65.帰国
セレスティア聖王国から、迎えの馬車がやってきた。
翼と剣をモチーフとした王家の紋章が刻まれた馬車で、とても座り心地の良い座席に、ゆったりと過ごせる内装の馬車だった。地面からの振動も伝わりにくく、とても快適だ。
アナスタシアが学院に入学するときは、身分を知られぬためだといって、ごく普通の馬車でやってきたものだが、扱いが随分と変わったようだ。
アナスタシアとブラントは馬車に揺られ、道中何の問題もなく、セレスティア聖王国に着いた。
首都ジュードを進み、市街地を抜けて王城地区に入る。
かつてアナスタシアが暮らしていたのは、王城地区のはずれにある古びた小宮殿だった。
廃宮とも影口を叩かれる場所で、ろくに手入れもされていなかった。
だが、馬車はそこではない場所に向かっているようだ。
やがて王城にたどり着くと、馬車は止まった。
アナスタシアが馬車から降りると、侍従や侍女たちが彼女を出迎える。
「お帰りなさいませ、アナスタシア王女殿下」
これまで受けたことのない扱いを受け、アナスタシアは戸惑う。
侍従や侍女たちの中に、見知った顔はなかった。小宮殿に勤めていた者はいないようだ。
案内され、アナスタシアはブラントと共に王城の中に進んでいく。
「お姉さまがお帰りになったのですって? 相変わらず、辛気臭い枯れ木のような……」
そこに、久しぶりに聞く妹ジェイミーの声が響いた。
だが、いつものようにアナスタシアを貶めるような言葉を吐きかけたところで、固まってしまう。
今のアナスタシアは、国にいたときのようにボサボサの髪で顔を覆い、ひょろ長い背を隠すためにみっともなく猫背になっていた姿ではない。
かつて顔を覆っていた前髪は編み込んで流し、すっきりと顔を晒している。
背筋を伸ばして歩く姿は颯爽としていて、目を引く。
ジェイミーが知っているアナスタシアの姿からは、かけ離れていたのだ。
「……誰? まさか……お姉さま……? 本当に……?」
あっけにとられたようにアナスタシアの顔を眺めてから、ジェイミーは眉間に皺を寄せる。
「ジェイミー、何か用でも?」
アナスタシアの記憶では、最後にジェイミーと会ったのは、前回の人生の死に際だった。
全てを奪い取られ、苦痛の中で息絶えていったときの絶望が脳裏に蘇り、アナスタシアの口からはひどく冷たい声が出る。
「い……いえ、お姉さまがお帰りになったというので……」
怯みながら、ジェイミーはぼそぼそと呟く。
本当は、以前のようにアナスタシアを悪口を浴びせて、はけ口にしようとやって来たのだろう。
しかし、国にいた頃のアナスタシアとは変わっていて、何も言えなくなってしまったのだ。
「ま……まあ、なんて美しい方……そちらの方は……」
だが、ジェイミーはすぐに切り替えてブラントに視線を向ける。
その逞しさに、アナスタシアは呆れつつ、感心する。この強さはアナスタシアも見習うべきかもしれない。
そして次の瞬間、前回の人生で恋人だと思っていた相手をジェイミーに奪われたことを思い出し、背筋が冷たくなる。
だが、ブラントは冷淡な視線を一瞬ジェイミーに向けただけで、表情を動かさなかった。
アナスタシアはふと、以前レジーナが言っていた、ブラントが冷淡だという評判のことが頭に浮かんできた。
そのときはしっくりこなかったものだが、どうでもよい相手に対しては評判どおりだと言われ、そういうものかと流したのだ。
今の姿を見ていると、アナスタシアにもその評判が実感できるようだった。
ほっとしながら、同時に優越感が心を満たして行き、アナスタシアは苦笑しそうになってしまう。
「学院の先輩です。特に用事もないようですので、私は行きますね」
アナスタシアは素っ気なく言い放つと、第二王女の登場で待っていた案内役に目配せする。
そして、ジェイミーを置いて立ち去っていった。
ジェイミーはそれ以上何も言えずに見送るだけだったが、アナスタシアは違和感を覚える。
確か、以前のジェイミーはもっと輝くような美少女だったはずだ。国一番の美少女だともてはやされていたくらいだった。
しかし、その輝きが消えたような気がする。
顔立ちそのものに変化はなかったはずだが、それでも以前よりも何かが欠けているような気がしてならない。
「……まさか、そんな……」
さらに進んで行くと、廊下の先で王妃がアナスタシアを見て、愕然としていた。
王妃はセレスティア貴族の出で、元は国王の愛妾だった。ジェイミーを産み、アナスタシアの母が亡くなった後に王妃となっている。
いつもアナスタシアのことを貶めるばかりで、良い記憶は一切ない。
それでもいちおうは挨拶をするべきだろうかと迷っていると、王妃はアナスタシアに何か言うことなく、逃げるように立ち去っていった。
そしてとうとう、アナスタシアたちは国王の執務室に到着した。
緊張しながら中に入ると、そこにはセレスティア国王メレディスの姿があった。
まったく親しみを感じない、アナスタシアの父である。
年齢はまだ三十代前半で、書類にペンを走らせる所作にも壮健さが窺えた。
メレディスはアナスタシアの姿を見ると、驚愕に目を見開いた後、何かに納得するかのように深い息を吐く。
「久しいな、アナスタシア。よくぞ帰ってきた。元気そうで安心した」
「……陛下もお変わりなく」
にこやかに声をかけられ、アナスタシアは頭を下げる。
その他人行儀な物言いにメレディスは苦笑したが、特に何も言うことはなかった。
「そちらが魔術学院三年首席のブラントくんか。よく来てくれた、歓迎する」
続いて、メレディスはブラントにも声をかける。
当然と言えば当然だが、やはり親密な友人とはブラントのことを指していて、名前もすでに知っているのだなと、アナスタシアはぼんやり考える。
落ち着き払った様子で、ブラントも頭を下げていた。
「積もる話はあるが、まだ帰ってきたばかりで疲れているだろう。瑠璃宮を使えるようにしておいたので、そこで休むがよい。明日、茶を共にしよう」
威厳を滲ませた声でメレディスがそう言い、面会は終了となった。
やや拍子抜けではあったが、明日別に時間を取るということは、じっくりと腰を据えて話すことがあるということだろう。
アナスタシアは少し挨拶しただけだというのに、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら、部屋を出て行った。






