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37:光臨祭、開会

どうせ来ないと思っていた授業参観に、まさかの父親が来た時の驚き。



 お祭りの楽しさは、なんといっても前日までの準備に凝縮されている。

 道具が足りなくて買い出しに行ったり、間に合わなくて夜遅くまで教室に居残って先生に怒られつつ作業してついでに奢ってもらったり、差し入れを持ち込んでおしゃべりしてちょっとのつもりが中断になってしまったり、そのままさぼって叱られたり、こっそり恋が芽生えたりと、学生にしか味わえない青春の一コマがそこにはある。


「魔法に足りないのはロマンだわ」


 リンダがそうぼやいたのは、当日の朝起きたら寮も学校もすっかり飾り付けが済んでいたからだ。

 思い返せば校門を飾るモニュメントをどうするとか、デザイン募集もなかった。どうやら毎年同じものを使っているらしい。フレースヴェルク魔法学校のシンボル、竜の石像の周りに人がたくさん集まっていた。


「そう? これって学校設立の図でしょ? ほら、ここにドリアードがいるわ」


 翡翠がそう指さしたタペストリーには子供と大人の周囲にたくさんの木々や魔法生物、妖精などが描かれている。学校の屋上から垂らされた巨大なタペストリーが誇らしげに風に揺れていた。


「本当だわ。こっちの光ってるのが妖精ね。昔は妖精が見えたのね。ロマンじゃない」


 翡翠とローゼスタはタペストリーに見入っているが、リンダが言いたいのはそこではない。


「こういう飾り付けって全校生徒でやるものじゃないの? 楽しみにしてたのに!」


 もー! と憤るリンダは前世、文化祭のモニュメントを破壊せんとする他校生とやりあったことがある。校庭にバイクで侵入し、荒らそうとした連中とも肉体言語で語り合った。そして勝った。


 そういう時代の育ちには、みんなで盛り上がってやるイベントをショートカットしてしまうのは残念極まりないのだ。


 ちなみにそこで勝つと相手校の文化祭にご招待される。学校のトップに勝てばそこの生徒はカツアゲなど手を出してこないし、もっとやばい――本職と繋がっているような連中と共闘することもあった。学校の枠を超えた友情や恋愛に発展したこともある。

 俗に不良と呼ばれていても、それでバランスが取れていた部分もあったのだ。


「寮もすごかったけど、準備するのは三年生だったなんて……」

「寮すごかったわね! あれはポイント高いわよ!」

「私たちだってお手伝いしたじゃないの」


 悔しがるリンダにやれやれと翡翠が慰める。リンダは唇を尖らせた。

 一年生が準備しかさせてもらえなかったのは、単純に習う魔法のレベルが違うからだ。一年生はあくまで基礎、理論を勉強し、実習授業では魔法のコントロールを体に叩きこむ。


 そんなわけで一年生たちは特に説明も受けずに「光臨祭で使うから」と渡された紙をひたすら切り取るだけだった。

 先輩たちがニコニコ笑っていたから何に使うのかと楽しみにしていたのに、起きたらすでに終わっていた。楽しみだったぶんがっかりである。


 リンダたちが切り取ったのは鳥や木、雲といった、テュール寮に関係するものだった。

 それが本物になって、テュール寮を迎えたのだ。

 どうやったのか見てみたかった。ただの紙が本物に変身していく様はさぞや素晴らしかっただろう。

 下級生を驚かせたい三年生の気持ちもわかるが、一年生のリンダは悔しい。複雑な心境だ。


 テュール寮の外観は変わっていなかった。寮内は雲の上、ツリーハウスになっていて、雲の上を歩く感覚まであった。まるで絵本の中のようだった。

 感動したリンダは箒で飛び上がり、見事天井に頭をぶつけて落っこちた。歩けるのだから雲といってもそれなりの強度があったらしい。


 光臨祭には卒業生も遊びに来る。我が寮の出来栄えはいかがかと楽しみにしている人もいるくらいだ。もちろん厳しく審査して先輩風をびゅうびゅう吹かせる人も来るだろう。談話室はちょっとした同窓会状態になるという。


「あなたたち、早くしなさい」


 ポーカリオンが他の生徒たちをせかしつつやってきた。もうすぐ開会式の時間だ。


「ポーカリオン先生、今日はおめかししてるんだ」

「あら」


 いつもと同じ黒いドレスに黒い三角帽子のポーカリオンは、リンダが気づいたことに意外そうな顔をした。


「よくわかったわね?」

「そりゃあねー」


 香水とハイヒール。生徒を追いかけ回していたらできない格好だ。というか、生徒と同僚の先生だけならしない格好だ。

 女のわずかな変化に気づかない男はもてないことをリンダは身に沁みて知っていた。


 開会式は決闘スタジアムで行われる。開会式後、すぐにトーナメントがはじまるからだ。

 全校生徒による決闘だ、当然時間がかかる。時間制限はなしで、どちらかが降参、あるいは闘技場の場外に出されれば負けとなる。本来の決闘は降参か死ぬまで戦うが、さすが学校の祭りで人死にを出すわけにはいかないのでルールは改定されていた。


 スタジアムは校舎の南側、校庭からも離れたところにある。

 円形の闘技場をぐるっと囲むように階段状の観覧席が並んでいた。光臨祭のために用意された来賓席は警備の関係だろう、護衛兵とボックスで囲われ、そこだけ物々しい雰囲気だ。


