幕間:ユーフェミアの夏休み
鴉野 兄貴 様よりレビューをいただきました!これからも楽しんでいただけるように頑張ります!
ユーフェミアは家に帰るなり母のミリアに大仰に嘆かれた。
「ユーフェちゃん!? どうしたのそんなに窶れて! ああ、やっぱり学校生活は大変だったのね、可哀想に……!」
「お、お母様?」
痩せたことを喜んでくれると思っていたユーフェミアはショックだった。先生や友人、クラブの先輩はユーフェミアの努力を認めて褒めてくれたのに、母は可哀想だと言う。
「あの女の娘――ルーナになにかされたのではなくて?」
「お姉様? お姉様はわたくしとモブ様の交際に反対のようですが、それはでも」
「まあぁっ。ユーフェちゃんとモーブレイ様の仲を引き裂こうというのね!? なんて卑怯なのかしら、あの女にそっくりね!」
お姉様は誤解しているだけで、モブ様とはうまくいっている。
そう続くはずだった言葉はミリアの嘆きに遮られた。そっとやってきた執事とメイドがミリアからユーフェミアを救出する。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お荷物お持ちします」
「お疲れでございましょう。お茶の準備ができておりますわ」
「え、ええ。ありがとう」
礼を言っただけなのになぜか執事とメイドは驚いた顔をした。ふっ、とやさしい笑みを浮かべたメイドがなにかに納得したようにうなずく。
「お嬢様、お変わりになられましたね」
「そうかしら?」
「はい。恋は女を変えるというのは本当ですのね。とても良いお顔になられました」
「ま……っ」
ユーフェミアは真っ赤になった。メイドはそんなユーフェミアに、やはりやさしくうなずいた。
以前のユーフェミアなら、メイドごときが生意気を言うなと手と口が出ていたところだ。
それがどうだろう。今のユーフェミアは恥ずかしがって頬を染めるだけ。恋する乙女そのものだった。
「よほど王太子殿下は素晴らしい方なのでしょうね」
「そうね。とてもおやさしい方。勉強熱心でいらっしゃるし、誰にでもわけへだてなく接してくださるの」
制服から部屋着に着替える。話を聞いていたメイドは表情を曇らせた。
「奥様にも、そのお話をなさってください。お嬢様が学校に行って、きっと寂しかったのですわ」
先程の母の様子を思い出し、ユーフェミアは申し訳なくなった。
ミリアにはユーフェミアがすべてだったのだ。父は母を愛していたが、なかなか妻にはしてくれなかった。ユーフェミアを守ることでその寂しさを埋めていたのだろう。こうして公爵夫人になったのにユーフェミアは学校に入学してしまい、愛情の矛先を見失ってしまったのかもしれない。
学校入学前に仕立てたドレスは緩くなっており、本当に痩せたのだと実感した。
「お母様」
メイドがなんとか調整したドレスでティールームに行くと、ミリアの眉間に皺が寄った。
メイドが紅茶を淹れ、ケーキが運ばれてくる。さっそくミリアが口を開いた。
「ユーフェちゃん、もっと他のドレスはなかったの? なんだかだらしなく見えるわ」
「痩せたのよ。ねえそれより聞いて、わたくしね」
「痩せたですって!? ユーフェちゃん、それは窶れたっていうのよ。ああなんてことなの。ジークズル公爵家の姫に無体を働くなんて、学校に抗議しなくちゃ」
「お母様、わたくしの話を」
「いえ、それよりハーツビートね。あの魔女の娘が手を回したに違いないわ。裏切者のメイはハーツビートの口利きで学校で働いているというし、お父様に頼んで退学にしてもらいましょう。本当にイヤな子! ユーフェちゃんとモーブレイ様の邪魔をするつもりに決まっているわ! いいこと? ユーフェちゃん。あの女にだけは負けちゃダメよ?」
「……はい、お母様」
