95.勇気を出して
アナスタシアが決意を固めた翌日、どことなく上の空で授業は終わり、放課後となった。
図書室の隠し部屋に行くと、すでにブラントがいて、本を読んでいる。
いよいよだと、アナスタシアは緊張が高まっていく。
「……アナスタシアさん、どうかしたの?」
ブラントは本から顔を上げ、不思議そうに尋ねてくる。
「い……いえ、何でもありません……」
思わず目をそらして、アナスタシアはぼそぼそと答える。
ブラントはさらに不思議そうな顔をして、アナスタシアを見つめてきた。
「ええと……その……あの魔道具について調べてみようかと……」
じっと見つめられ、アナスタシアの心は折れた。
この視線を受けたまま、行動を起こすなど不可能だ。
アナスタシアは他のことを持ち出してごまかす。
「ああ……うん、俺が持ってるからね」
やや訝しそうな表情ではあったが、ブラントは素直にアナスタシアの言葉を受け取り、魔道具をテーブルの上に出した。
魔道具を眺めながら、アナスタシアは次の機会を窺うことにする。
会話をしている最中など、何かのついでに行動を起こしたほうが、動きやすいかもしれない。
「……魔力を流しても、途切れてしまうのですよね」
「そうだね。ただ、もしきちんと流れたとしても、多分他の魔道具に指示を出すものだと思うから、受け取り側がない以上、無駄な気はするね」
「場合によっては、その指示内容を解析して、受け取り側の魔道具も作る必要が出てくるかもしれないのですよね……」
「そうなったら、かなりの時間が必要になりそうだね。正直なところ、魔道具作成はあまり詳しくないし……アナスタシアさんはどう?」
「私も魔道具作成はあまり……」
アナスタシアの魔術師としての能力は、戦闘やダンジョン探索に特化している。
魔術師とは魔物を倒す力を持つことが最も重要視され、魔道具作成は一段下のものといった風潮があるのだ。
アナスタシアは前回の人生で、二年生になってから基礎的なことは学んだことがあった。だが、その後休学して勇者のパーティーの一員となったこともあり、それ以上触れる機会はなかったのだ。
「魔道具作成も練習していったほうがよさそうだね。三年は後期になると、わりと自由時間も多くなってくるから、ちょうどよいかもしれない」
ブラントが呟くのを聞きながら、アナスタシアは大分緊張がほぐれてきたと感じる。
いつものように話していることで、落ち着いてきたようだ。
行動を起こすのなら今だろうかと、アナスタシアはブラントの様子を窺ってみる。
どことなく物憂げな眼差しを魔道具に向けるブラントの姿が、アナスタシアの目に映った。
まるで絵画から切り取ったような光景で、アナスタシアは見惚れる。
アナスタシアは前回の人生も含めて、ブラントほど美しい人を見たことがない。
まるで作り物のように整っているが故に、冷たさすら感じさせるその顔は、アナスタシアに向けられるときは柔らかく綻ぶ。
手を伸ばせば消えてしまう幻ではないかとも思えてくるこの人が、アナスタシアの恋人なのだ。
これは現実なのだろうかと、アナスタシアはふわふわとした浮遊感に包まれる。
そして、ブラントの長い睫毛が影を落とす頬を見つめる。
今の夢心地の気分ならば、いけるかもしれない。
アナスタシアはブラントに近づこうとして、視線を移したブラントと目が合った。
たったそれだけで、アナスタシアの意識は現実に引き戻される。
急激に恥ずかしさが襲ってきて、アナスタシアは目を伏せた。
「……アナスタシアさん?」
「そ……その……ちょっと、熱っぽくて……」
アナスタシアは言い訳をぼそぼそと述べる。
熱っぽいのは、間違ってはいない。
体調不良ではなく、恥ずかしさからくるものだが。
「それは大変だ。寮に戻って休んだほうがいい。送っていくよ」
「い……いえ……そんなにたいしたことじゃないので……」
「いや、無理すると悪化するよ。早めに休んで治さないと」
結局、ブラントに押し切られて、アナスタシアは寮までブラントに送ってもらった。
女子寮までブラントがやってきたことによって周囲は騒然となり、アナスタシアに嫉妬と羨望の眼差しが向けられる。
だが、面と向かって何かを言ってくるような女子生徒はおらず、アナスタシアは部屋に戻る。
そして、自己嫌悪に沈んだ。
「レナ……私、もう駄目かも……上級ダンジョン一人で踏破しろとか、竜を一人で倒せっていうほうがよっぽど楽……」
自分から行動を起こそうと決意して数日、アナスタシアは達成できずに弱音を吐いていた。
何回も挑もうとしたものの、どうしても途中で正気付いてしまい、ごまかしてしまうのだ。
「……明日は休日ですから、デートの途中でというのはいかがかしら。学院内という環境がよろしくないのかもしれませんわ」
「うん……そうだね……」
レジーナの提案にも、アナスタシアは乗り切れない。
環境が変わっても、自分の不甲斐なさが改善されるとは思えなかった。
「……もう、いっそのこと、デートに誘うことを最初の行動にしてみてはいかがかしら。簡単なことから始めて、次に進めていったほうがよろしいかもしれませんわね……」
レジーナも呆れ気味だ。
だが、デートに誘うのならばアナスタシアにも、無理なくできそうだった。
放課後、アナスタシアは図書室の隠し部屋に向かう。
教師から用事を言いつけられたために遅くなってしまったが、ブラントはそこにいた。
本を読んでいたブラントは、すぐに本を置くと、立ち上がってアナスタシアの元にやってくる。
「アナスタシアさん……大丈夫? ここのところ、様子がおかしいけれど……もしかして、俺が何かした? どうも微妙に俺のこと避けているっぽいし……」
ブラントが眉根を寄せながらそう言ってきて、アナスタシアは慌てる。
いらぬ誤解を与えてしまっていたようだ。
「ち……違います……ブラント先輩は悪くありません。私が……勇気がなくて……」
「勇気?」
首を傾げるブラントだが、その表情は曇ったままだ。
アナスタシアを罪悪感が襲う。
すぐに誤解を解かねばならない。こうなったらと、アナスタシアは覚悟を決める。
ブラントの心を煩わせてしまったという申し訳なさは、これまで越えられなかった壁をあっさり越えさせた。
アナスタシアは背伸びをすると、ブラントの頬に唇を寄せ、軽く触れる。
「……っ!?」
ブラントが目を見開いて固まる。
アナスタシアはとうとう達成したという満足感と、ブラントへの罪悪感、そして恥ずかしさが入り混じって、混乱状態で俯く。
「え、何、今の……可愛いんだけど」
「そ……その……ずっと、こうしたくて……もう一歩進みたくて……でも、勇気がなくて……」
か細い声で呟くアナスタシアを、ブラントが抱き締める。
広い胸に抱きすくめられ、アナスタシアは思考が停止して身動きできない。
「そんな可愛いこと言われたら……理性が……俺を煽ってどうするつもり……?」
耳元で熱っぽく囁かれ、アナスタシアはびくりと身をすくませる。
ブラントの指がアナスタシアの顎を持ち上げ、紫色の瞳と視線が合う。
目を見開くアナスタシアに、ブラントの整った顔が近づいてきて、アナスタシアは思わずぎゅっと目を閉じた。






