幕間:恋の花は蕾をつけるか
変わりはじめるユーフェミアとモーブレイの話。協力・賛同:エステクラブでお送りしています。
ユーフェミアは上から目線の物言いで人に命令しがちだし、自分の意見を押し通し、通らなければ喚き散らす、我儘なところはあるものの、根は悪い子ではないのかもしれない。
リンダのクラスとの合同授業の後、ユーフェミアに対する評価が変わりはじめた。
たしかに彼女は我儘だ。客観的に自分を見られないのかあの体形でありながら絶世の美女だと思いこんでいる節もある。
けれど愛する者のために身を挺して守る勇気を持ち合わせていた。リンダはわざとではなかったのだろうが思いもかけない反撃をされ、ユーフェミアも恐ろしかったはずである。現にモーブレイは腰を抜かしていた。
モーブレイの願いを聞き入れてエステクラブに入り、彼にふさわしくなろうという健気さもある。
入学当初こと問題児扱いされていたユーフェミアは、確実に変わり始めていた。
「ユーフェミアさん、おはよう。今日も早いわね」
「おはようございます、ポーカリオン先生」
エステクラブに朝練はない。代わりにハーブ園の世話がある。
部活の一環として部員たちは学校の敷地内でハーブを育てている。畑を耕してハーブを植え、そのハーブを使ったアロマオイルや化粧水などを作るのだ。草刈りや害虫退治、肥料に水やりは部員の役目だった。
ユーフェミアの他にも部員たちが集まりはじめている。初夏の空気にハーブの香りが混ざり、立っているだけで爽やかな気分だ。少女たちが騒めく声が朝の静けさに花を添えている。
「そろそろラベンダーの収穫期ね。花の咲きそうで咲いてない、蕾が膨らんだものを選んで取ってね」
「はい」
園芸でもっとも楽しいのは収穫の瞬間である。水やりは魔法で済むが肥料は重い上に臭く、土に混ぜ込まなければならないので重労働だった。特にユーフェミアの体形では屈むのも大変なため、時間がかかる。
エステクラブは入部希望者が多いため、まず体験入部で新入生をふるいにかける。労働などしたことのない貴族令嬢はたいていここで音を上げた。ユーフェミアも何度も止めたいと思ったし、なぜ自分がやらなくてはならないのかと喚き散らした。それでも退部しなかったのは、モーブレイに期待されているという思いと、先生と先輩の励ましがあったからだ。
「根元から切るんじゃなくて、この葉っぱの下ね。そうそう、上手よ」
ジークズルではユーフェミアがお姫様だった。けれど使用人たちは冷たく蔑む目でユーフェミアを見て、親身になってくれる者や本心で敬ってくれる者は一人もいなかった。ユーフェミアを愛してくれるのは両親だけだった。
学校で再会したメイも、リンダにはやさしい笑みを向けるのにユーフェミアには事務的な対応だ。懐かしくなって話しかけたのにそっけなく突き放され、ユーフェミアはショックだった。彼女にはメイをリンダから奪い取った自覚はない。当然の権利として貰いうけたと思っている。自分の意思を無視して行動を決めつけられることがどれだけ苦痛か、ジークズル家では誰も教えてくれなかった。
でも、モーブレイとクラブの部員たちは違う。はじめは遠巻きにされたけれど、真面目に頑張れば褒めてくれた。悪いことをすれば叱り、失敗しても慰めてくれる。
思い返せばジークズル家で暮らす前はみんながそうだった気がする。当たり前に自分のことは自分でやって、できれば褒めてくれた。母子家庭、愛人の子供と周囲の貴族はユーフェミアを蔑んできたが、それに負けじと頑張っていれば自然とみんなが愛してくれた。努力を認めてくれたのだ。
どうして忘れていたのだろう。一つひとつ、自分でできることが増えるたび、母が喜んでいたこと。メイドも執事も褒めてくれたこと。こそこそとやってきた父がユーフェミアを見つけて破顔し、両手を広げて抱きしめてくれたことを。
「ユーフェさん、無理はしなくていいからね。もう暑いから水分補給はしっかりしてね」
「はい、先輩」
切り取ったラベンダーを籠に入れてポーカリオンのところに持っていくと、先輩が水を渡してきた。レモンのはちみつ漬けを入れた特製のレモンウォーターはほんのり甘酸っぱくて美味しい。喉を通って全身が新鮮になった気分だ。
「あの、先輩。レモンウォーターの作り方を教えていただけませんか?」
「いいわよ。でも、教室は水筒の持ち込み禁止よ?」
「いえ、あの……モブ様に作ってさしあげたくて」
