エピソード 3ー1
ローズウッドの治安維持をウィルフィードの手勢に引き継いだアリアドネとその騎士達は、すぐさま王都へと引き返した。だが、王都内には入らず、門の外に野営地を作る。
万が一にも疫病を王都の中に持ち込む訳にはいかないからだ。
けれど、そこに王城からの呼び出し状が届く。アリアドネは治癒魔術を受けて疫病を持ち込む可能性を排し、身なりを整えてから王城にある会議室まで足を運んだ。
そこに集まるのは、国王のラファエル。それに王子であるアルノルトとジークベルト。その他の有力貴族や、王国騎士団の団長クラスの者達。
彼らは既に白熱した議論を交わしていた。そんな中、アリアドネに気付いたアルノルトが席を立ち、出迎えに歩み寄ってくる。
「アリアドネ皇女殿下、疫病対策でローズウッドの町に出向いたと聞きましたが、もうあの町は大丈夫なのですか?」
「ええ、山場は超えました。ですが、そのようにおっしゃると言うことは、アルノルト殿下が私を呼び戻した訳ではないのですね」
「ええ。もちろん、心配はしていましたけれど……」
貴女の行動を妨げるつもりはない――と、彼の瞳は優しく訴えていた。アリアドネは思わず頬を染めて目を逸らす。
そうして視線を向けた先でウィルフィードと目が合った。
「これはアリアドネ皇女殿下ではありませんか。ローズウッドでは、わしの騎士団が到着するまでのあいだ、必死に治安を維持しようとしてくれたそうで、感謝しますぞ」
感謝しますなどと口にしているが、その顔には嫌らしい笑みが浮かんでいる。ローズウッドでなにがあったかを知っているのだろう。
迂遠な言い回しであるが、踏み台になってくれて感謝、という痛烈な嫌みだ。
事情を知らない者には分からない。だが事情を把握せずとも、ウィルフィードが心からアリアドネに感謝をするはずがない、と言うことは誰もが理解している。
アリアドネが一体どんな反応を示すのかと注目が集まり、周囲に沈黙が下りた。そんな中、アリアドネはふわりと微笑んだ。
「安心いたしましたわ」
「――安心、だと?」
ウィルフィードの顔に張り付いていた笑みがわずかに歪む。
「ええ。なにしろ、私がローズウッドに到着したときは兵士が職務を放棄していて、まるで意図的に疫病を広めようとしているのかしら? と危惧するくらいでしたから」
「――なっ!?」
「ですから、ウィルフィード侯爵の騎士達が事態を収拾してくださって、本当に、安心しましたわ」
ローズウッドの代官、ウィルフィードの親戚が意図的に疫病を広めたのではと危惧してしまったけれど、ただの無能だと分かって安心した――という痛烈な批判。
彼はそう受け取ったはずだ。
だが……違う。
アリアドネはウィルフィードを批難するように見せかけ、その場で話を聞いていた人々の心にある種の毒を打ち込んだのだ。
とはいえ、その毒が彼らの全身に回るのはもう少しだけ先の話だ。アリアドネはウィルフィードから視線を外し、続けて陛下に向かってカーテシーをする。
「アリアドネ、よく駆けつけてくれた。そなたを呼んだのはわしだ」
「ご無沙汰しております、ラファエル陛下。この会議は軍部による話し合いだと記憶しておりますが、なぜ私を呼んでくださったのでしょう?」
回帰前のアリアドネは当たり前のように軍部の会議に参加していた。だがそれは、カルラの後ろ盾があり、ジークベルトの参謀のような立場にいたからだ。
回帰したいま、アリアドネが軍部に招かれる理由はない。
だから――
「俺が進言したのだ。アリアドネの意見を聞くべきだとな」
ジークベルトがそう口にした瞬間、アリアドネは軽く身を震わせた。それから努めてなんでもない振りをしながら、ジークベルトに「なぜでしょう?」と問いかける。
「ウィルフィード侯爵が困っていたようなのでな」
アリアドネが引き継ぎを渋ることを想定して、ウィルフィードに恩を売る目的で帰還命令を出したということだ。であるならば、離間の計は上手くいっていないのかもしれない。アリアドネがそう考えた直後、ジークベルトが再び口を開く。
「それに、おまえが母上に教えたのだろう? 先日の襲撃に隣国も、関わっていると。であるなら、おまえは必ず隣国の動向を調べているはずだと思ってな」
彼の言葉を聞いた瞬間、アリアドネは自分の蒔いた種が芽吹いたことを理解する。彼が隣国もと口にしたと言うことはつまり、隣国以外の痕跡も発見したと言うこと。カルラは、アリアドネの仕込んだ、ウィルフィードの痕跡を見つけたのだ。
(それでもウィルフィード侯爵に恩を売るなんて抜け目ないわね。カルラ王妃殿下の入れ知恵かしら?)
