85.魔王、動く
魔王エリシオンの翼が銀色だったことに、アナスタシアは呆然とする。
これまで見たことはなかったが、魔王というくらいだから黒色だと疑っていなかったのだ。
今までの話でも、魔王とは前回の人生で思っていたような、魔物をけしかける人間の敵というわけではないようだった。
築かれてきた価値観が崩れていくのを、アナスタシアは感じる。
「ブラント先輩……魔族というよりは、むしろ人間の言い方だと天人ですよ。だから、大丈夫です」
「う、うん……」
自分でも何を言っているかわからなかったが、アナスタシアはブラントに血筋のことで悩むことはないと伝えたかった。
伝わったかは不明だが、ブラントは気後れしたように頷く。
「ところで、そなたたちは遊びに来たというわけでもないようだが、儂に何か頼みたいことでもあるのか? 遠慮なく申すがよい」
「ええと……実は……」
エリシオンから促され、ブラントはこれまでのことを語る。
両親の仇である魔族を倒したはよいが、その後も魔族と通じていたらしき人間が魔物と化したこと。
そして、セレスティア聖王国にも占い師として魔族が潜り込み、王妃が魔物と化してそのまま死んでしまったこと。
魔族の目的が不明で、また人間を魔物にしてしまうことへの対策もわからない。
もしかしたら魔王ならば何かを知っているかもしれないと思い、やってきたのだと説明する。
「そうか……まず、人間を魔物とする呪法はあるが、特殊な魔石を埋め込む必要がある。数が限られるので、そう簡単に行えるものではない。発動には術者が近くで起動する方法と、条件を設定しておく方法がある」
黙って話を聞いていたエリシオンは、ブラントが説明を終えると、早速教えてくれる。
「解除方法は、魔石を取り出すか、破壊してしまうことだ。ただ、人間の体では魔物化に長い時間耐えられず、崩れてしまうことになる。早めに解除せねば、死んでしまうだろう」
エリシオンの解説を聞いて、魔物と化した王妃デライラが死んでしまったのはそのためかと、アナスタシアは納得する。
「魔族の目的は、儂にもよくわからぬ。ずっと眠っていたが故に、最近の出来事については疎くてな……」
「それほど長い間眠っていたのですか?」
眉根を寄せるエリシオンに対し、ブラントは何気なくといったように問いかける。
すると、エリシオンの表情が苦悩に歪んだ。
「……以前、イリスティアが番いだと言って人間を連れてきてな。儂は人間などと反対したのだ。まあ、実際は人間だろうと魔族だろうと、とりあえずは反対した。人間というのは、単に理由として挙げやすかったからでしかない」
「はあ……」
突然始まったエリシオンの昔語りに、ブラントは気の抜けた相づちを打つ。
「娘が番いだと男を連れてきたら、まずは反対するものであろう。そして父として男と殴り合って、そこから認めていくのが様式美だ。だが、娘は儂が殴ったら死ぬだろうがと怒り狂って出ていった」
「ええ……」
知られざる両親と祖父の出来事に、ブラントは何と言ってよいかわからないようだ。
まずいものでも食べてしまったような顔をしている。
「儂はふて寝した。そして、今に至る」
エリシオンは堂々と言い切った。
ブラントは額に手をあてて俯き、アナスタシアは宙を見上げる。
少なくともブラントの年齢以上の年月を、眠っていたということか。もはや、ふて寝というレベルではない。
「何かあれば、寝ていても気づく。ヨザルードのダンジョンコアが砕けたのを知り、そろそろ起きるべきかと思っていたところだ。……まさか、そのようなことになっていたとは思わなかったが」
「……あの魔族のことを、知っているのですか?」
ヨザルードの名が出たことにより、ブラントが気を取り直して尋ねる。
「あやつも何だかんだで強力な魔族の一人だからな。それに……あやつはイリスティアに気があったはずだ。それが何故そうなったのか……最も惜しむらくは、儂の手であやつの翼を引きちぎって息の根を止めてやれなかったことか」
残念そうに呟くエリシオン。
穏やかに話しているが、内容はとても物騒だ。
「ただ……イリスティアの死に、儂は気づかなかった。隠蔽されていたのだろう。ヨザルードはそなたが止めを刺したそうだが、その後も動きがあるということは、何らかの目的を持って動いている連中がいるようだな」
エリシオンは大きなため息を漏らす。
腕を組んで考え込んでいるようだ。
「魔王の座に取って代わろうとしているのか……そのため魔王の因子を狙っているのか……よくわからぬな。ヨザルードに関連していそうな連中を捕まえて、とりあえず殴ってみるか。そのうち何か出てくるだろう」
「魔王が自ら動くのですか?」
思わずといったように、ブラントが口を開く。
アナスタシアもエリシオンの言葉に驚いていた。
とても協力的に色々教えてくれただけでも予想以上だったのに、魔族に関してエリシオン自ら動くとは思いもよらなかった。
しかし、学院対抗戦の時に戦った魔族が、魔王に何かを知られることにより、魔王に殺されてしまうような言い方をして怯えていたことを、アナスタシアは思い出す。
ダンジョンコアが砕けたことが要因のようなことも言っていたが、それはこういうことだったのだろう。
魔王はダンジョンコアが砕けると、それを感知できるらしい。
そして、あの時の魔族たちもブラントの母の死に関わっていた可能性が高い。
「魔王としてではなく、儂個人……エリシオンとしての私怨だな。娘を殺された父による報復だ。関わった奴は全員、翼を引きちぎってやる」
静かな怒りを燃やしながら、エリシオンは低く呟いた。
意識することなく発せられる威圧感は、やはり魔王だとアナスタシアは息をのむ。
だが、威厳を漂わせながら足を踏み出そうとしたエリシオンが、その場に崩れ落ちた。
いったい何事かとアナスタシアとブラントは焦り、もしやすでに何らかの攻撃を受けたのかと恐怖に襲われる。
「……空腹で、動けぬ」
ところが、エリシオンがか細い声を漏らす。
アナスタシアとブラントは無言で顔を見合わせた。
何も言わないまま、ブラントが無表情で懐の異次元袋から干し肉を取り出し、エリシオンに差し出す。
学院祭の個人対抗戦で得た優勝賞品だろう。
「……久しぶりに起きたので、色々とな……」
エリシオンは干し肉を受け取ると、かじりついた。
本当に大丈夫なのだろうかと、アナスタシアとブラントは不安に苛まれる。






