エピソード 1ー2
カルラが敵になった。
もしかしたら、アリアドネを愛してくれていたかもしれない人。そんな彼女を敵に回したことに、わだかまりがまったくないといえば嘘になる。
だけど、カルラは悪辣な王妃だ。回帰前の彼女は前王妃を毒殺しているし、おそらくは前国王のことも事故死に見せ掛けて殺している。なにより、ジークベルトの母親である。
だから、葛藤があっても躊躇はしない。
それはカルラも同じだろう。おそらく、すぐにでも攻撃を仕掛けてくるはずだ。ゆえに問題になるのは、彼女がどういう攻撃を仕掛けてくるか、である。
(彼女の得意とする手口は絡め手。暗殺か、政治的な攻撃のどっちかよ)
アリアドネの宝石眼が真の王族の証であるのなら、アルノルトには絶対に渡したくないはずだ。手に入れられないのなら、殺してしまえ――という可能性は十分にある。
とはいえ、ラファエルがアリアドネを娘と認めたばかりである。もしもアリアドネを暗殺したら、第二王子派の内部分裂を疑われることになりかねない。
このタイミングでアリアドネを暗殺するのは避けたいはずだ。
もちろん、事故死に見せ掛ける方法もある。
だが、暗殺は立て続けに失敗を重ねている。それも、アリアドネが関わったことによってだ。ゆえに、慎重な彼女がここで暗殺を仕掛けてくる可能性は低い。
もちろん警戒は必要だが、より警戒するべきなのは別の攻撃である。
けれど、アリアドネに弱味は少ない。アリアドネが強いからという意味ではなく、大切なものが少ない――という意味である。
ゆえに、彼女が仕掛けてくる攻撃も、考えられるパターンは多くない。
なにより、アリアドネはカルラの手口をよく知っている。母親を失ったアリアドネの後ろ盾となり、社交界での立ち回りや、謀略を仕掛ける方法を教えてくれたのは彼女だった。
アリアドネの知る彼女は、必要なら敵とだって手を組む柔軟な対応力がある。ならば考えられる手は――と、アリアドネはベルを鳴らした。
ほどなく、シビラがやってきた。
「お呼びですか、アリアドネ皇女殿下」
「ええ。これからはジークベルト殿下と敵対することになるわ。だから、ね。シビラ。彼の密偵である貴女には、ここで死んでもらうわ」
唐突な宣告。その理不尽な宣告に、シビラはびくりと身を震わせ――だけど、ぎゅっと拳を握り締めた。そして諦めにも似た笑みを浮かべる。
「もとより、私の命は貴女のものです。ただ、どうか、妹のことだけは助けてください」
「……うん、ごめん。いまのは言葉のあやだから、そんな本気で返さないで。罪悪感に押し潰されそうになったから」
シビラはキョトンとして瞬いた。
「言葉のあや、ですか?」
「知っての通り、私はアルノルト殿下と婚約することになったでしょ? だから、ジークベルト殿下の密偵である貴女を野放しにする訳にはいかないの」
実際は二重スパイなので排除する必要はないのだが、排除しなければ二重スパイであることがバレてしまう。それだと、アリアドネの作戦に支障が出るのだ。
「だから、貴女にはジークベルト殿下に最後の連絡をした後、しばらく身を隠してもらうわ」
「私が始末されたと見せ掛けるんですね」
「その通りよ。そして、そのまえに流してもらう情報は二つ。まずは、私がシビラを排除しようとしているという情報ね。これによって、貴女が二重スパイだった可能性を消すわ」
カルラの遣いが接触してきたあのとき、シビラをその場から遠ざけたのはそれが理由。
第一王子派になると決めたあの日からシビラを遠ざけている。そう印象づけることで、最初から敵対していたのではなく、途中で気が変わったのだと思わせる。
そうすることで、アリアドネがシビラを使って過去に流した情報は本物だと思わせ、アストール伯爵の件が罠であると気付かれることを避けるのだ。
「二つ目は、オリヴィア王女殿下の協力を得ようとしているという情報よ。目的は分からないという感じで、漠然と情報を流しておいて」
「かしこまりました」
(これでジークベルト殿下への布石は打ったわ。後は……)
ハイノを呼ぶように命じ、シビラには作戦の実行を命じた。そうして退出するシビラを見送って、しばらく待っているとハイノがやってきた。
「アリアドネ皇女殿下、お呼びでしょうか?」
「ええ。カルラ王妃殿下が治めている領地にクズ魔石の鉱山があるわね。その鉱山の近くにある町の土地を、商会の名前を使っていくつか買いなさい」
「……商会というと?」
「もちろん、これから作るのよ。この時期なら……そうね。クズ魔石を取り扱う事業に失敗して、潰れかけの商会があったはずよ。そこを買収なさい。必要な予算は、ここに概算が在るわ。皇女宮の収入でなんとかなるはずよ」
纏めた資料を差し出せば、ハイノはすぐに資料に視線を落とした。
「ぎりぎりですが、直轄領から得る収入を使えば買えない額ではありませんな。すぐに実行いたします」
