80.心当たり
魔物と化したデライラは、魔術で拘束したまま地下牢に運ばれた。
それまでにアナスタシアは意思の疎通を試みたが、無駄だった。
最初に呟いていた、殺すという言葉すら言わなくなってしまったのだ。
アナスタシアには恨みがあるだろうから、ブラントならばどうかと試してみたが、変わらなかった。
夫であるメレディスが話しかけても無反応で、完全に魔物となってしまったようだった。
魔力の流れを調べてみても、よくわからない。
ただの魔物にしては少し違和感があるような気もしたが、それが何かまでは突き止められなかった。
「……あの魔族を逃がしてしまったのは、痛かったな」
悔しそうにブラントが呟く。
アナスタシアも魔族が飛んでいくのは見たが、気づいたときにはすでに天窓を突き破ろうとしていたところだった。
魔術で攻撃するにしても、魔族は魔術阻害の檻を纏っていたため、最初にそれを壊す必要がある。最低でも二手が必要だった。
まして、魔術阻害の檻はブラントが作ったものだ。簡単に壊せるものではない。
結局、アナスタシアも打つ手がなくて逃がしてしまったのだ。
「邪魔をしたのはデライラのいとこに当たる近衛騎士でな……あの一族は外戚ということで調子に乗っていたのだ。あのような輩をのさばらせてしまった私の責任だ。申し訳ない」
メレディスは控え室にアナスタシアとブラントを連れて戻ると、口を開いた。
かなり疲労の色が濃く、顔色も悪かったが、謁見の間では最後まで取り乱すことなく国王らしい姿を見せていた。
今も、まだ緊張は解けていないようだ。
「あの近衛騎士は、魔族と通じていないかを調べた後に処分する。デライラの一族も色々と不正の証拠があがっているから、この際一気に処分するつもりだ。後はデライラから話を聞くことができればよいのだが……」
そう呟いて、メレディスはため息を漏らす。
「魔族だった占い師については、何かわかっていないのですか?」
「本人は小国出身の占い師だと言っていたらしい。デライラのサロンで占いを披露することはあったようだが、ごく普通の恋占いが主だったという。怪しい薬を作ることもあったと聞くが、よくいる胡散臭い占い師という評判しかない」
アナスタシアが尋ねると、メレディスは淡々と答えた。
どうやら、目に見えるような怪しい動きはしていなかったようだ。
貴族女性が占い師を抱えることは珍しいことでもないため、周囲も何も思わなかったのだろう。
デライラがいつから手駒となっていたのかも、わからない。
「これまで、魔術への対策がおろそかになっていたのも、魔族がこれほど長く潜り込むことを許した要因だろう。……もっとも、それもデライラを通じて魔族がそうするよう仕向けていたのだろうが」
デライラが宮廷魔術師を冷遇していたのは、魔術への対策をさせないためだったのだろう。
アナスタシアやメレディスにかけた呪いの件だけではなく、魔族が暗躍しやすい環境を作り出していたと思われる。
「……そなたたちも今日は疲れただろう。戻って休むがよい。また、話そう」
ぐったりとした様子のメレディスに促され、アナスタシアとブラントは退出する。
瑠璃宮に戻り、楽な服装に着替えると二人は談話室で話す。
「セレスティア聖王国としては、魔族の影響下から抜け出して、いちおうはめでたしというところなんでしょうか」
「そうだね。魔物化した王妃のような問題はあるにせよ、国としては良い方向に進んだことになるんじゃないかな。ただ、一時的なものになる可能性はあるけれど」
「そうなんですよね……魔族は逃げただけで、戻ってくるかもしれませんし。そもそも、何が目的だったかもわかっていません。国を思い通りに操りたかったとしても、何故そうする必要があったのか……」
「逃げた魔族は、誰かに言われてやってきたようなことを言っていたんだよね。ということは、背後にはさらに何かがいるんだろう。でも、それが何かはわからないんだよね……」
話しながら、重苦しい雰囲気が漂う。
先日のお茶会からずっと魔族のことばかりで、結婚の条件であるマルガリテスについてはろくに手を付けられていない。
資料を読んだだけで、壊れた魔道具は調べる余裕もなくそのままだ。
マルガリテスの湖には神の龍が眠るという伝承があり、龍の飴細工が名産品だったという記述を見て、甘いものを食べたくなったことが一番印象に残っているあたり、疲れているらしい。
早くマルガリテスの件に移りたいのだが、魔族のことを放っておくわけにはいかないだろう。
しかし、デライラは会話ができる状態ではなく、これから調べるにせよ、期待できるかどうかわからない。
逃げた魔族の行き先も見当はつかず、魔族に関連した場所などダンジョンくらいしか思い当たる場所はない。
もはや打つ手なしといえる状態だ。
「……ひとつだけ、方法があるかもしれません」
あることを思いつき、アナスタシアはぼそりと呟く。
浮かない顔をしていたブラントが、はっとしたようにアナスタシアを見つめる。
アナスタシアは念のために、そっと【聴覚阻害】を周辺に張り巡らせておく。
もし隣の部屋で侍女たちが聞き耳を立てていた場合に備えたのだ。
魔族に詳しく、魔物化についても知っていそうな相手に、アナスタシアは一人だけ心当たりがある。
今回の人生で面識はなく、前回の人生でも最悪の関係だった相手だ。
危険性を孕んではいるが、もしアナスタシアの予想が正しければ、直ちに敵対することはないだろう。
「魔王に、会いに行きましょう」






