28:魔法薬学の鬼
好きな科目でも先生が嫌いだったり、苦手な科目でも先生が好きだったりしますよね。どんな理由で勉強が好きになるかは人それぞれ。
リンダにも苦手としている教科がある。
いちいちちまちま計量し、材料を下ごしらえして火を調整して煮たり焼いたり。細かく手順を指導され、ちょっとでも間違えると先生の叱責が飛んでくる恐怖の授業。
魔法薬学である。
リンダはハーツビートの姫ということもあり、薬学担当のイーゴに期待されていた。
兄のプルートはめきめき頭角を現したのだからそれも当然といえよう。
しかし、リンダは大雑把だった。メイとの新メニュー開発ではその大雑把さがいかんなく発揮されている。味噌と醤油を厨房に運び入れた時など驚き喜ぶ面々に「味噌汁作って!」のひと言で済ませてしまったほどだ。味噌汁の基本となる出汁を知らない料理長とメイは頭を抱えている。なお残念なことに、鰹節の作り方をリンダは知らない。出汁なら他にも昆布や煮干しなど様々あるが、なんなら日本は地域ごとに出汁に違いがあるのだが、一般家庭で顆粒出汁の世話になることの多かったリンダにとって、出汁は出汁である。味噌汁への道は遠かった。
味噌汁はともかく、リンダとイーゴの相性はびっくりするほど悪いのだ。リンダは結果的に完成すれば良いという考えだが、イーゴは手順を間違えれば爆発や毒薬製造になる危険があるためきっちり指導したい。なにより魔法薬学とは、魔法が苦手な生徒でも手順を守れば誰にでもできる、落ちこぼれしにくい科目なのである。
リンダのような、感覚と勘でなんとなくできてしまう、馬鹿なのか天才なのかよくわからない生徒ではなく、真面目にこつこつ積み重ねることが好きな生徒こそが極められる学問であった。
いかに相性が合わなくても、不真面目な生徒であっても、教え導くのがイーゴの仕事である。今日はとうとう魔法薬学で基本ともいえる植物、マンドラゴラの採取だ。
「みなさん、これがマンドラゴラです。すでに周知のことと思いますがマンドラゴラを引き抜く際は注意が必要です。なぜなら絶叫をあげるからですね。マンドラゴラの絶叫を聞くと精神が錯乱状態になりますので、耳あてをするか防音結界で遮断するかの措置を取ってから極めて慎重に採取してください」
マンドラゴラの別名は絶叫草。その名の通り引き抜く際に断末魔のような叫びをあげて身を守ることで有名だ。まともに聞いてしまうと精神が錯乱してそのまま廃人になってしまう。かつては犬とマンドラゴラを紐で結んで引っ張り出していたそうだが、現在は動物保護と錯乱した犬に噛まれる事件が続出したため禁止されている。
イーゴはよれよれのシャツに新調したはいいが裾が長かったのか折り返したズボンに足元は園芸用長靴、そこに白衣を引き摺るように羽織っている。委細気にした様子なくマンドラゴラの前でしゃがみ込んだ。
マンドラゴラの葉は見た目どこにでもある葉物野菜だ。その下に土からぽこんと出ているのが頭にあたる部分で、気のせいか細かく震えている。引き抜かれる気配がわかるのだろうか、今にも絶叫しそうな緊張感があった。
白衣のポケットから耳あてを取り出して耳に装着し、マンドラゴラの周囲に防音結界を張る。
「防音結界ですが、マンドラゴラに固定していると引き抜いた勢いで結界外に出る可能性があります。で、あるからしてなるべく手の周囲に集中して展開してください。念の為に耳あては着けておいてくださいね」
いよいよイーゴがマンドラゴラを引き抜く、というところで悲鳴が上がった。イーゴだけではなく生徒たちもこのタイミングの悲鳴にびくっと肩を跳ねさせた。
魔法学校の薬草園には各種薬草が植えられている。マンドラゴラは栽培が難しい魔法植物なので薬草園の一角を占めていた。均等に植え付けてもなぜか密集してしまうため、生徒たちはイーゴの手元を覗き込んでいたはずだ。
イーゴはこめかみを引き攣らせて立ち上がった。毎年必ず一人は話を聞かずにマンドラゴラを引っこ抜く馬鹿が出る。こんなこともあろうかと精神安定薬を用意しておいて良かった。
「言わんこっちゃない! 誰ですか、勝手なことをするなとあれほど……!」
イーゴが薬品瓶片手に現場に着くと、口元を手で覆ったローゼスタと、耳を塞いでいる翡翠がいた。円を描くように遠ざかっている生徒の中心には、不思議そうな顔で土を持ったリンダが立っていた。
その手の中にある土には見覚えのある草が生えている。
