エピローグ
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部屋にあるローテーブルを挟み、カルラはジークベルトと向き合っていた。二人を取り巻く雰囲気は決して明るくない。
「――結局、あの子にすべてを持って行かれてしまったわね」
カルラは苦々しい思いを吐き出し、自らのカップに注がれた紅茶を飲み干した。
ウィルフィードを断罪したところまでは許容範囲だった。彼は大きな力を持つ味方であると同時に、いつ自分たちに牙を剥くともしれぬ存在だったから。
彼を排除し、その権力を他の味方に引き継がせるのは最善でなくとも、最悪の選択ではなかった。その後の戦争で、自分たちの派閥の地位を向上させられるはずだった。
アヴェリア教国が和平交渉を持ちかけてきたのは計算外だ。
「敗北したのは事実ですが、アヴェリア教国で聖女が誕生するのは想定できないことです。今回ばかりは、アリアドネに運があったと言うことでしょう」
ジークベルトが忌々しげに言い放った。
「……貴方は本当にそう思うの? アヴェリア教国で、運良く聖女が誕生した、と?」
「それは……」
答えられないのは、ジークベルト自身もその偶然に疑問を抱いているからだろう。
ウィルフィードが破滅したのは、偽の聖女を作り上げ、その聖女とジークベルトを縁付かせようとしたからだ。しかし、その行動にはいくつかの疑惑がある。
アリアドネの罠だったという可能性も否定できていない。
それに、アリアドネが黒幕だと仮定するなら見えてくることもある。すなわち、隣国に現れた本物の聖女について、アリアドネが関わっている可能性だ。
「……まさか母上は、アヴェリア教国に聖女をもたらしたのがアリアドネだとおっしゃるのですか? そのようなこと、神ならざる人の身には不可能です」
「私も聖女を生み出せるとは思っていないわ。ただ、ローズウッドの町で、アリアドネが本物の聖女を確保した可能性ならあると思っている」
「なっ!? それは、つまり、アリアドネが本物の聖女と偽物の聖女をすり替え、偽りの聖女をウィルフィード侯爵に掴ませたと言うことですか!?」
彼女が裏ですべてを操っていた。そう仮定すれば、隣国が和平交渉を望むと、アリアドネが確信していた理由に説明がつく。
とはいえ――
「母上は、そのようなことが可能だと、思うのですか?」
ジークベルトはあり得ないと、震える声で呟いた。
「難しいでしょうね。それに、もはやたしかめようはない。いいえ、たしかめる訳にはいかない。私達はウィルフィード侯爵を断罪してしまったもの」
数々の証拠をでっち上げ、それを否定するような証拠は抹消してしまった。もしもそれが間違いだったなどと発覚すれば、ジークベルトの信頼が失墜する。
だが、その状況こそが、すべてがアリアドネの策であることを示していた。それを理解した瞬間、ジークベルトは膝の上で拳を握りしめた。
「また、しても……っ。アリアドネの手の平の上、だったというのか……っ!」
(感情をコントロールしなさいといいたいところだけど……これは責められないわね)
カルラは溜め息にならないように気を付けながら息を吐いた。
さきほどの憶測が正しければ、アリアドネは魔物の襲来も、疫病の蔓延も、聖女の誕生も、そして隣国の襲来も、すべて事前に把握していたことになる。
どれだけの情報網を構築すれば、そのような芸当が出来るのか想像もつかない。
なにより――
(そのすべてを知っていたとしても、私にこのような策を思いつけるかどうか……)
情報を知ることと、その情報を上手く扱うことは別問題だ。一体どれだけの知謀があれば、このようなことが成し遂げられるのかとカルラは戦慄する。
それでも、ここで引く訳にはいかないのだ。
「落ち着きなさい、ジークベルト。過ぎたことを悔やんでいても仕方ないわ。それよりも、これからのことを考えましょう」
「これからというと……和平交渉のことですか?」
「ええ。いまはアリアドネに主導権を握られているけれど、アヴェリア教国との和平交渉はこれからだもの。戦争を勝利に導いた者として介入の機会はあるはずよ」
戦地になった国境沿いは第二王子派の土地だ。アルノルトの助言が勝利の背景にあったとはいえ、敵軍を撃退したのがジークベルトの率いる軍である事実に変わりはない。
そういう方向で攻めれば、和平交渉に口出しする余地は十分にある。
だから――と、これからについて対策を立てる。
その話し合いを続けている中、ジークベルトがぽつりと呟いた。
「……しかし、彼女は一体いつから、この結末を想定していたのでしょう?」
「婚約式のときにはすでに、この一連の計画を立てていた可能性があるわ」
「そのようなことは――」
あり得ないと、ジークベルトは笑い飛ばそうとして失敗した。
そんな彼の内心を察したようにカルラは頷く。
「普通に考えればあり得ないわ。だけど、あり得ないからと否定した結果、私たちはアリアドネに出し抜かれている。だから、そろそろ認めましょう」
アリアドネがカルラを出し抜くことが出来たのは、未来を知るからであり、その事実をカルラが知らないからだ。
けれど――
