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幕間:失われたメシを求めて

飯ネタ。パン酵母についての知識はふわっとしかありません。



「ハンバーガーが食べたい」


 唐突にリンダが言った。


「いきなりなによリンダ」

「ハンバーグなら食べればいいじゃない」


 昼食時の食堂は食べ物の匂いが充満している。がやがやと騒がしい生徒たちの話し声、食器がぶつかり合う音が雑多に響いていた。


「違う! ハンバーグじゃないの! こんなお上品なソースじゃなくてケチャップたっぷり、かちこちのパンじゃないふわふわパンに挟まれた味が濃いやつ! 子供の頃ピクルス苦手だったけど大人になるとピクルス無いと胃がもたれた! 塩分多めのフライドポテトとコーラ! むっしょーに食べたくなるんだよ!」

「知らないわよそんなこと!」


 癇癪を起こしたリンダにローゼスタが叫び返した。翡翠はまたはじまったと冷静にアイスティーで喉を潤す。


「で、どうするの?」

「ハンバーガーがなければ作ればいいじゃない!?」

「ケチャップの時もそう言ってたわね。メイさんもお気の毒に」


 リンダの叫びと共にはじまる『なければ作れ! プロジェクト』はメイ主導でこれまで数回開催されていた。食の革命児ハーツビートの名をいかんなく発揮させられる、料理人泣かせのプロジェクトだ。


「具材はありますから、問題は……」

「パン、ですね」


 こんな感じ、とリンダが持ってきたレシピは、レシピというより設計図だ。わざわざ色付きのペンで『パン』『レタス』『肉』と印付きで描かれている。無駄に細かいくせに材料や分量が書いてないあたりが実にリンダだった。


「こんな丸くてふわふわのパンなんか見たことありません」


 メイと料理長が頭を抱えているのはハンバーガーのバンズだ。ラグニルドでパンといえば長方形で固いパンである。薄く切ったそれにバターやジャムを塗って食べるのが定番だった。東大陸のパンも薄くのばしたパン生地を窯に貼り付けて焼くものだ。


「魔法で膨らませることってできないんですか?」

「それができれば店が立てられるぜ。いや、待てよ。そうか魔法か……」


 料理長は「フム」とパンを見て考え込んだ。


「料理長?」

「パンってのは小麦を練って発酵させるもんだ。ビールやワイン、チーズなんかも発酵だよな」

「え、ええ。まさかビールでパンを焼くんですか?」

「いや、そっちじゃない。ただ一口に発酵といっても、種が違えば別のもんができる。そういうものだと思ってたが、発酵酵母を変えてみりゃあもっといろんなパンができるんじゃないか?」


 メイが目を輝かせた。


「そういえば、お嬢様が離乳食からパンになった時、驚いていました。パンはやわらかくて、様々な種類があるんだと言って、ジークズルの料理人を困らせていましたわ!」


 メイは思い出す。いかに食にうるさいハーツビートの血を引いているとはいえ、食べたことのないものを作れとは無理だと何度も諌めたものだった。

 作れそうなものはなんとかメイが作っていたが、それだってメイがやらなければリンダが厨房に突撃しそうだったからである。主家の姫君を厨房に立たせるなど罰則ものだ。


「メイ、ちょっと姫様に話聞いてこい。あの子の食レポはわけわからんが、ヒントになるものがあるかもしれん」

「了解です。ハンバーガーのためと言えば喜んで話をしてくれますわ!」


 なまじプルートが貴族令息らしいお坊ちゃんだったものだから、リンダの破天荒さには驚かされた。しかしそれでも常識的なプルートよりも、リンダの突拍子のない要求のほうが面白い。難易度は段違いでも料理人としては腕が鳴るものだ。


 ちなみに、リンダの出所のわからない話については『妖精の導き』と呼ばれている。アカシックレコードや予知の能力者などにはままあることだ。彼らと接する時の注意はただ一つ、邪魔をしない、これだけでいい。深く突っ込まれても答えられないし、面倒になったら避けられてしまう。彼らの勘は馬鹿にできない。なんとなくで行動して結果二度と会えず、助言を受けられずに失脚あるいは自滅した者がいるほどなのだ。

 魔法学校に長く勤める料理長はそういう生徒を何人か知っている。だからリンダの頼みを断らない。リンダが祝福をもたらす者だと知っているからだ。


「お嬢様から聞いてきました!」


 メイは夕食の時間が終わり、寮に戻ろうとしていたリンダを捕まえて話を聞くことに成功した。パンのこと、と言えばリンダは嬉しそうにぺらぺらしゃべってくれたらしい。


「お嬢様によりますと、やはり酵母が重要なようです。フライパンで作るパンや、炊飯器など、温度の高いもので発酵させるようですね。それと、パン生地にバターを練り込んだり、具材を入れて揚げたパンなどの話も聞けました」

