エピソード 5ー1
アリアドネとオリヴィアのお茶会から数日と経たずして、王城の会議室で今後の方針を決める会議が始まった。
アヴェリア教国への対応に関する意見は、第一王子派と第二王子派で分かれている。
すなわち、相手が攻め込んできたことを口実に、アヴェリア教国へ攻め込むべきだと訴える第二王子派と、和平交渉に臨むべきだと訴える第一王子派の対立である。
第二王子派の名目は、この機に格の違いを見せつけ、二度と攻め込もうという気を起こさせないことであり、より多くの賠償金を求めるためである。
だが、その真の目的が、戦争によって得られる名声であることは明白だ。
ゆえに、第一王子派は反転攻勢による戦争の拡大を反対している。
名目は、敵のエリート魔術師部隊が残っているため、相手の城を落とすのが困難であり、相手の領地へ攻め入るのは得策ではない、ということだ。
しかし真の目的は、ジークベルトに手柄を立てさせないことだ。
「戦争の指揮を任されたのはジークベルト殿下だ。であるならば、反転攻勢か和平交渉か、その判断を下すのもジークベルト殿下であるべきだ!」
「だが、アルノルト殿下の忠告があるまで、敵の魔術師部隊に翻弄されていたというではないか! その魔術師部隊が健在な以上、危険を冒さずに和平交渉に臨むべきだ」
第二王子派が声を上げれば、それに第一王子派が反論する。
「だが、相手にその兆しがないではないか。こちらから和平交渉に臨むなどあり得ぬ!」
「こちらから望もうと、有利な条件を引き出せば問題はない!」
議論はこうして平行線だ。互いが互いの思惑を見透かしているので、会議はいつまで経っても結論が出ない。
しかし、その勢力には力の差が存在している。
アルノルトを支持する第一王子派が主流であるが、国政の決定権を持つ現国王は第二王子派、ジークベルトの実の父親だ。
互いの議論が出尽くしたところで、ラファエルが不意に手を上げた。
静まれと、王の一声に両陣営は口を閉じる。
「そなたらの意見はよく分かった。しかし、今回の戦争を始めたのはアヴェリア教国だ。二度と攻め込む気が起きぬよう、相手に思い知らせる必要がある」
「おぉ、それでは――」
その言葉に第二王子派が歓声を上げた。だが、ラファエルは再び手を上げて彼らの声を沈めた。それから、続けてアルノルトへと視線を向ける。
「しかし、敵の魔術師部隊が想定外の力を持っていることもまた事実である。わしは既に敬愛する兄を失っている。ここで愛する息子を失うという愚行は避けねばならぬ」
「では――」
今度は第一王子派が期待の感情を表に出したが、ラファエルはそれに対しても首を横に振って否定した。そして、再びジークベルトに視線を戻した。
「そこで、ジークベルトには万全の準備を申し渡す。敵の最大の脅威である、落雷の魔術。それに対抗する術を準備するのだ」
「それが出来れば、攻め込んでもよい、と?」
「うむ、その通りだ」
「その命、謹んで承ります」
ジークベルトが大仰に応じて見せた。それに対して第二王子派が歓声を上げ、第一王子派は渋い顔をした。そんな中、アリアドネとラファエルの視線が交差した。
(……気のせい? いえ、お父様は中立を保とうとしている。だとすれば――)
「ラファエル陛下、質問がございます」
「――アリアドネ、陛下の決定に異を唱えるつもりか?」
ジークベルトが牽制を入れてくる。けれどラファエルはそれを遮り、「よい、申してみよ」とアリアドネに発言の許可を与えた。
「では、お尋ねいたします。アヴェリア教国から和平交渉を求めてきた場合はいかがするおつもりですか? その場合でも攻め込むおつもりですか?」
アリアドネの問いかけに、第二王子派から失笑が零れた。
隣国の第一王子、ギャレットが好戦的な性格で、玉座を得るために戦争を仕掛けてきたというのは周知の事実である。ゆえに、彼が決して引くことが出来ない状況にあることは、少し考えれば誰にでも分かる。