ユーフェミアは愕然としてただうなずいた。一方的にまくしたてながらもミリアの食べる手は止まらず、ユーフェミアがケーキを半分食べている間にもう三皿目に突入している。どうなっているのか、少し目を離した隙にミリアの皿からケーキが消えている。味わってなどいないのだろう、ただ衝動的に口に運んでいるようだ。
「お嬢様、次のお皿をお持ちしましょうか?」
メイドがそう聞いたのは、ユーフェミアがダイエットしているのを思ってのことだろう。そんな気づかいが嬉しくなる。
いいえ、もういいわ。ユーフェミアが断る前に、ミリアがヒステリックに叫んだ。
「なぜわざわざ聞くの? 主人の手を煩わせて、それでもメイド!? まったく気が利かないんだから! お前は今日限りクビよ!!」
「お母様!?」
いったい、この短期間で母はどうなってしまったのだろう。ユーフェミアは恐ろしくなってきた。
ミリアが変わったのではない。変わったのはユーフェミアだ。公爵家から物理的に離れたことで、ジークズルの呪いから遠ざかったのだ。
ユーフェミアにその自覚はない。逃げるようにミリアとの茶会を終わらせたユーフェミアは、部屋に閉じこもった。
夕飯の席でもその違和感は消えなかった。
ユーフェミアの帰宅日ということでドヴェルグも夕飯に顔を出している。どうやらユーフェミアが入学した後から急に忙しくなったらしい。ミリアはそんなドヴェルグを心配するでもなく、ひたすら不満をぶつけていた。
「ユーフェミア、学校はどうだ?」
やっと聞いてくれた。ユーフェミアはほっとして話し出した。
「とても楽しいわ。わたくし、ポーカリオン先生のエステクラブに入ったのよ!」
「エステクラブ!? あそこは毎年入部希望者が殺到するのよ! すごいわ、さすがわたくしのユーフェちゃん!」
ドヴェルグが褒めるより先にミリアが称賛した。
「そうか、それで……」
「ああでも、エステクラブって女子生徒ばっかりよね。ユーフェちゃんの可愛さに嫉妬していじめられたらどうしましょう!? ユーフェちゃん、理不尽な言いがかりつけられてない? あなたはジークズル家の姫なんですからね、そうした輩はきっちり排除しなくっちゃ! ねえ、あなた?」
「……ああ、そうだな」
ため息まじりにドヴェルクが同意した。それでユーフェミアにもピンと来た。
ユーフェミアが学校で寮生活になってからドヴェルグの仕事が忙しくなったというのは口実で、本当はミリアと二人でいたくないのだ。
ようやくジークズル公爵家の女主人になったというのに、ミリアはまったく満足していなかった。だからこそ、次から次へと物を買い、満たされない心を埋めようとする。ミリアには、公爵夫人としての器量も、それを補う知識と魔力も、後ろ盾になれるほどの実家もない。ドヴェルグの愛に縋って生きるしかなかった。
「そうだわユーフェちゃん、新しくドレスを仕立てなくちゃね。そんなみすぼらしいドレスではモーブレイ様にがっかりされてしまうわ。それともお買い物に行きましょうか」
うきうきと笑うミリアは少女のようだった。
「お母様、夏休みといっても暇ではありませんわ。夏はハーブの収穫期ですもの、精油を作ったり化粧水を作ったり、エステクラブは忙しいの」
「あらそんなこと。他の生徒に任せればいいのよ」
「お母様、学校では身分は関係ありません。……お母様だってご存知でしょう」
ミリアも魔法学校を卒業しているのだ。学校のルールは覚えているだろう。ミリアは一瞬怯んだが、縋るようにドヴェルグを見た。こんな時だけあてにするのか、とユーフェミアは不愉快になる。
「ミリア、ユーフェの応援をしてやらないか。箱入り娘で心配していたが、きちんとやれているようじゃないか」
「あなた」
「モーブレイ殿下は夏休みの間ご公務に励まれている。ユーフェも見習いなさい」
