大きな神霊樹の下で*5
「……アンケリーナ、っていうと」
「……お母様の名前、ですね」
澪とナビスは確認し合って、指輪の内側を指でなぞる。
『アンケリーナへ』という打刻。となるとこれはきっと、ナビスの母親……先代聖女アンケリーナのもの、だったのだろう。
「……何故、ナビスのお母さんの指輪が、ここに?」
「さあ……」
だが、理由がまるで分からない。
わざわざ、地底湖にナビスの母親が指輪を落とすとは思いにくい。ましてや、ナビスの母親が亡くなったのは、鉱山地下3階に魔物があふれた時のことだ。猶更、地下4階の地底湖に指輪がある理由が分からない。
そして、あの龍。
……鱗や皮や肉を採る予定で放置してある龍の死骸が湖の傍らにあるのだが、どうも、あの龍はこの指輪と関係がありそうである。
「……あの龍、やっつけたらまずかったかな」
「いえ、流石に、ああまで敵対してくる魔物をそのままにはしておけませんでしたし……」
取り返しのつかないことしちゃってないかなあ!?と澪は戦々恐々なのだが、ナビスは案外、落ち着いていた。
「それに、最初に水面の上に見た人影も、あの龍が見せていた幻影のようなものだったように、思うのです。なんとなく……あれは、龍が仕掛けた罠、のようなものだったのではないかと」
ナビスはそう言って、ふ、と小さく息を吐いた。
「……あの人影は、お母様に似ていましたから」
それから2人は、湖のほとりで焚火を熾してナビスの体を温めながら話すことにした。
「あの人影を見た時、お母様がいらっしゃるのではないか、と思ってしまいました」
ナビスはそう言って、少し恥ずかしそうに笑う。
「ああ……ナビスのお母さん、ああいうかんじだったんだ」
「はい」
なんとなく、髪が長く、裾の長い服を着ているような人影だった。澪もそれは覚えている。そして、何となく寂しげであったことも。
「ですから、あの龍は、私を誘き寄せるために指輪と幻影を用意したのではないかと思うのです」
「そういうことかー……それなら色々と説明が付くよね」
あの龍は、澪とナビスを見てナビスに襲い掛かった。あれは、前衛の澪よりも後衛のナビスを狙ったものだと思ったが、もしかすると、最初から狙いはナビスだったのかもしれない。
「となると、ここの水を悪くしたのもあの龍、なのかな」
「意図してやったことかはわかりませんが……原因はあの龍でしょうね。神霊樹の根が伸びてきたことで、その魔除けの力に対抗すべく水に悪しき力を注いだのかもしれません」
ほー、と感心しながら澪は聞き……そして、はた、と気づく。
「あっところでナビスはその水に入っちゃったわけだけれど!」
そう。神霊樹がしょんぼりしている原因は、ここの水に何かが起きたから、と考えられた。つまり、ここの水は『悪い水』であるはずであり……。
「ああ、大丈夫ですよ。この程度でしたら、然程気にせずとも十分に身を守り切れますから。特に、今回は魔除けの光を大分使った後でしたし……」
だが、ナビスの様子を見る限り、心配は要らないのだろう。澪はほっとしつつ、それでもナビスの様子を見ることは忘れない。ナビスは一人で抱え込みがちだ。体調不良があっても言わないことは十分に考えられる。
「えーと、つまり、自分を保護する膜みたいなのを魔除けの力で作れる、ってかんじ?」
「え、ええと……」
澪がナビスの様子を見つつ、詳しく『然程気にせずとも十分に身を守り切れる』の中身を聞こうとすると、ナビスは何故か、もじ、と恥じらい始めた。
そして。
「……水に聖女を漬けておくと、少しばかりは、その水を浄化できます」
「まじかっ」
随分と衝撃的なことを言われてしまい、澪は慄く。
まさか、聖女様を入れておくとその水が浄化される、とは。恐るべし、聖女。
「……ということは、ナビスが入った後のお風呂って」
「い、言わないで!言わないでくださいミオ様ぁ!なんだか恥ずかしいです!」
確かに、自分の残り湯が浄化されている、などと言われてもなんとなく恥ずかしいだけだろう。澪はこれ以上ナビスを恥ずかしがらせないように口を噤みつつ、ぼんやりと、『えー、なんかえっちいなあ……』と思うのだった。
ナビスが温まったところで着替えて、さて。2人はようやく、本題に入る。
「ところで、ここの水が悪くなった原因は龍が住み着いたから、ってことなのかな」
そう。2人はここへ、神霊樹のために来たのである。ちゃんと水質改善して帰らねば、地下4階まで来た意味がない。
「そうですね……龍が魔除けの力に対抗しようとした、という線は考えられるかと。あの龍は大分凶暴でしたし」
やはり、神霊樹の根っこが届いたことによる環境の変化が、玉突き事故のように水質悪化までつながったと考えられる。……或いは。
「後は……あーいうのかなあ」
澪は、最近割れ砕けたと見える岩石が水のほとりに落ちているのを見つけて、よいしょ、よいしょ、とそれを転がしていく。澪が丸くなった時くらいの大きさがあるその岩は、無事、水辺から離れたところまで動いた。