アリアドネは面白そうに笑う。
「質問の一つくらいは出ると思ったのだけど」
「もちろん疑問はございます。ですが、レストゥールの執務を私に一任するのではなく、ご自分の管理下に置いた上で私に委任したのは、こういうときのためではございませんか?」
「正解よ。たしかに、貴方が反対しても聞き入れなかったわね」
とはいえ、求められたら説明くらいはするつもりだったのだが、しなくていいと言うのなら手間が省ける。アリアドネは、いくつか必要な土地の条件を挙げていった。
アリアドネが暗躍を開始して一週間ほどが過ぎたある日。アルノルトの妹、オリヴィアが皇女宮を訪ねてきた。アリアドネは庭に用意したお茶会の席に彼女を招く。
「ようこそおいでくださいました、オリヴィア王女殿下」
「こちらこそ、お招きありがとうございます」
オリヴィアが優雅にカーテシーをする。だが、心の内は分からない。なにしろ、彼女は近い未来、聖王女として第二王子派の手を焼かせることになる。ラファエルの婚外子でありながら、アルノルトと婚約したアリアドネをどう思っているか分からない。
(だけど、彼女はとても優秀よ)
回帰前の彼女には大きな弱点があった。
それでもなお、第二王子派であるアリアドネ達を苦しめた存在。もしもその弱点を排除することが出来たなら、彼女は頼もしい味方になるだろう。
そしてアリアドネには、彼女の弱点を消す策がある。
「どうぞ、座ってください。貴女とはゆっくりお話をしたいと思っていたのです」
アリアドネは柔らかな対応で彼女を迎え、毒味を兼ねて先にお茶菓子に口を付ける。それを見たオリヴィアもまた、用意されたお茶菓子に口を付けた。
「……それで、アリアドネ皇女殿下のお話というのは?」
「そうですね。そのまえに一つ。私はアルノルト殿下を次の王にするつもりです」
「――っ!?」
紅茶を飲んでいた彼女が咽せた。
「ア、アリアドネ皇女殿下、貴女、自分がなにを言っているか分かっているのですか?」
そういった彼女の視線は、アリアドネの背後に控える侍女やメイド達に向けられている。
「ご安心を。ここにいる者は、決して第二王子派に情報を漏らしません」
信頼できる者と言わなかったのは、ここにいるのがアメリア前王妃の密偵と、第二王子派の侯爵に恨みを持つメイドだからである。
「そう、ですか。しかし、私の侍女がいることはどうお考えですか?」
かつてのシビラ達がそうだったように、お付きの侍女ですら何処かの密偵であることは珍しくない。もしも、オリヴィアの侍女から漏れたらどうするのだという批難。
「そちらの侍女はリネット・ホフマン。とても忠誠心の高い侍女だと聞き及んでおります。もちろん、他の方々も同様に。さすがオリヴィア王女殿下は求心力がおありですわね」
オリヴィアの侍女の中に密偵はいない。それは、彼女の陣営を内部から切り崩そうとした、回帰前のアリアドネが一番よく知っている。
それでも――
「とはいえ、秘密を知る人は少ない方がいいでしょうね」
アリアドネが軽く手を上げれば、アシュリー達が席を離れた。それに合わせて、オリヴィアもまた、自分の侍女達を下がらせる。
「……それで、唐突にあのような発言をなさったのは何故ですか?」
「それは、もはや隠す必要がないからです」
「宝石眼、ですか……」
オリヴィアがどこか疲れたような顔で呟いた。
「既にご存じのようですね」
「ええ。お兄様から伺いました。その話を知ったときは驚きましたが、色々と腑に落ちたこともまた事実です」
「ジークベルト殿下にとって、私は扱いにくい存在でしょうね」
アルノルトの場合、アリアドネとのあいだに子を生せば、自分の血族に真の王族の証、宝石眼を得ることが出来る可能性は高い。
だが、ジークベルトとアリアドネは腹違いの兄妹だ。アリアドネの宝石眼を、血族に取り入れるには、いくつか面倒な手順を踏む必要がある。
それならばいっそ、殺してしまった方が楽だと考えてもおかしくはない。
(あるいは、私がジークベルト殿下に恋をしていたら、結果は変わっていたのかしらね)
政略結婚も珍しくないこの世界に於いて、宝石眼を自らの血族に取り込むためならば、兄妹で子を生すくらい、どうと言うこともない。
そう考えれば、回帰前のジークベルトが、アリアドネに兄妹で結婚できないなどと揶揄したのは、彼女が自分になびかなかったことへの腹いせだったのだろう。
「お兄様に味方する理由は分かりました。それで、私を呼んだ理由はなんでしょう」
「実はその件でカルラ王妃殿下のお怒りを買いまして。今後、仕掛けられるであろう攻撃に対抗するため、オリヴィア王女殿下のお力が必要なのです」
「……私の力、ですか?」
腑に落ちないといった表情。だが、このときの彼女はまだ、その実力を開花させていない。聖王女と呼ばれるようになったのは、苦境に立たされて必要に駆られたからだろう。