モーブレイは魔術研究クラブで頑張っている。新しい魔法や魔法陣の研究をしているらしい。熱中しすぎて休憩を忘れると言っていたモーブレイの役に立ちたかった。
ぽっと頬を染めて恥ずかしがるユーフェミアに、先輩はにこにこしている。ユーフェミアの行動は一貫してモーブレイのためだ。なんというか、微笑ましい甘酸っぱさ。こんな恋愛してみたい。乙女心がくすぐられて、ついユーフェミアを応援したくなってしまう。
「簡単だけどレモンを漬けるのに少し時間がかかるのよね。一度にたくさん作っておけば保存がきくから、今日のクラブはレモンウォーターの作り方にしましょうか」
「ありがとうございます!」
「モーブレイ君も果報者ね、あなたみたいな彼女がいて」
「モブ様は素敵な方ですから、わたくしも少しでも役に立ちたいと思って……」
ラベンダーは乾燥・殺菌させるため収穫したその日に使うわけではない。オイル抽出には大量のラベンダーが必要になるため、しばらくは収穫が続くのだ。そして収穫はなるべく朝が望ましい。昼になって花が咲いてしまうと蕾に含まれる油分が蒸発してしまうからだ。
先輩がポーカリオンにクラブ活動の進言をすると、レモンウォーターは定番らしくすぐに許可が出た。
「レモンのはちみつ漬けはとても体にいいし、美容にも効くからストックを作っておきましょう」
一年生が歓声をあげた。畑仕事にもポーカリオンは変わらず黒いドレス姿だ。
「やったね! あ、ユーフェミアさんおはよう、これあげる~」
「あ、ありがとう」
朝の畑作業はお腹が空く。部員たちはおのおの飴玉やクッキーなどを持ち込んで食べていた。クラブ活動中は飲食禁止ではないので堂々たるものだ。
「お腹空いたね~」
「ね、朝ごはんが待ち遠しい!」
「ここで食べちゃいたいよね」
ちなみにポーカリオンは毎回漬物を持ってくる。若く見えるが彼女もお菓子より漬物を好む年齢だ。
「畑仕事は楽しいけど、汗がね。いったん寮に帰って着替えるのが面倒じゃない?」
「それね。エステクラブの部員が汗臭いなんてダメだもんね」
「魔法で綺麗にできるけど、それとシャワーは別よね」
そして女が集まればおしゃべりがはじまる。ユーフェミアはぽんぽん飛び交う女同士の会話にあまりついていけなかった。慣れていないのだ。
「そういえばさ、ユーフェミアさんちょっと痩せた?」
「えっ?」
「あー思った。痩せたよねユーフェミアさん、制服緩くなってるでしょ」
「やっぱ彼氏いると綺麗になるよね、羨ましー」
「ねえ、モーブレイ様とデートとかしてる?」
女の話題定番となればやはり恋話だろう。突然褒められて狼狽えるユーフェミアは答えに詰まった。
「で、デートはしたことがありませんわ。モブ様は休日も勉強していらっしゃるんですの」
モーブレイが休日も勉強をしているのは周囲への意地もあるが、ユーフェミアに会いたくないからだと彼女は知らなかった。途端、部員たちからブーイングがあがる。
「えー、デートもないとかありえない」
「王太子様だしさ、迂闊に街に行ってスキャンダルになるのを避けてるんじゃないの?」
「結構いるよ、こっそりデートしてる子」
「そうだ、変装していけばいいんじゃないかな。髪の色とか目の色を変える魔法薬あったよね。ユーフェミアさんももっと積極的にならなくちゃ!」
「そうそう。合同授業の時守ってあげたんだから、おねだりしちゃいなよ」
あれよあれよという間にユーフェミアとモーブレイのデートが部員たちの間で決められた。放課後には学生に人気のデートスポットまで調査されている用意の良さ。これぞ女の団結力である。
一応、彼女たちにも言い分がある。ユーフェミアと同じエーギル寮の子たちはユーフェミアに対し偏見を抱いたことへの詫びであった。居丈高で傲慢な公爵令嬢のユーフェミアを王太子に媚びを売る勘違いデブ女だと決めつけてしまった。実際ユーフェミアはそんな女だったが、彼女は変わりはじめている。ならば詫びる代わりに協力してやろう。エーギル寮は勇気の精神を掲げる寮だ。
他の部員も似たり寄ったりだった。ユーフェミアは我儘ではあるが意地悪ではない。その我儘も幼児の癇癪みたいなものでしかなかった。叱れば素直に反省するし、褒めれば嬉しそうにする。あれ、なんか思ってたのと違うぞ、と見直したのだ。
そこにモーブレイの態度だ。どうもあの王子様、ユーフェミアを利用して周囲の同情を得て、人脈を築こうとしている。押し付けたのはこっちだが、女心を利用するのはあんまりじゃないか?