その可能性はたぶんにあるだろう。
だが確実に成長している。
「おっしゃるとおり、隣国については少々調べてございます」
アリアドネは警戒心を強めつつ、ジークベルトの問いに答える。だがそれに反応を示したのはジークベルトではなく、ウィルフィードだった。
「ふんっ。少々程度の情報であれば、わしらもすでに調べておるわ。国境沿いに集結したアヴェリア教国の兵はおよそ三千。騎士と魔術師、それに兵士で編成されておる混成部隊であることがわかっておる。グランへイムにとっては大した脅威ではない」
傲慢な口調。それを聞いたアリアドネは「失礼いたしました」と謝罪の言葉を口にした。だが、次の瞬間には小さく笑う。
「私の思う少々と、ウィルフィード侯爵の思う少々には、情報量の面で大きな開きがあるようですね」
「なんだと!?」
ウィルフィードが声を荒らげてアリアドネに詰め寄ろうとする。
だが、それをジークベルトが遮った。ウィルフィードは忌々しげな顔をするが、ジークベルトは取り合わず、アリアドネに話を続けろと促してくる。
「アヴェリア教国は宗教国家です。初代聖女が誕生した国として、民に信仰心が深く根付いています。そのため、一般人の中にも治癒魔術を使えるものは珍しくありません」
「それは、つまり……騎士であっても、治癒魔術を使える、と言うことか?」
「雑兵であっても、です」
治癒魔術といっても、大抵の人間が使えるのはわずかな怪我を治す程度だ。だが、医療がそれほど発達していないこの世界において、それのあるなしはとても大きい。
実際、回帰前の戦争において、グランヘイム国とアヴェリア教国では、負傷兵の復帰率に大きな開きがあった。
「アヴェリア教国の騎士団は重装備で機動力がありませんが、国境付近は樹木の多い丘陵地帯です。彼らはその地形を利用して、優位に立とうとするでしょう。優秀な魔術師部隊も抱えていますので、真っ正面から戦えば苦戦を強いられることになるでしょう」
地形を利用して敵軍の機動力を潰し、魔術による攻撃を敵後衛に加える。それがアヴェリア教国の得意とする戦術である。
それを知らなかった回帰前のグランヘイム国は苦戦を強いられることになった。
「国力、兵力を考えた上で、作戦さえ練れば負けることはあり得ません。しかし、なんの手も打たずに戦争を始めれば、大きな痛手を受けることとなるでしょう」
そう告げたアリアドネの表情は苦い。
初戦で敵に勢いづかせ、国境沿いにある町や村が蹂躙されることとなった。逃げ惑う人々が疫病を拡散させ、それがグランヘイム軍にも広がった。
アリアドネが最初に味わった苦い敗北の記憶。
もちろん、最終的には勝利した。
カルラの指導の下、様々な策を弄して敵軍を押さえ込み、やがてはアヴェリア教国の王都にまで攻め入ることに成功。
結果として、ジークベルトとアリアドネは名声を手に入れた。
しかし、味方が被害を受けたこともまた事実で、疫病の被害と合わさり、長期にわたる国力の低下へと繋がった。
アリアドネにとっては悔いが残るデビュー戦だった。
その経験を下に敵の脅威を伝えると、想定以上に詳細な戦力評価に皆は沈黙した。ほどなく、ラファエルがこほんと咳払いをする。
「……なるほど。油断のならない相手のようだな。しかし、アリアドネよ。そなたはアヴェリア教国がこのグランヘイムに攻め入ることを前提に語っているようだな?」
「はい。私はそうなると予想しております」
「まだ相手の目的は明らかになっていないはずだが、なにか掴んでいるのか?」
「憶測も混じりますが……よろしいでしょうか?」
アリアドネの問いかけに、ラファエルはうむと頷いた。
それに応じたアリアドネが自分の知る情報を開示する。きっかけはレストゥール皇国が滅びて戦力のバランスが崩れたことだが、それをこの場で口にするほど愚かではない。
単刀直入に、アヴェリア教国の王が倒れたことを告げた。
「アヴェリア教国の王が倒れた、だと?」
ラファエルが驚き、他の者達に確認の視線を向ける。
だが、誰一人として頷かない。回帰前のアリアドネも後から知った情報なので、この時点、この国で暮らす者の中に、その事実を知る者はいないはずだ。
アリアドネはその情報の真偽を問われるまえにと再び口を開く。
「ここからは私の推測ですが、アヴェリア教国の第一王子はとても好戦的な性格だとうかがっています。第二王子との王位継承争いで優位に立とうとしているのではないか、と」
実績を積むために隣国へ戦争をしかける。平民からすればふざけた話ではあるが、国政に関わる者達にとっては納得のいく理由でもある。
だが――と、ラファエルが問う。
「アリアドネよ。その推測に根拠はあるのか?」
「私とカルラ王妃殿下を襲撃したのはアヴェリア教国の手の者です」
