女になっちゃうと、私が居ることでジャルディンに影響が出ちゃう」
語るパディエーラは、どんな気分なのだろう。
自分の愛する故郷を離れたのは、必ずしも本意ではなかったのだろうし、でも、きっと正しいことだった。
聞いている澪とナビスの方が何となく複雑な気分になっていると、パディエーラはそんな澪とナビスを見て笑う。
「離れた方がより良く守れることだって、あるのよね。でしょう?」
「離れた方が、かあ……」
パディエーラのことは、単に『出稼ぎ』と言うこともできるだろう。
だが、澪は『離れた方が守れること、かあ』と、なんとなく『出稼ぎ』以上の意味を感じ取って、言葉を反芻する。
いつか、ナビスもポルタナを離れることがあるだろうか、などと考えながら。
……或いは、澪自身が。
翌日、澪とナビスはジャルディンを出発した。
そして向かう先は……。
「神霊樹も3本、植え終わってしまいましたものねえ……」
「ね。マルちゃんにはちょっと悪いけど……」
……馬車は、ポルタナへ戻る。神霊樹3本を植え終わった以上、一旦戻るのがよいだろう、という結論に至った。
マルちゃんは寂しがるかもしれないが……。
そうして更に翌日。ポルタナに戻った2人は、そこで人々のざわめきを聞いた。
そこは、鉱山の麓。上り下りの為の滑車がある辺りで、人々が集まって何か興奮気味に喋っているのだが……。
「何かあったのですか?」
「おお!ナビス様!丁度良かった!」
ナビスが人だかりに声を掛けると、人々は興奮気味の喜色満面で振り返り、そして……。
「鉱山の地下4階から、こんなものが見つかったんですよ!これが中々の業物で!」
見せてくれたもの。それは……。
「……短剣?」
古びてはいるものの、尚、刃の鋭さを失わない短剣が一振り、あったのだった。
「ああ。それも、ただの短剣じゃあねえ」
澪とナビスが首を傾げていると、カルボが興奮気味にやってきて、目を爛々と輝かせて、言った。
「こりゃ、オリハルコンの短剣だ」




