33:酒と泪と男に仕事
真ん中っこの悲哀。
リヴァイの人生が上手くいかなくなったのは、五歳年下の妹トリトが生まれてからだった。
兄のクラウスはクリーネ家の跡継ぎとして厳しくも大切に育てられ、なにかにつけ優先されていた。
クラウスとリヴァイは二歳差。リヴァイはいつも、人に囲まれ父と会話している兄を、指を咥えて見ていた。
クラウスに家庭教師がつけられ、ようやく両親と使用人の関心がリヴァイに向いたと思ったら今度はトリトである。彼の我が世の春は一瞬で終わってしまったのだ。
妹の誕生は素直に嬉しかったがトリトは事あるごとに熱を出し、何度も生死の境を彷徨い、両親、特に母はトリトにつきっきりになった。父は手を尽くして医師を呼び寄せ、リヴァイと話をしていても最後にはいつも「兄なのだから」と言って彼を突き放した。父にそのつもりはなくても、リヴァイは突き放されたと感じていた。
リヴァイは覚えていないが、熱を出して苦しむトリトに「お前さえいなければ」と言ってしまったことがある。
それを聞いた母は烈火のごとく怒り、泣きながら「兄でしょう」とリヴァイを叱った。事あるごとに言われる「兄だから」という言葉は、リヴァイをしだいに追い詰め、やがて嫌悪するようになっていった。
兄だから妹にすべてを譲り、兄だからなにもかも我慢しなければならない。
しかしそれならば、クラウスは自分に譲らなければならないはずではないか。長男で跡取りだからと兄は優遇されてきたのに、自分はなぜこの不遇に堪えなくてはならないのだ。リヴァイの不満は時が経つごとに溜まっていった。
リヴァイの哀しみは中間子あるあるだろう。上と下に挟まれて、気がつけばいつの間にか家族の中で浮いている。
それを自由と喜ぶか、放置と哀しむかは本人しだいだ。リヴァイは放置されている疎外感に苦しみ、トリトを恨むようになった。
自分に与えられるべき愛情を卑怯にも掠め取っていった妹。
それがリヴァイの、トリトに対する認識だった。
トリトの杖を模造し特許を取ったのだって、これからハーツビート家で愛されて過ごすのだから、これくらいの恩恵を受け取って当然だ、という思いからだった。
それがまさか、婚約が破棄されるかもしれない事態に繋がるなんて、リヴァイは想像もしなかった。
アプラスの執務室に呼び出されたリヴァイは、もしやハーツビートとの共同事業に加われるのかと喜んだ。
豆腐の話はいってみれば怪我の功名。リヴァイのおかげだといえなくもない。
リンダの無礼な物言いや評価には腹が立っているがそれはそれ。旨い話にはぜひとも参加したかった。
そんな気分で執務室に入ったリヴァイは、難しい顔をした兄、困惑している母、そして怒気を隠そうともしない父を見て、予想とまったく違う話だと気がついた。
「お前がトリトの杖の模造品を作り、特許を申請したのは本当か」
問いかけの形をとっているが、確認だった。
曖昧な状態でオービットが話し合いを持ちかけてくるとは考えられない。あの場でアプラスがクリーネの非を認めなければ証拠を出して追求してきただろう。
「あ、ああ。なんだ、話を聞いたんですか? いいでしょう、あの杖。あれなら魔力が少ない者でも魔法が使えますし、魔力消費も少なく済みます。絶対に儲かりますよ! ハーツビートが特許を考えていないようでしたので、代わりに俺が取ってやったんです。トリトだけのものにしておくなんてもったいない、技術は活かすべきです!」
アプラスの低く怒りを含んだ声に、リヴァイはしだいに早口になっていった。
自分の金儲けだけではなく、クリーネ家にもハーツビート家にも利のあることだと、むしろトリトのためであると言い訳する。
アプラスの眉間の皺が深くなり、クラウスは軽蔑を隠さず、ネレイスが絶望したかのように額に手を当てた。
「技術を活かすか、言葉だけはもっともだな。……ならばなぜ、製作者であるルーナ殿にひと言の相談もしていないのだ?」
「それは……彼女は学生ですし」
「ハーツビート家から苦情が来ている。似たような杖を持った男たちが魔法学校の生徒を次々と襲っていた、とな」
「……は?」
「ルーナ殿も被害に遭われたそうだ」
ここで、アプラスは杖を取り出し、机に置いた。
オービットから調査用に渡されたそれは石にヒビが入り杖本体も割れ、すでに使用できなくなっている。
「そ……、それは……」
「幸いルーナ殿はご無事であったが、ご学友の一人が意識不明の重体。たいそうお怒りだそうだ」