それはなんだ、とイーゴが言う前に、リンダが土を叩き落とした。
今にも絶叫を上げそうに口を大きく開いたマンドラゴラが露わになる。
だらんと垂れ下がった手足のような根が揺れていた。
それはまるで、くしゃみの途中を切り取った場面にも似てどこかもの悲しさを感じさせる。しかも不発のくしゃみだ。無念そうにうろたえているのが笑いを誘う。
「……ルーナ・リンドバーグ! それはなんだ!?」
「え? マンドラゴラです」
「そんなことはわかっています! なぜそのようなやり方をしたのか説明してみたまえ!」
リンダはなぜ責められているのかわからないのか、ムッとした表情になった。
「引っこ抜くと絶叫すると聞いたので、土を掘り返しました!」
先生への回答にしては口調が荒い。反抗心溢れるリンダにイーゴの苛立ちは増していった。説明をきちんと聞いて実行したらしいのがまたむかつく。
そんな単純なことを気がつきもしなかった自分にこそ苛立っているとわかっていても、むかつくものはむかつくのだ。
「そ、れでは土から掘り返したものと、引っこ抜いたものでは成分が違うのか、調べてレポートを提出するように。薬効が変わらないのであれば、画期的な新発見です。もし! もしもそうであるならば学会に提案してみましょう!」
ひとまずイーゴはリンダを減点した。文句を言われたが危険を伴う採取で先生の言いつけを守らなかった、というのは充分な理由である。
その後は教科書通りに採取を済ませ、魔法薬学室でマンドラゴラを使った魔力回復薬を作成した。リンダは怒ったのかまともに授業を受けず、同じ班のローゼスタと翡翠とで作っていた。授業妨害でさらに減点対象だ。
リンダは不満そうだったが、イーゴを見返してやるつもりなのかレポートを提出してきた。彼女が調べたマンドラゴラの薬効は『掘り返したもののほうが効果は高い』と出た。イーゴは自分でも実験してみたが、たしかにリンダの方法だと鮮度を保ち魔力を多く含んでいる。そんなバカなと思っても現実はどこまでも残酷だった。
「ううむ……。絶叫の際に魔力が抜けているのかもしれませんね……。そうであるならば土ではなく鉢植えにしたほうが取り出しやすいか? いやしかし、マンドラゴラは動くというし……」
真剣に検証をはじめているイーゴにやっと溜飲が下がったのか、リンダは魔法薬学室の薬品棚に並ぶ素材を眺めながら言った。
「イーゴ先生、そもそもマンドラゴラって水耕栽培できないの?」
「水耕栽培? なんですかそれは?」
「あれ? ないの? 水に栄養……えーっと、肥料? を溶かして、土を使わずに育てるの。それなら水と太陽だけで育つし、採取する時に水を抜くだけで済むし、安全だよね?」
イーゴはそんな方法があるのか、と目から鱗だった。しかし首を振る。
「マンドラゴラは魔法植物です。であるからには土壌に含まれる魔力が必要になります。水耕栽培では育たないでしょう」
「なんだ、じゃあ水に魔力を溶かせばいいじゃん。作る魔法薬ごとに魔力の質を変えれば、もっと効く薬ができるかもよ?」
この思い付きこそ画期的だった。マンドラゴラは魔力回復薬から解呪薬まで、魔法薬には幅広く使われる薬草だ。ただし採取に難があり、育つ土壌に魔力が必要不可欠なため高価なのである。リンダの方法が確立できれば魔法薬をもっと身近なものにすることができる。
しかし、しかしだ。イーゴは物申したい。そんな方法で良いなら今までの苦労はなんだったのか、と。マンドラゴラの採取で精神を壊し、消えていった魔法使いがどれだけいたと思っている。多くの魔法使いが長年研究して、犬たちの犠牲を払い、悩んできたことを、こんな少女の思い付きで解決してしまうのが納得できなかった。しかも当のリンダはそれがすごいことだと理解すらしていない。
魔法薬学の世界において、ハーツビートの名を知らぬ者はいない。リンダを知らなければイーゴもさすがはハーツビートの姫君よ、と素直に称賛していただろう。実際ドリアードの素材の件では融通してもらった恩がある。
天才型の生徒ほど教師にとって恐ろしいものはない。イーゴは今までの自分を覆されそうな恐怖と、リンダの無邪気さに慄いた。
生徒というのは教師の嫌悪を鋭く見抜く。リンダも例外ではない。
イーゴの、何事もきっかり手順通りに、というやり方にはついていけないが、それだけ仕事に対して真摯であろうとする姿勢は好ましく思っていた。我流ではなく、誰にでもできるわかりやすい方法というのは長い年月をかけて生み出される。魔法薬学という学問の徒として誇りを持ち、後進を育てようという気概のある男。リンダにとって、イーゴ・テンゲンは尊敬に値する教師であった。