「今回はいくつか調べて欲しいことがあるだけです。もちろん、その対価はお支払いしますよ。貴女の運命が大きく変わるほどの情報を対価として」
「……まるで魔女の囁きですわね」
オリヴィアが警戒するような素振りを見せる。
「そう思われても仕方ありませんね。ですが貴女なら、私の言葉の真偽を判断した上で、正しい行動を取ってくださると信じています」
「……まるで、私のことをよくご存じなようですわね」
探るような視線。
だが、アリアドネはその探り合いに応じない。
「アストール伯爵家のご子息と婚約の予定があるでしょう?」
「――っ。何故それを? まだ限られた者しか知らない話ですよ!」
オリヴィアの瞳がめまぐるしく揺れる。
情報を漏らしたルートを考えているのだろう。
「おそらく、オリヴィア王女殿下が考えている内容はどれも違います。私がお伝えしたいのは、アストール伯爵子息との縁談は取りやめた方がいい、ということですから」
「まさか、アストール伯爵家が……?」
情報の漏洩が、アストール伯爵家によるものだと思ったようだ。あながち間違いでもないので、アリアドネはそれを否定しない。だが、取りやめを勧めるのはもっと別の理由だ。
「アストール伯爵家は人身売買をおこなっています」
「――なんですって!?」
オリヴィアがテーブルに手を突いた。立ち上がろうとしたところで我に返ったのか、失礼といって座り直すが、彼女がそれほど驚く程度には大事件である。
「それが事実ならもちろん婚約は取りやめになるでしょう。それに、すぐに調査して断罪する必要もありますね。ですが、それは本当に事実なのですか?」
「残念ながら事実ですわ。そして秘密裏に処理するつもりなら無駄です。すでに、ジークベルト殿下に情報を摑まれていますから」
「……なっ。それは、本当なのですか?」
「ええ。彼の信頼を得るため、私が教えましたから」
彼女はテーブルを叩き、今度こそ立ち上がった。
「貴女、それでよくアルノルトお兄様に味方するなどと言えましたわね! あの家が、第一王子派にどれだけ貢献していると思っているのですか!」
答え次第では許さないとばかりに睨みつけてくる。だが、こちらの言い分を聞くあたり、彼女はまだ冷静だ。感情を昂らせるふりをして、こちらの出方を窺っているのだろう。
さすがは自分のライバルだった相手――と、アリアドネは微笑んだ。
「貴方の言う貢献が、どうやって上げられているかご存じですか?」
「それは……優秀だからでしょう」
「いいえ、裏切り者だからですわ。アストール伯爵は裏で第二王子派と通じています。情報を流し、その見返りを得ることで、成功しているように見せ掛けている」
オリヴィアは目を見張り、それから頭痛を我慢するような素振りで座り直した。
「……それがすべて事実だとしましょう。ですがその場合、ジークベルト殿下は、アストール伯爵家を潰そうとしないはずです」
「いいえ。アストール伯爵と繋がっているのはウィルフィード侯爵です。ジークベルト殿下はその事実をご存じありませんわ」
同派閥だからといって、自分よりも他人を大切にするほどの絆はない。同じ派閥であっても出し抜こうとすることはあるし、自分の切り札を安易に晒したりはしない。
だからこそ、この計画は成り立っている。
「つまり貴女は、ウィルフィード侯爵の飼い犬を、ジークベルト殿下に仕留めさせようと?」
「素敵ではありませんか?」
獅子身中の虫を排除して、ジークベルトの油断を誘い、なおかつ離間の計を仕掛けることにもなる。一石三鳥の妙手である。
「事実なら悪くない計略です。ですが、それが事実だと証明できるのですか?」
「こちらから誘いを掛けました。建国記念式典が終わったいま、ジークベルト殿下は明日にでも動くでしょう。それを確認するまで、婚約の決定を遅らせてください」
ジークベルトにアストールの件を伝えたとき、第一王子派も気付いている――という嘘の情報を伝えてある。ゆえにジークベルトは、こちらが内密に対処するまえに動く必要がある。
「……分かりました。それを確認してから判断いたしましょう」
オリヴィアがそう口にした直後、彼女の侍女が小走りに駆け寄ってきた。そうしてなにごとかをオリヴィアに耳打ちする。その内容を確認したオリヴィアは侍女を下がらせ、恐れと驚きをその整った顔に浮かべてアリアドネを見つめた。
「……たったいま、アストール伯爵がジークベルト殿下に告発されたそうです」
「私の予想より少し早かったですね。……それで、私の言葉を信じる気になりましたか?」
アリアドネが微笑みかければ、オリヴィアは小さく頷いた。
「……信じましょう。それで、私に調べて欲しいことというのは?」
「実は――」
カルラが仕掛けてくるであろう策。それに対抗するための足掛かりとして、彼女にある確認をお願いした。