アプラスの言い方ではリンダとマッジーが同時に襲撃されたように聞こえるが、もちろんわざとだ。まさかリンダと翡翠が逆襲に行って見事に勝利したなどと言ってもリヴァイは信じないだろう。仮に事実と認めても、結果的に勝ったなら良いだろう、などと言いだしかねなかった。
だから、襲撃されたリンダが男たちが杖を持っているのを見て驚き、マッジーに重傷を負わされたことを怒っているのだと錯覚させる言い方をした。
「ルーナ殿が杖を回収してくださらなかったら、販売先から調査が入り、お前のところに警察が来たかもしれん」
リヴァイの尻拭いをリンダがしたのだ、と匂わせる。
「お、俺は関係ねえ! 俺は杖を作って売っただけで、リンダちゃ、いや、ルーナ様を襲うなんて、生徒のことも無関係だ!」
リンダちゃん、と言おうとしてクラウスに睨まれ、慌てて言い直す。愛称を許すほどリンダとリヴァイは親しくないのだ。
「なぜこの杖がここにあると思う? ああ、残りの杖はハーツビート家だ。オービット殿から渡されたのは、この壊れた杖のみよ」
「へ? 壊れた……?」
リヴァイはまじまじと杖を見て、顔色を変えた。
この杖はリンダが試しに魔力を流しただけで壊れてしまった、粗悪品である。
「このような粗悪な模造品を流通させて、もしも事故が起きたらどうするつもりだった? お前が特許を取ってしまえばその報告は本来の製作者であるルーナ殿にまでは届かない。……トリトの杖を作ったのがルーナ殿であることは、知っている者は知っている。で、あれば、ルーナ殿がハーツビートを通じてお前に許可を出したと思われるだろう。つまり、お前の商売は、ハーツビート家の信用を元に成り立っているのだ。杖はすでに犯罪に使われた。お前はどのように責任をとる?」
噛んで含めるようなアプラスの言葉に、リヴァイは蒼ざめて震えるだけだ。
「幸いハーツビート家は今回の件とトリトとプルート殿の婚約は別だとおっしゃっているそうだ。だがこれは婚約式で取り交わした契約に違反したともとられかねない危険行為だった」
「ハーツビート家の、婚家への信頼を失わせたようなものです。リヴァイ! そなたの自分勝手な行動が、トリトの幸福に傷をつけたのですよ!」
兄と母の叱責にも、リヴァイは黙ってうつむくだけだった。
悔しそうに歪んだ顔からは反省は窺えず、言い訳が浮かばないだけだとわかった。
「……味噌と醤油はおろか、豆腐の新事業も一時凍結だ。この件を解決しない限り再開はない。リヴァイ、お前には特許申請の取り下げと謹慎を命じる。沙汰が下るまで部屋から出るな」
「そんな! 杖はまだ試作品だったのです、改良すれば……っ」
「試作品を販売するヤツがおるか!!」
とうとう怒りを堪えきれなくなったアプラスが机を叩き、声を荒げた。
怒りの中でも堪えていた魔力が溢れ出て、リヴァイを吹き飛ばす。
全身をドアに叩きつけられて痛みに呻いたリヴァイは膝をつき、それでもなんとか許してもらおうと顔を上げた。
「リヴァイにあの杖の複製ができるとは思えません。魔法使いか錬金術師が絡んでいるでしょう」
「うむ。すでに取引のある魔道具工房には問い合わせている」
「ハーツビート家とルーナ殿への賠償はどうしましょう? ああ、被害に遭った生徒にもお見舞いをしませんと……」
だが、三人はすでにリヴァイのことを見ようともしなかった。対処を間違えればトリトの結婚どころかクリーネ侯爵家の危機である。
領主の信用が領民の生活を守ることなら、魔法使いの信用はひたすら実績なのだ。
ここで、リヴァイは家族に守られたことに気づくべきだった。
トリトに贈られた杖は家宝、下手をすれば国宝級の魔道具である。それほどの技術を盗用して、謹慎だけで済むはずがなかった。問答無用でハーツビート家に処刑されてもおかしくないほどの所業なのだ。
そこを叱責しなかったのはハーツビート家が特許の件で後手に回ったことを認めているからであり、アプラスがリヴァイを守ろうとしてのことだった。
リヴァイには心の弱いところがある。アプラスは父として、このあまり出来の良くない次男を愛していた。トリトを心配するあまり、リヴァイをかまってやれなかった後悔があった。
それでもアプラスはクリーネ侯爵として、成人した男にあれこれ口出しすべきではないと思っている。最低限こうして守ってやることがアプラスが示せる愛情だった。
