89.自分本位な姉妹
「お姉さま……いや、この魔女が! お前がお母さまを殺したんだ!」
まるで幽鬼のように現れたジェイミーは、甲高い声で叫ぶ。
「お母さまが魔族と通じていたなど、何かの間違いに決まっている! いや、お前の陰謀に違いない! お母さまが呪いなんてかけるわけがない! お前が、私の美しさを奪ったんだ! 私の美しさを返せ! 不細工なでくのぼうが!」
やつれた顔を憎悪に歪め、ジェイミーはアナスタシアを睨みつける。
そして、短剣を取り出して両手で握りしめた。
メレディスや侍女たちが息をのむ気配がするのを、アナスタシアはジェイミーを見据えたまま感じ取った。
「殺してやる……そうすれば、呪いが解けて私の美しさが戻るはず……こんなの、私じゃない……私はもっと美しいはず……」
焦点の定まらない目でぶつぶつ呟きながら、ジェイミーは短剣を握ったまま、アナスタシアに近づいてくる。
メレディスの護衛たちが武器を構えようとするのを制し、アナスタシアは一人でジェイミーに向かって歩いていった。
後ろでは、ブラントが術式を構成する気配がした。だが、いざという時のための備えのようで、即座に発動させるつもりではないようだ。
「私には、あなたたちが奪ったものが返ってきただけのこと。元から、あなたのものではなかったのよ」
アナスタシアの口から冷淡な声が出る。
どうしてもジェイミーに対しては、これまで比べられて貶められてきたことや、前回の人生の終わりで全てを奪われたことから、温かみのある感情は抱けない。
それに、ジェイミーの美しさが失われたとはいっても、以前ほどの輝くような美貌ではなくなったというだけで、一般的な基準からいえば十分に美少女といえるだろう。
これまで不器量、不細工と言われ続けてきたアナスタシアにとっては、贅沢を言うなと腹立たしいくらいだ。
「違う……お前のものは、全部私のものになるはずなんだ! お前は私の踏み台でしかないのに、どうして王女のふりをして立っているんだ!」
まったく聞き入れる素振りを見せず、ジェイミーは地団駄を踏む。
その内容には、アナスタシアも呆れて言葉が出なくなってしまう。
「いいから、死ね!」
ジェイミーが短剣をアナスタシアに向け、突き刺そうとする。
だが、戦いを知らないジェイミーの動きなど、アナスタシアにとっては脅威でも何でもない。
とはいえ、突然魔物に変容して襲いかかってくるという例もあったので、油断はせずにしっかりと見極める。
「……やり返される覚悟もないくせに」
ため息を漏らしながら、アナスタシアはジェイミーの腕に手刀を叩き込み、短剣を弾き飛ばす。
短剣を失って呆然とするジェイミーの頬に向けて、アナスタシアは平手を放った。
パシン、と乾いた音が響く。
「なっ……何するのよ! お母さまにだって叩かれたことなんてないのに!」
打たれた頬を手で押さえながら、ジェイミーは喚く。
「……人を殺そうとしておいてその態度、甘ったれるのもいい加減にしなさい」
呆れ返るアナスタシアだが、ジェイミーは恥じることもなく、睨みつけてくるだけだ。
かなり手加減していたので、まともなダメージはないだろう。
もっと吹き飛ぶくらいに強く打ってやればよかったかと、アナスタシアは少し後悔する。
「甘ったれてなんかいないわよ! 私は当然のことを言ってるだけなのに! どうしてどいつもこいつも、私の思い通りにならないのよ……!」
その場にぺたりと座り込み、ジェイミーは涙ぐみながら拳を地面に叩き付ける。
まったく反省の色が窺えないどころか、どうやらブラントに薬を盛っても思い通りにならなかったことすら受け入れていないのかと、アナスタシアは苛立つ。
「……あなたは、あのヘクターとかいう騎士と仲良くしていればいいのよ。そうしておとなしくしていなさい」
ジェイミーのお気に入りだという騎士ヘクターは、とてもジェイミーとお似合いだった。
二人だけの世界を作って、いくらでも三文芝居を繰り広げていればよいのだ。
「あの恩知らず、あれから顔を見せないわよ! せっかく目をかけてやったのに! やっぱりあの占い師の薬なんて、ろくなもんじゃないんだわ!」
激昂するジェイミーの言葉に、アナスタシアは心底引いた。
どうやらヘクターにも惚れ薬を使っていたらしい。
そういえば、ブラントが以前惚れ薬を盛られたときは、ちょっとした衝撃で元に戻ったという。
ヘクターは魔力抵抗力があまりないようだったが、もしかしたらブラントとの手合わせで頭を打った際、惚れ薬の効力が切れたのかもしれない。
「……凄いわね」
まともな感想が出てこなくて、アナスタシアは引きつった笑みが浮かび上がってくる。
ここまで自分本位に突っ走ることができるのは、一種の才能ではないだろうかとすら思えた。
「どうやらジェイミーは母を亡くし、錯乱している様子だ。療養が必要なようだな」
国王メレディスが眉間に皺を寄せながら、口を開いた。
「お父さま! お父さまなら、わかってくれますよね! 私が、そこの魔女に……」
「黙るがよい、ジェイミー。そなたは姉に凶器を向け、殺そうとしたのだ。今、この場で処罰されても文句は言えぬ行いであることを自覚せよ」
「そんな……! 私は悪くありません! 悪いのは、そこの魔女です!」
「……本格的に、治療が必要そうだな。自らの行いを自覚し、反省するまで二度と外には出さぬ。そもそも、今は謹慎中であろうが。それを抜け出しおって……連れて行け」
メレディスも呆れた様子で、護衛に命じる。
泣き喚きながら、ジェイミーは連れて行かれた。
「アナスタシア、すまぬな。そなたにばかり我慢を強いることになる……」
メレディスはこの短時間ですっかりやつれてしまったようだ。
これはアナスタシアに、自分を殺そうとした相手を見逃してくれと言っているのだろう。
アナスタシアもジェイミーも、メレディスにとっては娘なのだ。
もっとも、いくらアナスタシアにとってジェイミーは妹とも思えない、敵と認識しているような相手だとはいえ、血が繋がっているのは間違いない。
元から、それほど大事にするつもりはなかった。
「私は構いません。ただ……あれは矯正しないといけないと思います……本人のためにも……」
あれほど自分本位であれば、他人からまともに扱われることは難しいだろう。
寄ってくるのは、上辺だけのおべっかを使う、甘い汁を吸いたい連中しかいないのではないだろうか。
「わかっておる。ああも我がままになってしまったのは、私の責任でもあるだろう……。もし二回目があれば……そのときは、父としてではなく、国王としての決断を下そう」
静かに語るメレディスの言葉に、アナスタシアは驚いて目を見張る。
つまり、再びアナスタシアに危害を加えようとすれば、ジェイミーを切り捨てるということだ。
国王としては、アナスタシアをジェイミーよりも重んじているということでもある。
メレディスの態度はいつもと同じく堂々としていたが、その表情には陰りが見える。
アナスタシアはジェイミーの更生を、父のためにも、ジェイミー本人のためにも、そして自分のためにも願う。
それは、ジェイミーがいなくなれば誰が王位を継ぐのだという、とても自分本位な考えからだ。
結局、己も自分本位なジェイミーの姉なのだと、アナスタシアは苦笑を浮かべた。






