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最終帖「紅藤の約束」



紅藤べにふじ」は、しなやかな藤の花の色に、ほんのりと赤みを差したような、たおやかーで気品のある紫色。



 



 湖のほとりにある柳の葉が、わずかに黄色味を帯び始めた頃。


 藍さんの店に、一人の老婦人がやってきました。彼女は、かつてこの町で一番と言われた刺繍職人でしたが、今は病で目を悪くし、針を置いたといいます。


「藍さん、私の人生の最後を、この色で飾りたいのです。淡くて、けれど温かくて、春の夕暮れのような、あの紅藤色で」


 彼女が取り出したのは、一枚の古い絹糸でした。それは彼女が若い頃、恋人に贈るために染め、結局渡せぬまま引き出しの奥に眠っていた色。


「この色は、ただの紫ではありません。相手を想う赤と、冷静に自分を見つめる青が混ざり合った、情愛の色。私がずっと大切にしてきた色なのです。今はもう、かすれてしまっていますが……」


 藍さんはその糸を手に取り、そっと目を閉じました。


「紅藤は、しなやかに揺れる藤の花のように、何があっても折れない優しさの色。あなたの積み重ねてきた時間が、そのままこの色になっているのですね」


 藍さんは、店の奥から最高級の白生地を取り出し、丁寧に、丹念に、紅藤色に染め上げました。染め上がった布は、秋の柔らかな陽光を浴びて、まるで命が通っているかのように、優しく、淡い紫の輝きを放ちました。





 老婦人がその布に触れた瞬間、彼女の濁っていた瞳に、一筋の光が戻りました。


「ああ……見えるわ。私が愛した人たち、私が刺した美しい花たち……。この色は、私の記憶を優しく包み込んでくれる」


 数日後。彼女は大切に持っていた絹糸と、藍さんが染めた紅藤色の布で作ったショールを羽織り、店を訪れました。その顔は、最初に訪れた時の固い表情ではなく、柔らかな微笑をたたえていました。


「まさかもう一度針を持てるなんて思わなかったわ。藍さん。あなたは、人の心の色を映すだけでなく、その色が持つ『優しさと力』を教えてくれるのね」






 老婦人が去ったあと、藍さんは店の中を見渡しました。


 浅緑、藍白、灰青、縹、紺碧、瑠璃紺……。


 この湖畔の店で出会った人々の心の色が、まだ空気の中に漂っているような気がしました。


 藍さんは、自分の荷物を小さな風呂敷にまとめ始めました。その風呂敷もまた、美しい紅藤色でした。


「さて、次はどこへ行きましょうか。世界には、まだ私が出会っていない色が、数え切れないほど溢れているわ」


 藍さんは店の入り口に掛かっていた暖簾を外し、丁寧に畳みました。






 彼女が店を出て湖を振り返ると、夕暮れ時の湖面が、空の茜色と混ざり合い、見事な紅藤色に染まっていました。それは、去っていく彼女への、湖からの贈り物のような景色でした。








「絹色物語・第二幕」――完




紅藤べにふじ


特徴: 藤色よりも赤みが強い、明るい紫色。平安時代から高貴な色として愛され、優雅さと慈愛を感じさせます。


象徴: 情愛、優雅、しなやかな強さ、過去との調和。



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