リヴァイはいつかと同じように家族から疎外されていることに、体よりも痛む胸を押さえて執務室を出ていった。
「……父上」
うなだれて出ていく、子供のようなリヴァイの背を見送って、クラウスがやるせなさそうなため息を吐いた。
リヴァイに責任を取らせるのは決定だが、どこまで厳しくするのかが問題である。
あまり大事にしすぎるとハーツビートの名にも傷がつく。リンダのためにも、それは避けたいはずだ。
かといってリヴァイをハーツビート家に差し出すわけにはいかない。クリーネ家としての落としどころを見つけなければならなかった。
「ひとまずトリトの嫁入り道具を増やして、謝意を示しましょう」
ネレイスが縋るように言った。
望まれて婚約とはいえ兄がこんな不始末をしでかしてはどんな扱いをされるか、ネレイスは不安だった。
「錬金術師に口止めか、契約魔法で杖のことを秘匿せねばならんな」
「販売店にも、強盗五人組の他に売った者がいないか確認しましょう」
「そうだな。……何人の目に留まったかまでは把握できんだろうな」
正規の手続きを踏んで魔道具取り扱い店で販売したのならいいが、こっそり裏ルートに流されていたらどこをどう辿って売られたのか把握するのは難しくなる。正規店だって興味を持ったが購入はしなかった客が何人かいただろう。頭が痛かった。
「失礼します」
そこに執事が入ってきた。今回のことにはさすがに焦りを隠せずにいる。
「見つかったか?」
「はい。杖の発注書と設計図です。この件に関わったとみられる数人と魔術式の考察をした手紙が数点ありました」
リヴァイを執務室に呼んでいる間、執事たちにリヴァイの部屋を捜索させていたのだ。
証拠品を前にしたアプラスの顔が、悲しみと怒りに染まる。
父として当主として、なにかの間違いであってほしかったのだろう。クラウスがそっと目を伏せた。
「……リヴァイの処分についてはオービット殿と協議する。できれば勘当は避けたい」
「はい。……リヴァイなりに名を上げようとしたのでしょう。自分でやりたいと言うので手を出しませんでしたが、うちの会社のどこかで社会経験を積ませたほうがいいのでは?」
あるいは留学か。とにかくほとぼりが冷めるまでハーツビート家に近づけないほうが良い。
「トリトの婚約期間を伸ばしますか?」
ネレイスが言った。兄が妹の結婚式に欠席なんてあまりにも憐れだ。
「それも協議で決める」
近しい親族が式に出ないとなると、ハーツビート家を守護するものにリヴァイはクリーネではないと受け取られかねない。そうした混乱は避けるべきだ。
アプラスがそう言うとネレイスはほっとした顔になった。トリトのことはもちろんだが、リヴァイだって腹を痛めて産んだ可愛い我が子だ。守ってやりたかった。
「今回の件、トリトには……」
「言わねばならんだろう。杖の貴重さはトリトが一番よくわかっている。だからこそ注意をしておかねばならん」
今回は身内が犯人だったが、次もそうとは限らないのだ。
アプラスの重いため息に、クラウスとネレイスは眉を寄せて黙り込んだ。
家族の思いを知らず、リヴァイは部屋で荒れていた。
あの後やってきた執事に取り押さえられ、魔力封じの魔道具をつけられてしまった。
魔法が使えないおかげで荒れた部屋を元に戻すこともできなくなった。
「クソッ! なんで俺が謹慎なんだ……!」
苛立ちまかせに魔力を暴走させたせいで破れたベッドに転がる。ぼすん、と弾んだ拍子に羽毛がひらひらと舞った。
リンダが作った杖を模造して販売したのはリヴァイだが、その杖で生徒たちを襲ったのはリヴァイではない。生徒を襲えと命令もしていない。無関係だ。なのになぜ、俺が責任を取らなくてはならないんだ。
リヴァイはなにが問題かをまったく理解していなかった。
ただひたすらせっかく上手くいきかけていた金儲けのチャンスを台無しにされたと思っている。しかもあのリンダに横槍を入れられて、だ。腹立たしいどころではない、もはや憎悪に近い感情すら抱いている。
リンダは両親にこそ恵まれなかったが、リヴァイが望むすべてを持っていた。
肉親の、兄からの愛情、たぐいまれな容姿、他者からの親愛と信頼、溢れるほどの才能。そして財力。すべてをだ。
思えばトリトもそうだった。恵まれた小娘が当然の顔をしてリヴァイの成功を掠め取っていった。
