20:待ち遠しいのは夏休み!
夏休みに入ります!
魔法学校の夏季休暇は家に帰らない生徒も多い。なにしろ学校の設備で好きなだけ実験、研究できるのだ。クラブによっては薬草園の世話や、夏にしか採取できない素材を求めて森に行くこともある。合宿するクラブもあった。
「生活快適クラブは最低一個は便利魔道具の開発、魔法薬クラブは採取があるし、学校に残ってたほうが楽そうよね」
そう言うローゼスタは帰らない組だ。明日からの研究三昧を思い描いてわくわくしていた。ひんぱんに怪奇クラブに顔を出している彼女だが、どちらかというと研究肌なのだ。夏休みは両クラブに行って欠席を詫びるつもりでいる。
帰省準備のため今日の授業は半日で終わった。別れを惜しむ生徒たちが教室に残りだらだらとおしゃべりをしている。
「私はハーツビートにご厄介になるけど、冒険者クラブの合宿があるからちょくちょく学校に来るわ。準備もあるし」
「合宿って、なにをするの?」
「塔に泊まりこんでの攻略。野宿だから前準備をしておかないと困ることになるわ」
一般に塔や迷宮というのは魔法使いの研究施設のことをいう。魔術研究クラブを例に出すまでもなく魔法使いのほとんどは個人主義だ。名声を得るよりも誰も考えつかなかった魔法を研究、開発することを好んでいる。そうした魔法使いが研究のために塔や迷宮を建て、産業スパイなどから身を守るために罠や使い魔を設置する。持ち主の死後放置しておくと魔力だまりが発生し魔獣が生まれ、外部に流出することもあった。凝り性の魔法使いらしいといえるが迷惑な話である。そういう、放棄された塔や迷宮を取り壊す専門の業者もいた。
とはいえ住居兼研究施設なので風呂、トイレ、ベッドが各階にあって意外と快適だったりする。未発表の研究は発見者のものになるためそれ狙いのトレジャー・ハンターもいるくらいだ。
いずれ自分の塔を建てたいと願う生徒は冒険者クラブで実際の塔を見て研究している。学校内の塔もそうした研究によって年々改良が加えられていた。
「ジェダイトも自分の塔が欲しいの? 私も憧れるけど土地とお金がねー」
領地がある貴族ならともかく、平民のローゼスタには塔あるいは迷宮に適した土地選びと買収、建設費用を賄うのはとても無理だ。そういう土地は人気があり、死後のことを考えると持ち主が売りたがらない。売るなら貴族だ。
「それよね。どこかの会社に入るのも手だけど、好きな研究ができるとは限らないもの」
「ジェダイトはハーツビートの分家なんでしょう? 本家に相談できないの?」
ローゼスタは翡翠の事情を知らないままだ。遠縁とはいえ魔法学校に入学できるほど魔力があるなら援助してもらえそうだと疑問を呈する。
「そういうわけにはいかないわよ。ハーツビートが管理しているんだもの。貴族ほど土地には厳しいわ」
「そうなんだ……。貴族といっても大変なのね。ねえそういえばリンダは? 夏休みはどうするの?」
リンダは珍しく本を読んでいた顔をあげた。
「え?」
「え、じゃなくて、夏休みよ。お家に帰るんでしょう?」
「あー……うん」
なぜかリンダは渋い顔になる。長期休みなんて大喜びしそうなリンダの反応に、これはなにかある、とローゼスタは身を乗り出した。
「なになに? 夏休み、なにかあるの?」
まず宿題がある。
「兄様の婚約式」
「婚約!? 素敵じゃない! でも浮かない顔ね。まさかお相手が意地悪だとか?」
「そんなことないよ。トリト姉様はやさしいから好き。そうじゃなくて、婚約式に伴って社交続きになるのが……」
翡翠とローゼスタが揃って「あー」とうなずいた。
普段の学校での言動をみていれば、リンダに社交はハードルが高すぎる。公爵令嬢どころか下町娘だ。おそらく家に帰った途端にマナーと作法のおさらいをさせられるだろう。
「で、でもほら、ごちそう食べ放題なんでしょ?」
「ジロジロ見られながらね」
「綺麗なドレス着られるし!」
「コルセットで吐くほど締め付けられるけど」
「素敵な男の人と出会えるかも……」
「口を開けば自慢話の顔だけ男のこと?」
「…………」
とうとうローゼスタが黙り込んだ。リンダは心底社交界を嫌っているのだ。なにを言っても慰めにはならないだろう。
「……公爵令嬢なのにリンダって庶民的よね。そういうところが好きだけど、そのお家でお世話になってるんだから諦めて腹を括りなさいよ」
「わかってる……」
社会に出れば、嫌いな相手にも笑ってペコペコしなければならない時もある。責任者として他人のために頭を下げることもあった。
「心配しなくても、リンダの猫は鋼鉄製よ。ローゼスタも見たらびっくりするわ」
「え? じゃ、なにが嫌なの?」
