69.王妃の陰謀
魔術学院に入学して少し経った頃、アナスタシアはレジーナから髪型や姿勢についてのアドバイスを受けたことがあった。
そのとき、何かが砕ける音が響くのを感じことを思い出す。
これまで被せられていた仮面を取り払ったかのようで、何か魔術を使ったのだろうかとさえ思ったものだ。
もしそれが、魔術を使ったのではなく、それまでに使われていた何かが解けたのだとしたら──
「その顔では、思い当たることがあるようだな。まだ詳細はつかめていないが、デライラがそなたに呪いをかけたことはわかっている」
アナスタシアの様子を眺めて、メレディスが口を開く。
「私も呪いについて調べてみた。魔術の一種である以上、魔力抵抗力の高い者には効果が及びにくいようだ。……ブラントくんはアナスタシアを初めて見たとき、不器量だと思ったかね?」
「いえ、とても綺麗だと思いました」
「……やはりそうか。デライラがアナスタシアを魔術学院に行かせたがらなかったのは、こういったことを恐れたのだろうな」
即答するブラントの返事を聞き、メレディスが長い息を吐く。
「呪いとは、魔術そのものだけでかけるものではない。普段から浴びせる言葉も、十分に呪いとなる。デライラはそなたに劣等感を抱かせ、呪いの効果を増強していたのだろう。だから、手元から離れること、まして魔力抵抗力の高い者が多そうな魔術学院など、もってのほかだったというわけだ。だから、何も出来ないように余分なものを一切持たせずに送り出したのだろう」
あまりにも心当たりのある内容だった。
王妃デライラは、事あるごとにアナスタシアを貶めてきた。
かつて過ごしていた小宮殿の侍女たちも、デライラの息のかかった者たちばかりだったのだろう。
そしてブラントは、魔力抵抗力が異常なほど高い。
これまでアナスタシアが精神支配の影響を受けたときでも、ブラントは一切何もないようだった。
「だが、何らかのきっかけで呪いと逆の行動をしたのではないか。その際、そなたの力が呪いを上回ったのだろう」
これも、アナスタシアには思い当たることがある。
今回の人生では好きなように生きようと思いつつ、言いなりだった前回の人生に引きずられていたと気づいたとき、前を向こうと決意した。
その際、気合いを入れるために力を込めたが、その力の込め方は魔を打ち払うときのものと同じだったはずだ。
「おそらく、呪いでそなたの美しさをジェイミーに移し替えていたのだろう。不器量に見せ、何となく不快感を抱かせていたものと思われる。私がそなたを遠ざけるように」
そう言いながら、メレディスは目を伏せる。
苦悩が眉間の皺となって刻まれていた。
「……私はこれまで、そなたにとって父とも呼べぬ、ろくでもない屑だったという自覚はある。それは呪いのせいではあるが、その呪いがかかる土台となったのは、そなたの母がジグヴァルド帝国の皇女だったことだろう」
ろくでもない屑だったという自覚はあるのかと、アナスタシアはメレディスの言葉に驚いていた。
そしてやはり、アナスタシアの母がジグヴァルド帝国の皇女だったことは、メレディスにとって大きな問題らしい。
幼い頃にジグヴァルド帝国から襲撃を受けたというのだから、それが心の傷になっていることは間違いないだろう。
「セレスティア聖王国の始祖は天人と勇者だ。その血を守るため、初期は近親婚を繰り返していたという。やがてそれはなくなったが、それでも国内から王家の血を引く妃を娶っていた。他国の血を引く直系王族は、そなたが初めてだ。……だが、そのそなたに天人の血が色濃く出るとはな」
沈んだ表情で、メレディスは語る。
アナスタシアが冷遇されてきたのは、呪いのためだけではなく、他国の血を引いていることにもあるようだった。
「帝国が無理やり送り込んできた妃が、そなたの母だ。若くして即位した私は、受け入れるしかなかった。だが、この宮廷に彼女の味方などいなかった。皇女といっても成り上がりの娘にすぎぬと、口には出さずとも、冷ややかな目で見られていたものだ」
ますます眉間の皺を深くしながら、メレディスは続ける。
父の口から母のことを聞くのは初めてのことで、アナスタシアは唇を引き結んでじっと聞く。
「私も、王妃としての品位を保てるよう、物はふんだんに与えたが、心は冷えたままだった。それでも彼女はいつも凛として、前を向いていたことを覚えている。……そなたによく似た、美しい姫だった」
アナスタシアが生まれて間もなく母は亡くなったため、母に関する記憶はない。
ジグヴァルド帝国の皇女であり、ファティマという名だったこと以外は、何も知らないといってもよいくらいだ。
肖像画すら見たことはなく、今語られていることは、全て初耳だ。
「あの頃は私もまだ若く、今以上に愚かだった。見知らぬ者ばかりの、いわば敵地に放り込まれた若い姫の心細さなど、おもんぱかることはできなかった。そして、あまりにも若くして彼女は天に召されてしまった」
ため息を漏らし、メレディスは天を仰ぐ。
「……半年ほど前から、よくこのようなことを思うようになった。そなたにとっては、これまでろくに顧みることもなかったくせに今さらであろうが、償いをしたい。称号を与え、正統な第一王女として遇しよう」
メレディスはそう言ってきたが、アナスタシアは何と言ってよいものかわからない。
そもそも、呪いのこともまだ頭の中で整理が付いていないのだ。
もしかしたら前回の人生でパーティーメンバーに冷遇されていたことすら、呪いの影響かもしれない。
メレディスの言い分といい、これまでの人生を覆すような話の連続で、理解が追いつかずにいる。
「そなたにとっては、結婚を認めてやるのが一番よいのだろうな。だが、やはり王族の建前として功績が必要だ。マルガリテスを取り戻せば、そこを領地として爵位を与えよう。そうすれば表立って異を唱えられる者はいなくなる。期限は設けない。その間、そなたへの婚約の申し出があったとしても、断り続けよう」
そして、メレディスの話は元の結婚の条件に戻る。
まだアナスタシアは心の整理ができていない状態だが、やはりアナスタシアとブラントを利用しようとしているという思いは消えない。
だが、おそらくは償いたいという気持ちも嘘ではないのだろう。
父としてはともかく、国王としては精一杯の譲歩であるようにも思えた。






