大きな神霊樹の下で*3
「ポルタナ鉱山には、地下5階まであるそうです」
ナビスの話に、澪は頷く。確か、そんなようなことを聞いたことがあったような、そんな気がする。
「しかし、私が物心つくより前に、もう閉鎖されていました」
「……それは、魔物が出たから、ってことだよね?」
「はい。当時の聖女……私のお母様は、地下4階の魔物を倒すことよりも、封印することを優先しました。ポルタナ一番の資源である聖銀の産出を安定させることを優先したのだと思います」
地下3階には聖銀が出る。そしてそれが、ポルタナの産業を支えていた。……小さな地方の村ポルタナとしては、魔除けの材料でもある聖銀までもを失う訳にはいかなかったのだろう。実際のところは、まあ……ナビスの母親も、鉱山の地下3階の防衛に失敗しているようだが。
「じゃあ、地下4階に何があるかは……」
「分かりません。当時を知る鉱夫の方に聞いてみれば、何か分かるかもしれませんが……皆、ご高齢ですし」
ナビスも知らない、ポルタナ鉱山地下4階。そこには一体何があって、どんな魔物が居るのか。
「……とりあえず、水があることは分かる!」
「そ、そうですね!水はあると思います!神霊樹が一応は、芽吹いたわけですし……」
……ということで、澪とナビスは、鉱山地下4階への入り口を探して、うろうろすることになったのだった。
鉱山地下4階への入り口は、案外近くにあった。だが、見つけるまでに少々時間がかかった。
何故かというと、鉱山地下4階の入り口の前にスケルトン達の地下ガーデニングの植木鉢が置かれていたり、鉱夫達の道具が置いてあったりしたからである。
「いや、地下4階なんてどうせ行かねえだろってことで、塞いじまったんだよ。悪かったな」
「あ、うん、まあ、いいんだけど……え?この植木鉢は?」
「スケルトン達が栽培してるマンドレイクだな」
「えっ」
まさかコニナ村再びか!と澪が慄く中、スケルトン達はカタカタと楽し気にマンドレイクの植木鉢に水をやっている。魔物が魔物を育てているようなものなので、澪としてもナビスとしても、この不思議な光景から目が離せない。
「なんでも、スケルトン達はマンドレイクを引っこ抜いた時の声が効かねえらしい。まあ、一回死んでるようなもんだしな……」
「そ、そんな抜け道が……!」
澪とナビスが、おお、と感嘆の声を上げる中、スケルトン達はカタカタと恥ずかし気に植木鉢を移動させていく。とりあえず入り口は開けてもらえそうだ。よかった。
「切り干しマンドレイクが安定してできるようになったら、美味いスープを食えるようになるっつって張り切ってるぞ」
「えー……健気ぇ……」
「な、なんだか、その、このようなことを言っては失礼かとも思いますが……なんだか、その、可愛らしい、ですね……?」
澪とナビスが何とも言えないそわそわした気持ちでスケルトン達を見つめると、スケルトン達も恥ずかし気に、カタカタ、としながらそそくさと逃げていった。
……健気でシャイな骨達である。
さて。こうして道は開けてもらえたので、とりあえず偵察がてら、地下4階を見に行くことにする。
澪とナビスは、かつ、かつ、と古い古い石の階段を下りていく。……この階段は、ナビスが物心つくより先に閉鎖された階段だ。最低でも15年程度は使われていなかったことになるが、それでも階段はしっかり形を保ってそこにあった。
「ああ……守りの印が、刻まれていますね」
ナビスは、階段を下りていく傍ら、壁に刻まれた模様を見て寂しげに笑う。
「お母様のだわ」
「……そっかー、ナビスのお母さん、こういう風に魔除けの力を刻んでおいたんだねえ」
ナビスの母は、当時、地下4階が魔物に満たされた時、地下3階を守るためにこのような封印を施した。その守りは今も尚生きていて、地下4階から魔物があふれてくるのを防いでいる。ありがたいことだ。
「まだ、印は生きているようです。なら、力だけ注ぎ込めば……」
ナビスは、壁の模様に触れたまま集中し始めて、そして、ぽう、と金色の光が指先に灯る。
魔除けの光は壁に彫り込まれた守りの模様の溝を伝って壁面へと伝わっていき……そして、やがて階段を守る門のようになった。
「おおー、光の門ができた」
「これで地下3階はひとまず安全かと。さあ、参りましょう」
「よーし、ちょっと覗くだけ覗いてこよう!」
ひとまず帰り道の安全が担保されたところで、澪とナビスは階段を下りきる。……そして、鉱山地下4階へと足を踏み入れていくのだった。
鉱山地下4階は、薄明るい。
「ここにも夜光石の鉱脈があるのかな」
「そうですね……。いくらか、岩石に混ざっているのでしょう」