そうして失笑を買うアリアドネに対し、ラファエルは面白そうな顔をした。
「……そなたは、アヴェリア教国が和平交渉を持ちかけてくると思っておるのか?」
「はい。確信しています」
「そうか。ならばさきほどの質問に答えよう。この戦争はアヴェリア教国が始めた戦争だ。対等な和平交渉に応じる義理はない」
その言葉にアリアドネはきゅっとスカートの生地を握り絞めた。
けれど、ラファエルの言葉はまだ終わっていなかった。
「しかし、アルノルトがこの戦争に反対しないと約束するのであれば、アヴェリア教国が和平を望んだ場合に限り、その交渉に応じることを約束しよう」
ざわりと、第一王子派が騒がしくなった。
無理もない。
普通に考えて、この状況でアヴェリア教国が和平を望むとは思えない。ましてや、ラファエルは交渉に臨むと口にしたが、生半可な内容なら応じないとも宣言した。
なのに、この取引に応じたら、和平交渉をこちらから望むことが出来なくなるのだ。第一王子派にとって、応じるだけ損な取引だった。
(これは……少し不味いわね)
アリアドネは、アヴェリア教国が和平交渉を望むと信じている。けれど、他の者達がそれを信じる理由はない。
なぜなら、アリアドネがなにも話していないから。
(落ち着きなさい。この状況で第二王子派に悟られず、第一王子派を納得させるのは不可能よ。だとすれば、ラファエル王に条件を変えさせるしかないわ)
心の中で呟いて、そのための手段を考える。
しかし、条件を変えようとする行為そのものが、自信のなさを露呈することになる。なにより、第一王子派との不仲説が浮上するのは避けなければいけない。
知恵が回るからこそ口を開くことが出来ないでいる。
そうして沈黙するアリアドネに影が下りた。それがアルノルトが横に並び立ったからだと気付くより早くに彼が口を開く。
「アリアドネ皇女殿下、貴女の目的を聞かせてください」
「……わたくしの目的、ですか?」
アルノルトを王にすること。そう答えようとして、けれどすぐに、それは彼の求めている答えではないと本能的に理解した。彼は、アリアドネを疑っている訳ではない。
であるならば――
「アヴェリア教国が和平を求めたとき、それに応じることです」
口にして、どれだけ無茶を言っているのかと自嘲しそうになる。
戦争が始まれば、ジークベルトは大きな功績をあげるだろう。それは回帰前の歴史を見るまでもなく明らかだ。アルノルトも同じように考えているだろう。
にもかかわらず、根拠のない賭けに乗れと口にしている。
第一王子派は決して納得しないだろう。
なのに――
「いいでしょう」
彼はそう言って、ラファエルに向き直った。
「ラファエル陛下。我々がジークベルトの出兵を反対しなければ、アヴェリア教国が和平を望んだとき、その交渉のテーブルに着くと約束してくださるのですね?」
「アルノルト殿下!?」
第一王子派の者達がぎょっとした顔をする。けれど、彼は顔色一つ変えずに、ラファエルの返事を待った。その視線を受け、ラファエルは思案顔になる。
「ふむ。そうだな……ジークベルト、そなたはどう思う?」
「そうですね……」
ジークベルトは言葉を濁し、アリアドネへと視線を向けた。
アリアドネを誰よりも信頼しているのはアルノルトである。だが、アリアドネを誰よりも危険視しているのはジークベルトだ。
彼はこの取引に応じる危険性を理解していた。
けれど――
「ジークベルト殿下、迷うことはありません」
「その通りです。第一王子派を抑えられる好機ですぞ!」
ジークベルトを支持する者達はその限りではない。ここで弱気な態度を取れば、第二王子派が内部から瓦解することになるだろう。
ジークベルトは拳を固く握りしめ、こくりと頷いた。
「アヴェリア教国が和平を望むなら、交渉のテーブルに着くのは当然のこと。しかし、長く待つつもりはありません。準備が整い次第、我々は進軍を開始します」
「うむ、当然の判断だ。早急に進軍の準備を進めるがよい」
ラファエルはそう言って、最後にアリアドネへと視線を向けた。