「温度か。高温発酵の酵母があるということだな」

「はい。パン種がびっくりするほど膨らむのだとか」


 リンダはパンを作ったことはない。挑戦していたのは嫁だ。パンが焼ける炊飯器を買った時にハマったが、一時的なブームで終わりを告げた。他にもヨーグルトや燻製、スムージーなど、その時々で嫁のブームは変わっていった。メイたちがリンダの無茶ぶりに振り回される日々は続く。


「そうか、よくやってくれた。まずは酵母作りからはじめよう」

「はい!」


 こうしてパン作りがはじまった。発酵させる魔法はないが、腐敗を進める魔法ならある。カビが素材になる魔法薬などがあるためだ。それを応用して発酵を早める。


「お嬢様の言うパンは甘くてやわらかいそうですわ。果物を使ってみたらいかがでしょう」

「果物か」


 料理長は高温に耐えうる蜂蜜を使うつもりでいた。果物も蜂蜜も酒の原材料になる。つまりは酵母を生むし発酵もするのだ。


 料理長とメイ、そしてハーツビートのレシピが欲しい料理人が集まって、それぞれ別の果物で発酵させた。できた酵母でパンを練る。魔法で温度を上げるとしだいに膨らみはじめた。


「本当に膨らんできたぞ!?」

「メイ、どれくらい寝かせるんだ?」

「お嬢様は「すっげー時間かかった」と言っていました」


 ザ・大雑把。何時間も魔法を維持しているわけにもいかず、オーブンの余熱を利用することにした。

 時間は魔法でもどうにもならない。空間に時間を固定させる魔法陣ならあるにはあるが、非常に難解で料理人で使える者はいなかった。時を進める魔法は研究している魔法使いはいそうだが、成功例は聞いたことがない。待つしかなかった。


「私は試しにお嬢様が言っていた揚げパンを作ってみます」


 メイは待つのではなく、今の生地をちぎって丸め、具材を詰めはじめた。

 リンダがメイに教えたのはもちろんカレーパンだ。あいにくラグニルドにカレーは伝来していなかったのでメイの想像になる。


「肉と野菜を香辛料で煮込んだものを詰めるのだそうです。ハンバーガーも肉ですから似たようなものになるのでは。あと、甘く煮た豆を詰めて蒸したパンもあるそうですわ」

「豆を甘く煮る!?」

「妖精の考えることはわからんな」


 メイが聞きだしたリンダの飯話に料理人は興味津々だ。

 具材は賄いの残りの肉料理を詰めた。香辛料は色々あるが、それでもリンダが言っていたような、黄色っぽくて辛くて匂いだけで腹が減るやつの心当たりはない。適当に辛みのある香辛料を振りかけた。

 油を高温になるまで熱してパンを投入する。ジュワワッと良い音がして泡がぱちぱちと跳ねた。慎重にひっくり返す。キツネ色になるまで、とリンダは言っていた。


「揚げたパンも良い匂いだな」

「そうだな、美味そうだ」

「ただ揚げただけのパンに砂糖をまぶしたものもあるそうですわ。大豆の粉に砂糖を混ぜて、それを振りかけたキナコパンなるものは子供に人気だとか」

「大豆を粉に? なんでわざわざ?」

「砂糖と混ぜるって、豆を甘くするの好きすぎじゃないか?」


 なぜ大豆を粉にしてみようと思ったのかはリンダも知らない謎である。日本人にとって大豆は畑の肉と呼ばれるタンパク源だった。あの手この手で食べようとした、肉食が一般的になるまえの知恵であろう。


「……こんなものでしょうか? 試食してみます」


 できあがった揚げパンをナイフで半分に切ると、サクッと音がして熱せられた具材がふわっと湯気を立てて匂った。


「……どうだ?」

「パンはまだ固いです。もう少し発酵させるか、パンを焼いてから揚げたほうが良かったかもしれません。ですがほんのり甘くて、香辛料とよく合います」


 パン未満の揚げパンは生地が半生状態だった。もっちゃもっちゃと咀嚼するうちにようやくパンの味がわかってきた。


「たしかに、生っぽいというか、粉っぽいな。だがこれだけ甘ければ味の濃いものが合うだろう」


 料理長が試食の感想を言った。

 そうこうしているうちにオーブンの中では発酵が進み、パン種は倍ほどの大きさに膨らんでいた。


「おお、大きいな!?」

「ずいぶん膨らんでる……。でも、中が空洞にはなっていないな」

「酵母でここまで違うとは、盲点だったな」


 なぜ彼らが今まで思いつかなかったかというと、パン用の酵母は普通に販売されているからである。そしてパンとはこういうもの、という先入観があった。


 ラグニルドは島国なので食べ物に困ることはそうそうない。戦時中もパンがなければ魚を食べていた。漁村の数だけ魚料理があるといわれている。畜産もやっているし、チーズもバターもある。