「子供らしくないんだもん」
以前のお茶会を思い出し、リンダはむかっ腹立ってきた。
「知らないババアが眉を顰めるのも、どっかのマダムがくすくすヒソヒソすんのもいーんだよ。上流階級の女なんてそんなもんだろ。ただなぁ、その子供にまでお上品に人を見下すのを真似させんなよ。つうか子供集めといて遊ばせないってなに? どういうつもりで呼んだの? 子供なんて悪さしてなんぼだろ、そうやってなにが危ないのか、どうしてそれをしちゃいけないのか勉強するもんなんじゃないのか? 親に叱られるからやらないって我慢してる子供ほど大人になったらグレるぞ。子供の好奇心を親が殺して、一生親の敷いたレールかよクソだなって思うわ。貴族だから稼業継がせなくちゃいけないってんならなおさらそうだろ。仕事以外の趣味を見つけさせてやれよ。なにが楽しいんだ」
けっ、と吐き捨てるように不満が噴出した。翡翠とローゼスタは、リンダが自分が晒された偏見や行儀作法を嗤われたことではなく、子供らしく生きることを許さない教育方針に怒っていると知って驚いている。
要約するなら「好きに遊べないなんてつまんない」なのだが、改めて言われると子供らしさはない。気づかわしげにローゼスタが翡翠を見れば、眉を寄せ、唇を噛んでいた。辛そうな、悲しそうな表情である。ローゼスタの視線に気づいてちいさく笑った。
「そうだね。ハーツビート家に来てからずいぶん自由で驚いた」
貴族の多くはそれがあたりまえで育ち、大人になって交友関係が広くなってから歪さに驚くのだ。ローゼスタはため息しか出なかった。まさに住む世界の違う話である。
「ちいさな大人がいっぱいいるのね。そんなの見せられたら不気味だし、逃げ出したくなるのわかるわ。社交界って、もっとキラキラしたものだと思ってたわ」
「ローゼ、中身ドロドロこそ社交界よ」
翡翠が首を振りながらしみじみ言った。
リンダが嫌うのも無理はない。自由を愛し、身分の垣根などないリンダにはさぞかし苦痛だろう。
「リンダ! 嫌になったら学校に逃げてきちゃいなさい。匿ってあげる!」
ローゼスタが立ち上がり、リンダの手を握った。
「ありがと。そうだ、ローゼも遊びに来てよ。翡翠と三人でお茶会しよう」
ローゼスタの友情にリンダは笑って感謝した。ああは言ったがお茶会や社交界に憧れているローゼスタの夢を壊すつもりはないのだ。ただ、リンダの気性にはひたすら合わないだけである。
そして、リンダのモットーは今も変わらずに『女子供にはやさしく』である。リンダの誘いに驚き、感激し、恐縮したローゼスタは「いいの?」とおずおず聞いてきた。
「もちろん」
「でも私、平民よ?」
「私の友達だわ」
リンダはその一言で片づけた。平民だからと友人を差別する者はハーツビートにいない。むしろやっと女友達ができたことを喜んでくれるだろう。
「嬉しい……っ。お茶会って夢だったの。ありがとうリンダ!」
「こっちこそ。ローゼと会える日を思って夏休みを乗り切るわ!」
夏休みの宿題、ローゼスタに頼る気だな。翡翠だけはリンダの魂胆を見抜いていた。
三人が怪奇クラブの部室に行くと、タッジーとマッジー、そしてフローレスが夏休み前の片づけをしているところだった。
「こんにちはー」
「ああ、リンダちゃん。ちょうど良かったわ、これ、ドリアードから出た木屑、どうするの?」
ドリアードから譲られた枝で新しい箒を作ったリンダは、木屑も大切に保存していた。水の魔法で削りだしたのでほとんど粉だ。大きめの木片はぜひにと頼まれて魔法薬のイーゴ・テンゲンと錬金術のタオ・シドミノに譲っている。
こういうものはいつまでも持っているより必要としている人のところに行ったほうが良い、というのがリンダの持論だ。けちけちしているとふんぎりがつかなくて結局使えなくなる。
「使います! ちょっと作りたいものがあって」
「そういえば、珍しく集中して本を読んでたわね」
翡翠がからかうと、リンダはむっと頬を膨らませた。
「なに作るの? 手伝おうか?」
マッジーが手をあげた。リンダが作るものに興味があるのか、片づけから逃げたいだけなのか、あるいは両方だろう。
「大丈夫です。贈り物なので、一人でやります」
リンダは布袋に詰まった木屑の中に手を入れた。さらさらとまとわりつき、ほんの少しだが魔力を吸い取られるのを感じる。
「部の蔵書は持ち帰り禁止よ。学校内で読むぶんにはかまわないけど、夏休みだからって家に持って帰らないでね」
フローレスが注意した。ここの蔵書はクラブの予算で購入したものと、部員が寄贈したものがある。興味のない人には古臭い本だが、ローゼスタのような研究肌には垂涎ものだ。古書店に持ち込めば高値で売れる。
