エピソード 3ー2
軍部の話し合いが終わり、アリアドネは会議室を後にする。
その隣には自然とアルノルトが並び、二人揃って別室へと移動する。その立派な応接間には、前王妃のイザベルと娘のオリヴィアが待っていた。
アルノルトに気付いたオリヴィアが待ちわびていたかのように立ち上がる。
「アルノルトお兄様、会議はどうなったのですか!?」
「落ち着きなさい、オリヴィア。はしたないですよ」
イザベルに諭され、オリヴィアが失礼しましたと席に座り直す。だが、オリヴィアは心配で仕方がないと言いたげな顔をしていて、それに気付いたアルノルトは苦笑いを零す。
「ジークベルトが指揮官として軍を率い、国境に赴くことになった。私はその補佐として補給線を確保することになっている」
「……補給線の確保、ですか?」
オリヴィアが複雑そうな顔をする。最前線に行かなくてよかったという思いと、その役職では手柄を立てられないという思いがぶつかり合っているのだろう。
そんな妹の心境を見透かしたように、アルノルトはふっと笑った。
「アリアドネ皇女殿下も支持してくれている」
(アルノルト殿下。どうして私が支持したら安心みたいなノリなんですか? それで納得するのはきっと、貴方だけですよ)
アリアドネが心の中で呟く。その心の声が聞こえた訳ではないだろうが、オリヴィアはアリアドネを見て半眼になった。
「アリアドネお姉様……今度はなにを企てていらっしゃるんですか?」
「思わぬ方向で信用されてるわね。……信用、なのかしら?」
アリアドネは少しだけ困った顔をする。
それを見かねたのか、はたまた別の思惑があったのか、イザベルが会議でどのような話し合いが行われたのかを聞いてきた。
アリアドネは「実は――」と、会議室で話したのと同じことを伝える。
「そう、アヴェリア教国でそのような動きが。ギャレット第一王子が実権を握りつつあるという訳ね。けれど、アヴェリア王の容態はそんなに悪いのですか?」
「あまりいいとは言えないようです」
言葉を濁したが、回帰前のアヴェリア王は遠くない未来に亡くなっている。
たとえ未来を知るアリアドネが足掻いたとて、アヴェリア教国が攻めてくる未来は変わらないだろう。
「……そう。隣国が攻めてくる可能性が高いことは理解したわ。その上で、戦場になりそうな領地の関係から、ジークベルトが指揮官に選ばれるのも納得がいく。けれど、いえ、だからこそ、敵の情報を第二王子派に渡す必要はなかったのではないかしら」
アリアドネをまっすぐに見るイザベルの目は本気だ。ジークベルトに華々しい手柄を立てるくらいなら、自国軍が苦戦した方がいいと本気で思っている。
非情ではあるが、派閥を率いる者として必要な非情さでもある。だから、本気でアリアドネの行動の是非を問うているのだ。なぜジークベルトを助けるのか、と。
アルノルトが「母上、それは――」とフォローを入れようとするが、アリアドネは手でそれを制した。
「イザベル前王妃、私もジークベルト殿下に必要以上の手柄を渡すつもりはありません」
「なのに、敵の情報をジークベルトに提供した、と? それは、まさか……」
「はい。そうしなければ、グランヘイム国は大きな打撃を受けると考えたからです」
そんな、まさか――と、イザベルは目を見張った。
「にわかには信じられないわね。アヴェリア教国は宗教が盛んな国で、軍事力にはあまり力を入れていないという印象だったのだけれど……」
「その印象は間違っていません。ただ、魔術の埒外にいる聖女を崇めているせいで誤解されがちですが、彼らのいう神の奇跡の多くは魔術です。つまり――」
「グランヘイム国に勝るとも劣らない魔術大国でもある、というわけね」
理解を示すイザベルに対し、アリアドネはこくりと頷いた。
「第一王子派として、ジークベルト殿下の手柄を望まない気持ちは理解できます。ただ、グランヘイム国という単位で考えたとき、味方の損害は避けねばなりません」
それほど、隣国の軍が強敵だと言うことだ。それに気付いたとき、イザベルはさきほどよりも深刻な表情を浮かべた。
「一時的にとはいえ、第二王子派と手を組まなければいけないほどの強敵という訳ね。アリアドネ、貴女はこの戦、勝てると思っているの……?」