 ただし、食へのこだわりはあまりなかった。もちろん美味しいに越したことはないし美食に嵌って料理人の道を歩む者もいる。ハーツビートがいい例だ。


 ようするに、今あるもので満足できればそれでいいのだ。魔法があればたいていのことはできるし生活に困ることはない。空を飛ばなくても長距離を移動できるように、ふっくら焼き立てパンの美味しさを知らなくてもかまわなかった。

 そして、一度食べてしまうと戻れない怖さも彼らは知らない。


「……できたな」

「丸くてふっくら、姫様の注文通りですね」

「こんなにやわらかいんじゃあ腹に溜まらないんじゃないか?」

「とにかく食べてみよう」


 丸く焼けたパンをちぎると離れるのを惜しむように弾力があった。ほのかに甘い匂いがする。口に入れると、しっとりとやわらかいものが歯にあたった。

 粉っぽさはない。噛んでいるうちに口中の水分が吸い取られることもない。なにも付けていなくても十分な甘さがあった。


「うっ、うんまー!! なんだコレ、本当にパンか!?」

「これがパンなら今まで食ってたのはなんだったんだ!? 靴底と赤ちゃんのほっぺくらい違うぞ!」


 当然だが、大騒ぎになった。賄いの残りを持って来いと一人が言ったせいで、夜のパン祭が突如としてはじまった。


「こんなパンなら姫様が食べたがるのも納得だ」

「はい! ですが、お嬢様のお望みはハンバーガーですわ。丸パンに塩コショウで味付けしたハンバーグを乗せ、そこにケチャップ。薄切りのチーズとレタス、それとピクルスを挟んだものです」


 リンダの説明ではバンズは「丸いパンになんかちっちゃい粉? 種? が上に乗ってた」という大雑把なものだったがこのパンでも十分だろう。

 ごくり。料理人たちの喉が鳴った。チラチラと目配せしあう。


「材料はあるな」

「パンもできた」


 ……食べちゃう?

 口に出さなくても思いは一つだった。


「いけません!」


 それを止めたのはメイだ。不満そうな料理人たちに血相を変えて訴える。


「お嬢様に一番に召し上がっていただかないと、拗ねられます! 大変なんですよ、お嬢様が拗ねると!」

「たかが子供の癇癪だろう?」

「ジークズルとハーツビートの血を引いた魔法使いの癇癪です! あの時も、試作品が上手くできたので、厨房のみんなで食べたんです。そうしたら……」


 内緒にしておいたのに、なぜかリンダにばれた。リンダが怒り、拗ね、癇癪を爆発させた途端、ジークズル家周辺に黒雲が立ち込め、雷があちこちに落ち、大雨どころか雹まで降ってきた。控えめにいって天変地異が起きたのだ。


「それだけではありません。天変地異を察したネズミが逃げ回りお屋敷が大パニックになりました。し、しかもあの、黒い悪魔が列を成し……」

「ストーップ! わかった、わかったから止めろメイ!」


 料理長がそれ以上言わせてなるものかとメイの口を塞いだ。子供の癇癪なんてとんでもない、そんなものを見た日にはおちおち寝てもいられなくなる。


「まあ、逃げ出してくれたおかげでお屋敷は綺麗になりましたけど……。モロに見ちゃった子は三日間寝込みましたよ」

「そりゃそうだろうよ。姫様を怒らせちゃなんねえのはよーくわかった」

「おわかりいただけてなによりですわ。それに、お嬢様のことですから自分で作りたがるでしょうし、その時またぽろっとなにか言うんじゃないですかね? パン料理のレパートリー増やすチャンスですよ」