王太子まで出されてはミリアも引き下がるしかなかった。納得はしていないのか、せっかくの夏休みなのに、とぶつぶつ言っている。
ユーフェミアはミリアが可愛そうになってきた。四六時中一緒にいるのは避けたいが、どうせ服は仕立て直しだし、母にも気分転換が必要だ。
「あの、お母様。週当番が終わってからならかまいませんわ。わたくし、張り切って第一週に当番を決めてしまったんですの。もちろん、当番日ではなくともクラブに行くつもりですが、わたくしだってお母様がいなくて寂しかったですわ」
朝のハーブ当番は実家に帰省する者と寮に残る者とがいるため当番制になっている。エステクラブはなにしろ部員数が多いので、誰か一人が欠けても困ることはないように組んであるのだ。
ユーフェミアが夏休み最初の週に当番を決めたのは、家に帰れば怠け癖が復活すると思ったからだ。貴族のお嬢様生活をしていたら絶対にそうなる。せっかく痩せたのに元の木阿弥なんてモーブレイに申し訳が立たない。そう考えると序盤に予定を組んでおいたほうがまだ自制がきくと判断した。
ミリアはまだ不満そうだったがしぶしぶうなずき、ドヴェルグは娘の成長に目を細めた。
翌朝、ユーフェミアがいつもの時間に起きるとメイドたちが驚いていた。
「ああ、学校ではクラブ活動があるからいつもこの時間に起きているの。朝食はお母様と摂るからまだいいわ」
それより、とメイドたちを見回すと、一人だけ私服のメイドがいた。昨日ミリアに解雇を言い渡されていたメイドだ。
「本当に辞めてしまうのね……。お母様がごめんなさい。今までありがとう」
「お嬢様……」
「これ、お餞別。元気でね」
「ありがとうございます。お嬢様も、どうかお元気で」
餞別は迷った末に使わなくなったブローチにした。学校に入学してからユーフェミアはお小遣いを貰うようになったものの、生活の足しにできるほどの額ではない。宝石の付いたブローチならそこそこの値段で売れるだろう。
もう一度「元気でね」と言って、ユーフェミアは学校に向かった。夏の朝は早い。すでに燦燦と太陽がハーブに降り注ぎ、青々とした葉を伸ばしていた。
「あ、ユーフェちゃんだ。おはよー」
「おはよう、夏休み初日にエライね」
寮に残っていた先輩たちがすでに水やりをしている。虹を作って遊んでいる子もいた。
「おはようございます」
ユーフェミアはさっそく園芸セットを持って収穫に向かった。
ミントは地下茎でどんどん増えていくのでどんどん収穫する。うっかり目を放すとハーブ園がミントで埋め尽くされる勢いだ。触れたところから香りが弾け、そこだけ涼しくなった気がする。
「ユーフェちゃんさ、家に帰ってなんか言われた?」
「え?」
「私なんか家に帰った途端に母親がうるさいのなんの。日焼けがどうとか、礼儀がなんだとか、もううんざりよ」
そうぼやく彼女はたしか伯爵令嬢だ。このくだけた口調では母親がうるさく言ってくるのも無理はない。ツバ広の帽子を被っていてもどうしても日焼けはするし、学校で畏まった会話ばかりをしていたら身分を超えた付き合いができなくなる。母親の伯爵夫人もおそらく魔法学校卒業生だろうに、自分がどうだったかは忘れてしまうものなのだろう。
「わたくしも、母のお小言がうるさかったですわ。少し痩せたのを見て学校で苦労をしているのかと、放っておいたら抗議しかねない勢いでした」
「どこの母親も同じか。ま、ユーフェちゃんだいぶ痩せたしね。そりゃびっくりするし心配するか」
「わたくしとしては褒めて欲しかったですわ」
帰省して早々に母親のヒステリーを浴びたのは自分だけではなかったと知り、ユーフェミアはほっとした。たしかに入学前のユーフェミアから一転して今の痩せた彼女を見れば、なにがあったのかと心配するだろう。
家に帰ったらミリアにやさしくしてあげよう。そう思いつつ、ユーフェミアはミントを切った。
◇