この件でリヴァイは今までの信用を失った。魔道具工房の錬金術師は責めを受け、リヴァイを恨むだろう。リヴァイと共に大きなことをやろうと野望を抱いていた商人はどういうことだと怒り、縁を切ってくるに違いない。
どちらも魔法学校で得た大切な友人だった。家族とは違う、リヴァイの友人。
「クソ! クソ……! 俺だって、俺だってやればできるんだ。やれるはずなんだ……!」
フレースヴェルク魔法学校で得た友人は、真の友という。しかしリヴァイはハーツビート家に睨まれてまで彼らが友情を貫いてくれるとは思えなかった。損得を計算するリヴァイらしい、割り切った付き合いだったからだ。
本当に辛い時、苦しい時、力になれなくてもそばにいる。そんな友さえいないことを実感し、リヴァイは独りの哀しみに歯を食いしばった。
◇
リヴァイの沙汰が決まったのは、およそ一ヶ月が経った頃だった。
魔力封じを付けたままハーツビート家に父と兄と赴いたリヴァイは、居並ぶ重鎮にやつれた顔を蒼くした。
応接室にはプルートだけではなくリンダまでいる。わざわざこのために休日を利用して帰ってきたのだ。
虚ろな瞳のリヴァイと目が合うと、リンダはなにかを企むような悪い顔で笑った。
「お着きになりました」
そう言って執事が部屋に通したのは、リヴァイの友人である錬金術師と商人だった。
思わず腰を浮かせかけたリヴァイに二人は力なく笑いかけ、席に着いた。
テーブルを挟んでハーツビート家とクリーネ家が並び、友人はリヴァイの隣に椅子を一つ開けて座っている。
ポーン、と時計が十時を知らせた。
「皆様、わざわざお越しいただき大義でありました」
オービットの言葉に、おや、とリヴァイは思った。
この場でリヴァイを断罪するのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
「まずはリヴァイ殿が特許申請していた杖だが、正式に却下された」
「え……?」
聞いていない、と顔を上げると、当然というようにオービットがうなずいていた。
「問題点が多すぎる。特に安全面での不安が残り、あれでは魔道具とはとても認められないとされた」
「現にリンダが少し魔力を流しただけで壊れてしまいましたからね。不良品というか粗悪品というか……。試作という話でしたが、それを販売していたことも審査で問題になったようです」
オービットとノヴァが駄目出しをした。
これに関して二人は手を回していなかった。クリーネ家がなんとかすると思っていたがずいぶんお粗末な結果になり、肩透かしを食らった気分だ。
特許が却下されて誰よりもほっとしているのはこの二人である。
「そこで、だ。リンダ」
「はい」
オービットに促され、リンダが鞄から紙を取り出した。ノヴァが受け取り、リヴァイの前に置く。
「こ、これは……」
リヴァイが紙とリンダを二度見した。脇から友人が覗き込んでくる。
それは杖の設計図だった。
「そして、こちらが魔術式になります」
今度はもう少し厚い紙の束を取り出して、リヴァイの前に置いた。
「ハーツビート家とクリーネ家の共同で『魔法の杖』の製作、販売事業を開始します。責任者は私、ルーナ・リンドバーグとリヴァイさんです」
リヴァイは目を見開いた。隣の錬金術師がリヴァイの肩を叩き、商人が手を握ってくる。
リンダの許可を得て二人は設計図と魔術式を読み始めた。
「ただし、私は未成年の学生。あまり事業に口出しできません」
つまり、実質的な責任者はリヴァイと友人になる。
リヴァイを新事業に参加させることにオービットとノヴァは猛反対した。当然だ。いくらリンダの頼みでも、信用のない者を大切な事業に使うことはできない。リヴァイは一度技術を盗んだ。もう一度やらないという保証はどこにもないのだ。
しかし、リンダは譲らなかった。
リヴァイのような男は、暇になったらロクなことをしない。謹慎中の今はさぞや鬱憤が溜まっているだろう。その鬱憤は彼を悪いほうへと思考を傾けているはずだ。
リンダは前世でそんな若者を何人も見てきた。時に手を貸して助言をしてやり、雇ってやったものである。ああいう輩は手や口よりも実力を示して従えるのが一番手っ取り早いやり方だった。
リヴァイに必要なのは成功と自信だ。仕事を与え、それを終わらせることで積み重ねていくもの。成功の充実感と称賛ほど若者を成長させるものはない。特に、男は。
