75.魔族の影
アナスタシアとブラントは、王女宮からまっすぐ王城に向かった。
国王への面会を申し出ると、すぐに執務室に通された。
もしアナスタシアが来るようなことがあれば通せと、国王から命令が出ていたらしい。
「何かあったのか?」
国王メレディスはペンを走らせていた手を止めると、わずかに眉根を寄せて問いかけてくる。
「実は……」
アナスタシアは、先ほどジェイミーのお茶会で会った、王妃お抱えの占い師のことを話す。
先日の学院対抗戦のときに現れた魔族との関わりがあるらしいこと、また占い師本人も魔族である可能性が高いこと、そして逃げられたことを説明する。
「……そうか。そなたに呪いをかけたのがその占い師であることは、証言が出ている。だが、魔族とは思わなかった。随分と昔から魔族が入り込んでいたようだな」
眉間に皺を刻みながら、メレディスは大きなため息をつく。
「私も呪いの影響下にあり、デライラの思い通りに動かされてきたようだが、裏には魔族がいたということか。頭が痛くなってくるな……」
あまりにもあっさりアナスタシアの言葉を受け入れているメレディスを見て、アナスタシアは目を見張る。
いちおう報告しておこうとは思ったが、それは本当かなどと疑問を持たれることを想定していたのだ。
「……どうかしたのか? まだ何かあるのか?」
アナスタシアが不思議そうにしていることに気づいたらしく、メレディスが問いかけてくる。
「いえ……こう言っては何ですが……私の言葉を信じてもらえたことが……」
「……そうだな。そなたが見てきた私は、デライラの言いなりになっていたようなものだろう。これまでの仕打ちに関しては、申し開きのしようもない。だが、今はそなたがそのような嘘を言う必要などないとわかっている」
本音をアナスタシアが漏らすと、メレディスは苦笑しながら答えた。
「デライラからは、王妃の位を剥奪する」
きっぱりとメレディスは言い切る。
その言葉に、アナスタシアは驚いて絶句してしまう。
「そなたに呪いをかけ、私にも影響を及ぼしていたことは、重罪だ。それも魔族と通じていたとなれば……洗いざらい吐かせた後、処刑となるだろうな」
苦悩の滲む顔で、メレディスは呟く。
アナスタシアにとっては何一つ良い印象がない王妃だが、メレディスにとっては連れ添った妻ということになるのだ。
いくら許されぬ行為をしていたとわかっても、気持ちはそう簡単に割り切れないだろう。
「占い師は、もう少し泳がせておこうとしたのが仇となったな。だが、魔族だったのならば、たとえ投獄したところで逃げられていたかもしれぬ。……報告、ご苦労だった。今日は時間がないが、また共に茶を飲もう」
それが区切りとなり、メレディスとの面会は終了した。
翌日に謁見の儀を控えて忙しかったようだが、メレディスは時間を取ってアナスタシアの話に耳を傾けたのだ。
メレディスなりに、アナスタシアとの関係を改善しようとしているようだった。
メレディスの執務室を去り、アナスタシアとブラントは瑠璃宮に戻ってきた。
談話室でお茶を飲みながら、一息つく。
「……お茶会で手合わせに魔族にと、いろいろあったね」
しみじみとブラントが呟く。
「本当ですね……そうだ、ブラント先輩。体は大丈夫ですか? ジェイミーに盛られた薬が……」
「ん? ああ、あの惚れ薬か。大丈夫だよ。もう完全に効果が切れているし」
「効果があったんですか?」
思わず、アナスタシアは問いかける。
薬入りのお茶を飲んだ後も、ジェイミーに対するブラントの態度は素っ気なく、何らかの効果があるようには見えなかった。
「かなり強力だったからね。惚れ薬は今までに何回か盛られたことがあるけれど、一番きつかった」
「……何回も盛られたことがあるんですか」
つい引きつった笑みが浮かんでしまう。
だが、納得もできてしまうのが恐ろしい。
「相手のことがとても魅力的な気がしてくるんだよね。でも、アナスタシアさんが側にいたから、やっぱり気のせいだって、すぐ正気に戻ったよ。アナスタシアさんのほうがずっと魅力的だからね」
にこやかにブラントが語るのを聞いて、アナスタシアは戸惑う。
どうしてもこういうことを言われるのは慣れず、アナスタシアは何と答えてよいものかわからない。
「……前に盛られたときは、どうだったんですか?」
そこでアナスタシアは違うことを質問した。
照れ隠しではあるが、以前はどうなったのか気になっているのも事実だ。
「物音がしたとか、何か当たったとか、ちょっとした衝撃で元に戻ったよ。薬の効力もそんなに強くなかったし、薬で一瞬だけ魅力的なように思えても、本当にそう思っているわけじゃないからすぐに切れるみたい」
「そうなんですか……」
ブラントの答えを聞きながら、アナスタシアはほっとしていた。
おそらくアナスタシアと出会う前のことだろうし、過去のことには過ぎないのだが、それでも惚れ薬を盛られたという話は、気分のよいものではなかったのだ。
「気になるのは、俺に惚れ薬を盛ったのも、背後に魔族がいるのかってことかな。あの占い師の魔族は想定外だったみたいだけれど、魔王がどうのって……」
「きっとそれは、ジェイミーの独断じゃないかとは思いますが……ブラント先輩のような美形が私と一緒にいるのが気に入らなくて、奪ってやろうという」
「ええ……何ていうか……凄いね……」
言葉を濁しながら、ブラントは苦笑する。
だが否定しないあたり、ブラントもジェイミーの性格の一端に触れて納得しているのだろう。
「それと……多分ですけれど、魔王はこういった動きに関わっていないような気がするんですよね。学院対抗戦のときの魔族も、魔王に何かを知られることを恐れていたようでしたし」
「うーん……それじゃあ、魔族にも色々と派閥があるっていうことなのかな。もう、よくわからないな」
そこで魔族についての話は終わりとなった。
今の段階では、わかることが少ない。
王妃から話を聞き出すことができれば、何かわかるだろうか。
だが、王妃がそう簡単に口を割るのだろうかと、アナスタシアは不安を覚える。
これまで散々アナスタシアを貶めてきた王妃が、とうとう失脚するのだ。
感慨深くはあったが、それよりも消えない胸騒ぎが、アナスタシアの心に影を落としていた。