 なによりリンダに頼まれたのではなく、自分たちで創意工夫したのなら先に食べても怒ることはないだろう。メイの苦労が偲ばれる言葉だった。


 翌日、リンダにパンが完成したと伝えると、大喜びで厨房にやってきた。もちろん翡翠とローゼスタも一緒である。

 翡翠はそうだがローゼスタも広々とした厨房は珍しいようで、きょろきょろと辺りを見回していた。


「メイ、バンズできたってほんと?」

「はい。具材も用意しておきましたわ」


 メイはパンの他にパテとレタス、薄切りチーズにピクルスを用意していた。ケチャップも瓶に入っている。


「わあ、ありがとう。さすがメイ!」


 まずは魔法で手を清め、パテを焼く。パンを真ん中から横に切って、焼いたパテを乗せた。そこにチーズ、ピクルス、ケチャップ、レタスを乗せて挟む。その間リンダは「たららったったったった」と歌い、こちらにできあがったパテがあります、と一人芝居をやっていた。翡翠とローゼスタが呆れるほどご機嫌だ。


「完成!」

「意外と簡単ね」


 バンズに至る苦労を知らないローゼスタがさらっと感想を述べた。料理長は泣いていい。


「このパン、いったいどうやったんです? こんなやわらかいパン見たことない……」


 翡翠が感動したようにパンを見てため息を吐いている。なぜかリンダが嬉しそうに笑った。


「食べてみてよ! メイたちが頑張ってくれたんだよ、すごいでしょ!」


 その瞬間だった。


「えっ?」


 さあっと厨房全体が光った、と思ったら、まるで一皮剝けたように綺麗になっている。驚いた料理人が厨房を見回していた。


「お、おい、壁の油汚れがなくなってるぞ」

「換気扇も天井もぴかぴかだ!」

「鍋もフライパンも新品みたいになってる!?」

「ほ、包丁も研いだばかりみたいだ」


 歓声というより悲鳴じみた声で喜ぶ料理人たちを、メイが自慢そうに眺めた。


「お嬢様が喜んでくださって嬉しいですわ」

「メイ! はいこれメイのぶん!」


 リンダはペーパータオルで包んだハンバーガーをメイに差し出した。

 自分のことだけではなく、周囲のことまで考えられるようになったリンダの成長が、メイはなにより嬉しい。ハーツビート家で大切にされてきたのだろう。それを助けることができなかったのは寂しいが、メイの大切なお嬢様が立派に成長を遂げているのを見られるのは幸運だった。


「ありがとうございます。大切に食べますね」

「なに言ってんの。ハンバーガーはこう、がぶっといくのが美味しいんだよ!」


 できたてのハンバーガーはまだほんのりと温かい。「はい」と笑ったメイは言われた通り大きく口を開けて齧り付いた。


「美味しい! なにこれこんなのはじめて!」

「うん。いいな。パンとサラダと肉をまとめるなんて、と思ったけど、これは美味しい」


 ローゼスタと翡翠が目を見開いて絶賛している。リンダは怪奇クラブにも持って行こうとパテを焼いてはハンバーガーを作っていた。


「だろー? ケチャップじゃなくてオーロラソースとか、トンカツ挟んだカツサンドとか、目玉焼き入れても美味いんだ。あー、醤油があれば照り焼きできるのにー」

「醤油ならありますよ? とても高価ですけど、アジハイム帝国から輸入されてます」

「え!? あるの!?」

「ああ、いえ。学校にはさすがにありません。学校の食堂はとにかく大量に作りますから、とてもあんな高価なもの使えませんよ」


 料理長がムリムリと手を振って答えた。彼の胸には未知の料理への意欲がぐつぐつと湧き上がっている。オーロラソース。トンカツ。カツサンド。テリヤキ。リンダの口からは当然のように新たなメニューが出てくる。それはまるで、神からの啓示だった。


 感動に打ち震えている料理長は「じゃ、またよろしく!」と非常に軽いノリで次の苦労を背負わされたこと、それがリンダが卒業するまで続くことに気がつかなかった。


 余談だが、ハンバーガーに喜んだのは生徒よりも先生だった。片手で食べられて美味しく腹が満たされるとあって、残業続きの教師陣に重宝されたのだ。そんなハンバーガーは、後に残業メシと呼ばれることになる。




その昔母が夏になるとパンを作っていました。ちいさいパン種がボウルいっぱい膨らんだのは感動でした。次々と興味が移っていろんなものを作るのは実話。嵌るとものすごく作るし食べるんですけど、飽きるとやらなくなる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リンダの拗ね具合、すごいですね(笑) [一言] 昔「ミスター味っ子」というマンガで干しブドウから酵母を作ってるのをみました。自然界の酵母ももっと利用して風味とか幅をもたせてみてはどうでしょ…
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