ラファエルの顔を見上げてそう言い放った。その驚くべき事実に騒然となるが、アリアドネは決して視線を逸らさない。
ラファエルと視線を交わしていると、不意にジークベルトが口を開いた。
「父上、その件についてはこちらでも確認しております」
「……ほう? アリアドネの言葉を支持すると?」
試すような口調。
ジークベルトはゆっくりと首を横に振った。
「彼女の情報の精度がどれほどのものかは分かりかねますが、隣国の影がちらついているのは事実です。それに、アヴェリア教国の軍が動いたのもまた事実です」
「備えは必要、ということか」
どちらにせよ軍は派遣する必要がある。それを理解した瞬間、真っ先に口を開いたのはウィルフィードだった。
「たしかに、ラファエル王やジークベルト殿下のおっしゃるとおりですな。ならば、指揮官はジークベルト殿下がふさわしいかと」
これはあくまでラファエルとジークベルトが考えて出した結論で、だからこそジークベルトに指揮を任せろと、ウィルフィードが第一王子派に対する牽制を掛けてくる。
即座に第二王子派の面々が賛同した。
これは回帰前とまったく同じ流れだ。このままいけば、ラファエルがそれを容認して、ジークベルトが騎士団を率いて対応することになる。
だが、グランヘイムが大きな被害を受けることも、ジークベルトが手柄を上げて、王位継承権争いで巻き返すことも、アリアドネとしては受け入れることが出来ない事態だ。
だから――と、アリアドネはアルノルトに目配せをした。
彼は即座にその意図を察して、「ラファエル陛下」と声を上げる。
「私も兵を率いることを希望します」
「なんと! ジークベルト殿下だけでは不満とおっしゃるのですか!?」
大げさに騒ぎ立てたのはウィルフィードだ。
しかしアルノルトは慌てず、「アリアドネ皇女殿下の言葉が真実ならば、相手は決して油断ならない相手です。ここは、万全を期すべきではありませんか?」と続けた。
その言葉には、ここで協力を拒絶して被害を出したら、第二王子派は責任を取る覚悟はあるのか? という脅しが含まれていることは言うまでもない。
出来れば、アルノルトに活躍の機会は与えたくない。だが、ここで反論して、万一の時に責任を負いたくない第二王子派は、他の誰かが反論するのを期待して口を閉じる。
代わりに口を開いたのはラファエルだ。
「たしかにアルノルトの意見にも一理ある。しかし、二人しかいない王位継承者が同時に戦争に加わる危険もある。ジークベルト、そなたはどのように考える?」
ラファエルの問いかけに、両派閥の陣営からざわめきが上がった。
第二王子派がざわめいたのは、ジークベルトに確認することで責任の所在を明確にしたからであり、第一王子派がざわめいたのは、決定権をジークベルトに委ねたからだ。
皆が注目する中、ジークベルトが口を開く。
「アヴェリア教国が兵を集結させている国境は、俺を支持する家門の領地にあります。ゆえに、軍を率いる指揮官は、俺に任せていただきたく存じます」
「ふむ。正論だな。では、アルノルトの協力は必要ないと?」
ラファエルの問いかけに、ジークベルトはわずかに沈黙した。
ここで頷けば、苦戦したときの責任逃れができなくなる。アリアドネから敵が思ったよりも脅威だと聞かされていることもあり、協力を拒絶するのははばかられる状況だ。
しかし、彼はこの一連の事件にアリアドネが介入していると疑っている。
それ故に、イエスかノーという極端な選択を出来なくなっている。
だから――
「……アルノルト殿下には、補給部隊の指揮をしていただければと考えています」
彼は曖昧な答えを口にした。
曖昧と言ったが、アルノルトの申し出を受けつつも、活躍の場は与えないというベターな選択でもある。第二王子派は感嘆の声を零し、第一王子派は苦々しい顔をした。
アルノルトにとっても苦い展開だろう。
アリアドネはそう思ったが、アルノルトは意外にも平然としていた。その上で、アリアドネに向かって、「貴女はどう思いますか?」と問いかけてくる。
(私の思惑に気付いている? いえ、まさか……あり得ないわ。ならどうして?)
困惑するが、アルノルトは穏やかな表情でアリアドネを見下ろしている。それが、自分に対する信頼だと気付いたアリアドネはアメシストの宝石眼を揺らした。
それからなにかを誤魔化すように口を開く。
「兵站の管理もまた、戦争の勝敗を分ける重要な役割です。アルノルト殿下であれば、その役目を立派に果たされることでしょう」
アルノルトが兵站の指揮を執ることを支持する。第一王子派はアリアドネの言葉に不満そうな素振りを見せるが、アルノルトは迷わず受け入れた。
こうして、今回の戦争におけるそれぞれの役割が決まっていく。その先に待っているのが称賛か嘲りか、それはまだアリアドネにも分からない。