リヴァイの軽薄さは自信のなさの表れだ。自分を大きく見せ自信ありげに装うのは虚勢という。だからリンダは騙されないように忠告した。自分は大丈夫と思っている者ほど足元にある落とし穴に気づきにくいものだからだ。
「……憐れみか?」
リヴァイが俯いて問いかけた。
隣の友人が彼を慌てて諌めている。
「まさか」
リンダは鼻で笑った。
「仕事はそんなに甘くないですよ。利益を出さなければ容赦なく潰されます」
「なら、なんで俺を選んだんだ? 俺がやったこと、知ってるんだろう!?」
リヴァイは声を荒げた。
青いな、とリンダは冷静に思う。
憐れみなら失敗しても大目に見てもらえる。リヴァイは否定するだろうが、そんな甘えがあるから言葉になったのだ。
「もちろん、知っています。人の技術を掠め取ってズルこいて、痛い目見ましたね」
「――……っ、て、めぇ……っ」
リンダは鞄の中から、今度はリヴァイの設計図と発注書を取り出した。
「ハーツビート家が無理だと諦めたものを、失敗作でもやり遂げた。その根性を評価します。トリト姉様の杖だけでここまで形になっていれば大したものです」
「は……」
「あなたならできると思ったから採用しました。それに……」
チラッとリンダが友人を見た。
錬金術師は設計図と魔術式に夢中になっているが、販売を請け負った商人の彼はリヴァイを守るようにリンダを強い目で見つめている。
良い友人だ。この二人はリヴァイが零落れても、立ち上がろうと手を差し伸べてくれるだろう。何度でも、諦めずに。
「すでに実績のある人を選ぶのは、むしろ当然だと思いますが」
リヴァイたちがやり遂げたことだ。やり方は乱暴だし卑怯であちこちに迷惑をかけたが、やり遂げたことが重要なのだ。製造から販売まで、違法性はなかった。
強盗に使われたのは運が悪かったとしかいいようがない。
たとえばナイフで人を傷つけたとして、ナイフを作った人が罪に問われるのか、ということだ。道具は使い手しだいで凶器に代わる。
リヴァイはリンダの言葉にぽかんとなった。
実績、とリンダは言った。あれは粗悪な試作――模造品であり、販売していたのだって大店ではなく友人の営むちいさな雑貨店の片隅だった。魔道具取り扱いの指定はされているが、それだけだ。
「言っておきますが、こき使うのでそのつもりで。休みは与えますが休日出勤は許しません。働く、ということがどういうものか、きっちり体に叩きこんでもらいます」
「そこは休まず働け、じゃないのか?」
「そんなわけないでしょう、馬鹿らしい。目と頭が冴えてなきゃ数をこなしたって良い物は作れない。労働環境は仕事の質に直結するもんです。食事を抜くのも駄目ですからね、特にそこの錬金術師さん!」
錬金術師がびくっとなった後、やっべ、という顔をしてうなずいた。あれは話を聞いていなかった顔だ。
納期を守るのは当然のことでも、体を壊してまで働くのは仕事ではないとリンダは力説した。
自己肯定感と承認欲求に飢えた者は時にとんでもない無茶をやらかす。線引きはしっかりしておかなければならなかった。
今回の件ではじめて知ったが、この世界には労働基準法なんてものはなかった。魔法使いは特にそう。塔や迷宮に閉じこもって研究するような連中だ、自制などするはずがなかった。ドーピングは日常だし平気な顔で徹夜してハイテンションの勢いでとんでも発明してしまう。魔法使いすぐ無茶をする。
「労働環境を整え従業員の健康を守るのも責任者の務め! リヴァイさんは責任者なんですからそこんとこしっかり頼みますよ!」
「わかった、わかった」
リヴァイは「ふー、やれやれ困ったお嬢ちゃんだ」とばかりに両手を広げて首を振った。
鼻の頭がほんのり赤くなっている。
強がっていないと無様に泣き出してしまいそうだった。
こんな少女に認められたくらいで、と悔しさと意地が言うが、誰かに認めてほしかったのだ。ずっと、ずっと。
ぼくがともだちとやったことを、誰かに褒めてもらいたかった。
少年のリヴァイが頬を紅潮させて両親の元に走っていく。しかし、トリトのことで手一杯の二人はリヴァイの話を聞いてくれなかった。後でね、の約束が果たされることはない。
立ち竦むリヴァイの背中を友人が叩き、笑顔で「行こう」と誘っている。
指差す方向には赤い髪の魔女が空を飛んでいる。リヴァイは大きく手を振った。
リンダは前世でリヴァイのような、鬱憤のやり場を暴力に求めた子を雇ってました。昔の自分を見ているようで放っておけない。男はやっぱり仕事で自信つけさせないと!