「――アリアドネは、なんらかの手段で未来を知ることが出来る」
この日、カルラはその可能性にたどり着いた。
◆◆◆
アヴェリア教国から和平交渉という言葉を引き出した。アリアドネは時の人となり、第一王子派からの信頼を得ることも出来た。
これで、アリアドネはいままで以上に謀略を張り巡らすことが出来るだろう。
かつてのアリアドネはただの亡国の皇女だった。それからアルノルトの婚約者になったとはいえ、彼女の権力はないに等しかった。
そんな限られた手札で戦っていたときですら周囲を圧倒した。
そんな彼女が、この一連の出来事で多くの手札を手に入れた。今後、彼女がどれほどのことを成すか想像も出来ないと、アリアドネをよく知る面々は震撼した。
そんな中、アリアドネは淡々と和平会議の準備を進めていた。
記念すべき和平交渉の第一回目となる当日の朝。
ドレスを身に纏い、紅い薔薇で青み掛かったプラチナブロンドを彩る。準備を終えたアリアドネが部屋で過ごしていると、そこに正装に身を包んだアルノルトの姿があった。
「アルノルト殿下、迎えに来てくださったのですか?」
「ええ。今日の主役は貴女ですから」
「……申し訳ありません。アルノルト殿下を交渉役にする予定だったのですが」
今回の想定外。アリアドネはそのことについて謝罪する。けれど、アルノルトは気にしていませんと口にして、それより――と微笑んだ。
「戦場ではずいぶんとご活躍だったそうですね?」
「――ま、魔術師を討った頼もしい部下達に感謝ですわ」
脳裏に浮かんだのは一人で囮となったときのこと。
それでも、嘘は吐かずに真実をねじ曲げようとする。とっさにそれだけの詭弁を弄するアリアドネはさすがである。視線が泳いでいなければの話だが。
そんなアリアドネの頬に、アルノルトの手が触れた。
「目を瞑ってください」
「はい? な、なぜですか?」
「瞑ってくれないのですか?」
問い返されたアリアドネはうめき声を上げる。
理由は分からずとも、ここで断るという選択肢はない。アリアドネはぎゅっと目を瞑る。するりと、アリアドネの頬に触れていた彼の手が首へと滑った。そのくすぐったさと、なにをされるか分からない不安から身を固くする。
ほどなく、アルノルトの手が離れた。
「もう、目を開けてもかまいませんよ」
恐る恐る目を開けば、アルノルトは一歩下がっていた。
首を傾ければ、胸元にわずかなくすぐったさを感じる。その違和感から視線を落とせば、胸元にはネックレスが飾られていた。
アリアドネはそれを指で摘まみ上げる。
「これは……もしや……」
台座に飾られた宝石が煌めいる。
ルチアが身につけていた――いや、それよりも深い色味のピンクアメシスト。アヴェリア教国が産地の最高級のピンクアメシストに違いない。
「オスカー王子に頼みました。アヴェリア教国では愛する相手にピンクアメシストの装飾品を贈る風習があるとうかがいましたので」
甘い微笑みを向けられる。
そこに込められた想いを理解したアリアドネは頬を赤らめる。
「その……ありがとうございます。本来なら私が努力をするべきなのに、アルノルト殿下のご厚意に甘えてばかりで……私はどのように報いればいいでしょう?」
「そうですね。私もとても楽しみです」
アルノルトの言葉に、アリアドネはこてんと首を傾けた。
そして、彼の言葉に込められた意味に気付く。
二人が婚約をしたのは契約によるものだ。後ろ盾になってもらうのと引き換えに、アリアドネはアルノルトを愛する努力をすると約束している。
だが、最近のアリアドネは彼に隠し事をして、独断で動いてばかりだった。事情があるとはいえ、とても婚約者にふさわしい振る舞いではなかっただろう。
なのに、彼はそのすべてを受け入れてくれた。
すべてを受け入れた上で、親愛の証すら贈ってくれた。
アリアドネには、それに報いる義務がある。だが、アルノルトがしてくれたことに報いるには、果たしてどれだけのことをすればいいのか想像もつかない。
だが、問題はそこじゃない。
問題なのは、アルノルトのさきほどの答えだ。
彼はとても楽しみだと言った。つまり、こうなることを予想していたのだ。予想して、その上で、アリアドネの独断専行を咎めなかった。
「アルノルト殿下、また私をハメましたね!?」
「おや、心外ですね。私はただ、愛する婚約者の生き様を受け入れただけですよ? もちろん、その結果がどうなるかは分かっていましたが」
「もぅもぅもぅ! それが私をハメたというのです!」
声を荒らげて頬を真っ赤に染める。
そんなアリアドネに向かって、アルノルトは優しげな笑みを浮かべた。それは、アヴェリア教国との会議が始まる少し前のこと。
こうして、アリアドネはアヴェリア教国との会議に挑む。
頬を火照らせながら会議室に姿を現した彼女は、けれど凜とした振る舞いでアヴェリア教国との和平交渉を立派に務めるのだが、それはまた別の機会に語ろう。
お読みいただきありがとうございます。
2章はこれで完結となります。面白かったなど思っていただけましたら、評価やブックマークをポチッとしていただけると嬉しいです。
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