こうなると女は一致団結する。ユーフェミアが本気でモーブレイに恋している彼女に、なおさら協力してやろう、となった。
翌日、早速教室でユーフェミアはモーブレイをデートに誘った。
「モブ様! 次の休日、町に散策に行きませんこと?」
女から誘うのははしたないと躊躇うユーフェミアに、それくらい積極的じゃないとモーブレイ狙いの女に取られてしまうと危機感を植え付けたのはエステクラブの部員たちだ。絶対に教室で誘えと入れ知恵したのも彼女たちである。人目の多いところならモーブレイが断りにくいと踏んでのことだ。
それに、教室なら彼女たちが加勢してやれる。案の定、モーブレイは「げっ」と小声で吐き捨てた。すかさずなりゆきを見守っていたエステクラブが二人を取り囲む。
「ユーフェミアさんもしかしてデート? いいなあ~!」
「ムーンクレストカフェ、今初夏の限定フレーバー出してるって、行ってきなよ」
「あたしカップルサービスしてくれる店知ってる!」
「えっ」
まさかユーフェミアに味方がいるとは思わなかったのか、断ろうとしていたモーブレイが狼狽えた。それでも慌てて口を開く。
「い、いや、休日は予習と復習、それにクラブもあるから……」
モーブレイはそう言ってユーフェミアを避けていた。こっそり遊びに行くこともあったがその時はユーフェミアに見つからないよう細心の注意を払っている。
教室や食堂などでは強引に隣を占拠されているが、ユーフェミアは勉強までは邪魔してこない。それなのになぜわざわざ休日に、それもデートなどしなくてはならないのか。外堀を埋められたくないモーブレイは嫌がっているのを察しろ、と男子生徒に助けを求めた。
「モブ様は頑張りすぎですわ。たまにはリフレッシュしたほうが勉強も捗りますわよ」
ユーフェミアが食い下がってきた。
そうそう、とエステクラブが同意する。
「それにさあ、あの時ユーフェミアさんに庇ってもらったんだしお礼くらいするべきじゃない?」
「だよね。魔法跳ね返されて腰抜かしといて、ここらで良いとこ見せないと愛想尽かされちゃうわよ」
そう言われると事実なだけに弱い。同じ班だった三人の男子生徒もユーフェミアの肩を持った。
「マケドニウス君、そういえばジークズルさんにお礼言った?」
「腰抜かして動けなかった俺らが言えたことじゃないけど、ジークズルさんはマケドニウスのために体張ったんだぜ?」
「王子様も大変なんだろうけどさ、婚約者なら少しは気を使ってあげなよ」
なにも高価な宝石を買えと言っているわけでも、ひざまずいて礼を言えと言っているわけでもない。たった一日、デートしてくれと頼んでいるのだ。
それくらいやってやれよ。教室中の目がそう言っていた。
「モブ様!」
モーブレイに不利な空気を察知したユーフェミアが勝ち誇った。
「たまには甲斐性を見せてくださいませ」
女にここまで言われて断れる男はいないだろう。モーブレイは苦虫を長靴いっぱい食べた気分になった。それでも王家の意地で、表情には出さなかった。
「……わかった。すまないなユーフェ君、君にばかり気を使わせてしまったようだ」
「モブ様……!」
頬を赤くして喜ぶユーフェミアにエステクラブが良かったねと声をかけている。ミッションクリア。フェイズⅡに移行。
調査結果を元に作成された『デートのしおり』を渡されたユーフェミアは、年相応の少女だった。
日曜日、ユーフェミアは朝からエステクラブの部員に念入りにおめかしさせられていた。普段はこんなことをしない寮生も今日ばかりは特別だと目を瞑った。なんといっても初デート、きらっきらの輝きに溢れたそれのお手伝いをできるなんて素敵じゃないか。基本的に魔法学校の生徒は十代の少年少女なのである。恋の話には目がなかった。
「お化粧は校則で禁止されてるけど色付きリップはセーフ! リップは医薬部外品だけどセーフ!」
「髪形も変えるわよ! いつもと違う雰囲気でときめき度アップ!」
