97.迷子のおじいちゃん
ホイルに案内され、アナスタシアとブラントは魔王エリシオンがいるという場所に向かう。
その途中、アナスタシアとブラントのただならぬ雰囲気を察したのか、ホイルはやや引き気味で、何も話しかけてくることはなかった。
アナスタシアは、会ったら少しくらいは文句を言ってやりたい衝動にかられる。
それ以上に怒っているのはブラントで、苛立ちを隠そうともしていない。
やがてたどり着いたのは、小洒落た喫茶店だった。
道に面したテラス席で、魔王エリシオンとレジーナが談笑している。
しかも、レジーナはうっすらと涙ぐんでいるようだった。
「まあ……それで、唯一遺された孫であるブラント先輩とようやく……」
目元をハンカチで押さえるレジーナが、アナスタシアたちの姿に気づいた。
「ブラント先輩……聞きましたわ。生き別れだったおじいさまと、ようやくお会いすることができましたのね。本当に良かったですわね……」
どうやら身の上話を聞いたらしいレジーナが、感動に目を潤ませてブラントに声をかけてくる。
怒っていたブラントは毒気を抜かれたようで、少し困った顔をしていた。
アナスタシアも、文句を言いたかった気持ちが消えていく。
「おお、ブラントにアナスタシア。せっかくなので直接そなたたちに会いに行こうとしたのだが、迷ってしまってのう。いっそ連絡しようかと思ったら、馬車が突っ込んできて魔道具が壊れてな……そこを、この二人に声をかけてもらったのだ」
相変わらず、堂々としたエリシオンが悪びれることなく口を開く。
「馬車道の真ん中歩いてるのがいると思ったら、跳ね飛ばされたからな。人が宙に舞って、地面に落ちたところをさらに轢かれて、それでも起き上がるのを見たのは初めてで、怖かった」
ホイルが真顔で説明する。
アナスタシアとブラントは苦笑するしかなかった。
馬車道の真ん中を歩いていたのならば、轢かれても文句は言えない。むしろ轢かれるほうが悪いというのが一般的な常識だが、エリシオンは魔王なので人間社会の常識には疎いのかもしれない。
「早く治療をと思ったのですけれど、どこも怪我がないようで……しかも、ブラント先輩とよく似ていらしたので、もしかしたらと思ってお伺いしたらやっぱりそうでしたのよ」
「いくら年を取ったといっても、あの程度で傷を負うほど弱ってはおらんよ」
平然としたまま、エリシオンはお茶を口に運ぶ。
あっけにとられたように、ホイルとレジーナはエリシオンを見つめる。そして、続いてブラントに視線を移した。
「……俺は、馬車に跳ね飛ばされたら怪我するし、さらに轢かれたら多分死ぬからね」
引きつった笑みを浮かべて、ブラントは釘を刺す。
「ところで、どうしてわざわざ普通に歩いてこちらにいらしたのでしょうか……?」
アナスタシアはエリシオンに尋ねてみる。
だが、普通ではない手段でやってこられては騒ぎになっていたかもしれないと、言った後で思う。
翼を出して飛んできたとすれば、大騒ぎになっていたはずだ。
「ブラントが今、暮らしているという街を直接眺めてみたくてな。どのようなものを見ているのか、儂の目でも見てみたかったのだ」
ところが、返ってきた答えは孫を思う祖父としてのものだった。
ブラントはやや目を見開き、続いて少し照れたように目を伏せる。
「それにしても、なかなか危険な街だ。馬車が突っ込んでくるなど、まだ若すぎるそなたでは当たれば耐えられぬであろう。それとも修練の一種か?」
「……道の端を歩けば、普通は馬車に跳ねられませんから。あと、この街はかなり穏やかなほうです」
「そうなのか……人間の街に出てくるのは本当に久しぶりで、よくわからぬ」
呆れを滲ませるブラントだが、エリシオンは真剣だ。
「それでは、わたくしたちはこれで失礼しますわ。せっかくお会いできたのですから、ゆっくりお過ごしくださいな」
レジーナは優雅に立ち上がると、そう言って微笑む。
「ああ、ホイルくんとレジーナさん、迷子を保護してくれてありがとう。助かったよ」
「どういたしまして」
「いいってことよ。じゃあな」
ブラントが声をかけると、レジーナとホイルはそれぞれ答えた。
そして、ホイルとレジーナが連れ立って歩いて行こうとするのを見て、アナスタシアはふと首を傾げる。
「……レナとホイルは、二人で出かけていたの?」
何気なく声に出してみると、ホイルとレジーナは激しい勢いで振り返った。
「べっ……別に、一緒に出かけたというわけではなくて、買い物の見立てをしたというだけですわ! おかしなことは言わないでくださいな!」
「勘違いすんなよ! 仕方がないから一緒に来てやっただけで、変な意味なんてないからな!」
尋ねてもいないことを口々に否定され、アナスタシアは戸惑う。
ただ二人で出かけていたのかと口にしただけなのに、こうも感情をむき出しにされる理由がよくわからず、アナスタシアは唖然とする。
「うん、そうだね。わかっているから、大丈夫だよ」
そこに、ブラントがにこにこしながら口を挟む。
そしてアナスタシアの手を軽くぽんぽんと叩いてくる。
「あ……うん、引き留めてごめんね。またね」
よくわからなかったが、アナスタシアは引き留めたことを詫びる。
すると、ホイルとレジーナはお互いに喧嘩するように何かを言い合いながら、去って行った。
「微笑ましいのう……」
一人、マイペースなエリシオンの呟きが静かに響いた。






