60.豚の親玉
「……アナスタシアさん、いつから知って……いや、というか……俺、魔王の血を引いているの? 母さんが魔族なのは、何となく気づいたけれど……ええ……魔王……?」
混乱した状態で、ブラントが口を開く。
さすがに魔王の血を引いているというのは予想外だったらしく、頭を抱えている。
「前に吸血の塔で、魔王の因子がどうとか言っていたので……それと、王子さまって呼んでいたのとか、色々と……」
アナスタシアは、いざという時のために用意しておいた言い訳を並べる。
本当は魔王を直接見たことがあり、似ていたからだというのが一番の理由だったが、それは言えない。
「それ、告白する前じゃないか……ああ、もしかして告白した時に泣いたのって、これのせい?」
「いえ、違います。魔王の血については結構どうでもよかったですし……」
最初は魔王の血を引いていることに驚き、どうしたものかと思ったが、結局は棚上げしたままどうでもよくなった。
アナスタシアにとっては、それよりもブラントがフォスター研究員であり、いずれ命を落とす運命を背負っていたことのほうが重要だったのだ。
「どうでもよかったって……いや、結構重大なことだと思うよ」
「私も生まれはちょっと特殊な事情がありましたし、お相子かなと」
「実は王女でしたっていうのは、悪いことでも恥でも何でもないだろう。実は魔王の血を引いていました、とは違うよ」
「魔王なんてある意味、どこの王家よりも古い歴史がありますよ。最も高貴な血といっても過言じゃないと思います」
どうにかブラントの心を軽くできないだろうかと、アナスタシアは色々と並べ立てる。
「いや……えっと……うん、考えがまとまらない」
苦笑して、ブラントは話を打ち切った。
その途端、これまで何も聞こえてこなかった外部の音が響き出した。
「すげえ……本当に魔族を倒したぞ……」
「信じられない……まだ学生なのに……」
客席にちらほらと残っていた人々が呟く声が聞こえてくる。
おそらく、魔族が舞台と外部とを遮断した効果が切れたのだろう。
そこに、会場の外から戦いの音らしきものが聞こえてきて、アナスタシアとブラントははっとして、顔を見合わせる。
戦いは、まだ終わっていないのだ。
「ブラント先輩、魔力はまだ残っていますか?」
アナスタシアはブラントに治癒魔術をかけて傷を塞ぐと、問いかける。
「あと少しだけれど、いくらかは戦えるよ。行こう」
そう答えると、ブラントは舞台袖に視線を向けた。
これまで塞がっていたそこは、元通りになっている。
アナスタシアとブラントは、外に出るために駆け出す。
「……アナスタシアさん、ありがとう」
そう言ったブラントの顔は、少し迷いが晴れたようで穏やかだった。
外に出ると、すでに戦いはあらかた決着していた。
あちこちに魔物の死骸が転がり、建物も焼け焦げていたり欠けていたりと、戦いの爪跡が窺える。
魔物の数も多かったようだが、対抗できる戦力も多かったため、無事に勝利で終わりそうだ。
「竜を仕留めたぞ!」
離れた場所から歓声があがる。
どうやら、魔物の最大戦力だった竜も倒せたらしい。
「これは、もう出番もないかな」
ブラントの呟きに、アナスタシアも同意する。
さすがに上級ハンターや宮廷魔術師がいただけあって、強い魔物も仕留められたようだ。
あとは討ち漏らしの確認や負傷者の治療、復旧作業といった、戦いが終わった後の処理に入っていくだろう。
「ステイシィ! それにブラント先輩も……ご無事でしたのね……!」
そこに、息を切らせてレジーナがやってきた。
彼女も戦ったのか、服の裾が少し破れていた。だが、ぱっと見たところでは負傷している様子はなくて、アナスタシアはほっとする。
「レナ! 大丈夫だった?」
「ええ、わたくしは大丈夫ですわ。ただ……」
「おい! 豚の親玉と、威張りくさった皇子はどこ行った!」
レジーナが言いかけたところで、ホイルの怒鳴り声が響く。
彼も息を切らせて何かを探しながら、駆け込んでくる。
「あの皇子が近くにいたのですけれど、ディッカー伯爵……でしたかしら。とにかくその豚を見つけた途端に、その場の魔物を放り出して、追いかけていってしまいましたのよ」
「そのせいで、そこの魔物たちは俺とこいつで全部倒す羽目になったんだよ! お付きの連中も全員追いかけていきやがって……あの野郎……!」
レジーナの説明に、ホイルが憤りを添える。
アナスタシアは、学院主催の対抗戦に出場登録をしに行ったとき、モルヒを老けさせたような姿が、受付の様子を窺っていたことを思い出す。
もしかしてディッカー伯爵だろうかと思いはしたものの、深く考えることなく、すぐに他の物事に気を取られて忘れてしまった。
アナスタシアは、嫌な予感を覚える。
「一言言ってやらねえと気がすまねえ! こっちの方向に走っていったはずなんだ!」
「俺たちも今来たばかりだからなあ……ここまでで見かけなかったとなると、こっちかな」
ブラントが指した道の先で、ちょうど叫び声が響いた。
四人は頷き合うと、その道を進んでいく。
曲がり角の先に、やがて突き当りとなった場所があった。
そして、壁際に追い詰められたディッカー伯爵らしき姿と、対峙するエドヴィンやそのお付きらしき数名の姿が見える。その中には、イゾルフの姿もあった。
「いい加減、観念しろ! 逆賊め!」
「うるさい! これが見えんのか! さっさとどけ!」
エドヴィンに追い詰められ、叫ぶディッカー伯爵の腕には、小さな子供が抱えられていた。
学生の家族が遊びに来たのか、それとも業者の家族か。学院祭の時期には子供の姿も多くなる。その中の一人を人質にしたようだ。
ナイフを突きつけられた子供は恐怖のあまり、まともに言葉も出てこないようで、涙をぼろぼろとこぼすだけだった。
「……ここで逃がすわけにはいきません。あの子供には気の毒ですが……家族に十分な賠償を用意して……」
お付きの一人が進言するのを手で制し、エドヴィンはディッカー伯爵と向き合うと、手に持っていた剣を投げ捨てた。
「お前たち、手出しするな。さあ、通るがよい」
エドヴィンは指示を出すと、ディッカー伯爵に道を譲る。
子供にナイフをぴったりと添えたまま、ディッカー伯爵はおそるおそるエドヴィンの前を通っていく。
そのとき、エドヴィンが素手でナイフにつかみかかった。
血しぶきが飛ぶが、エドヴィンは怯むことなくディッカー伯爵に体当たりして押し倒す。
「確保しました!」
まるで打ち合わせていたかのように、イゾルフが倒れ行くディッカー伯爵から素早く子供を奪い取って叫ぶ。
ディッカー伯爵が持っていたナイフもエドヴィンが奪い取り、放り投げた。地面にカランカランとナイフが転がっていき、これでディッカー伯爵の武器はなくなったことになる。
後は武人であるエドヴィンと、肥え太った豚貴族のディッカー伯爵では、勝負にすらならないだろう。
お付きの者たちの間にも、安心した空気が広がっていく。
「……え」
だが、そのときディッカー伯爵が赤黒い体毛を持つ、猿のような魔物に変容した。
そして、その腕がエドヴィンの胸を貫いたのだ。






