Ep.19 溢れた真実
アシュフォード公爵家の来訪から、半年が経とうとしていた。
二カ月ほど前に、ハインリヒがクロンヴァルト帝国の第二皇女と婚約したことと併せて、セシリアの妹のクララが『側妃』になることが公表された。
毒杯を賜るはずだったが、一転して側妃に納まったのは、恐らく王家が貴族たちからの疑念を恐れ、体裁を取り繕った結果なのだろう……
………セシリアの姿は、あれ以来見ていない。
何度か食事やティータイムに誘うべく彼女の部屋を訪ねたが、あの黒髪の執事から毎回同じセリフが返ってくる。
「申し訳ございませんが、主は多忙につき、ご遠慮させていただきたいとのことです」
……自業自得だ。
分かってはいるが、地味に胸が抉られる……
しかし、魔法契約を結ぶほどにセシリアを乞うたのだ。
今は、僅かな希望に縋るほかなかった。
「閣下に敬礼!!」
日課である辺境騎士団の訓練指導へ向かう。
第二騎士団副団長セオドリックの号令で、団員たちが一斉に直立すると同時に拳を胸に当てる。
辺境騎士団は普段から魔獣討伐も担う為、荒くれ者が多く、その実力は王都の騎士を凌ぐだろう。
訓練に戻るように指示を出すと、一斉に打ち合いを始めた。
「おはようございます。閣下、ユーリ副団長」
セオドリックは、にこっと人好きのする笑顔で俺たちに声をかけて来た。
彼は親しみやすい性格だが、入団前はAランク冒険者だったらしく、一年足らずで第二騎士団の副団長まで登りつめた実力派である。
俺よりも二歳年下だが、その年齢でAランクまで上がれるのは多くなく、その上のSランクになると、ほんの一握りしかいない。
「おはよ~、セオ~」
ユーリが呑気な声を返す。
「ああ。最近、団員たちの様子はどうだ?」
「以前の大型魔獣討伐以来、全員気を引き締めて訓練に励んでいますよ」
「……ただ、討伐と言えば……」と、団員の近況を語っていたセオドリックの表情が、突如曇った。
「どうした?何かあったのか?」
彼は苦虫を噛み潰したような顔で、言い淀みながらも領民の間に広まっている『噂』を口にした。
「その、実は以前の討伐の際、前線で怪我人を治療していた治癒師が……辺境伯夫人だった、という話が広まっており……」
初めて聞く話に、思わず隣のユーリの顔を見ると、こちらも初耳だったようで、驚きを隠せずに首を横に振っている。
「王都での悪評が領内にも届いていた為、夫人の印象は長いこと最悪でした。ですが、最近はこの噂が出たことで夫人の支持は一気に跳ね上がっております。……ただ……」
「何だ?はっきり言え」
「……その、閣下が以前、複数の女性と不適切に戯れていた話も広まっており……閣下と関係を持ったと喜々として吹聴する女性まで現れたとかで……」
…………最悪だ。
身から出た錆ではあるが、そんな話が広まれば領民からの信頼を失うばかりか、セシリアに致命的な誤解を与えかねない。
しかし、あの時、治療を引き受けた凄腕の治癒師がセシリアだったのか?
ギルドマスターに確認すべく、愛馬を走らせ冒険者ギルドへ向かった。
道中、領民たちの視線が以前よりも厳しく刺さるのを感じる。
それは、冒険者ギルドに足を踏み入れると、その空気は更に冷ややかだった。
「すまない。ギルドマスターはいるか?」
受付の女性に声をかけると、貼り付けたような事務的な笑顔で「……少々お待ちください」と奥へ消えた。
「久しぶりだな。今日はどうした?」
すぐに通された部屋で、ギルドマスターの態度がいつもと変わらなかった事に、情けなくも、ほっとした自分がいた。
「いや、実は聞きたい事があるのだが……以前の魔獣討伐で手を貸してくれた凄腕の治癒師がいただろう?……それが噂で俺の妻だと聞いた。それは……本当か?」
心臓の音が耳元でうるさく響く。
『もしかしたら』という考えのせいで、ギルドマスターの顔をまともに見ることが出来ず、視線は自然と落ちた。
ギルドマスターは短い沈黙の後、「……ああ、そうだ」と噂を事実と認めた。
セシリアは、俺に嫁いでくる前から、ふらっと現れては大型の魔獣やSランク魔獣すら平気な顔で狩ると、冒険者の間では有名なSランク冒険者だという。
その傍らには、いつも黒髪の男を伴っていたらしい……
……ああ、間違いなく、セシリアだ……
あの頃、セシリアの悪評を信じていた領民たちは、見たこともない辺境伯夫人を拒絶していた。
それを知っていた彼女は、ギルドマスターにこう告げたのだという。
「自ら見聞きしたわけでもない噂を信じ、勝手に他人を拒絶する者を助けるほど、私はお人好しではないわ」
…………いかにもセシリアらしい。
凛としていて、そして突き放すような返答……
ギルドマスターは彼女がそう思うことは当然であり、仮令討伐依頼を出して参加させたとしても、余計な混乱が生まれる可能性を考えた。
ならばと、彼女は認識魔法で姿を変え、裏方として傷一つ残さぬ完璧な治療を施していたそうだ。
だが、認識魔法を解いた瞬間の姿を冒険者の一人がたまたま目撃したことで、他の冒険者たちの間で噂となり、それが領民の間にも広がったそうだ。
「あの討伐で命を救われた奴らは多い。冒険者は恩を決して忘れない。恩人である夫人の悪評を広める連中に怒った奴らが、真実をぶちまけたのさ……それと同時にな、そんな気高い夫人を蔑ろにして女遊びに耽っていたお前を、大勢の人たちが軽蔑し始めている」
ギルドマスターは領内で広がっている噂の真実を教えてくれた。
……軽蔑されても、事実なのだから当然だ。
俺はうなだれながらギルドを後にした。
領邸のある砦へ戻るべく、愛馬に跨ると速歩で走る。
砦までの帰路の道中、至るところから突き刺さるような視線を感じた。
目が合えば、嫌悪感を隠そうともせずに逸らされる。
スピードを上げられるところまでの間、その視線は俺にまとわり付いた。
ほんの、十数分の話だろう。
だが、それよりも遥かに長く感じられた。
……ああ、そうか。
これは、セシリアがずっと体感していた事なのだ。
彼女の場合、それはまったくの事実無根であり、家族や使用人、そして婚約者や見知らぬ者からも向けられていた。
こんな毒のように蓄積されていく視線の中、何も感じなくなるまで、彼女はどれほどの孤独に耐え続けたのだろうか?
それを思うと、心臓を素手で握り潰されるような痛みが走った。
領邸に戻るなり、出迎えたハンスにマントを押し付け、俺は真っ直ぐにセシリアの部屋へと向かった。
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