「ドレスなんて着てったら悪目立ちするわ、こっちのワンピースにしよう。動きやすいほうがいいわよ!」
「その服だったらこっちの靴ね。疲れないように魔法かけとくわ!」
「香水だったらヘアオイルのほうがいいわよ。ふわっと風でただようシャンプーの匂いって好感度高いわよ!」
さすがは公爵令嬢、しかも一人部屋のユーフェミアは服や小物を多く持ち込んでいた。おしゃれ相談に慣れているエステクラブはてきぱきとユーフェミアを完成に導いていく。
「マケドニウス君はあれこれ気が利かなそうだし、ハンカチは二枚持って行ったほうがいいかも」
「お城じゃ周囲がやってくれるだろうからね。っと、それはユーフェミアさんもだっけ、ごめん」
「い、いえ……」
朝から突撃され、着替えから身支度までされたユーフェミアは目を丸くしていたが、彼女たちが全員笑顔なのが嬉しかった。こんなに親切にされたのは久しぶりだ。
「わたくしのためにありがとうございます。皆様はまるで絵本に出てくる善き魔女ですわ。わたくし、皆様に恥じぬようデートを楽しんでまいります」
早朝に動くようになって少し痩せたユーフェミアには、入学祝いで揃えた服が緩くなっていた。余ったウエストをピンで留め、そこに大きめのリボンを付ける。ライトグリーンのワンピースにピンクゴールドの髪は彼女を大柄に見せているが、編み込みのおさげを前に回し顔のラインを隠すことでごまかした。
スカートをつまんで綺麗な礼をするユーフェミアは、どこから見ても良家のお嬢様だった。
「よく似合ってるよ、モーブレイ君もきっと喜んでくれると思う」
「ねー、可愛いよ」
「いってらっしゃい。門限までには帰ってくるのよ」
善き魔女に見送られてユーフェミアは寮を出た。デートといえば待ち合わせ、というわけでモーブレイとは町にある噴水公園で落ち合うことになっている。噴水公園は学校と町を繋ぐ通用門の役割になっているのだ。
制服とは違う自分を見て、モーブレイはなんと言ってくれるだろう。ドキドキしながら、ユーフェミアはモーブレイを探した。
「モブ様」
ベンチに座って本を読んでいたモーブレイは、ユーフェミアに呼びかけられて億劫そうに立ち上がった。
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや、私も今来たところだ」
ユーフェミアは先輩たちにモーブレイの表情をよく見ろとアドバイスされていた。男というのはなにも言わなくてもわかってるだろ、という態度が多い。言葉にして伝えてこない。言わなくても察しろ。それで伝わった気になるのが男だ。
まだ十代の少女が男になんの恨みがあるのだと聞きたくなる意見だが、ようは言葉にして褒められなくても反応を見逃すな、ということである。モーブレイは周囲が彼の機嫌を窺うのが当然で、相手の心の機微に疎そうだ。
だからユーフェミアはモーブレイが自分を見て感想を言ってくれなくても、彼が一瞬息を飲んだのを見ていたし、ふいっと反らされた頬がちょっと赤くなったのを見逃さなかった。エステクラブの力作は好評らしい。
モーブレイの隣に立つと、ごく自然に腕を開けてくれた。エスコートしなれていて条件反射だったようだ。
ユーフェミアがそっと手を置くと驚いた顔をした。ユーフェミアはパーティなどで両親がこうしているのを見たことはあっても、エスコートをしてもらったことがなかった。憧れの第一歩をモーブレイと踏み出せたことに、天にも昇る気持ちになる。
「あ、あー、まずはここの公園の屋台で朝食、だったね」
「ええ。なんでも絶品のキッシュを売っているとか」
ユーフェミアもモーブレイも、買い食いなんて人生初の経験だ。公園を散歩する人用だろう屋台が早々と店を開け、辺りに食欲をそそる匂いを漂わせている。
モーブレイが平静を装いながらもがっちがちに緊張していることに、腕を組んでいるユーフェミアは気がついた。それがなんともいえず嬉しくて、ついつい笑ってしまう。屋台の店主も魔法学校の生徒だと見抜いたのか微笑ましそうな表情だった。品物を選び、料金を支払って、ミッションクリアだ。
