Ep.17 婚約の締結
「では、この内容で魔法契約を締結いたします。双方、よろしいですね?」
父上と私、そしてヴィクトリアは、王宮魔術師の問いに静かに頷いた。
「それでは、こちらに署名を」と促されるまま、王宮書記官とクロンヴァルトの外交官の立会いのもと、三人で契約書に魔力を込めて署名をする。
完了した瞬間、契約書は眩い光を放ち、契約が締結したことを示した。
「これで、魔法契約が正式に締結されました」
私が思わずヴィクトリアを見ると、彼女もにっこりと微笑み返してくれた。
次に、二枚の婚約契約書にサインを交わすと、一枚は外交官の手により、即座に皇帝へ届けられる。
数日前、豪奢な四頭立ての馬車を連ねて王宮入りした彼女は、大勢の護衛を伴っていたが数名を残し、あとは外交官と共に帝国へ帰国させるとのことだ。
「これで、私はハインリヒ様の正式な婚約者になりましたのね」
ヴィクトリアは、はにかみながらも嬉しそうに微笑んだ。
その日のうちに父上は、王国全土へ向けて、私とヴィクトリアの婚約を正式に布告した。
【レイヴンクレスト全臣民に告ぐ。先立って、婚約の儀を進めていたアシュフォード公爵家次女クララ・アシュフォードは、病により公務遂行が困難となった。しかし、長年の情誼に鑑み、これを『側妃』として遇する。併せて、新たに王太子ハインリヒ・レイヴンクレストとクロンヴァルト帝国第二皇女ヴィクトリア・フォン・クロンヴァルトの婚約が成立した事を、ここに公表する】
この発表をもって、ヴィクトリアは正式に私の婚約者となり、お披露目の夜会が開かれることとなった。
「ヴィクトリア、紹介しよう。私の補佐を務めるアーサー・アシュフォードだ。将来、私が即位した際には宰相に任ずるつもりだ」
「まあ!あなたがアシュフォード小公爵ね!お噂はかねがね。至らぬ点もございますが、よろしくお願いいたしますわ」
なぜか、ヴィクトリアは上機嫌だ。
……アーサーを気に入ったのだろうか?
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。噂とは、一体どのようなものかお聞きするのが恐ろしいですね」
アーサーが苦笑を浮かべると、ヴィクトリアから驚くべき事実が明かされた。
クロンヴァルトの皇太后が、実は我が国のとある侯爵家の血を引いているという。
その侯爵家は、代々宰相を輩出している現宰相の家門だった。
かつて先代侯爵がクロンヴァルトに留学していた際に、一夜の過ちで儲けた子が、後に帝国の皇太后となった。
先代には自国に、当時婚約者だった前侯爵夫人がおり、更に婚前に純潔を失ったという醜聞を恐れ、秘匿されていたそうだ。
それ故、先代侯爵夫妻も現宰相も、その妹であるアシュフォード公爵夫人も把握していないらしい。
「曽祖父は曽祖母をとても大切になさいましたわ。祖母も事実を知っても「曽祖父が私の父だ」と断言され、父たちも、私たち兄姉もそれを心得ておりますの」
まさか、ヴィクトリアに我が国の血が流れているとは……
現宰相には娘が一人しかおらず、王家と縁を繋ぐことは出来なかった。
しかし、ヴィクトリアが正妃になれば、次代においても王家と宰相家の絆は揺るぎないものになる。
まさに、神の采配ではないだろうか?
アシュフォード公爵家とも遠い縁戚であれば、クララの采配も、彼女なら円滑に執り行えるかもしれないうえ、ヴィクトリアとの間に子が成されれば、公爵家にとっても悪い話ではない。
今まで抱えていた懸念が、ヴィクトリアという正妃を得たことで、目の前の霧が晴れていく気がした。
⸺⸺⸺
「こちらにアシュフォード公爵令嬢がいらっしゃるのね?」
ハインリヒに許可を得て、ヴィクトリアはクララが軟禁されている離宮を訪れた。
そこは、王太子の側妃が住むにはあまりに寂れており、最低限の使用人と、見張りを兼ねた騎士たちだけが多く配置されており、まるで『鳥籠』のようだった。
離宮の女官長の案内で、クララの部屋の扉の前まで来ると、「アシュフォード公爵令嬢、お客さまがいらしております」とノックをした後で、ヴィクトリアの来訪を告げると、か細い声で返事が聞こえた。
扉を開け中へ入ると、そこは王太子の妃としてはあり得ないほど殺風景で、調度品も最低限の物しか揃えられていなかった。
「ごきげんよう、アシュフォード公爵令嬢。私はヴィクトリア・フォン・クロンヴァルト。クロンヴァルト帝国第二皇女で、この度、ハインリヒ様の婚約者になりましたの。よろしくお願いいたしますわね」
掃除も行き届いていないのだろう。
少し埃っぽく、換気もされていない。
ヴィクトリアは扇子を優雅な仕草で開くと、鼻先を覆った。
「……お目にかかれて光栄です。アシュフォード公爵家クララ・アシュフォードと申します。どうぞ、クララとお呼びください……クロンヴァルト第二皇女殿下に、ご挨拶申し上げます」
クララはソファから力なく立ち上がり、挨拶とともにカーテシーを披露した。
どうやら、幼い頃に身に付けた礼儀作法だけは身に付いているらしい。
ヴィクトリアは一瞬、冷徹な視線を向けたが、扇子を閉じるとすぐに慈愛に溢れた笑みを貼り付けた。
「クララ様、顔を上げてちょうだい。私たちは共にハインリヒ様をお支えする身なのですから」
その言葉にクララの肩がピクリと跳ねたが、体勢を戻すと「恐れ入ります」と、弱々しく微笑むことしか出来なかった。
「それにしても……この部屋はどういう事かしら?離宮の使用人はお世話をしているの?空気が淀んでいるわ」
ヴィクトリアが侍女に目配せを送ると、すぐに部屋中の窓を開けた。
「……いいえ、私は罪を犯した身ですもの。仕方がありませんわ……」
「まあ! 仮令、そうだったとしても、ハインリヒ様の側妃になられるのですもの。それなりの体裁は整えませんと、ハインリヒ様の名に傷が付いてしまいますわ!」
しおらしく話すクララに、ヴィクトリアは大げさに驚くと女官長へ向き直った。
その声は鈴を転がすように美しく、しかし、反論は許さないという圧を感じた。
「女官長。早急に清掃を。それから調度品の手配もしてちょうだい。足りなければ、私の持ち物の中から余っている物を使って構わなくてよ。正妃として、内廷の秩序と安寧を守るのは私の務めですわ。クララ様が不自由をなさるのは、私の本意ではありませんの」
『王太子殿下の名誉のため』という大義名分を掲げ、ヴィクトリアはすべてを鮮やかに塗り替えていく。
それを見つめるクララは、戸惑いの表情を浮かべているが、その拳は、爪が食い込むほどに強く握り締められていた。
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