周囲を警戒しつつ、周囲を眺めつつ、2人はゆっくり、進んでいく。
……地下3階を攻略した時のように、入ってすぐスケルトン、ということが無い。魔物の気配はするような気がするのだが、魔物の姿は全く見えない。
代わりに、坑道内は不思議な雰囲気に満ち溢れていた。
「わあ……すごい。宝石の欠片みたいなの、落ちてる」
「これは……えーと、よく分かりませんね」
澪の足元に落ちていた宝石の欠片を拾い上げると、それは薄明かりの中できらりと煌めいた。だが、残念ながらこの光量の中ではよく見えない。ひとまず、宝石の欠片はポケットにしまうことにして、探索を進めていく。
……鉱山地下4階は、静かだった。かつて、魔物が出て封鎖されたとは思えないほどに。
壁面に時折煌めく夜光石の光が幻想的で、宝石らしいものに光がきらりと反射して、そして……静か。何か、現実味が無いような、夢の中のような、そんな空間だった。
「う、うーん……これだけ何もいないと、逆に怖いんだけど」
「そ、そうですね……もしかして、地下4階の魔物が、地下3階以上に押し寄せてきていた、ということ、でしょうか……?」
「だとしても、流石に地下4階の魔物数がゼロってのはなあ……」
どういうことだろう、と、緊張を強めつつ澪とナビスは鉱山地下4階を進む。
何も無いとは思えない。だが、何も無い。ありえないはずの状況が、2人の緊張を徐々に高めていった。
……すると。
ぴちょん、と、かすかに水の音が聞こえてきた。
「……奥かな」
「ええ……そのように思えました」
2人は顔を見合わせて、それぞれにナイフと杖を構える。
水の音が聞こえた、ということは、水が不規則に動いたということだ。ならば、そこには水と……何かが、居る可能性が高い。
じりじりと、ゆっくりと、気配を殺して進む。進んでいくにつれて、ぴちょん、ぱしゃ、と、水の音ははっきりと聞こえてくるようになり……。
そして、視界が開けた。
そこは、今まで坑道の中に居たのが信じられなくなるほどの広い空間だ。教会の礼拝堂くらいはゆうに収まってしまいそうな広さは、どこか音楽ホールを思わせる。
空間の中央には、地底湖が存在していた。澄んだ水を湛えた地底湖は、その水面に夜光石の光を反射しながら、ただ静かにそこにあった。
……そして。
「えっ」
「あ、あらっ?」
そんな地底湖の水面に、人が1人、立っている。その人は、長い髪、長い裾を水面に溶かすように揺らめかせながら、何か手元に目を落として佇んでいるように見えた。
……水面に立っている人、というと、あまりにも不審だ。しかも、水面には霧が出ているのか、どうにもその姿がよく見えない。澪とナビスはそれぞれに、その人の姿をはっきり見定めようと目を凝らし、そして……。
だが、そうした途端、その人影は、ふっ、と消えてしまった。
代わりに、すっ、と何かが落ちて、ぽちゃん、と、小さな音を立てた。ただ静かでしかなかった水面に波紋が広がっていく。
……澪とナビスは、顔を見合わせた。
今のは一体、何だったのだろうか、と。
「えーと……見た?」
「は、はい。人が、水面に立っているように見えましたが……」
まさか、幽霊、だろうか。澪は『案外、この世界のことだし幽霊とか珍しくないかも』と思ってナビスを見てみたが、ナビスも困惑している。……聖女モルテのアレも相当だったが、やはり幽霊というものは別に一般的ではないらしい。
「何か、湖に落ちたよね」
「ええ……そして、湖の上に立っていた人影は、何か、手の中のものを見つめていたようでした。もしかしたら、何かの手掛かりになるかもしれませんね」
湖に近づいて、よいしょ、と水の中を覗き込んでみる。……だが、流石に暗くて水底は見えない。
「明るくしてみる?」
「ええ……よいしょ」
ナビスの『よいしょ』に合わせて、杖から魔除けの光の球が生じてふわふわ浮かぶ。それらは夜光石より強い光を放って、洞窟の中を照らしていった。
「いかがでしょう?」
「うん……あー、うん、見えそう見えそう。えーと……」
澪は早速、照らされた湖の中を再び覗き込む。透き通った水は素直に光を通して、水底まで綺麗に見渡せるようになっていた。
……すると、水底に、太い木の幹のようなものが見える。松の木だろうか。だが、松によく似たひび割れたような表面が、どうにも白っぽく見える。水の色のせいだろうか。
それに、木の幹にしては、長い。澪が不審に思って、より目を凝らしていると……。
「ミオ様!」
ナビスの悲鳴と同時、ぐわ、と水が動く。
……そして澪が顔を上げたその時には、ざばりと水を蹴散らして首をもたげた龍の咢がそこにあったのである。