だからこそ、リンダは彼に敬意を払い、仕事がやりやすくなるアイデアを伝えている。
水耕栽培は前世でも畑違いの企業が自社ビルでやっていたくらいだし、根っこが叫ぶマンドラゴラにはぴったりだと思ったのだ。完全な善意である。
ところで水耕栽培とは、本来レタスなどの葉物野菜に有効な栽培法だ。主に根を使うマンドラゴラには適しているとは言い難い。
が、マンドラゴラは魔力で育つ魔法植物だ。リンダの幸運は、適切な魔力さえあればマンドラゴラは育つ特性を持っていることだった。
試しに貰った株をリンダは寮の部屋で育ててみた。コップでは狭そうだったので町で水槽を買い、ある程度育ったらそこに浮かべる。根を育てなくてはならないため、スポンジに切れ目を入れて株を差して浮かべた。
「こういうのなんて言うんだっけ。アクアリウム?」
「テラリウムでしょ。……こんな悪趣味なのはないと思うけど」
水に浮かぶマンドラゴラの株はまだ顔らしきものができていない。ちょろんと伸びたヒゲ状の根が水にゆらゆらと揺れているだけだ。
成長するにつれ根は人型に近くなっていき、不気味に微笑んでいるかのような、呪いの言葉でも吐きそうな顔が見えてきた。
リンダは朝晩律儀に水槽に指を突っ込んで魔力を溶かし入れ、声かけまでしている。
「こうやって毎日育ててるとけっこう可愛いな~」
「正気?」
リンダと同室の翡翠こそ最大の被害者だった。夜中に目を覚ますと視線を感じ、振り返るとマンドラゴラ。速やかに気絶して悪夢で飛び起きる悪循環である。
ついでに鉢植えでも育てているが、これも時々カタカタッと鉢を鳴らしていた。
「土じゃなくて水だったので根にも太陽光が当たってたせいか、なんとなく気持ちよさそうな顔してますよね」
無事に育ったマンドラゴラをイーゴに差し出してリンダが言った。
水耕栽培と鉢植えのマンドラゴラを見比べると、たしかに水耕栽培のほうが心なしか微笑んでいるようにも見える。ただし見比べると、であって、どちらとも気持ち悪いのに変わりはなかった。
成長率も水耕栽培の根が大きく育っている。鉢植えはいささか細長く色も浅黒い。鉢をひっくり返して収穫されたため、不機嫌そうな顔だった。
「そういやコイツ、夜中に泳いでましたよ」
「なにっ!?」
リンダの言葉にイーゴはマンドラゴラから顔を上げた。
「鉢植えもガタガタうるさかったです」
翡翠も寝不足気味の目を擦って付け加えた。
「マンドラゴラが夜中に動くのは本当だったのか……」
イーゴは感動に震えながらマンドラゴラを撫でた。
マンドラゴラに意識があるのかは未だ解明されていない謎であるが、植えたはずの株がいつの間にか消えているのはよくある現象だった。
魔力が足りなくて土に融けたというのが通説だが、真夜中にマンドラゴラが歩いているのを見たという目撃証言があるのだ。また雌株の周囲に突如雄株が生えてくることもあり、夜中に移動している疑惑がマンドラゴラにはあった。ただし見張っていると動かないため検証ができず、謎のままだった。
「マンドラゴラが歩くなど酔っぱらいの戯言だと思っていたが、泳ぐのであればこの根を手足のように自在に動かせるに違いない。もしかしたら魔力を捕食することも可能かもしれん」
「定点カメラで観測とかしないんですか?」
「見られていると動かないのだよ。小癪なやつだ」
「あぁ……。そういう性格ならリンダの魔力は居心地が良かったでしょうね」
この数週間マンドラゴラとの生活を余儀なくされていた翡翠が恨みがましげにリンダを見た。人をおちょくることに全力を尽くす性格はリンダと気が合いそうだ。
リンダはそ知らぬふりでマンドラゴラと人形遊びしている。
「でも、自分で動けるなら採取の時に絶叫するのはちゃんと意味があったのね。精神を錯乱させた人が土に戻してくれるわけないもの、驚いて手放した隙に地面に潜って逃げるんだわ」
ローゼスタがマンドラゴラの生存戦略に感心した。なぜ採取の時なのか、切られる時ではいけないのか、疑問だったのだ。
「先生、これでマンドラゴラ安全に収穫できるね!」
「ふ、ふん。まだだ! まだですぞ、たった一株では水耕栽培が確立したとは言えません。ルーナ・リンドバーグ、きちんと研究し発表したまえ!」
「ええ~? またレポート?」
リンダがドヤ顔から一転うんざりとなった。