それは、アヴェリア教国に勝てるのかという意味だけでなく、第二王子派に勝てるのかという意味を含んでいた。
それを理解した上で、アリアドネは不敵に笑う。
「アルノルト殿下に後ろ盾になっていただいた恩は必ず返します。必ずアヴェリア教国の軍を退け、ジークベルト殿下の影響力を抑え込んで見せましょう」
それは、自分達だけが勝者になるという自信に満ちた宣言だった。
◆◆◆
アリアドネ達が応接間で話し合いを行っていた頃、別の応接間ではカルラとジークベルトが顔をつきあわせ、会議室での内容について話し合っていた。
主な議題は、アリアドネの情報をどこまで信じるか、である。
「アヴェリア教国は、雑兵ですら治癒魔術を使える可能性があると言うのは本当のようです。こちらで得た情報にも、似たような可能性を示す情報がいくつかありました」
「では、アリアドネの戦力評価は正しい……と、言い切れないわね。彼女がなにを考えているのか、ここに来てもさっぱり読めないもの」
カルラがため息交じりに呟く。
ここに来て、アリアドネが味方だと思うほど腑抜けてはいない。けれど、より強大な敵に立ち向かうために、一時的に手を組もうとしている、という可能性はある。
けれど、だとしても、そのままジークベルトを勝たせるはずはない。
グランヘイム国の勝利が確定した瞬間、アリアドネが背中から襲いかかってくる。そんな可能性だって存在するのだ。
「母上、ローズウッドの件はなにか掴んでいますか?」
「ローズウッド、ね。アリアドネはウィルフィードに手柄を奪われたようよ。ローズウッドの町において、彼女の評判は最低ね」
「アリアドネがウィルフィード侯爵にしてやられた、と?」
「笑えない冗談ね。ウィルフィード侯爵は有能だけど、アリアドネほどじゃないわ。それにあの子、要求された引き継ぎを無条件で受け入れたそうよ」
それはつまり、ウィルフィードに手柄を奪われるという結果を進んで受け入れたということだ。その不可解な行動には、なんらかの理由があるに決まっている。
「……本当にやっかいなやつだ」
アリアドネという不確定要素を抱えながら、アヴェリア教国軍と戦うのは厳しい。
しかし、司令官を引き受けないという選択はなかった。アリアドネがアルノルトの婚約者になったことで、後継者争いのバランスは第一王子派に大きく傾いている。
いまはまだ、その事実を知らない者がほとんどだが、だからこそ、いまのうちに勢力を盛り返す必要がある。ここで引き下がるという選択肢は存在しない。
「母上、アヴェリア教国の動きに、ウィルフィード侯爵が関わっている可能性はどの程度あると思いますか?」
「……ない、とは言い切れないわね。完全に裏切ることはないはずだけど、自分の地位向上のために、隣国と裏取引をするくらいはやる人間よ」
国家としてマイナスでも、自分にとってプラスになるのなら迷わない。ほかの者達も同じ判断を下しているが、ウィルフィードはその傾向が強い。
「では、アリアドネがアヴェリア教国と繋がっている可能性はいかがですか?」
「それは……否定できないわね。彼女はなにをするか予想できない。必要とあらば、迷わず私と取引した彼女だもの。アヴェリア教国が相手でも同じ選択をするはずよ」
「彼女の目的がなにか、ということですね」
アリアドネが第一王子派ですらなく、レストゥール皇国を滅ぼしたグランヘイムに復讐するために、アヴェリア教国と手を組んだという可能性もゼロではない。
そんな風に考えると、途端にアリアドネの目的が見えなくなってくる。そうして思考の海に沈むジークベルトに対し、カルラが「けれど――」と口にした。
「あまりアリアドネに振り回されるのは得策じゃないわ。貴方がなすべきなのは、今回の戦争で大きな実績を手に入れることだもの」
「ええ。分かっています。今度こそ、彼女を侮ったりしません。油断なく、あらゆる事態を想定して、アリアドネに勝利してみせましょう」
次は負けないと、強く拳を握りしめた。ジークベルトはアリアドネを警戒するあまり、自分が必要以上に慎重になっていることに気付いていない。




