50.謝罪と勘違い
学院主催の対抗戦は、中央会場で行われる。
上級生になれば授業の一環で使うこともあるらしいが、アナスタシアは前回の人生も含めて入るのは初めてだ。
個人主催の対抗戦が行われる会場は、野外に舞台が設置されていて、客席もそれを取り囲むようにただ置かれるだけだが、中央会場は舞台と客席がひとつの建物になっている。
円形の建物の内部はすり鉢状になっていて、そこが客席であり、底の部分が舞台となる。
いわば、円形闘技場だ。
命を奪うようなダメージを受けても一度だけ無効化してくれるという特殊な術は、年に一度の対抗戦のときのみ発動するという。
そして構造上、場外負けも存在しない。
「これを首から提げて下さい。命に関わるようなダメージを受けた場合、この玉が砕けます。その時点で負けです。また、降参した場合と、この玉を直接砕かれた場合も負けとなります」
会場係から握り拳ほどもある青い玉を渡され、そう説明された。
まだ一般の開場までは時間があるので、アナスタシアは舞台を歩いてみながら、客席を見回す。
当然ながら客席に被害が出ないよう、魔術障壁が張られているようだ。
個人主催の対抗戦のときは舞台と客席が近かったが、ここは近い席でもそれなりに距離がある。上の座席に行けば、もっと遠い。
わざわざ個人が対抗戦を主催する理由のひとつがわかったような気がする。
「アナスタシアさん、おはよう」
「ブラント先輩、おはようございます」
やがて、ブラントもやってきた。
緊張がまったく窺えないのは、やはり二回も優勝しているからだろうか。
大勢の前で戦う経験に乏しいアナスタシアは、さすがに少し緊張していた。
「一階がお偉いさんたちの席だね。個人の対抗戦を主催した人もこの辺が割り当てられるんだ。普通の来客は二階。学生は三階になるけれど、出場者は舞台袖という特等席があるよ」
まだ誰もいない客席を指して、ブラントが説明する。
「じゃあ、レナとホイルは三階ですね。そして……あの皇子は一階でしょうか」
「多分、一階だろうね。魔術障壁があるから、流れ弾を装って攻撃できないのが残念だよ」
にこやかな笑みを浮かべたまま物騒なことを言うブラントに、アナスタシアは苦笑する。
だが、もし可能ならば一撃くらい当ててやりたいという気持ちは、アナスタシアも同じだった。
「そろそろ対戦表が出ているかな。見に行ってみようか」
ブラントに促され、二人は控え室に向かう。
すると、壁に対戦表が貼り出されていて、ちらほらと出場者たちが集まっていた。
その中にはキーラの姿もあったが、彼女はアナスタシアを見ると気まずそうに視線をそらし、部屋の隅へと移動していった。
「やっぱり、アナスタシアさんと俺は離れているね。決勝まで当たらない」
対戦表を見て、ブラントが呟く。
アナスタシアとブラントはトーナメント表の端同士で、決勝まで当たらない組み合わせになっている。
出場者数は十六人で、偏りのない綺麗なトーナメント表だ。
「いきなり最初からブラント先輩ですね……そして私の相手は……」
一対戦目からブラントの出番だった。相手は三年生のようだが、アナスタシアは知らない名前だ。
そして次に、アナスタシアの対戦相手を見ると、キーラの名が記されている。
「この組み合わせは、意図を感じるなあ……」
ブラントが苦笑する。
出場者は三年生が十人、二年生が五人、一年生が一人だ。
一回戦から三年次席と一年首席の組み合わせは、席次以外の要素を感じさせるようだった。
他には気になる組み合わせもなく、アナスタシアとブラントは対戦表から離れた。
控え室の中はピリピリと緊張した空気が漂っていて、あまり会話をするような気になれず、沈黙が流れる。
やがて一対戦目の時間が近づき、ブラントは舞台に向かった。
アナスタシアも近くで見ようと、舞台袖に向かおうとする。
「あの……」
だが、キーラに声をかけられ、アナスタシアは足を止めた。
他の出場者たちも舞台袖に向かっていく中、控え室にはアナスタシアとキーラだけが残される。
「王女殿下……今まで大変な無礼を繰り返してしまったこと、お詫びいたします。どうか、お許しくださいませ……」
しおらしく頭を下げ、キーラが謝罪してくる。
「……この学院では、身分を持ち出すのは禁止ですよね。王女に対する謝罪でしたら、必要ありません」
だが、アナスタシアは謝罪を受け取らなかった。
魔術学院は本来、身分の垣根なく魔術を学ぶ場だった。
初期の頃はたとえどのような身分だろうと、何も持たずに身一つでなければ入学できなかったという。
時の流れとともに、やはり元から教育を受けることができる貴族が有利であり、学院内部の力関係も変わったため、学院の方針も変化していったという話だ。
それでも、身分よりも己自身の力に目を向けよという基本理念は残っている。
「学院の門をくぐったときから、私は王女ではなく、ただのアナスタシアです。学院内のことは、全て個人間での出来事。王女として何かを問題にすることはありません」
アナスタシアはきっぱりと言い切る。
しかしながら内心では、王女といっても父に疎まれ、何の力もない名ばかりの王女でしかないのにと、苦笑がわきあがってきそうだった。
第一王女といっても、公の場にはまともに出してもらえず、対外的には病弱という言い訳の元に放置されていたのだ。
だが、もし王女としての強権を振るうことが可能だったとしても、アナスタシアは何もする気はなかった。
キーラからの謝罪も、アナスタシア個人に対するものならば受け取ってもよいが、そうではない。
王女に対して暴言を吐いたことを恐れているのであって、暴言そのものを反省しているわけではないだろう。
「そ……それでは、私はどうすれば許して頂けるのですか……? ブラントは譲りました……! これ以上、何を……対抗戦で勝利をお譲りすればよろしいですか……!?」
抑えきれない声がかすれた叫びとなって、キーラは悲痛に顔を歪める。
だが、アナスタシアはその姿を見ても哀れみなどまったく感じず、何もわかっていないと頭を抱えたくなった。
「……まだ、勘違いしているようですね。そもそも、ブラント先輩はあなたのものではないでしょう。それに、対抗戦で勝利を譲るなど……傲慢な勘違いもいいところですね」
冷淡な声で、アナスタシアは言い放つ。
ブラントはもともとキーラのことなど相手にしていなかったのに、譲るというのはどういうことだろうか。
しかも、対抗戦で勝利を譲るというが、キーラに譲るような勝利はない。
以前、中庭に呼び出されたときにキーラの力量は大体わかった。普通に戦えば勝利はアナスタシアのものになるというのに、譲られてはたまったものではない。
「対抗戦は全力で戦ってください。そうですね……もし、あなたが勝ったのなら、私は敗者としてあなたに従います。許すのでも、他のことでも、何でも言うことを聞きます」
「……そのお言葉、本当ですわね? 後からなかったことになさいませんわね……?」
アナスタシアの提案に、キーラは食いつく。
だが、それでも後から反故にされるのではないかと疑っているあたり、あなたではあるまいしとアナスタシアは苦い笑みが浮かんでくる。
「なんでしたら、誓約書でも書きましょうか?」
言いながら、やはりキーラとはまともに話せないなと、アナスタシアはこっそりため息を漏らした。