「はい。もう返却しておきますね」
鞄から借りていた本を出してフローレスに渡す。破損も汚損もされていないことに、フローレスは満足そうな顔をした。
破損も汚損も魔法で直せるが、限度がある。水に濡れたものは乾かしても皺が寄るし、場合によっては染みが残ってしまう。
「ムーア・アフメッド著『人魚の生態と素材研究』ね。海に行くの? 川にいる人魚と海の人魚は生態がまったく違うから気をつけてね」
リンダなら大丈夫だろうとなんとなく思うが、念の為注意しておく。
「いえ、人魚から鱗を貰ったので使えないかなぁ、と思って」
「へえー……」
良かったわね、と言おうとしたフローレスも、聞き流していた面々も、一瞬時が止まった。
「人魚の鱗ぉ!?」
「うわっ!?」
叫んだのはやっぱりマッジーだった。頭を抱えて悔しがっている。
「うわぁー、俺も早く空を飛びたい! 人魚に会いたい! ってか鱗貰うってなに? ずるくない!?」
「うっわ言ったよこいつ。ずるいずるくないの問題じゃないだろ。箒作り途中で投げ出したお前が悪い」
「そういう妬みの感情を糧にして生まれる魔獣がいますよね」
呆れたようにタッジーが言えば、フローレスも冷静に分析した。
「そういうツッコミいらないからぁ! うわぁー、人魚ぉ……」
「リンダちゃんはともかく、男のマッジーじゃ誘惑されて水中に引きずり込まれるだけだろ。空を飛べるようになるまで会いに行くの禁止な」
「欲望だだ漏れですから、会いに行っても会えない可能性高いですよ」
魔法生物は人の欲望、感情に敏感だ。人魚が人間の男を誘惑するのは食用にするためではなくなわばりを荒らす敵だと判断するからである。ちなみに女だと誘惑などせず攻撃してくる。大昔は男しか海にでることはなかったため、人魚が襲うのは男だけだといわれていた。とある魔女が素材採取のため人魚に会いに行き、帰ってこなかったことから女も狙われるとわかったのである。そこから男女関係なく人の欲望を嗅ぎ取って襲うと判明した。ちなみに子供はめったに襲われることはなく、人魚に育てられていた子供がいたことすらある。
「あ、そうか。学校の人魚なら生徒を誘惑はしないな。マッジー、良かったな」
「俺は自分に正直なだけじゃんかぁ……」
「言っておきますけど、マッジー先輩のそのちょっと狂気的な欲望は人間の女でも怖いです。うっかり愛されたら剥製にされそう」
「……人間にはしないよ」
「はい、アウトー! 全魔法生物は逃げるべき」
「お前が人魚にやられたら俺が語り継いでやるからな。安心してあちらに行け」
「俺を怪談にしないでタッジー!?」
ひとしきり騒いだ後、ようやく落ち着いたマッジーはリンダに人魚の鱗を見せてもらった。
「うわぁ、綺麗……」
マッジーはそれだけ言うと魅入られたかのように鱗を眺めた。
親指の爪くらいの大きさに、それなりに厚みがある。透明感はあるものの陽に透けるほどの薄さのないそれは、光の加減で青から碧、時々赤にも煌めいた。不思議としかいいようのない色合いだ。
「人魚ってもしかして妖精に近いのかも」
「どうして?」
「うちにある髪飾りで、妖精の涙っていう宝石を使ったのがあるんですけど、それにちょっと似てます」
「妖精の涙……。世界樹が花を咲かせた時に妖精が感激のあまり流した涙が宝石になった、というあれか」
ハーツビート家にあってもおかしくない石だ。
「あー、やばい。俺が泣きそう」
目元を押さえながらマッジーが鱗をリンダに返した。
これは正しく人魚の鱗だ。水底から見上げた空の色そのもの。水生生物である人魚はリンダが空を飛んでいることに感激し、敬意を表して与えたのだろう。純粋なものにしか扱えないものだ。
「森のヒトたちにはクラブのこと話してるんで、行けば会ってくれるかもしれませんよ」
「……そっかぁ。ありがとうリンダちゃん」
それもドリアード製の箒に乗っているリンダだからこそだろう。マッジーは力なく笑った。
「魔法生物が怖がる話ってどういうのか興味あるな」
「タッジーこそ欲望だだ漏れじゃんか」
タッジーはちゃっかり便乗する気だ。双子の片割れを一人で危険な場所に行かせるつもりはないのだろう。文句を言いつつもマッジーは嬉しそうだった。
「双子って不思議」と翡翠が言ったのには「うん」とリンダも同意するしかない。仲が良いのか悪いのか、通じ合うものがあるようだ。
「リンダちゃん、ドリアードと人魚の鱗でなにを作るの?」
錬金術は二年生からだが、すでに箒を作った実績がリンダにはある。なにを作るのか、興味があった。
「杖です」
人魚の鱗を反射させながら、リンダは『魔法少女には杖』論を炸裂させた。




