53.皇子の計画
ジグヴァルド帝国第三皇子エドヴィンは、貴賓席にて学院主催の対抗戦が始まるのを待っていた。
「一対戦目から、あの生意気な小僧か。首席などといっているが、どうせあの顔で祭り上げられただけだろう。見る価値などあるとは思えぬな」
対戦表を眺めながら、エドヴィンはつまらなさそうに嘲る。
「いえ……殿下、あの三年首席は本当に強いですよ。私も一日目の対抗戦で、格闘戦になりましたが負けましたし」
エドヴィンの側に控えたイゾルフがそう言うと、エドヴィンの顔がしかめられた。
「何だと……? お前が格闘戦で負けた?」
「技術面では私が勝っていましたけれどね。でも、身体能力が違いすぎました。向こうはほぼ無傷で、こちらはあばらが何本かいっちゃいました」
「まさか……冗談だろう? 現にお前は怪我などしていないだろうが」
眉をひそめ、エドヴィンはじろじろとイゾルフを眺める。
びしっと立っている姿はバランスの偏りもなく、どこかを怪我しているようには見えなかった。
「それは、姫さまが癒してくれたんですよ。一瞬で完治でしたからね。並みの治癒術師なんて足下にも及ばない凄まじい力量と、敵方のはずの私を癒してくださったお優しいお心、姫さまは天使のようなお方ですよ」
「アナスタシア姫にそれほどの力があるのか。まあ、治癒術ならば危険は少ないから構わぬが……何故、対戦表に姫の名まであるのだ」
対戦表に記されたひとつの名を見つめ、エドヴィンは顔を歪めて忌々しそうに吐き出す。
「出たかったからでしょう。一年生で学院主催の対抗戦に出られるなんて凄いですよ」
だが、イゾルフの態度は素っ気ない。
むしろ、アナスタシアのことを称えている。
「戦いに出るな、と言ったはずだが」
「そんなの、まだ夫どころか婚約者ですらない相手に言われたところで、聞き入れる必要はないでしょう。それに、はっきり申し上げますと、殿下は姫さまに嫌われていると思いますよ」
歯に衣着せぬイゾルフの物言いに、エドヴィンが一瞬、固まる。
「……何故だ」
「何故って……あんな見下した物言いをしていたら当然でしょう。それに姫さまと三年首席は想い合っているようでしたし、そんな相手を馬鹿にされて楽しいはずがありませんよ」
呆れたように、イゾルフが答える。
だが、エドヴィンは鼻で笑い、その言葉を切り捨てた。
「ふん……そんなのは世間知らずの少女がかかる、はしかのようなものだろう。それに今はたとえそうであっても、女など宝石とドレス、甘い言葉を与えてやればなびくものだ」
アナスタシアとブラントが想い合っているであろうことは、エドヴィンも気が付いた。
しかし、アナスタシアはまだ年若い少女に過ぎない。たとえ張りぼてであっても美しいものに心惹かれる、夢の中にいるような年頃だろう。
いずれ現実を見るようになれば、あのような顔だけの男よりも、皇子である自分を選ぶはずだと、エドヴィンは疑っていなかった。
「……姫さまもそうだとよろしいですね。ところで、私はここにいて良いのでしょうか?」
これはダメだと言わんばかりに宙を仰ぐと、イゾルフは話を変えた。
「構わん。もう奴のところでのお前の仕事は終わっている。まさか、ここまで引っ張ってこられるとは思っていなかったが……まあ、ちょうどよかったのかもしれんな」
エドヴィンが答えたところで、舞台にブラントとネクスが上がってきた。
いよいよ一対戦目が始まるようだ。
「やっと始まるか。さて、どれほどのものか見てやるとするか」
ふんぞり返りながら、エドヴィンは戦いを眺める。
ネクスの攻撃で炎に飲み込まれたブラントを見て、やはりたいしたことがないと嘲笑うエドヴィンだったが、すぐに固まることとなった。
ブラントは炎に包まれながら無傷で立ち、しかも炎を集めて雄大な鳥の姿を作り出してしまったのだ。
「お……おい、あれはどうなっている……」
「いえ……私にもよく……ええ……あれ、どうやってるんだ……」
説明を求めるエドヴィンだが、イゾルフもまともに答えられない。
そして炎の鳥が放たれ、障壁を破りながら爆発して炎の柱が吹き上がるのを、唖然として眺めるだけだった。
決着が着き、ブラントが舞台袖に引っ込んでいくまで、エドヴィンもイゾルフも何も言うことができなかった。
「……あれくらい、宮廷魔術師ならばできるのだろう?」
「いえ、無理ですね。少なくとも帝国の宮廷魔術師で、あれができる者はいないと断言できますよ」
最後の希望にすがるようにエドヴィンは尋ねるが、イゾルフはあっさり切り捨てた。
「くっ……」
奥歯を噛みしめながら、エドヴィンは呻く。