「という訳だが、異論はないな?」
「無論ですわ。必ず、アヴェリア教国に和平交渉を望ませてご覧に入れましょう」
アリアドネはスカートの端を片方だけ摘まみ上げ、悠然と臣下の礼を取った。
会議を終えたあと、会議室をあとにしたアリアドネをアルノルトが追いかけてきた。けれど、彼がアリアドネに声を掛けるより先に、第一王子派がアルノルトを取り囲んだ。
「アルノルト殿下、なぜあのような無謀な取引に応じられたのですか!?」
用件は第一王子派の一人が口にしたとおりの内容だろう。アリアドネが助け船を出そうと一歩を踏み出すが、それに気付いたアルノルトが首を横に振る。
ここは私に任せてくださいと、彼の目が訴えている。
(たしかに、私が口を出しても話がややこしくなるだけね)
アリアドネは黙礼し、早々にその場から立ち去った。
そうしてやってきたのは休憩室。
アリアドネはソファに身を預けながら、ことのあらましをアシュリーに伝えた。それを聞き終えたアシュリーが「それで、勝算はあるのですか?」と口にする。
「時間との勝負になるわね。だけど、落雷の魔術に対抗する手段は、そう簡単なことじゃないわ。そうね……おそらく数週間は掛かるでしょうね」
回帰前の経験に基づいた正確な予測。だとすれば、間に合うはずだ――とは、声に出さずに呟いた。それに対し、アシュリーがブルリと身を震わせる。
「やはり、アリアドネ皇女殿下は恐ろしい方ですね」
「あら、どうして?」
「伏兵の敵の魔術師部隊を抑え込んだと聞きました」
「ええ、偶然、ね」
「それまで王都に滞在していた貴女が突然戦場に向かったかと思えば、その初陣で大戦果を上げた。それがただの偶然だと?」
アシュリーの問いに、アリアドネはクスリと笑った。
(最初はただの連絡役としか思わなかったけれど……)
アリアドネの暗躍を受け入れる器量。なにより、その謀略を読み取る知性。いまはまだ未熟だけれど、鍛えれば自らの右腕になり得る存在かもしれないとアリアドネは思った。
「なぜ、そんなことを聞くのか、その理由を話してご覧なさい」
「敵の部隊を撃退したとうかがったからです。撃破ではなく撃退、敵の戦力をそがなかったのは、ジークベルト殿下を牽制するためではありませんか?」
アシュリーが静かに問いかけてくる。アリアドネはその質問に肯定も否定もせず、彼女にその続きを促した。
「アリアドネ皇女殿下はさきほど、時間との勝負になるとおっしゃいました。その上で、魔術師部隊に対抗する手段を手にするまでの時間があるから、と」
つまり、この時間を得るために、あえて魔術師部隊を全滅しなかったのでは、と。
彼女の予想は――すべて当たっていた。
「素晴らしいわね」
魔術師部隊の脅威をぎりぎりまで教えなかったのは手柄を立てさせないため。そして追撃しなかったのは、敵の脅威を残し、反転攻勢までの時間を稼ぐためだ。
「すべて計算ずくだったのですね」
アシュリーが崇拝にも似た視線を向けてくる。
けれど、アリアドネはそれに苦笑した。
「まさか。計算外のことばかりよ」
「ご謙遜を」
「いいえ、本心よ。駐屯地に雷が落ちたときは肝が冷えたわ。さっきだって、アルノルト殿下が信じてくださらなければ、この結果を掴み取ることは出来なかった」
もちろん、アリアドネにはいくつか腹案があった。だが、大きな軌道修正をせずにいられるのは、多くの仲間に助けられたからだ。
「では、アリアドネ皇女殿下は、この結果には満足していないのですか?」
「結果には満足してるけど、過程には満足してないわ。次はもっと上手くやらないとね」
決意に満ちた顔で宣言する。それを見ていたアシュリーは畏怖とも、呆れとも分からぬ感情をにじませ、そのピンクゴールドのツインテールを揺らした。
「普通は、すべてをコントロールできなかったからと反省などしませんわ。なのに、それを当然のように考えている。アリアドネ皇女殿下、貴女はやはり恐ろしい人ですわ」