「魔法薬学は地道に研究と実験を繰り返す学問だ。一足飛びにやろうとしてもそうはいかない。であるからこそ新しいものに価値がある。君の発見は素晴らしい、それゆえに価値のあるものにしなければなりません。おわかりですね?」
リンダが言いだしたことなのだ。リンダが最後まで責任を持つべきである。イーゴの言い分は正しかった。
研究とは地味なことの積み重ねだ。たった一例成功した程度では証明にならない。
実験は多ければ多いほど良いのだ。イーゴはリンダにやらせる気満々だった。
「太陽光が必要なら温室の一角を貸しましょう。水耕栽培に必要な物があれば言ってください。光臨祭に間に合わせて来賓を驚かせてやりましょう」
「そんなに大掛かりにやるの!?」
光臨祭には外部の研究機関もやってくる。イーゴはにんまりと笑った。
「マンドラゴラの新しい栽培法となれば注目を浴びますよ。良かったですねえ。そうと決まれば遊んでいる時間などありませんよ!」
とうとう堪えきれず、翡翠が噴き出した。リンダのひねくれた行為をイーゴは見事に打ち返してきた。
リンダは絶望的な顔をしている。
「あーあ。リンダ、これはやるしかないわねぇ?」
「そうね。リンダが言いだしたことですもの」
ローゼスタと翡翠がイーゴの後押しをした。リンダの大雑把なやり方で迷惑をこうむっているのは同じ実習班の二人もなのだ。
ここは魔法薬学室。窓はなく、リンダに逃げ場はなかった。
「やだ!」
「やだ、じゃないでしょリンダ!」
「そーゆーお手柄は先生にあげる!」
断固拒否しながらリンダは素早くドアに駆け寄った。器用なことに後ろ足でエビのように早い逃げ足だ。
スパンッとドアを開ける。
「ルーナ・リンドバーグ!」
「先生はそういうの好きなんでしょ? 私は空を飛ぶのが好きなの!」
笑うリンダの右手には箒が握られている。リンダお得意の引き寄せ魔法だ。
イーゴは一瞬呆気にとられた。
にっと笑ったリンダは箒に跨ると身を伏せ、弾丸のように飛び出していった。まるで風だ。
「リンダ、待ちなさい!」
「リンダ!」
ローゼスタと翡翠が後を追いかけていく。
取り残されたイーゴは呆然とリンダのマンドラゴラを見つめた。
リンダは自分のやり方が迷惑をかけている自覚がある。イーゴに嫌われている自覚もある。悪いことしたと思っているのだ。
マンドラゴラは、それでもイーゴが嫌いなわけではないという詫びのつもりだろう。リンダには自覚があっても自分を曲げる気がないのだ。
「ふっ、ははははははっ」
心の底から愉快が湧き上がって来て、イーゴは声を出して笑っていた。
「……よろしい。そちらがそのつもりなら、こっちも徹底してやりましょう」
フレースヴェルク魔法学校は貴族が多く在籍する、比較的おとなしく行儀の良い生徒ばかりだ。しかしリンダのような生徒もたまに現れる。
ようするに、クソガキだ。
「舐めるなよ小娘! 『執念の白蛇』イーゴ・テンゲンの実力を見せてくれるわ!!」
鬼の形相でイーゴは走り出した。彼もまたフレースヴェルクの教師、凄腕の魔法使いである。校舎内を飛び回り生徒に悲鳴をあげさせているリンダにあっという間に追いついた。
「執念の白蛇ってなんスかそれ!?」
「丸飲みにしてくれる!! 観念せい!!」
白髪と白衣を翻して走るイーゴの顔は執念そのものだ。リンダの本能が警笛をガンガン鳴らす。やべえ蛇を起こしてしまった。
「ヒュウ! 先生も同類かよっ!」
リンダは口笛を吹くと開いている窓から空に躍り出た。くるくると回りながら太陽に向かって飛んでいく。やっぱりそうだ。
ああいう、気骨のある男が、リンダは好きだ。今も、昔も。
男には譲れないもの、曲げられないものがあると知りつつ、それでも生徒のために――子供のために意地を張ってくれる男。
諦めない男の吹かす風はいつだってやさしい。
「イーゴ先生、ここまでおいでー、だ!」
「ルーナ・リンドバーグ降りてこんかー!!」
リンダはイーゴに向かってあっかんべーと舌を出すと、箒の上に立ち上がって舞台俳優のように気取って礼をしてみせた。制服のスカートが風にはためいた。
それからまたひょいっと箒に跨ると、空を飛んで行ってしまった。
「ちょっとリンダ! ぱんつ丸見えよ!!」
ようやく追いついてきたローゼスタがイーゴの目を隠そうと両手を上げて飛び跳ね、翡翠がローブを頭から被せた。
白だった。
おしりぺんぺんにしようか迷った。赤い星の伝説は私のバイブルです。