 リンダたちがクラスの最後尾に並んでしばらくすると、闘技場の中央にハジムアベル校長が立った。他の先生方が多少めかしこんでいるのに対し、黒ヴェール黒マントの不審者スタイルである。


「えー、今年もまた、光臨祭を迎えることができました」


 拡声魔法で声が学校中に届いている。


「えー、精霊と大地に感謝し、子供たちの健やかな成長と学習の成果を捧げましょう」


 校長先生が短い挨拶を終え、来賓の紹介に入る。きょろきょろと居並ぶ面々を眺めていたリンダは、さっと顔を伏せた翡翠に気が付いた。


「東覇国(アジハイム帝国)より、飛皇帝陛下」


 校長の言葉にリンダは唖然とし、翡翠の反応になるほど、と納得した。

 父親が何も告げずに学校にやってきたら、気恥ずかしいし、なんとはなしにこそばゆい気持ちになるものだ。


 東覇国の皇族は飛氏という。皇帝の名前は遥斗。翡翠だと飛翡翠になる。ただし翡翠はまだ成人していない幼名なので、成人するとあざなが付けられそちらを名乗ることになる。


 遠目にしか見えないが、それでも翡翠と同じ黒髪なのはわかる。女顔の翡翠は母親似なのだろうが、二人が並べば親子だと見抜く者がいるだろう。大丈夫なのか、とリンダは心配になった。


 リンダの位置からは髪と、衣裳が祭服であることくらいしかわからなかったが、皇帝は東覇国の男性、特に貴人のトレードマークである髭を蓄えていた。さらに皇帝は現在四十一歳、翡翠と歳が離れすぎている。ついでに護衛官を五人連れてきている。身分の高い相手の顔をまじまじ見るのは東覇国のみならずラグニルドでも非常識なので、皇帝の尊顔をまともに観察する者はいないだろう。


 もし、皇帝と翡翠の色味カラーリングについて問われたら、東大陸の血が入っていると言えばいい。ハーツビートは東大陸にも支社があるし、ジェダイト・リリーはあくまで遠縁の娘だ。いくらでもごまかせる。


 とはいえたいした度胸だ。リンダは翡翠に同情した。


 開会式が終わるとすぐに決闘トーナメントがはじまる。

 ぞろぞろとスタジアムを出ていく人々の中で、残っているのは対戦間近の生徒と彼らの応援をする友人、そして家族だ。救護係の生徒と審判のチェスターも忙しく支度している。


「チェスター先生はずっと審判なのかな? 気の毒」

「時間で交代するでしょ。私も魔法薬クラブに行かなくちゃ! リンダ、ジェダイト、また後でね!」


 当番のローゼスタが校舎に走って行った。

 そこでようやく、まだなんとなく顔色の悪い翡翠に話しかける。


「……ねえ」

「……何も言わないで」

「お前の父ちゃんさぁ、たぶん絶対偶然装って会いに来るよね?」

「…………」


 翡翠は黙ってうなずいた。

 たぶん絶対偶然といいつつリンダは確信を持っている。反抗期の子供に「絶対来るな」と言われたら絶対行くだろ、とわかっているからだ。会わなければ大丈夫、と自分に言い訳しつつ、友達といるところに顔を出して「お父さん!?」と叫ばせる。何を隠そう、経験者だ。


「どうする?」

「逃げる」


 翡翠は一択だった。


 翡翠には災難だが、リンダは少しほっとしていた。皇帝が外遊で学校の祭りに来られるのであれば、国内は安定しているとみて良いだろう。翡翠がラグニルドにいることは刺客の一件からばれていると考えたほうがいい。そこにのこのこ会いに来たということは、少なくとも黒曜妃の身は安全で、翡翠を狙う兄皇子たちを抑え込めているはずだった。

 リンダがそう言うと、翡翠は少しほっとしたようだ。


「そうかな……」

「そうだよ。せっかく来てくれたんだから、言いたいこと言って、お母さんの様子も聞いてみたら?」

「うん」


 うなずいた翡翠の声は涙交じりだった。

 光臨祭はフレースヴェルクの生徒にとって、一年の集大成ともいえる祭りだ。

 企業のスカウトや卒業生だけではなく、家族が見学に来る生徒も多い。リンダもノヴァとプルートが来ると言っていた。ノヴァはリンダの父親として。プルートはハーツビート魔法薬学研究所の一員として。二人ともこの学校の卒業生だし、リンダにかこつけて良い人材を確保したい思惑があるのだろう。


 翡翠――ジェダイト・リリーはハーツビート家の遠縁の娘だ。魔法学校に入学できる学力と魔力があっても、家族は貧しくてとても会いに来られる余裕はないし、長期休みも帰省せず本家の屋敷で世話になった。

 ジェダイトの家族は優秀な娘のために、休日も返上して働き本家に迷惑をかけないようにしている。そういう設定だった。


 だから、クラスのみんなが笑顔で家族が来ると話をしていた時、曖昧に微笑むしかなかったのだ。


「良かったね」


 リンダは翡翠を見ずに言った。「うん」と翡翠がうなずいた。

 翡翠の父は、遠い海の向こうから息子の晴れ舞台を見に来てくれたのだ。


翡翠は寂しい子供です。母親を後宮に縛りつけられ、父親は雲の上の人。父親と親子の触れ合いができたのは、まだ物の道理を知らない頃だけでした。

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