「岩……ですか?」
「あ、うん。ほら、もしかすると、鉱物が水に溶けだして、それが神霊樹に良くないのかなー、って思ったから」
鉱毒、というものもある。もしかすると、龍が暴れて落ちてきた岩に含まれる鉱物が水に溶けだして神霊樹に影響を与えたのかもしれない。澪はそのあたりにそう詳しくはないが、一応、できることはやっておこうと思う。
「成程……鉱物が溶け出して、ですか」
「うん。或いは、一応海が近い土地だし、岩塩が出てきて溶けちゃった、とかさ。考えられるんじゃないかな」
特に、このあたり……ポルタナは、海辺の村だ。この鉱山自体は海から多少離れてはいるが、それでも十分、海辺である。ということは、かつてこのあたりまで海だったりしたならば、鉱山の中に岩塩の層があってもおかしくなく、それが表出して地底湖に溶けたならば、間違いなく植物には影響する。
「塩……ならば、聖水にできるでしょうか」
「あっ、それは考えなかったな。やってみる?」
「はい。折角なので……」
ナビスがいそいそと水辺に向かっていくのを追いかけて、澪はナビスと一緒に水を覗き込んだ。
もし、この水に塩が溶け込んでいるなら聖水になるはずである。……ということで、ナビスが祈るのを横で見ていたのだが。
「……あまり、聖水にはなりませんね。普通の水よりは多少……という程度です」
「ということは、あんまり塩は入ってない?」
「そのようです。まあ、植物にとっては良いことですね」
どうやら、塩の類は水に溶け込んでいないらしい。神霊樹の生育のことを考えれば、良いことである。澪とナビスは『よかったよかった』と頷き合いつつ、お互い歌やラッパで魔除けの光を撒いて、地下4階全体を浄化していく。こうすることで、神霊樹にとってより生きやすい環境にしておくのだ。
そうして一頻り、魔除けの光を撒いた後、2人はようやく鉱山地下3階へと上がることにした。
「おお!ナビス様!ミオちゃん!見てくれ!これ!これ!」
「え?え?何?何?」
そうして鉱山地下3階へと戻った澪とナビスは、早速、鉱夫の1人に引っ張られていくことになる。
なんだろうなあ、とそちらへ着いていくと……なんと。
「……元気になるの、早いねえ」
「そうですねえ……」
そこには、ぴん、と葉っぱを伸ばす神霊樹の苗木の姿があった。どうやら、地下4階の龍が居なくなり、水や空間が魔除けの光で満たされたことで、神霊樹が元気を取り戻したらしい。
対策してすぐ元気になる様子を見ていると、『神霊樹ってなんか、現金なやつだな……』と思ってしまう。澪は、ちょこ、と神霊樹の葉っぱをつついてやった。
「骨の連中も喜んでるみてえだ。ありがとな!」
まあ、何はともあれ、これでポルタナの神霊樹については問題解決、としてよいだろう。スケルトン達もカタカタと喜んでいるので、澪もナビスもなんとなく嬉しい。
……その分、ナビスが手の中に握っている指輪のことは、少々気になった。
どうして、龍はナビスの母の幻影や指輪を使ってまで、ナビスを誘き寄せようとしたのだろうか。
ひとまず、澪とナビスは教会に戻った。未だ、謎は多く残っているが、ひとまず休憩を挟むことも大切である。特に、考えてもどうせ分からないことについて悩むくらいなら、偶にはのんびりしてみるのも悪くない。
「ナビスー、こっち焼き上がったよー」
「こちらも仕上がりました。いただきましょう!」
と言うことで、澪とナビスは揃って台所に立ち、昼食を作っていた。
澪は人並みには料理ができるタイプだったが、この世界にやってきてから、より一層料理が得意になった。なんだかんだ、やればできるものなのである。
一方のナビスは、元々料理が上手かった訳だが、澪が同居するようになって、一緒に食事を摂るようになったためか、より一層、料理の腕を上げていた。誰かに食べてもらえる、というのは料理の腕を成長させる要因なのだ。
……ということで、2人は芋餅とスープ、という食事を共にすることになった。
芋餅の中には、とろりと蕩けるチーズが入っている。もっちりとしていながらも表面はカリッと焼けた芋餅は、澪の好物である。そしてスープはいつもの魚のスープ。ナビスの得意料理である。じんわりと旨味が広がる味わいは、澪を落ち着かせてくれる。
「とりあえず、神霊樹を植えてみないとね。どこがいいかなあ」
そんな食事を摂りつつ、澪はナビスに聞いてみる。
ひとまず、目下の目標は神霊樹の植樹、ということになるだろう。次に魔物が活性化した時、澪とナビスが間に合うとは限らない。聖女が居ない土地を守るため、神霊樹を植えておきたいのだが……。
「……メルカッタに植えたら、顰蹙かなあ」
澪は、そう、続けてみる。
……メルカッタは、規模が大きく、なのに聖女の居ない町である。できることなら、神霊樹を植えておきたいのだが……。
「うーん……信仰が得られる、でしょうか……」
……最も神霊樹を植えたい土地だが、最も反発されそうな土地でもあるのだ。