「歩きながら食べるわけにはまいりませんわよね。モブ様、ベンチに戻りましょう」
「そうだな」
やってやった、とドヤ顔のモーブレイにお礼を言って、二人はベンチに座った。
給仕がないのは学校の食堂で慣れたが、屋外で食事をするのははじめてだ。ガーデンパーティだってテーブルと椅子がある。ユーフェミアもクラブの朝活でおやつを貰うことがあってもそれはあくまで気安い女同士での間食だ。好きな人の前で、手づかみで持ったものを食べるのは勇気がいった。
「ど、同時に食べてみませんこと?」
「う、うむ」
キッシュを持ったまま食べられずにいた二人はせーので口を開けた。思えば朝食の代わりにキッシュ一切れなのもはじめてだ。
「美味しいですわね……」
「そうだな」
外で、昇りはじめた太陽の下で食べるキッシュは、感動の味がした。
腹ごしらえが済んだらウィンドウショッピングだ。学生が来るだけあって専門書を取り扱う本屋や、文具店が多い。ファッションや雑貨は学生でも手の届きそうな値段のものばかりだった。
ユーフェミアとモーブレイは町に出るのがはじめてということもあり、特に目的を決めずにふらふらしてみよう、と決めていた。エステクラブお薦めの店はとりあえず覗いてみて、入るかどうかは実際の雰囲気で決める。
なにしろ二人ともこれが人生初デートなのだ。なにもかも手探りだった。
「ユーフェ君は、なにか欲しいものがあるのか?」
「ええ。今日のことで色々お世話になりましたし、クラブの皆様にお礼を買っていこうと思います。モブ様は?」
「私は古書店に行ってみたい。先輩が時々掘り出し物が見つかると言っていたんだ」
「では、まずはそちらに行ってみましょう」
「いいのか?」
「はい。……わたくし、モブ様とこうしておでかけできるだけで楽しいですわ」
モーブレイと腕を組んで歩いて、同じものを食べて、同じものを見る。ただそれだけのことに胸の奥が幸福に満ちた。心臓がずっとドキドキして、今の自分は全身が幸福でできているような気さえしている。
古書店は薄暗く、天井まである本棚にぎっちり本が詰まって微かにインクの匂いがする場所だった。ユーフェミアは邪魔にならないよう店の片隅に立ち、真剣な表情でタイトルを読むモーブレイを見つめる。
掘り出し物を見つけて自慢したいのだろう。そうしているとユーフェミアの王子様は宝物を探す少年のようだった。時々思い出したようにユーフェミアを振り返る。ユーフェミアがいるのを見て、ほっとしたような、満足げな表情を浮かべた。そんなふうに見られるのも嬉しくて、立ちっぱなしで待たされてもまったく苦にならなかった。
「ごめん、お待たせ」
「いいえ。良い本は見つかりましたか?」
モーブレイはさんざん店内をうろついた末に一冊購入していた。
「先輩が薦めてくれた本があった」
先輩が、ということは、掘り出し物ではなかったのだろう。そもそも掘り出し物とはなにか、どういう種類の本でなにが書いてあるのかを知っていなければタイトルで判断するのは難しい。専門書の末尾に記載されている参考文献のタイトルを記憶するまで読み込んでいなければ、掘り出し物など見つけられないだろう。モーブレイは自分の知識不足を実感したのか悔しそうだった。
「熱心に探してお疲れでしょう。少し早いですが、お昼にしませんか?」
「そう、だな。ムーンクレストカフェは人気らしいし、早めに行っておこう」
ムーンクレストカフェは古書店と同じ通りにある。赤レンガ造りの、三日月の看板が目印だった。お洒落なプレートメニューと月替わりのフレーバーティーが人気のカフェである。
「人気というのは本当ですのね……」
行ってみて驚いたのは行列ができていたことだ。しかもユーフェミアが行ったことのある店のような、店員が席に案内するのではなく、カウンターで注文して料金を支払い品物を受け取って席に着くシステムである。学校の食堂と似ているが、ここは学校ではなく店だ。ユーフェミアは尻込みした。