どうせたいしたことがないだろうと決めつけていたが、力量を認めざるを得なかった。
学院始まって以来の天才という評判も、どうせ顔のことを言っているのだろうとしか捉えていなかったが、誇張ではなかったとエドヴィンは唸る。
「実力はあるというわけか……」
その後も対抗戦は続き、それらを見ているうちにエドヴィンは少し落ち着いてきた。
お遊びという言葉は取り消すべき戦いだったが、それでもブラントのように度肝を抜かれることはなかった。
学生といえどもなかなかやる、と余裕をもって称賛を贈れる程度だ。
だが、その余裕もアナスタシアの出番となるまでだった。
「……姫はいったい何を考えているのだ。怪我でもしたらどうするのだ」
舞台に出てきたアナスタシアを眺めながら、エドヴィンは苦々しく吐き出す。
だが、エドヴィンの思いなど知らず、開始の合図が響いた。
「うわっ……あの女、三年のくせに自分から攻撃しやがった……」
先制攻撃したキーラを見て、イゾルフが愕然と呟く。
その言葉を聞いてエドヴィンは対戦相手のキーラを眺める。そして、アナスタシアに暴言を吐いていた相手であることに気づいた。
「あの身の程知らずの女か……」
「ああ、でも障壁で防いだ。……ちょっ、そこで解くと……ほら、来た!」
キーラの石弾を障壁で防いだアナスタシアだったが、すぐに障壁を解いてしまった。
そこを狙って、アナスタシアの両脇から石の槍が飛んでくる。
イゾルフの焦った声が響き、エドヴィンはやはりアナスタシアのような姫君に戦いなど無理なのだと、舌打ちしたくなってくる。
「……え?」
だが、アナスタシアは信じられない行動に出た。
両脇から飛んできた石槍を手刀によって落とし、さらに後ろ回し蹴りを放って背後の石槍を砕いたのだ。
安定したその姿は、歴戦の重みすら漂わせていた。
障壁を解いたのは判断の甘さからではなく、誘いの隙を作るためだったのだろう。
「姫さま……もしかして、とんでもなく戦い慣れていませんか……?」
「まさか……何故……セレスティア聖王国で良い扱いを受けていなかったことは知っているが……だからといって……」
セレスティア国王は、ジグヴァルド帝国のことを嫌っている。
そのため、帝国の皇室の血を引くアナスタシアのことも疎んじているということは、エドヴィンも知っていた。
だが、今のところは命を狙われるような事態にはなっていなかったはずだ。
アナスタシアが戦い慣れている理由が、エドヴィンにはわからない。
「はは……もう、わけがわからないや……」
さらに、キーラの障壁に泥が絡みつき、障壁が蝶と化して飛び立っていくと、イゾルフは全てを放棄したように乾いた笑いを漏らした。
エドヴィンも、おぞましくも美しい、幻想的な光景を唖然として眺める。
やがて、泥まみれになったキーラの降参を叫ぶ声が響き、戦いは終わった。
「……泥まみれで終了か……姫さまも結構えぐいなあ。年頃の女の子が泥まみれは精神的にくるだろうに……。まあでも、これで決勝の組み合わせは決定したようなものですね。三年首席と姫さまが段違いだ」
「あ……ああ……」
イゾルフの呟きに、エドヴィンは気の抜けた相槌を打つことしかできなかった。
エドヴィンの中では、アナスタシアは無力な少女だった。
セレスティア聖王国第一王女でありながら、疎まれて病弱であるとされ、不当な扱いに耐えてきた薄幸の少女。
それを救い出し、正当な皇子妃として扱うことで、彼女の心を得ようというのが、エドヴィンのシナリオだった。
もっとも、ジグヴァルド帝国はアナスタシアの扱いを知りながら、放置してきたのだ。
王子であれば違っていただろうが、所詮は姫だと重要視されていなかった。
ところが、いつまで経ってもセレスティア聖王国に世継ぎとなる王子が誕生しないことから、アナスタシアに対する見方も変わってきた。
アナスタシアにしてみれば、今さらな話だろう。
エドヴィンも、アナスタシアに流れる聖王家の血が欲しいだけなのだ。
いずれ彼女を女王にすることにより、徐々にセレスティア聖王国をジグヴァルド帝国に取り込んでいくための駒に過ぎない。
だが、計算づくとはいえ、どうせ夫婦となるのならば良い関係を築きたいというのは、エドヴィンの本心だった。
不幸な境遇から救い出してやれば、それも難しくないだろうと、軽く考えていたのだ。
しかしながら、アナスタシアは救いなど必要としているのだろうか。
無力どころか、恐ろしく強い。
国内での立場といったものは弱いのかもしれないが、あれだけの力量があれば、その気になればもぎ取っていけるはずだ。
エドヴィンは、自分の計画が崩れていくのを感じていた。