学校と家との行き帰りをしているうちになんだかつまらなくなってきた。
学校で会う貴族の子は活発に社交に出ているらしい。ユーフェミアは卒業後に社交界デビューする予定なので、夜会の招待はなくて当然だが、茶会やちょっとした訪問もお呼ばれもない。
社交は友人との遊びではなく、家と家との繋がりであり、情報交換の場でもある。貴族にとっては仕事の一種であり、疎かにしてよいものではないはずだった。ましてジークズルは公爵家である。ここまでなにもしないのはあり得なかった。
「お母様、我が家でお茶会でもしてみませんこと?」
「いつもしているじゃない」
社交は女主人の仕事。思い切って提案したユーフェミアに、ミリアは不思議そうな顔をした。
母と二人での茶会は毎日の習慣だが、思えばユーフェミアは茶会を開いたことすらないのだ。学校の先輩は、早くて五歳で茶会デビューしている。遅くてもたいていは学校入学前に茶会を開き、学校に行ってもよろしくね、と友人関係を構築していた。
「いえ、こういうのではなく……。わたくし、学校のお友達や貴族の子女を招いてお茶会をしてみたいですわ」
「…………」
すっとミリアから表情が消えた。
「新しくドレスを仕立てていただいても、誰に見せることもありませんし。良い機会ではありませんこと?」
「ユーフェちゃん」
ミリアの声の響きにユーフェミアの肩が跳ねた。
にこり、とミリアが微笑む。
「ユーフェちゃんも社交が気になる年頃になったのね。でも、まだユーフェちゃんには早いわ」
「そんなことは……」
「ママが早いと言ったら早いの。社交なんて、可愛いユーフェちゃんをオオカミの群れに放り込むようなものだわ。変な男に目を付けられたらどうするの」
「わたくしにはモブ様がいるわ。そんな男、相手にしなくってよ」
「ユーフェミア、いけません」
食い下がるユーフェミアにミリアが厳しく言った。
ふっとため息を一つ、吐き出す。
「……あなたのためよ。ユーフェちゃん、社交は待ってちょうだい?」
「……はい、お母様」
ユーフェミアは呆然として蒼ざめ、素直にうなずいた。
話好きで流行にも敏感なミリアがここまで避けるからにはきっとなにか理由があるのだ。
ミリアが社交を厭う理由など一つしかない。ドヴェルグとの結婚だ。
リリャナが死ぬように仕向け、ドヴェルグは見舞いすらろくにせず、臨終にも立ち会わなかった。その上喪が開けるのを待たずに愛人と再婚である。なによりミリアとドヴェルグは婚約式も結婚式もしていなかった。公爵家にとって、重要な儀式を二つも放置して結婚したのだ。社交界から爪弾きにされるのは当然だろう。
ユーフェミアは当時のことを、浮かれていて楽しかったとしか覚えていない。
やっと両親揃って暮らせるようになった。お城がおうちになった。使用人はどんな我儘も聞き、そして邪魔だった兄と姉を追い出すことに成功した。毎日が楽しくて幸せで仕方なかった。
ルールを守らず、しきたりを捨て、人の情すら失くした者は貴族ではない、畜生だ。そんな親に育てられた娘もそういう目で見られている。
ジークズル公爵家に招待状は届かない。社交をしようにも、出した招待状は受け取り拒否で返ってくる。リリャナの存在が大きすぎた。ミリアでは彼女が開けた穴は埋められない。深淵の底は見えず、空虚に向かって叫んでも誰にも聞こえない。ミリアはその巨大な虚無を支えきれないのだ。
貴族が行う儀式には必ず意味がある。ジークズルに連なる者と家に認められていないミリアが女主人の真似事をしても、加護は与えられず魔力を侵されるだけだった。
モーブレイに会いたい。ユーフェミアは不安から目を反らすようにそう思った。
儀式っていうのは意味があるから続いているんですけどね。リリャナの遺品があればまた違った結果ですが、ミリアは呪いに侵食されちゃってます。