ちらりとモーブレイを窺えばやはり敷居が高いようで困った表情だ。店内はおろかテラス席まで満席で、立ったまま食べている人までいる。
「モブ様、どうやら満席のようですし、別の店にしませんこと?」
「そ、そうだな。残念だが次の機会にまた来よう」
次がある。ユーフェミアはぱぁっと笑った。
「はい! 他にも先輩に薦められたカフェがありますわ。そこも満席でしたら、公園に戻ってみるのもいいですわね」
「屋台めぐりか。それもいいな!」
ユーフェミアのフォローにモブは喜んだ。やはり男の子だ、屋台のワイルドさに惹かれるものがあるのだろう。朝はキッシュを食べたが肉の串焼きや魚介の店もあった。まだ開いてはいなかったがワインやエールを売る屋台もあるようだ。
エステクラブ手作りの『デートのしおり』には、ユーフェミアとモーブレイが貴族であることを考慮して、少々お高いが給仕がいて個室のある店も載っていた。それでも飲食店に保護者も連れずに入店するのは緊張した。
テーブルに並べられた料理に、カトラリーを使って食べる。ごく当たり前のことなのになんだかほっとした。
デザートまできちんと食べたユーフェミアは、そこで店頭販売している砂糖菓子と紅茶を土産に購入することにした。部員数の多いクラブなので結構な量になる。
「そんなに買うのか?」
「クラブの皆様へのお礼ですもの、足りないのでは困りますわ」
自分用ではないというとモーブレイは少し気まずそうな顔になった。いくらなんでもこんなにあったら飽きるに決まっている。
花や猫などをモチーフにした見た目も可愛らしい砂糖菓子なら女の子ばかりのエステクラブで喜ばれるだろう。少しでも、今日のお礼になればいい。そんな思いで菓子の入った紙袋に微笑んだ。
「……持とう」
「え?」
「そんなに買ったら重いだろう? 持つと言っている」
「……ありがとうございます」
魔法で軽減しているので実は重くないのだが、モーブレイの気持ちが嬉しかった。紙袋を渡す時、指先がちょっとだけ触れた。
初夏は夕方でも陽が長い。あまり遅くなっても寮長に心配されるため、ここで帰ることにした。帰りは一緒だ。
「モブ様、今日はありがとうございました。とても楽しい時間でしたわ」
「そうか」
「はい。わたくし今日の事は一生忘れません」
「…………」
次の機会にとモーブレイは言ってくれたが、今度は彼から誘ってくれないだろうか。期待を込めて見つめるユーフェミアに、モーブレイはふいっと顔を背けた。
「そんな、たいそうなことではないだろう。たかがデートじゃないか」
モーブレイらしくない冷たい言葉だった。ユーフェミアは愕然とモーブレイを見て、彼の耳がほんのり赤くなっていることに気がついた。
「はじめての、デートですわ。わたくしにとっては特別です」
「まあ、気分転換にはなったな。……君さえよければ、また行ってやってもいいぞ」
今までの、他人行儀な王子様だったモーブレイではなく、素のままの彼なのだ。それに気づいたユーフェミアはますます彼が好きになった。モーブレイの心に触れるのを許されたようで、甘えられているようで、ユーフェミアは彼を抱きしめたくなった。
「ではまた遊びに行きましょう。モブ様が頑張りすぎたら、わたくし強引に連れて行ってさしあげますわ!」
今日一番の笑顔で告げると、モーブレイはびっくりしたように振り返り、それから照れくさそうに顔を顰めた。
十一歳くらいの男の子は素直になれずにいるし、女の子はおませさんですよね。
モーブレイ視点だと(ユーフェミアが可愛い、だと……?いやありえない。でも可愛く見える。くそっ、普通にいい子じゃないか。デブだけど、可愛い。え、この子俺のこと好きなんだよな?べ、別に嬉しくなんかないんだからな!?あーっ、俺が好きなのはリンダと翡翠!美少女だから!あんなデブなんかありえねー!!)ってなってます。少し意地悪なのはそのせいです。




